9 元婚約者の未練
やせ細ってしまった体を急激に太らせるのも健康的に良くないのではないかということで、とりあえず、髪の毛を整えることや化粧をすることなど、難しくない外見の対策を考えることになった。
「あの、ルカ様」
「ん?」
「きっと、外見が変わってもミカナは何か理由をつけて、私をいじめようとするはずです。ですから」
「そうだな。だけど、リゼは今の段階ではミカナ嬢の妹だろ。権力で云々とかいうわけにはいかないだろ」
「そういうわけではなくてですね!」
焦って声を大きくすると、ルカ様は眉根を寄せて言う。
「言いたいことはわかってる。なんで、俺がそこまでするか、だろ? 俺はいじめが嫌いだ。しかも、目の前で起こってるんじゃ黙ってられないんだよ。男が相手なら暴力で解決するかもしれないが、相手が女性だろ」
「相手が男性でも暴力はいけませんよ」
「……剣技の時間くらいはいいだろ」
ルカ様は面倒くさそうな顔をして言った。
「先生に怒られない程度なら良いのでは?」
「じゃあ、なんかあった時はそうする」
ルカ様は頷いたあと続ける。
「俺には女性の服の好みなんてわからないから、助っ人を呼ぶつもりだったんだが、母上がいるんなら母上に任せていいよな?」
ルカ様に聞かれたライラック様は首を傾げる。
「一緒に行くつもりだけど、ルカは誰を呼ぼうとしていたの?」
「従兄弟」
「ああ。イグルね」
ライラック様が笑顔で頷くと、その隣に座っていたルル様が立ち上がって叫ぶ。
「イグルさまがいらっしゃるなら、わたくしもいきますわ!」
「駄目だ。イグルにはリゼの相手をしてもらうんだよ。というか、母上に任せるから」
「だめです! おにいさまたちもいっしょにいきましょう! そして、わたくしは、イグルさまとデートするんですの!」
ルル様が両拳を握りしめ、頬をふくらませた。
ルカ様がルル様を相手にしている間に、ライラック様が話しかけてくる。
「ルルはイグルが好きなのよ」
「……お兄様と同じ年だから、年が離れていても恋愛対象になるんですね」
「イグルはルカと違って、女性に人気があるのよ。それに、年の差は大人になったら気にならないというのもあるだろうし、子供には余計に素敵に見えるのかもしれないわね」
ライラック様が苦笑する。
ルル様とイグル様は年の差が十三歳くらいあるけれど、大人になったら、気にならない人は気にならなくなるものね。
イグル様には婚約者がいないみたいだし、ルル様にはまだチャンスがあると思うので、イグル様に迷惑にならない程度に、ルル様を応援しようと思った。
結局、この日、ルカ様は、私やライラック様達と次の日の休みに買い物に行くという約束をしただけで帰ってしまった。
◇◆◇
次の日、早い時間に学園に着くと、いつから待ち構えていたのか、ミカナがすごい形相で近寄ってきた。
御者が行ってしまったのを見計らって出てきたので、周りに人は誰もおらず、彼女は本性を剥き出しにして言う。
「ちょっと、あんた! 家から勝手に出ていってるんじゃないわよ!」
「しょうがないじゃない。デフェル兄様に襲われそうになったのよ!」
「は? あんた、頭、大丈夫? デフェルお兄様が、あんたなんか相手にするわけないでしょ!」
ミカナは眉根を寄せてそう言うと、私のリボンタイをつかんで言う。
「よくも私の頭を何度も踏みつけてくれたわね!」
ミカナはホワイトタイガーの姿を見ていない。
だから、大型犬という記憶にもならないようで、なぜか、私が彼女の頭を踏みつけたことになっていた。
彼女の目の前で荷造りをしていたのに、どうしたらそんなことが出来ると思うのかしら?
それとも、その時のミカナの記憶では、私が荷造りをしていないことになっている?
「ちょっと、あんた聞いてんの! もういいわ! あんたも同じ目に遭わせてあげる!」
ミカナが私のリボンタイを掴んだまま歩き出す。
「やめて、ミカナ!」
首が絞まるとまではいかないけれど、引っ張られると苦しくて叫んだ時だった。
「ミカナ! やめるんだ!」
エセロの声が聞こえたので、ミカナは慌てて私のリボンタイから手を放したけれど、時すでに遅しだった。
「どうして、リゼにそんな酷いことをするんだ!」
エセロは私を庇うように前に立って、ミカナを責めた。
「エセロはどうしてリゼを前にして平気でいられるの!? リゼのせいで、あなたの家もわたしの家も迷惑をかけられているじゃないの!」
ミカナの悲痛な訴えに対し、エセロは首を横に振る。
「リゼに迷惑をかけられてるんじゃない! 僕らが悪いんだ!」
「エセロ! あなた、どっちの味方なの!? わたしじゃないの!?」
「こういうのは敵、味方じゃないだろう!? 乱暴するのは良くないんだ!」
「そんなのわたしだってわかってるわよ! だけど、リゼがっ!」
ミカナが泣きながらしゃがみ込んだせいか、エセロは慌てて彼女に近付いて慰めにかかる。
「ごめん、ミカナ。泣かせるつもりじゃなかったんだ」
人が一人、また一人と増え始め、私達に好奇の目を向けながら歩いていく。
最悪だわ。
私がミカナをいじめたみたいになってるんじゃない?
どうしよう。
また、私の嫌な噂が増えてしまう。
「何の騒ぎだ?」
校舎の方から現れたのはルカ様だった。
不機嫌そうに眉根を寄せ、私に近付いてくると尋ねてくる。
「なんで、この二人と一緒にいるんだよ。危機感足りなくないか?」
「申し訳ございません! この時間にミカナが来ているだなんて思っていなかったんです! ミカナは早起きできるタイプじゃないと思って油断してました」
「ああ、これ、怒られるやつだな」
ルカ様は独り言のように呟いたあと、「行くぞ」と私を促して歩き出す。
「ルカ様、申し訳ございません」
「謝らなくていい。明日から違う場所で待ち合わせるぞ」
「そんな! ルカ様に悪いのでいいです!」
「別に悪いだなんて思わなくていい。それに、父上と母上に怒られるんだよ。女性一人も守れないのかって」
「もしかして、今、来てくださったのも、私を迎えに来てくださったのですか?」
「うるせぇな」
ルカ様がこちらには顔を向けずに言った。
突然、言葉遣いがいつもよりも悪くなったので、照れていらっしゃるのかもしれない。
「ちょっと待ってくれ!」
エセロの声が聞こえたけれど、ルカ様が歩みを止めないので、私もそのまま歩いていくと、エセロが追いかけてきて、ルカ様の前に立って尋ねる。
「ノルテッド卿、あなたはリゼとどういう関係なんです?」
「お前に答える筋合いないだろ」
「ありますよ! 元婚約者なんです」
「元、だろ? 現在の婚約者が近くにいるのに、過去の女の話をしてやるなよ」
ルカ様はミカナのほうに目をやった後、黙り込んでしまったエセロを無視して、私を促す。
「行くぞ」
「はい」
「リゼ……」
エセロが悲しそうな表情で私を見たけれど、私はルカ様の後を追う。
すると、ルカ様が小さく息を吐いて話しかけてきた。
「あいつ、未練たらたらだな」
「……どういうことです?」
「ミカナ嬢のことを好きなのかもしれないが、リゼのことも忘れられないって感じだ」
「そんな! 嘘ですよね!?」
「さあな。俺はそうだと思うけど。とにかく、ソファロ卿には近付くな。リゼが元婚約者とよりを戻したがってると嘘の噂を流されるぞ」
「はい!」
ルカ様の忠告に、私は大きく首を縦に振った。
その後は、ミカナもエセロも私に何か言ってくることはなかった。
そして、次の休みの日、私はライラック様の見立てにより、今までとは別人のような見た目になるのだった。