71 隣国の辺境伯家の秘密
「やめてくれよ。泣いても何も変わらないからな」
ルカ様が呆れた顔をして、ミノール様に言うと、現実を否定するかのように彼女は何度も首を横に振る。
「嫌よ! 嫌ですわ! どうして、わたしがこんな女に勝てないと言うのですか!」
「そういうことを言う時点で、俺は君のことは無理だ。頼むから諦めてくれ」
ルカ様は冷たく言い放ったあと、ブロッディ卿に顔を向ける。
「お前も何とか言えよ。お前は俺のことが嫌いなんだろ? それなら、俺に近づかせないようにするのが普通じゃないのか?」
「お前はミノールが可愛くないって言うのかよ!?」
「可愛いとか可愛くないとかいう問題じゃないだろ! 俺にはリゼがいるって何回言ったらわかるんだ!」
ルカ様の婚約者は私だし、当たり前のことを言ってくれているだけなのに、私にとっては何だか恥ずかしいというか、嬉しい言葉を何度も発してくれているせいで頬が緩みそうになる。
せめて、ミノール様の前では我慢しなくちゃ。
「おにーさまは、かんじんなことは、ことばにできませんのに、こういうことはすなおにいえてしまうのですわね」
「うるさいな」
ルル様の呟きに、ルカ様が眉根を寄せて言うと、ジョシュ様がニヤニヤしてライラック様に話しかける。
「ほう。俺のいない間に、二人の仲がかなり近づいた感じか? ルカ、帰ったら全部話せよ。リゼの反応とかは良いから、お前がやったことだけでいい。リゼのプライバシーは守るが、お前のプライバシーは、俺に関してはない」
「何でですか!?」
「俺がお前の父親だからだ」
「親だからって何でも話さないといけないわけではないでしょう!」
ルカ様とジョシュ様が話し始めたので、私はブロッディ卿に話しかける。
「ブロッディ卿、あなたもミノール様が可愛いのなら、こんなところで座り込んで泣かせている場合ではないんじゃないですか? 多くの人に見られていますよ?」
「うるせぇな! 言われなくてもわかってるよ!」
ブロッディ卿は私を睨みつけたあと、ミノール様には優しい声で話しかける。
「ミノール、今日のところは帰ろう。ノルテッド卿には改めてお前の良さをわかってもらったらいいだろ?」
「嫌です! 嫌、嫌、嫌あぁっ!」
「やめろ! ミノール! 興奮するな!」
ブロッディ卿が叫んだ時だった。
突然、ミノール様の姿が可愛らしい茶色の子鹿に変わった。
「どういうこと!?」
ライラック様が声を上げると、ブロッディ卿はミノール様を隠すようにして立つ。
「何でもないです。妹の具合が悪いようですから、今日のところは失礼します」
いや、何でもないということはないでしょう。
目の前で人が鹿に変わりましたけど?
「お兄様、ごめんなさい」
「大丈夫だ。どうせ、奴らは忘れる」
ブロッディ卿はそう言って、私たちが何か言う前に、小さな鹿を抱き上げて走り去っていく。
しばらく呆然としていた私たちだったけれど、初めに我に返った私が口を開く。
「今のって鹿ですよね? もしかして、ブロッディ家の人たちも皆さんのように変身できるということでしょうか」
こんな人通りの多い所で変身するだなんて、たとえ記憶を変えられるにしたって良くないことだわ。
そう思いながら言ってみた。
すると、ルカ様含め、辺境伯家の皆さんは不思議そうな顔をして私を見つめる。
「鹿ってどういうことだ? 何か見たのか?」
ルカ様に尋ねられた私は目を丸くして尋ねる。
「どういうことって、ルカ様は覚えていらっしゃらないのですか?」
「何のことかわからない。俺は泣き喚いているミノール嬢をブロッディ卿が連れて行ったとしか」
「私もよ」
「わたしもです」
「俺もだ」
ルカ様のあとに、ライラック様、ルル様、ジョシュ様の順で答えてくれた。
一体、どういうことなの?
どうして、私の記憶だけが書き換えられていないの?
考えられるとしたら、私がミノール様の話を誰にもしない、もしくは秘密を知っている人にしか話をしないということになる。
裏を返せば、ルカ様たちに話そうとすれば、私の記憶も変更されてしまうんでしょうね。
誰か一人でも彼らが変身できることを覚えていたほうが、何かの時に役に立つかもしれない。
内緒にしておこうと決めた私は、話題を変えてジョシュ様との再会を喜んだ。




