70 ルカの婚約者
「な、なんでノルテッド辺境伯がここにいるんだよ!?」
ブロッディ卿は焦った顔になって叫んだあと、ジョシュ様に抱えられている女性に向かって声をかける。
「ミノール! 大丈夫か!?」
「お兄様! わたしは大丈夫ですわ。あの、ノルテッド辺境伯、わたしを放していただけませんか」
ミノール様は先程までの敵意剥き出しの態度はどこへやら、白い頰を真っ赤にして顔を手で覆って、ジョシュ様にお願いした。
「もう逃げないだろうな?」
「もちろんですわ」
ミノール様は手を顔から離して、ジョシュ様の問いかけに頷く。
ジョシュ様が優しくミノール様を地面に下ろすと、ブロッディ卿が駆け寄った。
「ミノール! 怪我はないか? 何もされていないよな?」
「心配しないでお兄様。わたしは大丈夫ですから」
ミノール様はブロッディ卿に微笑んだあと、すぐにルカ様に視線を向ける。
「ミノール・ブロッディと申します。ルカ様にお会いできて嬉しいです」
うっとりとした目で頬を赤く染める姿を見ると、女性の私でも可愛いと思ってしまう。
ブロッディ卿が可愛がるわけね。
「それはどうも。俺は話すことはないから行ってもいいか?」
「え? あ、でも、今、挨拶をしたばかりですが?」
「リゼを睨んでただろ」
「そうですわ! リゼおねーさまに、ぶれいなたいどでしたもの。そんなひとと、おにーさまは、おはなしなんていたしませんわ!」
ルル様が私の手を握り、ミノール様に叫んでくれた。
「ありがとうございます、ルル様」
「どういたしまして、ですわ」
ルル様の手を握り返すと、嬉しそうに微笑んでくれた。
ルル様は本当に可愛らしい。
そう思って和んでいると、ミノール様が話しかけてくる。
「無礼な態度を取っていたように見えたのであれば謝りますわ。ですが、遠いものが見えづらくて、目を細めていただけですの」
「そんな風には思えませんでしたが?」
私にしてみれば、憎悪の眼差しにしか感じられなかった。少し強い口調で言い返すと、ミノール様は泣き出しそうな顔になる。
「酷いですわ。リゼ様とは会ったばかりなのですから、わたしのことをよく知らないはずです。それなのに決めつけてしまわれるなんて!」
「おい! ミノールが傷ついているだろ! ちゃんと謝れよ!」
「偉そうにするな」
ジョシュ様はブロッディ卿を睨みつけてから、ミノール様に話しかける。
「ルカに興味があるようだが、ルカにはリゼがいる。妻から聞いた話では二人は上手くいってるんだ。諦めてとっとと国へ帰れ」
「そ、そんな!」
ミノール様は助けを求めるかのようにルカ様を見た。
けれど、ルカ様は助けるどころか、彼女を突き放す。
「俺のことを気に入ってくれたことについては有り難いと思う。でも、気持ちに応えることはできない。俺にはリゼしかいないから」
「ルカ様」
どんな反応をしたら良いのかわからなくて、名を呼ぶのが精一杯だった。
まさか、こんな言葉を聞く日がくるだなんて!
「そんな、ルカ様!」
ミノール様の悲痛の声が聞こえ、私はルカ様からミノール様に視線を移す。
ちょうどその時、彼女の目から大粒の涙が溢れ出した。
こんなことを言うのはなんだけど、こんなはずじゃなかった、残念でしたね。というところかしら?
――と、こんなことを思うなんて、性格が悪いわよね。気をつけなくちゃ。
「あらあら」
「青春してるなあ」
「すてきですわぁ」
ライラック様、ジョシュ様、ルル様の順番で声が聞こえてきた。
それぞれに視線を移すと、ライラック様とジョシュ様はニコニコして私とルカ様を見ており、ルル様は空いている手で、自分の頰を押さえて照れている。
「待てよ、ノルテッド卿」
ミノール様が呆然としているからか、ブロッディ卿がルカ様に話しかけた。
「何だよ」
「前にも言ったが、俺もこの女が好きなんだ! だから、お前にミノールをやるから、お前はこの女を渡せ!」
この女というのは私のことのようで、ブロッディ卿は私を指差して叫んだ。
本当に好きなら、名前くらい呼ぶでしょう? もしかして私の名前を覚えられないの? 辺境伯令息として大丈夫なのかしら。
「ふざけるなよ」
ルカ様は私を抱き寄せて、ブロッディ卿に告げる。
「リゼは俺の婚約者なんだ。お前なんかに渡すわけねぇだろ」
ルカ様の言葉にダメージを受けたのは、ブロッディ卿ではなく、ミノール様だった。
「うわあああ!」
彼女は大声を上げたかと思うと、地面に座り込んで泣き始めたのだった。




