5 家族総出の来訪
ノルテッド辺境伯はダークブラウンの髪に赤い瞳を持つ、顔立ちの整った渋めの男性で、さっき現れた熊と毛の色と瞳の色は一致していた。
豹だって、ルカ様と同じ色だったわ。
それって、ただの偶然よね?
そうじゃないと説明できないもの。
だって、人間が動物になれるわけがないんだから!
裏庭に熊と豹が現れたことについての説明もできないけど、もしかしたら、サーカスの動物が逃げたとかかもしれないわ。
人間に慣れているから助けてくれたとかかもしれない。
自分でも苦しい言い訳だとわかっているけれど、そう納得することにした。
「おい、リゼ! 何をしてるんだ。早くお茶を淹れなさい」
「は、はい」
普段は世間体が大事だと言っている伯父様だけれど、今は頭に血が上っているのか、そんなことを気にしている余裕はなさそうだった。
慌ててティーポットからお茶を注ごうとした私に、ルカ様が話しかけてくる。
「リゼ、有り難いけどお茶はいらない。俺達はすぐに帰るつもりだから、お前も家を出る準備をしろ」
「はい? 家を出る準備……ですか?」
意味がわからなくて聞き返すと、伯父様が叫ぶ。
「リゼ! 早くしろと言っているだろう!」
声に驚いて体を震わせると、ノルテッド辺境伯が立ち上がり、テーブルに身を乗り出して伯父様の首を右手で掴んだ。
「彼女はお前の娘だろう? それに、お茶を淹れるだけでそこまで強く言う必要はあるか?」
「こ、これが我が家の躾でっ……!」
「娘は伯爵令嬢だろう。なぜ、茶を淹れさせる? それとも、お前の家は使用人一人も雇えないのか?」
「いる! いるんだが、みんな、辞めると言い出したんだ!」
伯父様は両手でノルテッド辺境伯の手を掴み、自分の首からはがそうとしたけれど無理だった。
二人のことが気にしつつ、私はルカ様に尋ねる。
「ルカ様、あの、今日のご用件は何だったのでしょう?」
「婚約破棄についての話し合いだ。普通は婚約破棄ですね。はい、わかりました。で、終わるものじゃねぇだろ? 不愉快になった分の慰謝料をもらおうと思って来たんだ」
「慰謝料ですか……」
「それを払いたくないってごねられてたんだよ。あと、母さんがリゼのことを気にしてて」
私達の会話が耳に入ったのか、伯父様はこちらを向いて叫ぶ。
「何でも金で解決しようと思いやがって!」
「そんなんじゃねぇよ。そうでもしないと、フローゼル伯爵は痛いと思わないだろうからやってるんだ」
ルカ様が答えると、伯父様はルカ様を指差す。
「悔しかったら、王都にでも住めばいい! そうすれば認めてやる!」
その叫びを聞いたノルテッド辺境伯は伯父様をソファーに向かって投げつけた。
「別にお前なんぞに認めてもらわんでもいい。というか、お前は馬鹿か。辺境伯が王都に住んでたら辺境伯の意味がないだろうが。辺境と辺鄙の違いもわからないし、これだから、貴族のボンボンは」
「父上、話がズレてる」
ルカ様に言われ、ノルテッド辺境伯はしかめっ面から焦った表情になった。
「ん? あ、ああ、そうだったな。フローゼル伯爵、これだけ言っておくが、うちは王都に別荘を買ったんだ。住もうと思えば住めないことはない。だから、お前はノルテッド辺境伯家を認めざるを得なくなったな」
「お、王都に別荘だと!?」
別荘に関しては、その土地の領主に許可を取れれば、土地込みで買うことが可能だ。
けれど、王都となると土地代がかなり高い。
賃貸かと思ったけれど、買ったと言われていたし、とんでもない金額だと思う。
少なくとも、フローゼル家の財力では買えないものを買ったというのだから、これで、辺境伯の地位をわかってくれるといいんだけど――。
「辺境伯というのは、そんなに儲かるのか……?」
伯父様は呆然とした表情で言った。
いやいや、そういう問題じゃないんですけど?
「しつれいいたします」
その時、ノックの音と共に扉が開き、ウェーブのかかった黒髪に金色の瞳を持つ、幼い女の子が入ってきた。
「ルル!」
白色のうさぎのぬいぐるみを抱きかかえた、青いワンピースを着た少女を見た瞬間、ルカ様が立ち上がって叫んだ。
「おとーさま、おにーさま、おそいですわ。おかーさまがごりっぷくですの」
ピンク色の頬をぷくっと膨らませたその姿が可愛らしくて、思わず声を上げそうになった。
「ルル、一人でここまで来たのか?」
「いいえ。このいえのしつじさんがつれてきてくださいましたの。おかーさまは、しよーにんのひとたちとおはなししてますわ」
ノルテッド辺境伯はルル様に近づき彼女を抱き上げると、ルカ様のほうを見た。
「帰るぞ」
「わかった。でも、すぐには無理だ」
ルカ様がノルテッド辺境伯に応え、私を見たと同時に伯父様がまた叫びはじめる。
「人の家で好き勝手しないでください! 婚約破棄については申し訳ないが、娘の意思を尊重していただきたい!」
「婚約破棄については受け入れるつもりだから安心しろ。ただ、好き勝手動いてる、お前やお前の家族を痛い目に遭わせたいだけだ。婚約破棄なんてもんは簡単にするものじゃないと勉強してほしいんでな」
ノルテッド辺境伯が伯父様を睨みつけると、伯父様は声にならない声を上げて、ソファーに倒れ込んだ。
「おとーさま、このかたは?」
「フローゼル伯爵だ。ノルテッド家のことを下の人間だと見下している」
「まあ! はくしゃくけということは、ノルテッドけよりも、かくしたではないですか!」
ノルテッド辺境伯の肩に座っているルル様は、彼の顔に抱きつきながら、伯父様を見て続ける。
「わたくし、はくしゃくけでも、こうきなちすじや、けんりょくのある、はくしゃくけは、しっておりますのよ? でも、フローゼルけなんてきいたことがありませんわ」
前にルル様はたしか四歳だとルカ様が話をしていたような気がする。
今の発言は四歳児のものとは思えないのだけれど、伯父様に彼女の嫌味はちゃんと通じたようだった。
「こ、子供に何がわかると言うんだ!」
「おとなのくせにわかりませんの?」
「何だと!?」
「もういい! 慰謝料がもらえないというのなら、彼女を連れて行かせろ」
ノルテッド辺境伯は、伯父様とルル様の言い合いをやめさせて私を指差して叫んだ。
「リゼを連れて行くだと……?」
「ああ。金は払いたくないんだろ? それなら、人を渡せ。あと、使用人もだ。別荘で働いてもらう使用人を探さないといけないと思ってたんだ」
「くそっ……。まあ、いい。使用人はどうせ辞めると言っていたしな。リゼは……」
伯父様は私を睨んで少し考えたあと、首を縦に振った。
「もう使い道はない。出ていけ!」
「え……、ど、どうしたら……」
思いもよらない展開に困惑していると、ルカ様が話しかけてくる。
「リゼ、荷物をまとめてきてくれ。父上が買った別荘は学園にも近い。リゼはそこから通えばいい」
「は、はい!?」
「この家にいたいのか?」
「いいえ! 家からは出たいです」
「なら、早くしろ。俺達は用事を済ませたら、エントランスホールでリゼを待ってるから」
ルカ様に促され、慌てて部屋から出ようとして足を止めた。
信じられない。
私がここを出て、王都に住むだなんて――。
何か裏があるんじゃないの?
「リゼ嬢、いいから早く行け。詳しい話はここを出てからにする」
「リゼおねーさま。ルルとなかよくしてくださいませね?」
ノルテッド辺境伯とルル様に手を振られ、私は止めた足を進める。
一体、今日は何が起きてるの!?
熊に豹だけじゃなく、この家を出られることになるだなんて!
自分の部屋に戻り、とにかく持っていかなければいけないものをトランクに詰めていると、ミカナがやって来た。
「何の騒ぎなの!? それに邸の中に侍女やメイドだけじゃなくて、騎士までいないんだけど!?」
ミカナは扉を開け放つと、扉にもたれかかって焦った顔をする。
「使用人達はやめるそうよ。騎士は何をしてるかは知らないわ」
「というか、あんた、何してるのよ、家出でもするの!?」
「ミカナ、急いでるの。私のことは放っておいて!」
「何よ、リゼの分際でっ!」
背中を扉から離し、私のところへミカナが向かってきた時だった。
白と黒の大きな生き物がミカナの背中に飛びついた。
「きゃあっ!」
悲鳴を上げてミカナは派手に前に倒れ込んだ。
驚きながらも何が起きたのかを確認してみる。
私の目の前で、顔面をカーペットにつけたミカナの後頭部を白と黒の毛を持つ虎が前足で、顔をあげさせないように押さえつけていた。
ど、ど、どういうこと!?
この家はいつから動物園になったの!?
「何なの!? 痛いっ! リゼ! ちょっと、頭を押さえるのはやめなさいよっ!」
ミカナが頭をあげようとすると、ホワイトタイガーが前足でおさえつける。
そんなことを繰り返しながら、ホワイトタイガーは私に綺麗な金色の瞳を向けた。
ルカ様と同じ瞳の色だわ……。
そう思うと、動揺していた気持ちが落ち着いてきた。
ホワイトタイガーは、もう片方の前足で、私に荷造りを進めるように促してくる。
本来なら、この状況で荷造りなんて出来ない。
でも、ホワイトタイガーが敵ではないということだけはわかるので、素直に荷造りを再開することにした。
「リゼ! なんなの! こんなことして許されると思ってるの!? ほんと、あなたってブスでなんの役にもたたな、んぐっ!」
ミカナが暴言を吐いたからか、ホワイトタイガーはミカナが話すこともできないように、彼女の顔をグリグリと前足で踏みつけた。
もしかして、このホワイトタイガーは、辺境伯夫人だったりするの?
ノルテッド辺境伯夫人が、黒髪で白い肌、金色の瞳なら、そうとしか思えない。
たとえそうだとしても、どうして、動物の姿で現れるの?
人の姿なら人の家を堂々と歩けないけど、動物だったら良いみたいな感じかしら?
いやいや、そんなお話の世界でしか起きないことが、私の目の前で起こるはずはないわ!
「集中しなくちゃ」
湧き上がってくる疑問は、あとからルカ様たちにぶつけることにして、荷造りを急ぐことにした。