4 辺境伯の傷の位置
デフェルに襲われる可能性があるため、中庭にやって来る野良猫達の世話は、最近はメイドに任せるようになっていた。
デフェルは私に興味があるみたいだから、私が一人にならなければ良いだけだと思い込んでいて、私の味方をしてくれるメイドに被害が及ぶなんて思ってもいなかった。
それは、ルカ様達がやって来る日の朝のこと。
裏庭のほうから叫び声が聞こえ、驚いて窓の外を見ると、木々で隠れて見えないけれど、メイドの叫ぶ声が聞こえてきた。
「やめて下さい、デフェル様! 嫌ですっ!」
ニャーニャーと猫の騒がしい声も聞こえ、猫達の威嚇する声が大きくなってきた。
「おやめ下さい、デフェル様!」
庭師の声が聞こえたけれど、鈍い音と共に庭師の声は聞こえなくなり、デフェルの声だけが耳に届いた。
「うるさい! これ以上怪我をしたくなけりゃ、そこで静かにしてろ。ほら、大人しく服を脱げよ!」
「無理です! 嫌です! 騎士様っ! 助けてくださいっ!」
「そこにいる騎士は俺の味方だ! それに他の騎士には来るなと伝えてあるからな!」
朝も早く静かなため、屋敷の中にいる私の耳にもはっきりと、デフェルの最低な発言が聞こえてきた。
本当に最低な男だわ!
私は居ても立っても居られなくて部屋を飛び出し、エントランスホール近くにある掃除道具が片付けられている部屋に入ってモップを手に取った。
「何も持っていかないよりかは良いわよね」
自分に言い聞かせるように呟くと、エントランスホールにいたメイドに、警察に連絡するように頼んだ。
その後は、近くにいた騎士達に声をかけたけれど、なぜか、一緒に行くのを嫌がった。
さっきもデフェル本人が言っていたけれど、彼が騎士達を買収したみたいだった。
騎士達が全く動いてくれそうにないので、フットマンに声をかけて一緒に声が聞こえてくる方向である、猫の餌をいつもやっていた場所に向かって走る。
近付いているはずなのに、メイドの悲鳴がどんどん小さくなっていくので、不安が大きくなっていく。
手入れされていない草むらと木々の間に入り、少し開けたところまで出ると、倒れたメイドに襲いかかろうとしているデフェルの姿が見えた。
「デフェル兄様! おやめください!」
とりあえず動きを止めようと思って叫ぶと、デフェルはこちらに振り返って、にやりと笑みを浮かべた。
「おお、リゼ! 待ってたぞ! お前が相手をしてくれるんだな!?」
「するわけないでしょう! 何を考えてらっしゃるんですか!」
「リゼお嬢様! 来てはいけません! お逃げください! これは罠です!」
メイドは泣き叫んでそう言ってくれたけれど、私が原因なのに、このまま逃げることも出来なかった。
「大丈夫? 本当にごめんなさいね」
「リゼお嬢様は悪くありません! お逃げください、お嬢様! このままではあんな風にっ!」
メイドのところまで駆け寄り、彼女を抱き起こして尋ねると、泣きながら、すぐ近くの木の根元を指さした。
視線を向けると、庭師だけじゃなく、一緒に来てくれていたフットマンまでもが倒れていた。
デフェルだけならまだしも、騎士に私が敵うはずがない。
警察が来てくれるまでの時間稼ぎをしなくちゃ。
「リゼ……」
デフェルは舌なめずりをしながら、私に近付いてくる。
「お前のことをミカナはブスだと言うが、俺は好みだったんだ」
モップで距離を取ろうとすると、デフェルはそれを奪おうとする。
「大人しく俺のものになりやがれ!」
デフェルが叫んだ時だった。
突然、黒くて大きな動物が、デフェルに飛びかかった。
「うわあっ!?」
襲いかかられたデフェルは、地面に倒れ込む。
黒い動物は、私とメイドの前に立ち、臨戦態勢をとるように構えた。
「な、なんで、こんなところに豹がいるんだよ!?」
デフェルが倒れ込んだまま、驚愕の表情で叫ぶ。
「デフェル様、今、助けます!」
騎士が剣を抜き、こちらに向かってこようとした時、騎士の背後から、今度は大きな熊が現れた。
ダークブラウンの毛色に赤い瞳を持ち、右頬に斬られたような傷痕がある。
「ど、どうして、こんなところに、豹と熊が……?」
メイドが呟いた瞬間、熊が二本足で立ち、こちらに向かっていた騎士の頭をひっぱたくようにして、右の前足で殴った。
無防備だった騎士は吹っ飛び、近くの木に頭をぶつけて気を失った。
「い、一体、どうなってるんだ!」
デフェルが涙目になって、豹と熊を交互に見る。
「あ……の……っ」
怖いけど、黒豹は私達を守ろうとしてくれているのではないかと思って声をかけると、黒豹がこちらに振り返った。
金色の瞳が綺麗だと思った、その瞬間、口から勝手に言葉が零れ出た。
「……ルカ様?」
「……」
黒豹は何の反応もせず、デフェルのほうに顔を向けた。
「な、なんでこんなところに、熊と豹がいるっ」
起き上がろうとした、デフェルの言葉の途中で熊が彼の正面から前足で顔を殴ったので、デフェルは地面に倒れ込んで気絶した。
熊は、騎士とデフェルが動かなくなったのを前足で蹴って確認すると「行くぞ」と言わんばかりに黒豹に視線を向けてから、屋敷のほうに向かって四足歩行で歩いていく。
すると、黒豹も私の方を一度振り返りはしたけど、すぐに熊を追いかけて走り出した。
一体、何だったの?
そんな疑問が浮かんだけれど、今は、怪我をしている人を助けることが先だと考えて動き始めたところで、警察がやって来たのだった。
*****
警察に事情を説明したけれど、デフェルや騎士は気を失っていたし、メイドがパニック状態だということもあり、私も恐怖で頭がおかしくなってしまったと思われてしまい、証言は信用してもらえなかった。
結局、伯父様は何も起きていないし、あったとしても邸内での話だから気にしなくて良いといって警察を帰らせてしまった。
たぶん、裏でお金を渡したのだと思われる。
部屋で気持ちを落ち着かせていると、多くの使用人は、伯父様や騎士、デフェル達に不信感を示し、屋敷を出ていこうという話になったと、私の様子を見に来てくれた執事が教えてくれた。
「わたくし共はお暇させていただこうと思っております。このままでは、リゼお嬢様も危険です。学園寮に入ることはできないのでしょうか」
「そうね……」
学園寮に入りたいという気持ちはこの上ないんだけれど、寮は人気で現在は埋まっていて、今は学期の途中だから退去者もいない。
それに寮に入る前に管理費としてお金を渡さないといけないんだけれど、そのお金が結構な額だし、伯父様が出してくれるはずもない。
でも、味方でいてくれた使用人達もいなくなるのなら、本当に、私の身が危ない。
どうにかしないとと考えた時、伯父様が私の部屋にやって来た。
「おい! メイド達が仕事をしないんだ! リゼ、お前がお客様にお茶をいれろ!」
「旦那様、お待ちください。わたくしが」
「うるさい、執事のくせにこんなところで何を遊んでいるんだ! くそ! お前もクビにしてやる!」
伯父様は顔を真っ赤にして叫ぶと、ドスドスと大きな足音を立てて去っていく。
「そういえば、ノルテッド辺境伯が来られているのよね」
「そうでございます。婚約破棄の件でお話があるようで……」
「気になることがあるから、私がお茶を持っていくわ。お茶の淹れ方だけ教えてくれない?」
「……承知いたしました」
執事は頷き、私と一緒に厨房へと向かった。
それから、慣れないながらも、ティーポットやティーカップをのせたサービスワゴンを押して、応接室の扉をノックすると、返事の代わりに伯父様の怒声が聞こえた。
「なんで、私達が金を払わないといけないんだ!」
「一方的な婚約破棄をしてきておいて、お咎めなしだなんておかしいだろう。払えよ、慰謝料」
伯父様の言葉のあとに、低いけれど、よく通る声が聞こえてきた。
ルカ様の声に似ているけど、もう少し低い声だった。
「偉そうにしやがって、この辺境伯風情が!」
「あぁ? 言っておくが、お前の家よりも家格は上だからな?」
「ふん! 辺鄙なところにしか住めない伯爵風情のくせに!」
伯父様はまだ、そんな馬鹿なことを言っていた。
間違いを正してくれる人がいないのも悲しいわね。
入室の許可がもらえそうにないので、もう一度大きくノックした後、返事を待たずに扉を開けた。
すると、立ち上がって叫んでいる伯父様の姿と、ローテーブルをはさんだ向かい側に、ルカ様と筋骨隆々の大柄な男性が座っているのが見えた。
「リゼ?」
ルカ様が組んでいた足をほどき、不思議そうな顔をして私を見た。
「ごきげんよう、ルカ様」
「どうして、リゼがお茶出ししてるんだ。そういうのはメイドの仕事だろ」
「色々とありまして……」
小声で話をしていると、視線を感じたので、そちらに目を向ける。
すると、ルカ様のお父様である、ノルテッド辺境伯と目が合った。
そして、自然と、ノルテッド辺境伯の右頬にある大きな傷に目がいってしまった。
その傷は先程、私達を助けてくれた熊の傷の位置と同じ位置にあるように思えた。