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3  婚約者の浮気

「リゼ、ごめん……」


 エセロは一度俯いてからすぐに顔を上げて、綺麗な瞳を揺らして私を見つめた。


「エセロ、一体どういうことなの?」


 ミカナのことや伯父様達のことについて、彼には何度も相談した。

 その度に、ミカナには騙されない。

 そう彼は言ってくれていた。


 なのに、ミカナが彼の腕に頬を寄せていることに対して、彼は拒否する素振りも見せない。


「リゼ、エセロはわたしを好きになっちゃったんですって」


 ミカナは口元を手で隠して、笑っていることがバレないようにしているけれど、そんなことをしたって、目が笑っているから意味がなかった。


「リゼちゃん、こいつらクズだよ。捨てちゃいな」


 テラン卿が二人を指差して言うと、ミカナが眉根を寄せる。


「何よ、弱小伯爵家のくせに!」

「はあ? うちが弱小?」


 テラン卿が立ち上がって言い返すと、エセロが間に入る。


「二人共、喧嘩はしちゃ駄目だ。それに、テラン卿、淑女に食ってかかるなんて紳士のやることじゃない」

「いじめを助長するような奴を淑女なんて言えるのかよ」

「いじめを助長することは良くないけど、ミカナが女性なことは確かだろ? それに、元々は僕が悪いんだ」


 エセロはミカナに手を離してもらい、私に近付いてきたかと思うと、いきなり目の前で地面に膝をついた。


「本当に申し訳ない」

「エセロ……、どういうことなの!? ミカナには騙されないって言っていたじゃないの!」

「リゼ、僕は君のことが本当に好きだったよ。だけど、ミカナ嬢と一緒にいるうちに、段々、彼女が愛しくなってきて……。それに、学園でいじめられて見た目の冴えないリゼより、可愛いミカナのほうが良いって、両親が言い出したんだ!」

「……あなたも、そう思ったということなのね?」


 泣くつもりなんてなかったのに、勝手に涙が溢れ出た。


 ぼんやり霞む視界の隅に、ミカナの笑い顔が見えて、悔しくて歯を食いしばる。


 私がもっと、可愛かったら、いじめられなくて良かったの?

 こんな思いをしなくてすんだの?


「言い訳はしない。両親に言われて、僕もそう思ってしまった。本当にごめん! こんな気持ちじゃ、君との婚約を続けていられない。だから、婚約を破棄する! これが僕の誠意だ! 許して欲しい!」

「……誠意ねぇ」


 呟いたのは、私じゃなかった。


 はあーっ、と大きなため息が聞こえて振り返ると、ノルテッド卿が制服の上着のポケットから白いハンカチを取り出して立ち上がった。


 そして、そのハンカチを私の目に軽く押し付けてくる。


「あ、ありがとうございます」


 涙を拭けという意味だろうと思い、鼻をすすりながら受け取ると、ノルテッド卿はエセロに言う。


「自分の婚約者を泣かせることが、お前の誠意かよ」

「そういうわけじゃない!」

「悪いと思うなら、なぜ、ミカナ嬢への思いを断ち切って、リゼ嬢を守ろうとしないんだ」

「だから、僕はミカナに心を奪われてしまって!」

「気持ちが移ったから婚約破棄することが誠意だとか言ってるが、結局、お前はミカナ嬢と婚約したいだけだろ?」


 ノルテッド卿は地面に座り込んだままのエセロを見下ろしてから、言葉を続ける。


「そんなのただの自己満足なんだよ。悪いと思うなら、リゼ嬢の望むようにしてやれ。婚約破棄すりゃ許されるってもんじゃねぇんだよ」

「それは……、そんなの、リゼが僕を許すわけがない」


 エセロが助けを求めるかのように私を見上げた。


「エセロ……、あなたとミカナは体の関係はないのよね?」

「最後まではしていないけど……、口付けはした……」

「そうよ! しかも、エセロのほうからしてきたのよ! わたしのファーストキスはエセロのものよ!」


 ミカナが勝ち誇った笑みを浮かべて叫んだ。


「うっわー。ミカナ嬢は思ったより知能低いな」


 テラン卿は笑ったあと、ノルテッド卿に話しかける。


「ルカ、リゼちゃん連れて移動しようぜ。こんな状況じゃ何を食べても不味い」

「そうだな」


 ノルテッド卿は首を縦に振ったあと、私に顔を向ける。


「動けるか?」

「……はい」


 ハンカチを握りしめて呟くと、彼は眉根を寄せた。


「そんな様子じゃ、授業どころじゃないな。午後からの授業は休んだほうがいい」

「やったー!」

「お前に言ったんじゃねぇよ」


 場を明るくしようとしてくれるのか、喜んだテラン卿にノルテッド卿は言ってから、再度、私を見て聞いてくる。


「どうしたい?」

「今は……っ、わかりません……。ただ……、言えることは婚約破棄は受け入れるっ。それだけです」


 キスくらいなら、許す人もいるでしょう。

 でも、それは相手の気持ちが自分から離れていない場合でしか無理な気がした。


 エセロはもう、ミカナを好きになってしまっているから、手遅れだ。


「そうか」


 ノルテッド卿は呟くと、エセロとミカナに顔を向けて言う。


「お前ら、ノルテッド辺境伯家に対してなめた真似してくれたな。俺は良くても両親は許さねぇぞ」

「ソファロ伯爵家とリゼちゃん以外のフローゼル伯爵家、覚えてろよ」


 テラン卿も笑みを消して、二人を睨んだ。


 エセロは二人の言っている意味がわかって顔面蒼白になったけれど、ミカナは違った。


「辺鄙なところに住んでる辺境伯家に何ができるのよ! それに、テラン! あなたの家だって、辺鄙な辺境の近くじゃないの! わたしの家のほうが王都に近いのよ!」


 ミカナは自分の胸に左手を当てて叫んだ。


「やばいな。辺鄙と辺境を同じ意味でとらえてるのか」


 テラン卿は、ふはっと吹き出すと、笑いをこらえた様子で私のほうを見る。


「リゼちゃんはさすがに意味の違いがわかるよね?」

「当たり前です! 辺鄙と辺境の違いはわかります!」

「何よそれ! そんなの関係ないわ! 王都から遠いんだから、あなたの家は弱小なんでしょ!?」


 社交界の人脈や関係性は、今まで伯母様が覚えていて、夜会の時は伯父様の後ろに立って、小声で教えておられた。

 伯母様が亡くなられたあとは、私が覚えて、夜会の度に伯父様の後ろに立って教えていた。


 この国では、同じ爵位であれば、王都からの距離で貴族の権力が変わってくるのは確かだ。


 伯父様やミカナ達は辺境伯に関しては、辺鄙な地に追いやられたくらいに思っているようだけれど、多くの貴族は、辺境と辺鄙の違いくらいわかっているし、伯爵よりも辺境伯が上だということも、辺境伯が国にとって大切な役割であるということを理解している。


 エセロやエセロの御両親はきっと、ミカナに言いくるめられて、このことを忘れてしまっているのでしょう。

 そして、エセロは今になって、ミカナの婚約者が誰だか思い出したのかもしれない。


 あまりにも馬鹿馬鹿しくて、涙が引っ込んだ。


 その勢いで、私はエセロに告げる。


「さよなら、エセロ。ミカナとお幸せに」

「リゼ……。そうだ、君は大丈夫なのか? 僕との婚約が解消されたら、君は家にいられなくなるんじゃ……」

「そのことを気にしてくれるなら、浮気や婚約破棄なんてしてほしくなかった」

「……それは、ごめん」


 エセロは泣き出しそうな顔になったあと、両手を地面につけて俯いた。


「エセロ、リゼが認めたんだもの。わたし達にもう障害はないわ!」


 ミカナは項垂れているエセロの背中に抱きつき、私を見て言葉を続ける。


「安心してね、リゼ。あなたが学園を卒業するまでは、お父様はちゃんと面倒を見るって言ってたから! 世間体は大事だものね!」

「何が世間体が大事だ。妹の婚約者を奪った時点でアウトだよ」


 ノルテッド卿は鼻で笑ったあと、ミカナを睨む。


「ミカナ嬢、俺との婚約はそちらからの破棄ということでいいな?」

「ええ! 今までありがとうございました!」


 ミカナは満面の笑みで答えた。


「行くぞ」


 満足そうな表情でノルテッド卿は頷くと、私達に声をかけて歩き出したので、テラン卿も歩き出す。

 

 どうしたら良いのかわからなくて立ち止まっていると、ノルテッド卿が立ち止まって振り返り、私の所まで戻ってくると、ベンチの上に置いていた、私の本やランチボックスを手に取った。


「行くぞって言ってるだろ」

「……あ、はい。ありがとうございます」

「おい、ルカ。女の子にはもっと優しく言わないと駄目だろ! ごめんね、リゼちゃん。悪い奴じゃないんだよ」

「気にしていませんから」


 苦笑してから首を横に振ったあと、エセロのほうを見ると、彼は涙を流しながら、私を見ていた。

 すると、ミカナがそれに気付き、私に見せつけるように彼に口付けた。


「大丈夫よ、エセロ。わたしが守ってあげるわ」

「ミカナ……」


 二人が抱き合うのを見ていられなくなり、私が歩き出すと、ノルテッド卿とテラン卿も後に付いてきてくれた。

 

 その日は、ノルテッド卿に言われるがまま、早退して家に帰り、一歩も部屋から出なかった。


 次の日の朝、伯父様が鍵をこじ開けて部屋に入ってきて、エセロから送られてきた婚約破棄の書類にサインをさせられた。


 それからは、これからどうなるのだろうと気が重くなりながらも、なんとか学園に通い続けた。

 学園でのいじめがなくなっていたことと、ルカ様とイグル様が気にかけてくれたおかげで、家にいるより楽だった。

 

 ちなみにルカ様はノルテッド卿のことで、イグル様はテラン卿のことだ。


 彼らから、そう呼ぶようにお願いされたのだ。


 ミカナやデフェルから家での嫌がらせは続いていたけれど、ルカ様達のおかげで、なんとか日々を過ごせていた。


 そんなある日のことだった。

 ルカ様とルカ様のお父様であるノルテッド辺境伯がフローゼル家に乗り込んできたのだった。



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