1 家族の豹変
私、リゼ・フローゼルが17歳になった日の当日に、親しい人だけを招いた誕生日パーティーが開かれた。
友人や婚約者、家族に祝ってもらい、その日はとても楽しい一日で終わるはずだった。
誕生日パーティーが終わり、最後のお客様を送り出して部屋に戻ろうとすると、姉のミカナに呼び止められた。
「ねえ、リゼ」
「なに?」
「わたし、エセロのことが好きみたい」
「え……?」
すぐに理解が出来ず聞き返すと、ミカナは同じ言葉を繰り返す。
「わたし、エセロのことが好きみたい」
「……好きって、ミカナには婚約者がいるでしょう?」
「いるけれど、好きな気持ちは止められないの。ねえ、それは、リゼにだってわかるでしょう?」
「人を好きだという気持ちは理解できるわ。でも……」
両親を事故で早くに亡くした私は、ミカナの父であり、お父様の兄で私の伯父にあたる、ソードル・フローゼル伯爵家の養女になった。
養女になって出来た新しいお母様は数年前に病気で亡くなってしまったため、私の現在の家族は、父と兄と姉のミカナになっている。
ミカナは誕生日が私より少し早いだけで年齢は同じのため、同じ学年で同じ学園に通っている。
私を受け入れてくれたフローゼル家にはとても感謝しているし、ミカナにも恩を返したいとは思っている。
けれど、さすがにエセロを渡すことは無理だった。
「ねぇ、リゼ。わたしにエセロを譲ってちょうだい。いいでしょう?」
「無理よ。私だってエセロのことが好きだもの!」
言い返すと、ミカナは目を吊り上げて言う。
「あなたはわたしのお父様に助けられたんだから、わたしの言うことを聞くべきだわ」
「お父様に助けてもらったことについては、とても感謝しているわ! 受け入れてくれたミカナ達にだって感謝しているの! だけど、それとこれとは別でしょう! 大体、エセロの気持ちだって!」
「そういうことね……」
ミカナは豊満な胸の下で腕を組んで言葉を続ける。
「エセロの気持ちが、わたしに向けばいいのね?」
「エセロが私を裏切るなんてありえない」
「さあ、それはどうかしら? 人の気持ちなんて変わるものよ」
ミカナはウェーブのかかった光り輝くような金色の長い髪をかきあげ、意思の強そうな赤い瞳を私に向けて言った。
エセロというのは、私の婚約者の名で、ソファロ伯爵家の長男だ。
今日も誕生日を祝いに来てくれたし、両親が亡くなり、ショックを受けていた私を慰めるために、何度もフローゼル家に通ってくれた優しい人だ。
エセロも私と同じ年で同じ学園に通っている。
落ち着いた物腰で、怒っているところを見たことがない、とても温和な人で、私のことをとても大事にしてくれていることがすごくわかる。
だから、エセロはミカナの誘惑になんか負けない。
私はそう信じていた。
それに、婚約なんてものは簡単に解消したりできるものではない。
「ミカナ、それは無理よ。気持ちだけの問題じゃないのよ! エセロの両親やお父様達の許可だって必要よ! それに、あなたにだって婚約者がいるじゃない! 彼のことはどうするの!?」
「数回しか会ったことのない人だし、わたしには興味のない人だから大丈夫よ」
「大丈夫の意味がわからないわ。相手は辺境伯令息なのよ? お父様よりも爵位が上なの! それに、彼は私達と同じ年で同じ学園に通っているじゃないの!」
呑気そうなミカナに叫ぶと、彼女は鼻で笑う。
「あなたがわたしのフリをしたら良いんじゃないの?」
「ふざけないで。そんなことは絶対に嫌だし、バレるに決まっているじゃないの! クラスがあなたと違うだけで、私は彼と同じクラスなのよ!」
ミカナの婚約者である、ルカ・ノルテッド辺境伯令息は、外見はクールな美少年、内面は猛獣と噂されており、女性を寄せ付けないオーラをいつも身にまとっている。
ミカナはそんな彼を嫌っているし、彼もミカナの気持ちに気が付いているようで、婚約者であるというのに、お互いに近寄ろうとしない。
「彼はわたしのことを嫌っているから、婚約を解消したいといえば、きっと喜ぶはずよ」
「それなら、どうして、彼のほうから婚約を解消してこないの?」
「女性を傷つけたくないんじゃないの? それに、わたしのことが好きじゃないから、なんて理由では婚約解消なんてできないでしょうし」
「ミカナ、あなたはわざと浮気をして、ノルテッド卿のほうから婚約破棄をさせようとしてるの?」
「浮気じゃないわ。だって、わたしはノルテッド卿のことを好きじゃないもの」
「自分で何を言っているかわかってる!? そんな問題じゃないのよ! それに、エセロを巻き込むのはやめて!」
叫ぶと、ミカナは意地の悪い笑みを浮かべる。
「……あなた、知ってた?」
「……何を?」
「お父様は、あなたのことを気の毒に思って養女にしたんじゃないのよ?」
「……どういうこと?」
「ふふ。本当のことを知った時のあなたの顔が楽しみね。わたしのお父様に助けられた分際で、大人しく、エセロを渡すと言わなかったことを後悔するといいわ。このブス!」
ミカナは最後に暴言を吐いて立ち去っていった。
紺色の瞳に、漆黒のストレートの髪をハーフアップにしている私は、可愛らしい顔立ちのミカナに比べて地味な顔立ちだ。
痩せているせいなのか、顔色も良くないし、エセロにいつも心配されてしまうほどに生気がない。
通っている学園でも陰口を叩かれているのを知っている。
だから、ミカナにブスだと言われても言い返せなかった。
「面白いものを見たな」
背後から現れたのはデフェル兄様だった。
ミカナと同じ髪色と瞳を持っており、クール系の顔立ちで、大柄な体格だけれど、特に鍛えているというわけではない。
力勝負では、体格の良いメイドに負けてしまうくらいに弱い。
「リゼ、最悪な誕生日だな。素直にミカナの言うことをきいておけばいいものを。ミカナが敵にまわったなら、もう、お前を助けてくれる人間なんていない。俺以外はな?」
デフェル兄様はわたしの目の前までやって来ると、私の全身をなめまわすようにして見たあと、舌なめずりをした。
その様子を見て、私の背中にぞくりと悪寒が走った。
「……何を言ってらっしゃるんですか?」
「このままだとミカナに嫌がらせをされるぞ。俺の慰みものになるなら助けてやる 好みの体ではないけど、使えるものは使えるだろ」
そう言って私の体に触れようとしてきたので、慌てて距離を取る。
「やめてください、何を考えているんですか!」
「何言ってるんだよ。助けてやろうとしてるんだぞ? 大人しく俺のものになれ!」
「私には婚約者がいます! それに、お兄様のことをそういう目で見たことはありません!」
彼の言う慰みものというのは、娼婦のようなことをしろという意味だ。
だから、はっきりと断ったけれど、それが気に食わなかったのか、デフェル兄様はいきなり両手で私の首を掴んだ。
「素直に言うことを聞けよっ!」
「やめて……っ」
このまま首を絞められてしまうのかと思い、抵抗しようとした時だった。
「何をやってるんだ!」
お父様が現れ、私とデフェル兄様を引き離した。
「父上! リゼが反抗するんです!」
「この馬鹿が! 首に手の跡などが残ったらどうする! 虐待だと思われるだろう! リゼがお前のものになるのは、彼女が学園を卒業してからだ!」
「……どういうことですか、お父様?」
聞き捨てならないことを言われたので尋ねると、デフェル兄様の数十年後の姿と言っても過言でもないくらいに、雰囲気がデフェル兄様にそっくりなお父様は私を睨んでくる。
「ミカナのお願いを断ったそうだな」
「……はい。だって、あんなことを言われても受け入れるなんて出来ません!」
「本来ならお前が学園を卒業してから言うつもりだった」
「……はい?」
お父様に聞き返した、自分の声が震えているのがわかった。
「リゼが世の中から消え去ってもわからないようになってから言うつもりだったんだ! まったくミカナの奴は!」
お父様は怒りの形相で、私に向かって言葉を続ける。
「作戦が変わった。ミカナにはソファロ卿に必要以上には近付くなと言っていたが、これからは逆だ。積極的にアピールをしろと言う」
「お父様! ミカナには婚約者がいるじゃありませんか!」
「ふん! 辺境伯というのは辺鄙の地のことを言うのだろう? それに、王都からはかなり離れている。婚約者は同じ学園に通っているようだが、辺境伯本人ではない息子など怖くない! ソファロ伯爵家は王都に近い伯爵の息子だぞ! 辺境伯など文句は言えない!」
「何を言ってらっしゃるんですか! 辺境と辺鄙の意味は違うのですよ!? どうしてそんなこともわからないのですか!?」
「うるさい!」
お父様は馬鹿にされていると感じたのか、唾を飛ばして叫ぶと、信じられないことを口にする。
「何も知らぬくせに! 爵位は辺境伯のほうが上かもしれないが、社交界の中ではノルテッド辺境伯家よりもソファロ伯爵家のほうが評判が良いんだ! しかも、ソファロ伯爵家には財力がある!」
お父様はお金に目がくらんでいるようだった。
そして、デフェル兄様は、私を自分のものにすることを望んでいる。
この家から出なくちゃ。
頭に浮かんだのは、それだけだった。
「今、逃げようと考えただろう? 逃げても良いが、お前が庭で世話をしていた野良猫達がどうなるかわかっているだろうな?」
お父様が口元に嫌な笑みを浮かべて言った。
いつの日か庭に迷い込んできた猫達を見つけ、あまりにも痩せ細っていて助けを求めてきたので、食べ物をあげると通ってくるようになった。
家で飼ってあげたかったけど、ミカナが毛が付くといって嫌がったから出来なかった。
「猫達に罪はありません!」
「ああ、そうだな。だけど、世話をしていたのはお前だ! お前が逃げれば、その責任を取ってもらうために、猫達には毒入りの餌をプレゼントしよう。連れて逃げようにも、全部は無理だろう? 何匹かは死ぬんだろうなぁ?」
「最低……っ」
お父様を睨みつけると、何が楽しいのか笑い始めた。
「死んだ家内はお前のことを純粋に可愛がっていたようだが、俺は違ったんだ! ソファロ伯爵家との繋がりが欲しい! それだけだったんだよ!」
お父様は言いたいことだけ言ってしまうと、くるりと踵を返した。
デフェル兄様は立ち尽くしている私に向かって笑みを浮かべる。
「あらためて誕生日おめでとう、リゼ。来年は俺のものだな」
デフェル兄様、いえ、お兄様だった人は、お父様だった人の後を追って歩き去る。
色々な感情でいっぱいだった。
そんな時に浮かんだのが、婚約者であり好きな人でもあるエセロの顔だった。
明日、学園で彼に会ったら相談してみよう。
そう思い、自分の部屋に向かって歩き出す。
17歳の誕生日は、最低なものだった。
18歳の誕生日がこれ以上酷いものにならないように、今から出来ることをしなければならないと思った。
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