8話 三つ子の魂二十まで
自分の顔をペタペタと触ってみる。髪や鼻や頬を何度触っても理解できない。彼女の発言にどういう意味が込められているのかを。
顔はブサイクだし性格も悪い。おまけに胸も小さいし汗っかきだ。そんな私を羨ましく思う道理なんてないはずだ。つまり、これはリップサービスだ。
「私、他人に羨ましがられるようなスペックじゃないですよ」
「そうかな? いっぱいあるけど。まず、深雪ちゃんは成績優秀だよね」
「そうですかね?」
「優秀だよ! だって、入学式でも主席だったし。前に立って挨拶してたよね」
「覚えてたんですか……」
多分、他の学生は誰も覚えていないだろうが、一応私は学部の主席だった。主席と言っても、偏差値五十五の大学での主席なので大したことはない。本当はもっと上のレベルの大学を狙えたが、とある事情があり此処を選んだ。その結果、学部の主席だったというだけである。
「よく覚えてるよ。ギリギリ大学に入れた私とは対極の存在だから。どんな人なんだろうって気になってさ」
「それが私だった、と」
「うん。深雪ちゃんだった」
漫画等では主席といえば、メガネをかけたイケメンかミステリアスな美人がオーソドックスだ。それなのに現実は私のような醜女が主席で申し訳ない。
「ど、どう感じました?」
「えっと……落ち着いてて賢そうだなって」
見たまんまの感想だが嬉しい。他に褒める点がなかったとしても、落ち着いてそうとか賢そうと言われて悪い気はしない。
「それにめちゃくちゃスレンダーだなって思った。深雪ちゃんって身長何センチ?」
「一六五センチです」
「いいなー。それくらいの身長が欲しかったなぁ」
悔しそうに呟くと、私の目の前で背伸びを始めた。必死に背伸びをするものの十五センチも差があるので私には遠く及ばない。彼女は悔しさからプクーッとハムスターのように頬を膨らませた。その姿は可愛らしくて抱きしめたくなる愛らしさだ。
「でも身長が高くてもブスだから宝の持ち腐れですよ」
「だ、か、ら! そんなことないって!」
大きな声で否定された。予想外に大きな声だったものだから心臓が止まりそうになる。
「だって今、深雪ちゃん、スッピンだよね?」
「そうですけど」
これまでの人生で化粧をした経験は何度もあるが、一度もうまくいった試しがなく、高校ではクラスメイトに『おかめ納豆』という渾名をつけられた苦い思い出がある。
化粧は自分をより可愛くみせるためのモノであるはずなのに、自分の場合可愛くなるどころか余計に不細工になってしまう。その辛い現実を受け入れて以来、化粧をすることは一度もなかった。
「化粧したところで変わらないですし」
諦め混じりの声でぼやいた。化粧をしてもなお、変えることのできない容姿に生まれたことを恨めしく思う。その点、目の前にいる彼女が羨ましい。
「それってさ、化粧の仕方が悪いんじゃないかな。私だったら深雪ちゃんをもっと可愛くできるよ!」
驚きのあまり言葉が出てこなかった。化粧の仕方が悪いという可能性を考慮したことが一度もなかったわけではない。自分で言うのもアレだが、多くの動画を見て化粧の勉強をしたつもりだ。
それなのに化粧の仕方が悪いなんて。いまいち信じられずにいる私を見て、浅海さんは手を口に当てていたずらっぽく笑った。
「信じられない?」
「はい。信じられないです」
「フフッ。正直でよろしい。騙されたと思って私に任せてよ」
勢いよく胸を叩いた。どうでもいいけど自信に満ちた浅海さんも可愛い。誰よりも可愛いこの人になら安心して任せられると踏んだので「任せました」と元気よく答えた。
こうして私は化粧を全て彼女に託すことになり、さっそく近くの更衣室でメイクアップすることになった。はたして劇的に変わることはできるのだろうか。
「完成するまでは目瞑っててね」
彼女からのお願いということで首を縦に振った。それから化粧がスタートした。しばらくの間、やることも無いので目を瞑って自分の完成形をイメージした。
元の素材が良くないので劇的に変わることはないだろう。赤点を回避できれば儲け物と思っておこう。でも、あの浅海さんに化粧をしてもらうのだからと期待してしまう部分はどうしてもある。ほんの少しだけ期待に胸弾ませてもいいよね。
化粧開始から体感で約二十分経過した。脳内で羊の数を数えて寝落ちしかけていたところで、「できた」の声が聴こえた。満足のいく仕上がりなのか鼻歌まで歌っている。さてさて、どんな仕上がりになっているのだろうか。
「もう目開けていいよ」
許可を得て目を大きく見開く。目の前には大きな鏡があり、そこには圧倒的な美貌を持つ浅海さんの姿とその隣には、
「これが……私?」
「そうだよ。深雪ちゃん」
元気で明るい印象の知らない女性がいた。肌の質感、目元の質感、血色感、すべてが劇的に変わっている。今までの暗くて芋臭い姿はなく、すっかり垢抜けた私の姿があった。
あんなに重かった一重まぶたも軽くなっている。唇にも良い色感のリップが塗られており、くすみが消えて艶が出ている。他にも幾つものコンプレックスが見事に改善されていた。感動的な仕上がりだ。
「ここまで変わるもんなんですね」
赤点回避できたらラッキー程度に考えていたのに、今の私の顔面は七十五点くらいはあるんじゃなかろうか。すごいな、浅海さん。一体どうやったんだ?
「ふふん。不思議そうな顔をしてるね」
「そりゃそうですよ。何をしたんですか? まさか禁断の黒魔術に手を染めたとか?」
「違うから! これをこうして……こう!」
丁寧でわかりやすい解説が始まった。ここまで可愛くなったのだから、さぞ難しい内容なのだろうと思っていたが、化粧の仕方は至ってシンプルだった。私でも明日から気軽に実践できそうだ。
「もうこれで自分のことブサイクなんて言えないでしょ?」
「はい」
浅海さんには感謝しかない。過去一番の笑顔で感謝の気持ちを伝えた。すると、彼女は頬を染め両手で顔を隠した。なぜ顔を隠す必要があったのか分からず、顔を覗き込もうとすると「もう無理」という声が聴こえた。
直後、彼女は私に勢いよく抱きついた。瞬間、何が起こったのか理解できずに戸惑う。このような大胆な真似をするなんて、一体どうしたのかと尋ねてみると、
「深雪ちゃんが可愛すぎて我慢できないっ! もう尊すぎるの!」
ひっつき虫の如くひっ付く浅海さん。その姿はまるで飼い主にべったりな子犬のようだった。貴女のほうが可愛いよと言いたくなる気持ちをグッと堪える。
「さっきも言ったけど私さ。深雪ちゃんのことずっと知ってたの」
「入学式からですか?」
「いや、本当はもっと前!」
「え?」
耳を疑った。入学式より前に彼女と面識などなかったはずだ。少なくとも同じ学校ではない。彼女のような目立つ存在が小中学校や高校にいたら嫌でも気づく。となると、一体どこで出会っているんだろう。
必死に思い出そうとするが、全く記憶にない。そもそも人生においてこんなに可愛い子に出会った経験がない。仮に出会っていたなら絶対に覚えている。ダメだ、降参だ。
「覚えてないのも当然よ。だって……中学の頃の話だし。深雪ちゃんって東京の北中だったよね?」
「そうですけど。なんでそれを?」
北中は何の変哲もない公立中学校だ。特筆すべき点はない。それに私たちが今いる神奈川県ではなく東京都の中学校だ。知っているはずがない。
「私は南中だったの」
ひんやりとした空気が肌を刺す。風が吹き荒れ空はいつの間にか暗くなっていた。黒い雲が広がっており、雨がいつ降ってもおかしくない空模様だ。だが、彼女はそんな事などお構いなしに過去を語り始めた。