7話 親しき仲に礼儀はいらない
カフェでくつろいだ私たちが次に向かうのは今日のメインである服屋だ。浅海さんイチオシのお店ということだが、一体どんなお店なんだろうか。
「ここよ」
辿り着いたのは『めっちゃ可愛い服屋』という名前の服屋だった。その名称に違わず、今まで目にしたことがないくらい可愛い服が山ほど置いてあり、どれも魅力的に感じた。
しかし、どれだけ可愛い商品であろうが実際に購入することはない。なぜなら、資格がないからである。店内を見渡せば、自分以外美人ばかりだ。こういった場所には可愛い服に見合った容姿の持ち主しかいないのだ。
「ねぇ、コレとか深雪ちゃんに似合うんじゃない!」
憂いに満ちた表情の私とは対照的に、テンション爆上がりの浅海さんが手に取ったのは白い花柄のワンピースだった。これはまた可愛らしい服である。
「可愛いでしょ?」
「めちゃくちゃ可愛いです。でも……」
自分には似合わない。浅海さんのように美人なら問題なく似合うが、ブスが着用したところで服に着られている感が否めなくなる。彼女には悪いがやんわり断ろう。
「気持ちはありがたいんですけど、やめときます。ちょっと高いですし」
これでいいのだ。本当はめちゃくちゃ着てみたいけど、自分なんかが手に届くような代物じゃないのだから。私は私に見合った服を選ぶべきだ。誰でも似合うオーソドックスな服を探して回るとしますか。
「そうじゃないでしょ」
ヘラヘラしている私とは対照的に浅海さんは真剣な眼差しになる。声も普段の彼女と比べると低かった。先ほどとは明確に空気が変わった。
「私じゃ似合わないから、でしょ?」
より低く刺すような声で放たれた言葉に虚をつかれて驚きのあまり硬直する。まさか私の心が見透かされたのか?
「深雪ちゃんって自己肯定感がめちゃくちゃ低いよね。すぐに私なんかが……って。ライブの時もそうだった」
彼女の指摘は的を射ていた。自分を卑下する悪癖は私が長年苦しんできた問題だ。それを彼女は友人になってから間もないのに見抜いたのだ。夏場でもないのに額に汗が湧き出てくる。手汗も止まらない。
「今もそう。目を見たら分かるよ。本当はワンピース着てみたいんでしょ?」
やめてくれ。それ以上はやめてください。そんなわかったようなことを言わないで。貴女に私の何がわかるというの?
段々と気持ち悪くなってきた。緊張からか唾液が口の中に少しずつ溜まっていく。息が苦しい。唾ってどうやって飲み込めばいいんだっけ?
「ねぇ、どうしてすぐに卑下して自分の気持ちに嘘をつくの?」
あぁ、お願いだから私が悩んでいる問題に土足で踏み込まないで。神の寵愛を存分に受けた貴女にはわからないだろう。
自己肯定感を高めることができるならば高めたいさ。人より抜きん出たものが一つでもあれば、きっと今とは違ったはずだ。けれども、残念なことに何一つない。そればかりか人より劣っている。顔も性格も並以下だ。
結果、自己嫌悪に苦しむ日々が続くことになる。神を何度呪ったことか。なぜ私なんかが生まれてきたんだろうって。両親に申し訳なくて枕元で涙を流したこともある。そんな何も持たない人間が如何にして自己肯定感を高めればいいというの?
「わ、私はブスで性格も悪い。自己肯定感を高める術なんてないです」
「私はそうは思わないけど。前も言ったけど深雪ちゃんは可愛いよ」
浅海さんはライブの時と同様、無責任な言葉を吐いた。適当に可愛いと煽てれば喜ぶとでも思っているのだろうか。沸々と怒りが湧いてくる。
「それ思ってないですよね? 嘘ばっかり。何を根拠に可愛いなんて。ちゃんと目ついてるんですか?」
興奮して鼻息が荒くなる。冷静に話をしたいけど、理性を保つことができない。
「私も、浅海さんみたいに可愛かったらよかったのに!」
意図せずに本音がぽろりと出てしまった。
そこからは止まらなかった。彼女に抱いていた嫉妬に塗れた醜い感情がハンバーグの肉汁のようにとめどなく溢れてくる。決壊したダムのごとく制御が効かない。
「この大学内で誰よりも可愛くて、巨乳で、優しくて、お金持ちで……できれば貴女みたいな人間に生まれたかった」
裕福な家庭のもと類い稀な容姿を持って生まれた彼女が羨ましかった。そんな彼女が他人より恵まれていることを自覚してほしかった。そして、私がそうではないことを知ってほしかった。
大粒の涙と共に心の内を全て吐き出した。その間、彼女は見守るように黙って私の話を聞いてくれていた。
しばらく時が経ち、はっと我に返るや否や後悔の念が押し寄せてきた。せっかく仲良くなることができたのに酷いことを言ってしまった。さぞお怒りになっていることだろう。
おそるおそる顔を上げると、やはりと言うべきか暗い表情をした浅海さんの姿があった。私たちの関係もこれまでか。
彼女との思い出が走馬灯のように蘇る。初めて話しかけられた時は緊張で震えたな。あの時はまだ嫌いだったっけ。確か食堂で共通の趣味が発覚して急激に距離を縮めたんだよね。それから成り行きで一緒にライブに行くことになって今までで一番楽しい時間を過ごしたんだよな。ライブ、もう一回浅海さんと行きたかったなぁ。
今更そんな事を考えてももう遅いか。確実に縁を切られることになるだろう。だけど甘んじて受け入れるしかない。ところが、彼女から告げられた言葉は予想外なものだった。
「ありがとう」
これまで見たことがないような穏やかな笑みだった。浅海さんの発言の意図がさっぱり分からずに戸惑っていると彼女は続けて、
「深雪ちゃん、今まで本音を言ってくれることがなかったから。どこか一歩引いてる感じがしてて。迷惑なのかなって、内心鬱陶しがられたりしてないかなって思ってて……」
「め、迷惑じゃないです。とっても嬉しかったです。私なんかに話しかけてくれたこと。同じ趣味を持った浅海さんと仲良くなれたこと」
「なら良かったぁ」
緊張の糸が切れたみたいに、ほっとした表情を見せた。どうやら彼女も緊張していたらしくその場で深呼吸をした。息を吐き切った後、気持ちを切り替えるように真剣な表情になり、私の目をじっと見つめる。
「私のようになりたいって言ったけど、私って欠点だらけだよ?」
いきなり何を言い出すのかと思ったら、あの浅海さんに欠点などあるはずがないだろう。欠点があるというならば是非教えてほしいものだ。
「例えばどんな欠点があるんですか?」
「私、ものすごく馬鹿で成績が悪いの。高校では赤点ばかり取ってたなぁ。それは大学でも変わらなくて一年生の時に十単位落としちゃった」
「え……」
「あ、言っておくけど、授業にはちゃんと出てたからね。サボったりはしてないから!」
浅海さんは慌てて首を振った。正直、サボってようがサボってなかろうがどうでもいいのだけれど、成績が悪いというのは意外だった。それも一年間で十単位も落とすとは相当なものである。講義さえ出席していれば、一年生の段階で十単位も落とすなんてあり得ないことだ。相当勉強ができないことが伺える。
さりとて、その程度の欠点ならば可愛いものだ。可愛いお馬鹿キャラはギャップがあって親しみやすい。テレビのクイズ番組でも目にする機会が多いが総じて美味しい立ち位置にいる。そう、つまるところ、、、
「逆に……良いところじゃないですか?」
「全然よくないから! 成績が悪すぎて高校で留年しかけたのよ。学年順位だって常に下から数えて五本の指には入っていたわ」
「それでよくこの大学に合格できましたね」
私たちが通う大学の偏差値は五十五という数値なのでそこまで難しくはないけれども、簡単なわけでもない。その学力なら間違いなく落ちるはずである。
「友達や先生に付きっきりで教えてもらって合格できたの。周りの人達に感謝ね」
皆に愛され人徳のある彼女だからこそ成せる事だ。他の人だったらそうはいかない。
「他にも欠点はあるんですか?」
「そうね、いっぱいあるわよ。ほら私、身長も低いでしょ? 百五〇センチしかないの。いつも背の順では一番前だったなぁ」
「そうだったんですね」
その程度なら欠点とは言わない気がするが指摘するのは野暮なのだろう。
「だから、私は逆に深雪ちゃんがずっと羨ましいって思ってたの」
「へ?」
羨ましい?
誰が?
私が?
聞き間違いではなさそうだ。彼女の目を見ると、それが戯言ではないことを物語っている。一体、浅海さんは私のどこを羨ましいと感じているのだろうか。