6話 果報は起きて待て
ライブから約二週間が経過したとある休日の朝のことだった。
眠気に屈してベッドの上でゴロゴロしている時に、突然スマホの通知音が鳴った。まさか休日の朝っぱらから連絡が来るなんて思ってなかったので、慌てて画面を覗き込んだ。
『深雪ちゃん。今日暇だったらショッピングに行かない?』
相手はライブを通して絆を深めた浅海さんだった。あの日以降、大学内で出会ったらお互いに挨拶をしたり、一緒に講義を受けることが度々あった。昨日に至っては大学の帰りに二人で映画を見に行った。とても順調に友人関係を構築している。
そんな彼女からの誘いとなれば断るわけがなく、即答でOKのスタンプを送った。何時に集合するか話し合い、午後十二時に駅前にある大きな銀時計の前で待ち合わせることになった。
午後十一時半。かなり早めに待ち合わせ場所に向かうとカップルらしき男女がチラホラ見受けられた。どうやら銀時計前はカップルの集合場所として重宝されているらしい。
私は浅海さんの姿を探した。早めに来たのでまだ来ていない可能性が非常に高いが、念のための確認としてだ。結果的に一人、それらしき人物を発見した。
距離が離れていても一目でわかる端正なルックス。通行人の視線を釘付けにして離さない圧倒的なオーラ。見間違うはずがない、この人だ。気づいてくれるように気持ち大きめの声でその名を呼んだ。
「浅海さん、お待たせしました」
「待ってないよ。今来たとこだから」
屈託のない明るい笑顔だった。その笑みと雰囲気から無邪気で穢れのない女神のような人だと改めて感じる。
「じゃあ行こっか。私、いい店知ってるの」
誰よりもお洒落な彼女がそう言うのだから間違いない。今日は浅海さんに、この身を委ねることにした。
今回、私たちの目的の場所は大型ショッピングモール内にある。県内で一番広く、多くのお店が出店しているショッピングモールとして有名だ。私は数回しか来たことがないが、浅海さんは常連なのか地図も見ずに中を突き進んでいく。一体どこまで行くんだろうと不思議に思っていると、とあるお店の前でぴたりと足を止めた。
「深雪ちゃんはもうお昼ご飯食べた?」
質問に対して首を横に振った。すると、彼女は目を輝かせて、
「ならここでお昼にしよっ! 私の行きつけなの!」
「いいですよ」
成り行きでめちゃくちゃお洒落なカフェの中に入ることになった。実は私がずっと行ってみたかった店なので内心嬉しい。一人では中々入ることができず、来るたびに羨ましげに見ながら通り過ぎていた。はたして中はどうなっているのだろうか。期待に胸を膨らませて店内に入ると目を見張るような光景が広がっていた。
広大な海をイメージしているのか青と白の二色を基調とする壁や天井。魚やイカなど魚介類が描かれた壁画。洗練されたウェイターとウェイトレス。今まで踏み込んだことがない世界すぎて気持ちが落ち着かず緊張で身体が硬直してしまっている。
私は助けを求めるように浅海さんを見つめた。その視線に気づいた彼女は、
「大丈夫大丈夫。私についてきて!」
不思議だった。何気ない一言なのに肩に入った力が抜けていく。言霊なんて信じるつもりはないけど、特別な何かがあるのかもしれない。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
「二名です」
「こちらの席へどうぞ」
案内されたのは窓際の座席だった。隅っこのほうが落ち着くので非常にありがたい。両隣に誰かがいるよりかは、干渉を少しでも防ぐことができる端の席がいい。
腰を下ろして手始めにメニュー表を開く。メニュー表には美味しそうなケーキやパフェがずらりと並んでいる。涎が垂れそうになるほど美味しそうだが、一体どれくらいの値段なんだろう。
「うわっ!?」
値段を見て腰を抜かしそうになった。想定の二倍の値段だ。どうしよう、今月の出費やばいんだよなぁ。
「ねぇねぇ深雪ちゃん。どれにする?」
「あ、えっと……」
どうすればいいんだ。お財布事情が厳しいのでとにかく安いメニューを選ばなければならない。この中で安くて美味しそうな物といえば、
「じゃあ、この日替わりメニューで」
助かったぁ。お財布の味方である『日替わりメニュー』があった。五百円でフルーツサンドとサラダ、ドリンク、そしてデザートまでついてこの良心価格。最高すぎる。
「浅海さんは何にします?」
「私はこれかな」
彼女が指差したのはボリュームのありそうな『ハニートースト』だ。お値段は二千円とかなり強気の値段設定だ。自分には到底手が出せない物だが、お嬢様にとってはこれくらい屁でもないのだろう。
こうして二人の注文の品が決まったのでベルで店員さんを呼び、浅海さんが私の分もまとめて注文してくれたのだが、ここで問題が発生する。
「申し訳ございません。日替わりは品切れになっております」
店員さんが申し訳なさそうに頭を下げた。私は『日替わりメニュー』が品切れであるという事実に愕然とする。慌てて他のメニューをチェックするもどれも高すぎる。こうなったら、こうするしかあるまい。
「こ、コーヒーにします」
空腹感を必死に堪えてドリンクのみで済ませる。そうすることで無駄な出費を減らす算段だ。ぶっちゃけ腹が減って死にそうだが、耐え忍ぶしかない。
注文から十分後、私たちが頼んだ品がテーブルにやってきた。私の目の前にはコーヒー一杯。対して浅海さんの元には大きなハニートーストとコーヒーが置かれた。
「久しぶりだなぁ。やっぱりこれだよね。そうだ! 写真撮らないと」
彼女は目を輝かせて写真撮影を始めた。所謂『映え』というやつだ。私は写真を投稿したりすることに無縁なので知らないが(友達もろくにいないから)、最近の若者の間ではこれが主流になっているらしい。
満足のいく写真を撮り終え、いよいよお食事の時間が始まる。食事といっても、私はコーヒー一杯だけだけどね。それでも無いよりはマシだ。ありがたくいただくとしよう。
「深雪ちゃん。良かったら一緒に食べない?」
そう言うと、彼女は私の分のスプーンとフォークを渡してきた。ひもじそうにしている私を気にかけてくれたのだろうか。
「いやいや、申し訳ないですよ」
「いーの。これだけの量を一人で食べきれないし。それともハニトー嫌い?」
「大好きです。ありがたく頂戴します」
本当に善意の塊みたいな人だ。私は何度も感謝の言葉を述べ、ハニートーストを口に運んだ。
「お、美味しすぎますっ!」
誇張なしに今まで食べたハニートーストの中で群を抜いて美味しい。キャラメルソースの甘い味わいとフルーツの風味が口いっぱいに広がって幸せな気持ちになる。
「でしょでしょ。私も初めて食べた時は感動したなぁ。病みつきになる味でしょ?」
「はい! 何度も食べたくなります」
「だよね。よかったら……その」
そこで言葉に詰まった。いつもハキハキ物を言う彼女にしては珍しくモジモジしている。普段とのギャップがありすぎて可愛すぎるんだが?
「ま、また来ようね」
浅海さんは柔らかい微笑みを浮かべ「ね?」と上目遣いをした。ただでさえハニトーが甘いのに、とろけそうなほど甘い表情をされると糖分過多で鼻血が出てしまう。お願いだからもうやめてと、心の中で強く願った。