5話 言うは易く行うも易し
『wonderful』のライブ当日、私は電車で会場に向かっていた。満員の車内にはライブ目当ての人の他に、ユニフォームを着た野球ファンや大きなギターを背負ったバンドマンの姿が見受られた。浅海さんとは会場で現地集合の予定だ。
ライブ前日である昨日はメールで『wonderful』について熱く語り合った。彼女も今日という日を首を長くして待っていたのが文面から伝わってきた。同じ気持ちを共有しているようで何だか嬉しい。せっかくだし今日を思いっきり楽しまないとな。何せ最近はチケットの抽選を外すことが多かったから久しぶりのライブ参戦だ。
「うわ……人やば」
会場に着くと、既に多くのファンが押し寄せていた。いつものことながら、いくら好きなグループの為とはいえ人混みに突入するのは辟易とする。一人で人混みに突入する時はまるで死地に赴いているような気分になる。けれども、今回は今までとは少し違う。
「深雪ちゃん、お待たせ!」
花びら模様が特徴的なピンク色のスカートを身に纏った美人が駆け寄ってきた。
メールでの宣言どおりに浅海さんは人目を惹く服装で現れた。気合の入った参戦服と相まって周りの人間全員が彼女に目を奪われている。そう、今日は隣にこの人がいる。大学で初めてできた友達がいる。なんて心強い味方だろうか。
「いや、全然待ってないですよ」
「本当に? 待ったんじゃない?」
「いえ、全く待ってないです」
「なら良かったぁ」
浅海さんはホッとした表情を見せた後、「行こっか」と明るい声で言った。私はこくんこくんと頷き、二人並んで歩き始めた。
開場まではまだ時間があるので、物販コーナーにて先行販売されているグッズを買うことになった。私は推しであるリーダーのカラーアイテムを買い漁った。一方の浅海さんは副リーダーが好きとのことで、副リーダーのグッズをかき集めていた。
「結構欲しいのが手に入ったわね」
「はい。いつもより収穫がありました」
お目当ての物が手に入り、お互いに満足したところで開場時間がやってきた。会場入りしチケットに書かれている番号を確認する。今日は『wonderful』のメンバーをかなり近くで見ることができる座席だ。
さらに幸運なことに、というかあり得ないくらい低い確率だが、浅海さんが隣の座席にいる。今回のライブは二人別々にチケットを手配していたので、隣同士になれる確率は限りなくゼロに近い。隣に彼女がいるのは奇跡と言っていい。
「まさかの連番だね。楽しもうね!」
「はい!」
ライブは定刻通りに開演した。メンバー同士がアイコンタクトを取り合い、ステージでパフォーマンスを始める。至近距離で歌って踊っていることもあり、メンバーのいい匂いが漂ってくる。
私はすっかり彼らの歌とダンスに魅了されていた。今までこんなにも直近で目にしたことがなかったので、幸せが胸いっぱいに広がっている。たった今死んでも悔いはないと言い切れる。あぁ、推し活最高ッ。推し活しか勝たん。
「盛り上がってるかぁー?」
一曲終わったタイミングで、リーダーが大きな声で私たちファンに問いかけた。当然ファンはそれに元気よく応える。
「いぇーーーーーーい!!!」
まるで地響きのような歓声が会場内にこだました。
『wonderful』のために集まった五千人を超えるファンの熱量は凄まじいものだと肌で感じた。隣にいる浅海さんも例に漏れず熱気に包まれていた。一方で私は彼女らとは異なり大人しい人間だ。こういう場ですら人目が気になってしまい大きな声が出せない。だから、この会場でただ一人だけ口を噤んでいた。
「深雪ちゃん。大丈夫?」
思い詰めたように押し黙っている私を気にかけてくれたらしい。やはり優しい女性だ。無用な心配はかけたくない。
「大丈夫です。ちょっと考え事してただけなんで」
「そう? なら良いんだけど。もし悩み事があったら遠慮しないで相談してね!」
「ありがとう……ございます」
気持ちはすごくありがたい。だが、言えるわけがない。私のようなブスの陰キャが人目を憚ることなく大きな声で叫びたいなんて。それに美人で陽キャの彼女が私の気持ちを理解できるなんて到底思えなかった。
「よーし! 二曲目いっちゃおう!」
リーダーが他のメンバーに合図を送ると、すぐさま二曲目が始まった。『wonderful』の曲の中で一番好きな曲だ。今はウジウジ考え事なんてしている場合ではない。この状況を自分なりの楽しみ方で思いっきり楽しまないと損だ。
だからこそ、心の中でこれでもかというくらい叫びまくった。決して声に出すことはなかったが、私の気持ちが少しでもメンバーの心に届いていることを願って。
楽しい時間というのは、あっという間に過ぎ去るものである。知らず知らずのうちに三曲、四曲目と進んでいき、会場のボルテージが高まっていった。十曲目が終わり、折り返しとなったところで、ファンによるパフォーマンスタイムが始まった。
パフォーマンスタイムとは、ファンが推しメンバーの名前を叫び、呼ばれたメンバーがそれに応えるという『wonderful』独自の文化だ。このパフォーマンスタイムでファンがメンバーに愛を注ぐわけだ。
当然ながらパフォーマンスタイムはファン全員がメンバーに向かって叫ぶ。けれども、私は一切叫ばない。先述のとおりブスが張り切ってはしゃいでいても滑稽であり、周囲から嘲笑されるのがオチだからだ。
「パフォーマンスの時間よ。思いっきり名前呼ぼうね」
お隣の浅海さんが私の拳を握ってそう言った。だけど、私は、
「いえ……大丈夫です。私なんかが叫んでも周りに馬鹿にされるだけですし」
「何言ってるの?」
浅海さんは首を傾げた。私の発言が理解できていない様子だ。自分から言うのは悲しくなるが彼女が理解できるような表現で伝えるしかない。
「だってほら、私ブスですし」
言ってしまった。己から醜い容姿であることを申告するなんてこれ以上ない恥辱だ。あまりの恥ずかしさに穴があったら入りたい気分だ。これに浅海さんは何て返すのだろう。
「ブスじゃないよ」
まさかの真っ向否定。
気持ちは嬉しいのだが、自分という人間は誰がどう見てもブスなのは明確だ。それだというのに、変に気を遣っているのは私への嫌がらせだろうか。少し苛ついてしまい語気が強くなる。
「気を遣ってもらうのは嬉しいんですけど、悲しくなるからやめてください!」
「私、気を遣ってるつもりないけど」
その言葉に嘘偽りがないことを証明するように浅海さんの瞳は澄んでいた。想定外の事に呆気に取られていると、彼女はこれまた衝撃の一言を発した。
「だって、可愛いじゃん」
「か、可愛い?」
自分が可愛いなんて天地がひっくり返ってもあり得ない話だ。きっと、どこの国に行っても私のことを可愛いと思う変わり者なんていないだろう。今すぐ浅海さんの発言を訂正しなければならないが、彼女は私の言葉を遮るように、
「それに周りなんかどうでもいい。案外、自分のことなんて誰も見てないもんだよ」
「そう言われても……」
「もう! ネガティブなんだから」
次の瞬間、彼女の両手が私の頬を包んだ。どんどん顔を近づけてくる。心臓の鼓動が聞こえるくらいに近い距離まで。そして、そのままコツンと額を触れ合わせた。
「例えば、例えばの話ね。横に奇抜な格好をした人がいたとするね」
「え? はぁ」
「少しの間はその人から目が離せないよね。だけど、数秒も経てばその人の事なんてどうでもよくなるでしょ?」
「確かに……そうですね」
そんなことよりも顔が近すぎて先ほどから吐息が耳にかかっている。別に嫌なわけではない。チョコレートみたいな甘い香りがするので逆に喜ばしい。
「こういった場所なら尚更よ。だれも見てないし。皆の目に写ってるのは『wonderful』のメンバーだけだから」
「それもそうですね」
「だから安心して! さぁ、思いっきり名前呼ぼっ!」
彼女の言葉を受けて思うところがあった。確かにここまで来てウジウジしているのは馬鹿らしい。実際、こんなに広いライブ会場でブスが一人はしゃいだところで誰も注目なんてしない。むしろただ一人黙り込んでいる人の方が目立つ。そうだ。私も彼らのように精一杯叫ぼう。
「私も叫びますっ!」
私は浅海さんの横に並び、推しメンの名前を叫んだ。周りの目を窺うことなく腹の底から声を出したのは生まれて初めてかもしれない。こんなにも気持ちがいいなんて思いもよらなかった。
それだけではない。なんとビックリなことに推しメンが私の声に反応して、自分に笑顔を向けたのだ。もちろん、それが私だけに向けられたものではないと理解している。それでも胸がいっぱいになるくらい嬉しかった。
ファンにとっても私にとっても特別なアピールタイムが終了し、またライブが再開される。後半戦一発目に一番人気の曲が披露され会場のボルテージは最高潮に達した。私は冷めやらぬ余韻に浸り続け、終始上の空だった。
そのせいで、気づけばライブが終わっていた。ライブ後半の記憶はほとんどない。本来であれば肩を落としているところだが、今日は充足感に満たされていた。新たな世界の入り口に立つことができたからだ。
「ね? 声出して良かったでしょ?」
ライブからの帰り道、電車の中で浅海さんはエッヘンと得意気な表情を見せた。
「はい。楽しかったです。今までで一番!」
「私も。深雪ちゃんと来れてよかった!」
斜め上からの不意打ちにドキッとした。そのような事を恥ずかしげもなく平然と言えるのだから、彼女は天性の人たらしだと思う。だからこそ、皆に愛されているのだろう。
「それじゃあ、私ここで降りるから。また学校でね!」
「はい! また!」
浅海さんは私に手をフリフリした後、車内を後にした。残された私はというと目を瞑り、今日の出来事をなぞるように思い返すのだった。