3話 坊主憎けりゃ袈裟は好き
翌日の昼休み。私、寒河江深雪は大学の食堂で、ひとり寂しく昼飯を食べていた。私が通う大学はマンモス大学であり、大学内にはなんと五つもの食堂がある。今日はその中の一つ、中央食堂を利用していた。
普段は中央食堂を利用する事はない。理由は昼になると毎日必ず混雑しているからだ。中央という名のとおり、利用者数は大学内でナンバーワンの食堂なのだ。では、なぜ今日に限って中央食堂を利用しているのかというと、とあるメニューを食べるためである。そのメニューとは、
「お待たせいたしました! 鳥からマヨネーズ丼です!」
ーー鳥からマヨネーズ丼
甘辛いタレを絡めた唐揚げにマヨネーズがかかった至極単純な丼だ。どこでも食べられる代物だが、中央食堂の其れは他の店とは一線を画す美味しさで人気を集めている。
具体的にどう違うのか。まず、唐揚げがジューシーでしっとり柔らかい。それでいて大きくてボリュームもある。秘伝のニンニクタレが絶妙に唐揚げと米にマッチしており、箸が止まらない。これらの要素に加えて、価格も驚愕の三〇〇円だ。そのため、生徒は鳥からマヨネーズ丼を目当てに中央食堂に集まってくる。
もちろん、それは私も例外ではない。初めて此処で鳥マヨ丼を口にした時、あまりの美味しさに雷に打たれたような衝撃を受けた。以降、鳥からマヨネーズ丼にすっかり魅了され月に一回は必ず食べるようにしている。人混みが嫌いな自分がわざわざ並んで食べるのだから、それだけの価値がある逸品だ。
私は受取口で商品を受け取り、空席を見て回った。テーブル席は既に満席だが、カウンター席は幾つか空いている。自分は一人なので、わざわざテーブル席に座る必要がない。迷うことなく空いているカウンター席に座った。
「いただきます」
大きな唐揚げを口いっぱいに頬張る。揚げたての唐揚げは熱々でおいひい。私は味わって食べるタイプではなく、無我夢中で食べるタイプなので、次々と腹に流し込んだ。途中でむせそうになったが、お構いなしだ。
完食までラスト一口というところで、背後に人の気配を感じた。どうやら自分の食事をジッと見られているみたいだ。赤の他人に食事のシーンを見られるのは少し恥ずかしい。早急に立ち去っていただきたいものだ。
「……ねぇ、寒河江さん。何食べてるの?」
この状況で話しかけてくるなんて、どういう神経をしているのだ。客観的に見て話しかけられたくないオーラ全開だったと思うのだが、それを無視して話しかけてくるとは一体どういう了見だ。
ガツンと文句を言うために後ろを振り返ると、そこにいたのは私がこの世で最も憎んでいる存在だった。なぜこのような場所にコイツがいる。
「浅海さん……」
浅海暖乃。大学内で一番の美人で家柄もとても良く、おまけに性格もいいという事実が一昨日発覚した三拍子揃った完璧で究極の存在だ。
昨日、一昨年と少し話しただけだが、インパクトが強すぎて夢で彼女が出てきた。夢の中でも明るく事あるごとに私に馴れ馴れしく話かけてきたので、かなり鬱陶しかった。そのせいで眠りが浅かったので、朝から少しイライラしている。
「何食べてるの?」
見たらわかるでしょ、と言いたいところだが、彼女のようなお嬢様の辞書に『鳥からマヨネーズ丼』などという庶民的な食べ物は存在しない可能性が高い。やれやれ、気は進まないが丁寧に教えてあげるとしよう。
「鳥からマヨネーズ丼を食べてます。鳥の唐揚げ丼にマヨネーズがかかってるんです」
「食べかけでわかりづらかったけど、やっぱり鳥マヨ丼だよね! それ超美味しいよね。ついつい食べちゃいたくなるやつ!」
いや、知ってるんかーい。思わずツッコミそうになった。得意げに解説していた自分が恥ずかしい。彼女のような舌が肥えたお嬢様でも我々庶民の食べ物を美味しいと感じるものなのだな。
「隣……いい?」
「あー、いいですよ。空いているので」
本当は嫌だけど、空いているので断ることができない。断るとさすがに微妙な空気になってしまうだろう。快諾を得た彼女は嬉しそうに私の隣に座った。手に持っているのは、おにぎり一個とりんごのジュースだ。まさかとは思ったが、気になったので訊いてみた。
「お昼それだけですか?」
「うん。私少食だから。それにいっぱい食べると眠たくなっちゃうし」
私少食だから、か。一度は言ってみたい台詞である。自分は大食漢なので、食事の度にドカ食いしてしまう。もし軽食で済ませようものなら、空腹でぶっ倒れるだろう。食が細い人が心底羨ましい。
それにしても少食のくせに目を見張るほど大きな胸だ。栄養が全て胸に集約されているんじゃなかろうか。私はどれだけ食べてもお腹周りに脂肪がつくだけだというのに。やはり、この女が心底憎い。
「今日は珍しくお一人なんですか?」
沸々と湧き上がる怒りを抑えて笑顔を取り繕う。決して負の感情を悟られないように、にこやかに質問をした。
「そう。友達が熱で休んじゃって。一人でお昼ご飯を食べようと思って食堂に来たら寒河江さんがいたの!」
「へ、へぇ……」
「寒河江さんがいて良かったわ。誰もいなかったら一人でご飯食べることになってたし!」
そのまま私を見つけずに、ぼっち飯をしてくれればよかったのに。食事のタイミングが唯一誰にも邪魔されず、のんびり過ごせる時間なのに、この人がいたら落ち着こうにも落ち着けない。
だが、浅海暖乃は自分とは真逆なのだ。食事の時も講義の時もトイレの時ですらも誰かと一緒にいないと気が済まないタイプの人種だ。だって、いつも隣に友人が居て当たり前の世界で生きてきたのだから。
不思議だ。容姿も性格も価値観も全てが正反対だというのに、なぜ私なんかに構うのだろうか。ぜひとも納得できる理由を教えていただきたいものだと、そう思っていた矢先のことだった。
「寒河江さん。前からずっと気になってたんだけど、そのカバンについてるストラップって……」
彼女が指差したのは、私が好きな音楽グループのメンバーのストラップだ。グループ名は『wonderful』。歌とダンスで魅せる男性グループで若い女性を中心にじわじわ人気上昇中である。
自分は『wonderful』のライブには欠かさずに足を運ぶほどコアなファンだ。グッズは片っ端から掻き集めているし、人生の全てを彼らに捧げていると言っても過言ではない。筋金入りのファンなので、カバンなど身の回りの物にもストラップやキーホルダーをつけている。側から見たらキモヲタに思われるだろう。きっと目の前のコイツもそう思っているに違いない。
ところが、彼女は自分を馬鹿にすることなく笑みを浮かべた。嘲笑ではない。嬉しそうな表情だ。私は笑顔を向けられている理由が理解できずに戸惑う。
「そのストラップって『wonderful』のリーダーだよね?」
「へ?」
先ほど、『wonderful』は若い女性を中心にじわじわ人気が上昇中だと言ったが、まだ一般的な知名度は低い。彼らを認知している人のほうが圧倒的に少数だと言っていい。
そのはずなのに浅海暖乃は彼らを知っている様子だ。ひょっとすると、彼女もまた筋金入りのファンなのかもしれない。ここは詳しく深掘りしておく必要があるな。
「知ってるんですか?」
「うん。知ってる。私もファンだから。ライブにだって行くしグッズも買うよ。寒河江さんのストラップもサブリーダーバージョンのを持ってるし」
私が持っているストラップは、とあるイベントでしか入手できず、しかも先着百名様限定の激レアグッズだ。疑う余地はない、ガチファンだ。つまり、彼女は数少ない同士ということになる。これまで遠い存在だった彼女に対して、何だか急に親近感が湧いてきた。
「いつからファンなんですか?」
「一昨年に初めてテレビ番組に出演した時からかな」
同じだ。自分も一昨年に放送された『wonderful』特集の影響を受けてファンになった。
「私もです。あれ見てからハマりました」
「本当!? あの時の『wonderful』の格好よさを見たらハマっちゃうよね!」
「間違いないですね。かっこよすぎました」
今まで出会ってきた誰よりも意思の疎通ができている気がする。この瞬間、初めて会話が楽しいと思った。同じ趣味を持った人間と話すことが初めてだったから余計にそう感じたのかもしれない。
「ねぇ、週末のライブも参加するの?」
身を乗り出して食い気味に聞いてきた。質問に対する答えはもちろん、
「参加します。浅海さんは?」
「私も当然参加するよ。よかったら一緒に行かない?」
思わず声が出そうになった。まさかあの浅海暖乃に誘われるなんて。学内カースト最上位に位置する女だぞ。
これまでライブは一人で参加してきた。誘う友人もいなければ他の誰かを誘う勇気もなかった。でも本当は仲間とライブの感動を分かち合うことにずっと憧れていた。質問に対する返事は、
「はい。私なんかでよければ喜んで」
「やったー! じゃあメアド交換しよっか!」
「うげっ」
今更改めて言うまでもないことだが、私は大学に友達がいない。当然、大学に入ってからはメアド交換をしたことがなかったので、そのワードを聞いた時に手が震えた。
手持ちの携帯電話には高校までの友人の連絡先しか入っていない。つまり、目の前にいる彼女が大学で記念すべき初めてのメアド交換相手ということになる。あまりにも久しぶりすぎて方法が分からないので、見様見真似でメアド交換をした。ドキドキの交換を経て、浅海暖乃の名前が画面に浮かび上がり、名前を見てホッとする。
「へー。寒河江さんって下の名前、深雪っていうのね!」
「はい。あんまり呼ばれたことがないですけど。深雪っぽくないですし」
いつも名前を呼ばれるときは『寒河江さん』だった。下の名前で呼ばれた記憶はほとんどない。そもそも下の名前を覚えている人がいたのかどうか怪しい。烏滸がましい願いかもしれないが、一度でいいから下の名前で呼ばれたい。なんてね。
「そんなことないよ。言われてみれば深雪っぽいかも。深雪ちゃんって呼んでいいかな?」
「へ?」
ミユキチャン? 誰ですかそれ?
ミユキ
みゆき
深雪
寒河江深雪。
ひょっとして、私のことだろうか。今、私の名前を呼んでくれたのか。今まで一度も呼ばれたことがないから誰のことか理解できなかった。
あれ、何だろう、この気持ち。めちゃくちゃ嬉しい。嬉しくて涙が出てきそうだ。
「もしかして……嫌、だった? 私ちょっと馴れ馴れしいところがあるらしいから……」
浅海暖乃が何の反応もない私を心配そうに見つめる。自分は慌てて手を横に振って否定した。
「ち、違う。嬉しかったんです。名前なんて呼ばれたことがなかったから。よければ深雪でお願いします」
「了解。よろしくね。深雪ちゃん!」
私たちの距離が急激に縮まった瞬間である。今まで何の関わりもなかった浅海さんと自分が、趣味を通して友達になるなんて誰が予想できただろうか。昨日の自分に言っても怪訝な顔で精神科を勧められるのがオチだろう。
「あ、そろそろ行かないと授業が始まっちゃいます。それじゃあ」
「うん。またね。また後で連絡するね!」
「はい。待ってます。いつまでも待ってます」
「いつまでもは待たなくていいから」
いつのまにか彼女への敵対心はすっかり消えていた。それどころかもっと仲良くなりたいという気持ちが芽生えてきている。
何時ぞやの彼女が大嫌いだと発言した件について撤回させていただきたい。確かについ先ほどまで憎むべき敵だったのは事実だ。しかし、事情が変わった。私は浅海さんと仲良くなりたい。友達になりたいと思った。