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足下の水

作者: 太川るい

 一人の男が死罪となった。つまらない盗みを犯したらしい。その男は十字架にかけられ、ただ死を待つばかりとなった。




 俺にも久し振りに役目が回ってきた。盗みをした罪人の見張りをするのだ。何から見張るのか。盗人は磔によって死ななければならない。そのため彼が死に至るまで、いたずら小僧や、盗みに遭った店の主人がこの盗人に石を投げつけるようなことも、死肉を目当てにやってくる鴉が早とちりをして罪人の頭をつつくのも、なるべく防がなければならない。おれはたまにこうして十字架にかかる奴が出るたび、その罪人が死ぬまでの見張りの役を仰せつかっている。


 早速その日から、おれは刑場に立った。槍を持ち、好奇心と度胸試しで近付いてくる見物人を追い払い、近くの木や頭上で旋回する鴉たちにもにらみをきかす。三日三晩は寝ずの番だが、その分報酬は十分もらえる。


 持ち場にやってくると、既に罪人の男は十字架にかけられていた。男の方を見る。男はぐったりとしていて、元気がない。おれは槍を携えて男の傍に立っていた。


 一日目は何も起こらなかった。二日目になると、男はおれに話しかけてきた。


「なあお前、頼むから水をくれないか。苦しくてたまらないんだ」


 男はそう言っておれの方を見やる。おれは男へ憐みの目をなげかけた。


「今のお前に水をやっても、苦しみが長びくだけだ。第一、そんな高いところにどうやって水をあげるというのだね」


 男は何も答えない。ただ時折、ゼイゼイという苦しげな息遣いが聞こえる。


「それならいい。飲むのはあきらめる。ただ、おれの足元に水をかけてくれ。それだけでいい。お願いだ」


 おれは男の足を見る。ここからでも水を投げかければ、届かなくもない高さだ。おれは承知して、持っていた水筒を振って、水を男の足にかけた。


 ややあって、男がうめく。足の傷口に水がしみたのだろうか。


「大丈夫か?」


 男は苦しげに微笑む。


「いや、ありがとう。水を体に感じることができた」


 その後、男はふー、と長い息を吐いた。


「おれは小さい頃、川のある村に住んでいたんだ。一日として川で遊ばない日はなかった。水がおれの生命だったんだ」


 声はか細い。絞り出すように、一語一語が吐き出されていく。男は遠いところを見ている。昔を思い出しているのだろうか。


 おれは男がもう長くはないことを感じとった。


 しかし、いつまでも男の方を見ているわけにはいかない。おれは再び前を向き直した。後ろからは男の息遣いが聞こえていた。




 知らず知らずのうちに、おれは立ったまま眠っていたようだった。日は既に傾いて、地平線に近付き最後の光を放っていた。


 ふいに、後ろから短い叫び声が聞こえたような気がした。周囲に気を配りつつ、男の方を見る。


 男はこと切れていた。


 苦しくなかった訳はないが、心なしかその死に顔は安らかに見えた。おれはひとり目をつぶり、この死んでいった男に対して頭を垂れた。


 あとは別の人間が男を下ろし、地面に埋めることだろう。おれの役目はここまでだった。




 遠くでは、日暮れを告げる鐘の音がいつまでも響いていた。


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