第11番 人魚の歌の秘密
歌の時間を終えた神子はその日の公務は全て終えたと同義です。私は自室に戻って、と言ってもすることもないので手遊びのように海藻編みに精を出します。乾燥させた後に薬液につけて揉みしだいて柔らかくした海藻をレース状に編んでいくこの技術はこの陸の女性なら誰もができることです。でも私はこの作業が大好きなのです。だって、編んでいる間だけは、私は何も考えなくて済むから。
自分の膝を覆うほどのサイズまでレースを編んでいた時です。自分の頭に響くような声が本当に突然現れました。初めはこの部屋に誰かいるのかと思って周りを見渡しました。ですがいるのは部屋の入り口に佇む女官だけです。それでも気のせいにするにはあまりに鮮明な声…感情?でした。私は立ち上がって周りを見ます。御付きの女官が訝しげにこちらに目を向けますがそんなの気にしていられません。響いた声は困惑と恐怖と苦しさを込めた助けを乞う声だったのです。私の胸まで締め付けらる、そんな声を無視はできません。そんな時にまた声が助けを求めます。この部屋じゃありません。上です。部屋…いや、この帝宮外から声は聞こえます。私は無性に早く行かなければ行けない気がしました。
「どこに行くのですか?」
部屋の扉の前で女官に阻まれてしまいます。私は早く行かなければ行けないのに。それでも女官は胡乱な目で私を見下ろします。そんな中部屋の扉にノック音が響きます。お付きの女官が私を牽制しながら扉を開けると違う女官が慌てた顔で立っていました。二人で小さな声で会話した後私のお付きも真っ青になりました。やはりお外で何かあったのですね。そんな私の顔を見て青い顔をどうにか落ち着かせたお付きの女官にやんわりと部屋の中に押し戻されました。何かあったのか聞きたいのに私の声代わりの石板はベッドの枕元に置いたままです。どうにか部屋から出ようとしても女官二人に押さえつけられてしまいます。
そうしている間にも頭に響く声は悲痛で、こちらも苦しくなってしまいます。早く行かなければいけないのに、それでも女官二人は頑なに動いてくれません。
『大丈夫だよ。リュケさんの声は素敵だもん。』
ビクッと身体がすくみます。誰ですか?先ほどから私の頭に響いていた助けを求める声とは違う、誰かの声が響きました。いや、この可愛くて優しい声は…サーシャ様…?
『リュケさんなら大丈夫だよ。だって、とっても優しいもん。』
サーシャ様なのですか?どうしてお声が聞こえるのですか?頭の中に話しかけても返事はくれません。ただ悲痛な助けを呼ぶ声が大きくなっただけです。急に立ち止まった私をここぞとばかりに女官二人が押しのけます。
我に帰った私はほんの少し躊躇しました。それでも…誰かが助けを求めているのです。この私に、求めてくれているのです。
私は目の前の二人を見据えました。どうしてサーシャ様の声が私の中に聞こえるのかも分かりません。ですが、全ては必然なのです。ここで私が止まっていては、何も変わらないのです。
私は目の前の女官に心の中で謝罪をして、息を吸います。
【 通してください 】
たった一言で女官二人は止まりました。そして通り抜ける私を止めることなくその場に立ち尽くしています。
私は初めて自分の意思で声に力を込めました。歌ではない言霊です。胸のドキドキが止まらないのです。
私の言葉は…強すぎるのです。ですが今はそんなものにかまってはいられません。ごめんなさいとまた謝罪をこめてから私は部屋のお外に出ました。
廊下を走っていると足元から少し揺れが襲います。そして何者かの大きな叫び声が聞こえます。何かがお外にいるのは分かりました。普段の生活では運動しないので走るのは苦手なのです。それでも私は走ります。
「あら、神子様、どこに行かれるのかしら。神子様は暇そうで羨ましい限りですわ。」
曲がり角でお姉さまとそのほか5人ほどの見習いの方々たちに出会ってしまいました。見習いの方々は2人の女官に慌てるようにどこかに向かっています。やはり何かあったのですね。どこかに避難しているように見えます。ですが何があったのかは聞いていないのか女官以外の方々は何事もないかのようにすました顔をしています。いや、すまし顔というよりも笑いを堪えたような顔ですがそれはいつものことなので気にしません。私は急いでいるので軽く会釈だけして通り過ぎようとしたらお姉さまが待ちなさいよと腕を掴みました。声が出せない私が振り払おうとしても爪の食い込む手が痛くて動けません。
「いつものお絵描き盤はどうしたのよ。神子様はあれがないとお喋りできないくせに。」
くすくすと後ろから笑い声が漏れています。ああもう、今はそんなことに時間を取られている場合ではないのに!後ろから私のお付きの女官が走ってくる音が聞こえてきました。まずいです。思ったよりも早く言霊が解けたことは安心いたしましたが今はもう少し時間が欲しかったのです。
何か言いなさいよ、とお姉さまが意地悪な顔で私の腕をさらに強く握り込みます。昔はお姉様と仲が良かったはずなのに…
私は悲しい心に蓋をするように言葉を出します。
【 手を離してください 】
一瞬、お姉さまの顔が驚きになりましたがすぐに魔法にかかった顔になりました。
私の声を聞いた女官も見習いの方々も目を丸くいたします。でも今はそんなこと、気にしていられません。
【 通してください 】
波が引くように皆道を開けてくれました。また小さく謝罪を口にして私は声の元に走ります。誰かの悲鳴は誰かの叫びに変わります。この空気を震わす唸り声が私へ届く悲鳴の主だともう私は気がついています。息が切れて足が痛いですが私は走ります。だって、この子の方がこんなにも苦しそうなんですもの。
皇江帝宮の外、取り囲む水の向こうに声の主がいました。本でしか見たことのないような大きな海獣、いや、海龍です。水を纏った青い鱗が美しい、とても大きな生き物。美しさに見惚れていると一際大きな爆発が海龍の肌を痛めます。その瞬間に弾かれるように私はまた駆け寄ります。ああ、やめて、この子は何もしていません!
【 やめて!! 】
自分でもこんなに声が響くとは思っていませんでした。私の声が響きわたって空気が重たくなります。すぐ後ろまで来ていたはずの女官も来ないしあれだけ攻撃をしていた兵たちも止まりました。それどころか目の前の海龍ですら大きく口を開けたままで停止しています。世界が止まってしまったのかと一瞬考えてしまったくらいです。何の邪魔も入らずに海龍の元に駆け寄った私は海龍に触れます。止まっていたはずの海龍は動いて私の顔に自分の顔を近づけました。不思議と私は怖いとは思いません。ただ美しい生き物だと思いました。
頭の中に感情が流れてきます。言葉ではないのに何が言いたいのかわかるのはとても不思議な感覚です。
【 私は敵ではありません 】
わかっているとでもいうように海龍が甘えるように頬を私に擦り付けます。こんなに大きな生き物なのにとても可愛く見えるのは不思議です。
【 海に帰りましょう 】
キュウと見た目に似合わず可愛い鳴き声です。海龍が長い首を私に差し出します。こちらをジッと見つめたまま動かないのはここに乗れということなのでしょうか。固い鱗に手をかけて何とか背を上ります。ああ、私の同胞のせいでこんなにも体に傷をつけてしまって…
青い鱗は所々剥げて赤い血が流れていてとても痛々しいのです。私はあまり治癒魔法が得意ではありません。こんな時にもっと練習しておけばよかったと後悔しても遅いのに。ああ、せめて
【 痛くありませんように 】
私の触れる場所から海龍のピクリとした動作を感じました。そのまま嬉しそうに、いや、本当に喜んでいるのがわかります。傷が癒えることはないけれどせめて痛みは消えたみたいで安心いたしました。
「み、神子様!いけません!お戻りください!!」
動き出した私たちに慌てるように皇帝様の左腕のラルカルト様が叫んでいます。それに反応するように海龍が首をそちらに向けて口を開けました。それは痛いほどの怒りと恐怖です。
【 大丈夫なのです 私がいるのです 】
安心させられるようにできる限り優しく話しかけます。そうすれば燃える感情が波が引くごとく消えてくれました。これ以上の犠牲が出なくて安心する反面、私の一言で誰かの感情が変わってしまう事実が恐ろしのです。私の声も言葉もやはりできる限り使わないことに越したことはないのです。
「神子様!み、皆のもの、何をしておる!早くあの海龍を…」
ラルカルト様の声で我に返った兵たちがそれぞれの武器を構えました。私は咄嗟に背に立ち上がってまた大きな声が出てしまいました。
【 やめなさい!!! 】
その一言から海龍と私以外、もう誰も動きませんでした。いつの間にか来ていたお姉さまと見習いの人魚たちもその場にへたり込んだり何も言えずに震えている様子が伺えてしまいます。ああ、やってしまったかもしれません。後で皆には謝罪
いたしますのでどうか今だけはお許しください。自分をいつも閉じ込めていた宮から目を背けて、私は海龍と共に海に向かいました。
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今日の夢は何だか変だ。音もなく落ちた夢の中でサーシャはあたりを見渡す。いつもみたいにお母さんの存在を感じることもないし自分の存在のあやふやさが際立っている。
あ、もしかしたらまたリュケさんの夢の中に入れたのかもしれない。サーシャは少し喜びながら周りを見渡した。だが昨日リュケさんの夢の中にいた時とは明らかに違う。水の中とは違うし、だからといって現実みたいなどこかに立っている感覚とも少し違う、すごく不安定だ。
岩肌みたいな材質なのに閑静な見た目でとても綺麗な建物。周りをぐるりと見渡してみてもここがどこなのか検討もつかない。キョロキョロ周りを見渡していると人魚の女の人がすぐ近くを通ってビクリと体が竦んだ。でもこのお姉さんには私の姿が見えてないみたい。何人かが横を通ったけど誰も反応がない。触ってみたけどどの人魚さんもこちらの手が透き通るばかりで何もできなかった。
ここは本当にどこなんだろう。とても静かで水の中みたいな泡の弾ける音しかしない。不安になってきて胸元の卵に手を伸ばすといつもと違う暖かさを感じた。
「もしかして、セラシィがここに連れてきてくれたの?」
セラシィから言葉はなかったけどピコンと動いたのが返事みたいなものだと思った。こんなことができるなんてセラシィもやっぱり不思議な子だなぁ。
でもわざわざここに来たのには何か理由があるはずだよね。立ってても仕方ないのでこのとても広そうな建物内を歩いてみる事にした。
「うわぁ…これどうなってるんだろう。」
廊下の窓から外を覗くと感嘆の声が漏れてしまった。自分のいる建物は水の中にあった。ガラスの窓がはまってるのかと思ったけど手を伸ばすと直接冷たい水が手に触れた。これはどんな魔法なんだろう。
「あはははは!」
甲高い笑い声がいくつも響いてきて驚いた。どこだろう、声の元を探すと小さな人魚の子供たちが楽しそうに歩いてる。一番後ろにいる3歳くらいと5歳くらいの人魚は一番仲良さそうに手を握りあってる。一番前と一番後ろを歩いている大人の人魚さん以外は子供が7人かな。お散歩みたいで楽しそうだな。
どこに向かうのか分からないけど何となくそれについていく。ちょこちょこ歩く姿はかわいいな。
少し歩いて辿り着いたのは建物の中での上の部屋。あまり広い部屋じゃないけど部屋の真ん中にある大きなエメラルドの石がとても綺麗な場所だった。この石は魔石かな?あたしの両腕を広げても持てそうにないくらい大きい魔石なんて初めて見た。ここは何をする場所なんだろう。
「さぁみんな、練習したお歌を精一杯歌いましょうね。」
はぁーい!と子供たちの元気な声が部屋に広がる。こんな狭い部屋でお歌の発表会みたいなものでもするのかな?小さい子たちはみんな元気に手を上げて返事をしたのに一番後ろで手を繋いでた仲良しさんの小さな女の子だけがもじもじと不安そうな顔をしている。
「リュケ、どうしたの?」
大きな方の子が小さな子に声をかける。リュケって…リュケさん?まさか神子の?じゃあここって…昔なの?どうしてあたしがここにいるのか益々分からなくなってくる。
「あのね、リュケね、ちゃんとおうたうたえるかな…」
涙をいっぱい溜めたリュケさんが下を向いて消えそうな声で言う。緊張しちゃってるのかな。こんなに小さいんだもんね、緊張くらいしちゃうよね。そんなリュケさんの顔をギュッと挟んで仲良しさんがにっこり笑う。
「だいじょうぶ、お姉ちゃんがお手手つないであげるから。ね?いっしょうけんめい歌えばいいんだよ!」
仲良しさんはお姉さんだったんだ。とても仲が良さそう。あたしもお姉ちゃんのことを思い出してほっこりする。
「いっちょけんめい?」
リュケさんがコテンと頭を傾げながら聞く。一生懸命が分からなかったみたいでお姉さんはちょっと考えてから言い直した。
「えっとね、リュケが楽しく歌えばいいの。お姉ちゃんもいるから楽しいでしょ?」
その言葉にリュケさんはにっこり笑ってうんと頷いた。よかった、これで大丈夫だよね。
「さあ、みんな、始めますよ。せーの!」
大人の人魚さんが大きく手を振って、子供たちがみんな息を大きく吸って、お歌が始まって、静かになった。
たった数フレーズを口にしただけ。ちゃんと歌詞のあるお歌。みんな深く眠ってとか何とか、そんなフレーズの歌詞だった。この場にいるのは1人でポツンと立つリュケさんだけ。みんな地面に崩れるように順番に倒れていった。何があったのか分からなくて声も出せないリュケさんが周りをキョロキョロと目を向ける。
「ねぇね…?」
小さな手から落ちたお姉さんの手を見ながらリュケさんは地面に座る。
「ねぇね?ねぇね、ねちゃった?ねんね?」
乱暴に揺さぶっても目を覚ますことはない。一瞬攻撃でもされたのかと思ったけど違う。マイラスが前に言ってた。第二大陸の神子は歌の魔法と…言葉の魔法、言霊が使えるんだ。言葉に意思を乗せて相手をその通りにできる魔法。ああ、リュケさんが夢の中でしか歌えない理由がわかった。
目の前で泣き出したリュケさんに誰1人気がつくことなく皆寝たまま。リュケさんの泣きじゃくる声がだけが水の世界に響く。それがどんなに酷く胸を刺してもあたしには何もできない。絶叫のように泣き叫ぶ姿があまりに辛くてあたしは思わずリュケさんを抱きしめたけどその体は透き通るだけ。あたしには何もできない。
「う゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
いつまでも泣き叫ぶリュケさんにあたしはただ泣くことしかできなかった。




