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【コミカライズ連載中!】落ちこぼれ魔女のためのメルヘン  作者: 中村朱里
番外編

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【ヨル視点・本編挿話】あいのありか★★

序章と第1章の間。旅の出立前夜のお話です。


久方ぶりの魔女裁判を終えたリュー一族の隠れ里に訪れた、静かな夜である。

このしじまが夜明けから始まる旅路における、その嵐のような行程の前の静けさにすぎないことを、ヨルは正しく理解していた。


「――――まさか、猫にされるとは思わなかったなぁ」


リュー一族の隠れ里、血赤珊瑚の長が収める第十三区画の片隅、こぢんまりとしたシズシラの家。

涙でぬれるまなじりをぬぐうこともできずに眠りに就いたシズシラの寝顔を覗き込み、ヨルは獣らしからぬ溜息をこぼした。


獣も草木も眠りに就く深い闇の中でありながら、ヨルの青と黄の双眸はぱっちりと冴えている。

思い返されるのは、もちろんくだんの魔女裁判での出来事だ。

被告人は自分と、かわいそうなことにそんな自分に巻き込まれた幼馴染の落ちこぼれ魔女のシズシラ。


自分が各国の要人にほどこした“まっとうなる善意の魔法”に対する贖いとして、夜が明ければシズシラとともにこの隠れ里を発ち、すべての“問題”の解決への従事に就くことになる。


「せいぜい魔力を封じられる程度だと思っていたのだけれど……ふふ、残念」


窓から差し込む月明りに、シズシラの寝顔の輪郭がくっきりと浮かび上がっている。

怜悧な美貌を誇る母親にではなく、聞くところによれば『しいて言えば愛嬌のある顔立ち』であったのだという見知らぬ父親に似たのだという顔立ち。

柔和なその線をつぶさに見下ろして、ヨルはゆらりと本日手に入れたばかりのふさふさとした立派なしっぽを揺らした。


ああ、本当に残念だ。

人間の姿のままであったならば、きっと長くなるであろう旅路ももっと楽しいものになっただろうに。

隠れ里では叶わなかったあんなことやこんなことやそんなことまで、シズシラと楽しむことができただろうに。


「……そういう下心を見抜かれていたってことかな」

「よく解っておるではないか」


苦笑がにじんだ呟きを一刀両断にするかのような、鋭く厳しく、そして凛と美しい声。

眠るシズシラによりそっていた身を起こして、顔を持ち上げると、窓の向こうに一羽のカラスがその翼を休めている。

猫となり夜目が利くヨルとは異なり、いくら月が明るくとも、ただのカラスが夜闇の中を飛べるはずがない。

誰何するまでもなく、ヨルは猫らしからぬ器用さで窓の鍵を開けてカラスを部屋の中に招き入れた。

当たり前のようにヨルの前に舞い降りてきたカラスは、加えていた小さな柘榴石をカツンと目の前に落とす。

瞬きののちに、その硬質な光を放つ赤い石から、ふわりとほの明るく輝く人影が浮かび上がった。


「これはこれは、血赤珊瑚の長。夜分遅くに、ご機嫌麗しゅう」


誉れ高きこの十三区画の長にして、シズシラの実の母親でもある美しき魔女の前で、銀の猫はこうべを垂れる。

誰が見ても見事であると褒め称えるに違いない優雅な一礼だ。

だが、それを手向けられた当の本人――すなわち、血赤珊瑚の長たるライラシラ・リューにとっては癇に障るものでしかなかったらしい。

彼女はフン、とさも不快げに鼻を鳴らしてしなやかな腕を組んだ。


「まったく驚かぬとは、本当にかわいげのない小僧だことだ」

「お褒めにあずかり恐悦至極です」

「かけらたりとも褒めてなどおらんわ。…………またこの会話を繰り返すことになろうとは……ああもう、まったくそなたときたら、猫にされても反省せぬとは……」


嘆かわしげにライラシラは深々と溜息を吐く。

じろりとにらみ付けられても怖くはないが、若干申し訳なく思わなくもない。

なにせ今回の件で、いちばん割を食ったのは、おそらくではなく確実にライラシラなのだから。


だからこそ、これでも一応、ヨルとしては反省しているのだけれど。

自分が世界のあちこちにまき散らしたのはあくまでも“まっとうなる善意の魔法”であり、何よりも本人達が望んだからこそのほどこしであったのだから反省の必要性はこれっぽっちもない。

けれど、シズシラを泣かせてしまったことについては心から申し訳なく思っている。

彼女の泣き顔はかわいいし、自分のせいで泣いてくれるのはわりと悪くないなぁなんて思ってはいるが、泣き顔よりももっとずっと笑顔のほうが好ましく思っているのだから。


――シズシラに聞かれたら「冗談じゃないわよ!?」ってまた泣かれちゃいそうだけど。


うん、やっぱりそういう泣き顔も好き。

そう内心で呟くこのかんばせに、ついつい笑みが広がってしまったのを、ライラシラは敏く気付いたらしい。

もともと鋭いお方だが、猫の表情の変化までしっかり感付くのはお流石だ。

若くしてリュー一族の名代として各国の魑魅魍魎のような重鎮達と同等以上に渡り合っているというのも、なるほど、頷ける話である。


何もかもすぐ顔に出てしまうシズシラとは本当に大違い……と感心していると、ぎろりと赤い切れ長の瞳がにらみ付けてくる。

おやおや怖い怖い。

わざとらしく顔を前足で洗ってみせれば、ますますそのまなじりがきつくなった。


「そなたを猫の姿へと変えたのは、我が娘に対する見せしめは元より、そなた自身に科した罰のつもりであったとは知っての通りだが……しくじったわ。人間としての思考すら奪ってやるべきであったか?」


低く地を這うような問いかけに、ヨルは器用に肩を竦めてみせた。すなわち「それはごめんですね」という気持ちである。

ふざけた態度であるという自覚はあるが、ライラシラが今更こんな自分を責めるような真似をする人間ではないことを知っている。


だって彼女は結局、シズシラの母親だ。

シズシラのお人好しぶりは、母親譲りであることを、ヨルはよくよく理解している。


そう、だからこそ。

だからこそ、彼女に聞いておきたいことが……聞いておかねばならないことが、ここにあった。


「一つ、よろしいでしょうか」

「なんだ」

「あなたが僕に科したこの罰。人間から猫へと姿を変える魔法について」

「……ほう?」


申してみよ、と、ライラシラの赤い瞳が先を促してくる。

シズシラと同じ色だ、と思った。

赤く甘く熟れたグミの実のような瞳。

けれどそこには、シズシラが持ちえない、冷徹な光が宿っている。


そういうところは彼女とは違うなぁと思った。

だってシズシラの赤い瞳を、ヨルは何度だって食べてしまいたいと思っていた。

同じ色であったとしても、ライラシラのそれに対して同じ思いを抱くことはない。


何もかも、シズシラだからだ。

彼女が彼女であるからこそ、今はまぶたに隠されたあの赤い瞳を手に入れたくなる。


僕だけを見て、と。

どうか他の誰も見ないで、と。


そうして素直にすがることができたならば、どれだけ――――……。


「この身に科された名前に懸けて問いましょう。血赤珊瑚の長よ。僕を猫の姿に変えるにあたって、あなたが僕から奪った対価は何ですか?」


決して許されてはならない望みから目を逸らし、そのかわりに断罪者たるライラシラを見上げて、ヨルは問いかけた。


たとえば、人魚から人間へ。

たとえば、人間から蛙へ。

あるいは野獣へ。

はたまた白鳥へ。


一時的な変幻術ではなく、原初から定められた姿を変えるという、存在を根本から覆す魔法は、俗に呪いと呼ばれる。

そしてその呪いと呼ばれる魔法には、得てして対価が必要なのだ。


今のこの自分の姿は、原初から定められた人間の姿ではなく、猫のもの。

目の前の魔女は、自分をこの姿に変えるために、自分から何を奪ったというのだろう。


現在は特に不自由を感じていないが、なぜだろう。

確かに何かが奪われたという感覚がある。

自分では気付けない欠落が、この身体に、この心に、確かに存在している。


まるでドーナツの穴のようだ。

シズシラが時折作ってくれるおやつの一つであるあの焼き菓子。

丸い形に、中心の穴。

「この穴があるからこそドーナツなのよ」とシズシラは得意げにしていた。

そう、あの穴のように、埋められない欠落があるからこそ、今この場に、猫の姿となった自分が存在している。


ヨルの問いかけに、ライラシラはすぐには答えなかった。

ただ、彼女は、ふ、と笑った。

両端の口角をつりあげ、その紅い唇に三日月のような弧を描く。


月光を背中に浴びて夜闇に浮かび上がるその姿。

いっそ禍々しく見えるほど凄絶に美しい、強大な魔女、ライラシラ・リュー。



「――――私が奪いたるは、そなたのまことの愛よ」



まるで歌うように、魔女は言った。

思ってもみなかったその言葉にきょとんとヨルは瞳を瞬かせた。


まことの愛。

それは、ありとあらゆる魔法使いと魔女が探し求める、あらゆる呪いのほどきかた。

至尊の魔法とも呼ばれ、魔女裁判の際にもライラシラがヨルに求めた解呪法であるそれ。


ご冗談を、と言おうとして失敗した。

そのかわりにこぼれたのは、乾いた笑い声だった。


「はは」


これで人の姿であったならば、腹を抱えて笑っていたことだろう。

人の姿ではなくて猫の姿だからこそ、ヨルは小さく笑うだけでなんとかその衝動を堪えることができた。


「おかしなことをおっしゃる。僕のまことの愛は、今は安らかに夢の中だ」


ヨルがたたずむベッドの中では、すやすやとシズシラが眠っている。

初めての旅立ちへの不安と緊張で、ぐすぐすと泣きながら夜更かししていた彼女は、深い深い眠りの中だ。

だからこそ彼女は目覚めない。

枕元でヨルとライラシラがどんな会話を繰り広げていようとも、決して起きない。

気付かない。

何も知らないままなのだ。


――いいんだよ、シズシラ。

――どうかきみは、何も知らないままでいて。


ずっと自分に言い聞かせてきたことをまた内心で繰り返す。

けれど何故だろう、不意に無性に心細くなって、そっとしっぽを眠るシズシラの頬へと寄せる。

ほう、と吐き出された彼女の吐息のやわらかさに安堵してしまう自分を、ライラシラが静かなまなざしで見下ろしている。

彼女は瞳をすがめて、先ほどまでの冷徹な厳しさとは打って変わったやわらかさで続けた。


「ああ、そうであろうとも。だから私は、そなたがまことの愛を求めることを許さない」

「……?」


どういう意味だろう。

ライラシラの言葉が何を意味しているのか、いまいち理解できなかった。

これでもそれなり以上に賢い頭を持っているつもりだったのに。


ああでも、きっと、とても苦しくてさびしいことを言われているのだろうと、それだけは正しく理解できているような気がした。


今度はヨルのほうがまなざしで先を促せば、ライラシラは長く白い指先を、ひたりとヨルの眉間へと向ける。


「そなたがいくら愛を囁こうとも、そなたの愛は届かない。いくら愛を示そうとも、そなたの愛はゆめまほろばの露と消えるだろう。そなたのまことの愛は、当人が気付かぬ限り永遠に夜の闇に隠されたままだ」

「……なるほど」


それはやっぱり、とても苦しくてさびしいことだなぁ、と、他人事のように思った。


どれだけ言葉を尽くしたとしても、どれだけ態度で示したとしても、この想いは何一つ伝えることはできないのか。

あきらめようと思っていたはずだった。

けれどあきらめきれなかったから、魔法という奇跡にすがった。

そのツケは、こういう形で支払わされることになったらしい。


シズシラ。シズシラ。

ごめんね、といくら謝ったとしても、いちばん伝えたいことはもう何一つ届かない。

そう、ライラシラの言う通り、当人が気付いてくれない限り。



――絶望。



そんな言葉が脳裏をよぎって、自分の弱さと甘さに吐き気がした。

この上なおもすがろうとしている自分が赦せなかった。


ああそうだ、どうか赦さないで。

どうかどうかどうかどうか、シズシラ、きみだけは僕をゆるさないで。

そうでなくては、自分は、何のために―――――!


「だが」


ぐちゃぐちゃのジャムのように煮詰まっていく思考に割り込む、涼やかな声。

自分が無意識にうつむいていたことにやっと気付いて、その顔を持ち上げる。

そこには、穏やかな表情を浮かべた、育ての母でもあるひとの顔があった。


「ひとつ、私からほどこしをやろう。そなたが自身のすべてを賭けたとしても、まことの愛を示そうとしたとき。そう、たとえば……そなたの場合ならば、我が娘の命が危機にでもさらされたときであろうな。そのときばかりは、そなたのその理不尽で傲慢で我儘なまことの愛は示される。ほんのわずかな間だけだとしても、まあそなたならばうまくやるだろう」

「!!」


思ってもみなかった言葉だった。

そんなことが許されるのか。赦されるのか。


信じられないという言葉をありありと顔に書いてライラシラを見上げれば、彼女はいかにも仕方がないと言いたげに肩を竦めた。


「私とて、娘がかわいい。そしてヨル、そなたのこともな」


不本意なことに、とぼやくその低い声が、どこか遠かった。

ぐぅ、と喉が奇妙な音を立てる。

視界がどんどん歪んでいくけれど、そんな無様な真似は意地と矜持がどうしても許さなかったから、ヨルは全力で笑ってみせた。

それから、深く頭を下げる。


「ご恩情に、感謝、いたし、ます」


声が震えてしまったのが悔しかった。

駄目だ、顔が上げられない。

ああ本当に、シズシラが寝ていてくれてよかった。

こんな情けない姿、たとえ猫の姿でも見せたくない。絶対に見せてたまるものか。


彼女の前ではいつだって自分は、優雅で余裕たっぷりの、頼れる幼馴染でありたい。

本音を言えば幼馴染以上になりたいけれど、それこそ決して許されてはならない望みだ。


そうして垂れた小さなこうべに、ふわりとぬくもりが乗せられる。

遠隔映像でしかないライラシラの体温なんて感じられるはずがないのに、彼女の手が確かに自分の頭を撫でてくれているのを感じた。

そうして、信じられないほど優しい声が、月明りとともにしんしんと降ってくる。




「おろかであわれな星の王子よ。愛とは奪われるものではなく、与えられるものと知れ」




それが、最後だった。


音もなく柘榴石が砕け散り、そのまま灰よりも細かい粒子になって消え失せる。

ライラシラの使い魔であるカラスは、役目は終えたとばかりに窓から飛び去り、後にはもう何も残らない。

ただ、すやすや眠るシズシラの穏やかな寝息ばかりが耳朶を打つ。


「…………ずるいなぁ」


流石シズシラの母親だ。

ああいうところは、シズシラと同じくてんで叶わない。


ぐしぐしと顔を前足でぬぐい、ヨルはシズシラの寝顔を見下ろした。

ほとんど乾いている涙の跡を舐める。

今なお塩辛く、不思議と甘く、そしてほろ苦い。


心細そうに身を丸めて眠る彼女を、抱き締めることは叶わない。

そうか、確かにこういうところは不便かも、なんて思っていたら、不意打ちで伸びてきたシズシラの腕に、ぐいっと抱き寄せられる。


「……シズシラ?」


起きているのかと問いかけても返事はない。

ただこちらのぬくもりに顔を寄せてくる彼女に反抗する気なんて起きる気もなく、役得としてヨルはシズシラからの抱擁を受け入れた。


――シズシラ。


もう二度と口にできない言葉がある。

たとえライラシラに奪われなくたって、言うつもりなんてなかった。

けれど本当に決してもう伝えることができなくなったのは、苦しくて、さびしい。


――ごめんね、シズシラ。


だから代わりに謝ることしかできない無力な猫の姿を悔やむのは、今夜限りにしよう。

だから今夜だけは、この腕の中で眠ることを許してほしい。


夜が明ければ、出立。


それまでのわずかな時間の中に、世界のすべてが確かに存在している。

そんな確信を胸に、ヨルは静かに目を閉じるのだった。

いよいよ本日2025年11月1日、ピッコマ様にてコミカライズ単話配信開始です。

星奈もゆの先生による『メルヘン』の世界をぜひともお楽しみくださいませ。

よろしくお願いいたします!


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


※これらのイラストは、星奈もゆの先生と、株式会社Sunnynote様の御厚意にて載せさせていただいております。イラストの著作権は星奈もゆの先生に帰属するものであり、無断転載などはお控えください。

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