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【コミカライズ連載中!】落ちこぼれ魔女のためのメルヘン  作者: 中村朱里
番外編

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【シズシラ視点・本編挿話】海に沈めた宝物

第1章人魚姫編【4】と【5】の間にはさまるエピソードです。

コミカライズ連載にあわせて書き下ろした、シズシラ視点のお話になります。

貿易と観光で栄える大国たるアトランティスが治める海域の、深い深い海の底。

陽の光すら届かない深淵の海域に、人魚族が住まう竜宮城は存在する。


人魚の肉は不老不死の妙薬となるという馬鹿げたデマが広まってからというもの、人魚族はわずかな例外のみを残して、陸との繋がりを断った。

その例外の一つが、リュー一族だ。

人魚族が人間からの乱獲という災禍に襲われた時、リュー一族は人魚族の保護に尽力した。

その逆もまた然りだ。

リュー一族が魔女狩りという災禍に襲われた時、人魚族もまたリュー一族の保護に努め、だからこそ両者は長らく友好関係を紡いできたし、これからもそうなるはず、だった、のだが。


「これでリュー一族と人魚族の戦争が始まったら、私達は歴史に名を残す大罪人ね……」

「へえ、シズシラと僕の名前が対となって歴史に名を刻むのか。ふふ、悪くないね。とてもロマンティックだ」

「ヨル、あなたはもう一度辞書で『反省』という言葉を勉強してちょうだい」

「ええ? 嫌だよそんな不毛なこと。どうしてもって言うならシズシラが教えてくれればいいじゃないか。魔法みたいに、手取り足取りしっかりじっくりと」

「誤解を招く言い方はやめて!?」


ほとんど悲鳴そのものの調子でシズシラが叫べば、ヨルは猫らしからぬ器用さで肩を竦め、それから今度はいかにも猫らしく前足で顔を舐めてみせた。

これ以上なく愛らしい姿だが、同時にこれ以上なく小憎たらしい。

ぐぬぬぬぬぬと拳を震わせても、まったく響いてないのがこんなにも悔しい。


「……ヨル」

「なんだい?」

「陛下の前では、お願いだから大人しくしていてね」

「もちろんだよ。そもそも王侯貴族相手の作法なら、どんな猫よりも自信があるね」

「その王侯貴族たる尊き姫君に魔手を伸ばして惑わした不埒な猫さんはどこのどなた様だったかしら」

「さぁて? 嘆きの姫君に救いの手を差し伸べた美貌の魔法使いなら心当たりがあるけれど」

「…………もういいわ……」


言うだけ無駄である。

深々と沈痛な溜息を吐き出してから、気を取り直すためにパンッと自ら両頬を叩く。景気のいい音に少しだけ気が晴れた気がした。気がしただけで実際の状況は何一つ変わってはいないけれど、ここからが正念場である。

夜のアトランティス、大きく沖の海にせり出した岬に立ち、先ほど吐き出したばかりの溜息を今度はごくりと飲み込んだ。

いよいよ覚悟を決めて異次元鞄から取り出したるは、一灯のカンテラだ。

風鈴のようにも見える、繊細な硝子細工によりクラゲを模したなんとも優雅なカンテラは、深海魚と同じく、炎の力を借りずとも自ら仄青く光り輝く。


――トントントン、ツーツーツー、トントントン。


高くかざしたカンテラの光が明滅する。古来より伝わる、竜宮城との連絡手段だ。

ああほら、月明かりが海面に光の道を作っていく。

細く長く美しい月影が紡ぐこの道こそ、陸から竜宮城へと続く唯一の道だ。

光は海面からするすると伸び上がり、シズシラとヨルがたたずむ岬にまで到達する。


――トン、ツー、トン。


“了解”の意を込めてもう一度カンテラを明滅させ、足元に擦り寄ってきたヨルを片腕で抱き上げる。

もう一方の手でそのままカンテラをさらに月へとかざすと、カンテラは一際大きく輝き、その光のままに自らの身体を巨大化させていく。

ちょうど人間の身の丈ほどにもなり、クラゲの触手がシズシラとヨルをからめとって、大きな傘の中への二人を招き入れた。

身を包む空気が変化するのを感じる。

ひんやり冷たいような気もしたし、とろりとあたたかいような気もする、まるで体温と同じぬるま湯に沈められたかのような感覚に陥る。


そしてふわりと宙に浮いた巨大なカンテラは、月明かりが作る光の道へとシズシラ達ごと身を踊らせる。

ひゃあああ、とシズシラは声なき悲鳴を上げながら、宙に浮いた足をばたつかせ、腕の中のヨルを抱き締めた。


「た、たぶん成功よね? ちゃんと浮いてるものね!?」

「そうだね。もし失敗していたら僕らはこのまま海の藻屑だ」

「怖いこと言わないで!」


騒ぎ立てるシズシラとは裏腹に、竜宮城への通行手形にして交通手段でもあるクラゲのカンテラは、音もなく海へと落ちた。


こぽ、こぽぽ、こぽり。


透明な障壁に包まれて、月明かりに従って、どこまでも沈む。

不安と緊張でどうにかなりそうだ。自然とますますヨルを抱き締める腕に力がこもる。

沈む、沈む、どこまでもどこまでも沈んでいく。


やがて月の光すらも届かなくなり、周囲が何もかもを飲み込む闇に呑み込まれた頃、ようやくクラゲのカンテラは、海底へと辿り着いた。

だからと言って、まだカンテラから出るわけにはいかない。

目の前に、海底であるとは思えないほどに見事に整備された道が伸びている。夜光虫を集めて作られた街路灯が明滅し、その幻想的でありながらも不安を誘う道に、シズシラは改めて生唾をごくりと飲み込んだ。


「ああ、迎えが来たようだね。……大丈夫かい、シズシラ?」

「だ、い、じょぶっ」


するりと音もなく、道の先から長く大きな身体をくねらせて泳いできたのは、リュウグウノツカイだ。

文字通り、竜宮城からの使いである。

陸地では決してお目にかかることができないその姿は、美しくも恐ろしい。

リュウグウノツカイはぐるりとシズシラとヨルを包むクラゲのカンテラの周りを旋回してから、その尾をゆらりとゆらめかせ、元来た道を引き返し始めた。


「ついてこいってことだね」

「と、とりあえず、第一関門突破ってことよね」


ぶるりと身体が震えたのは、深海であるがゆえの寒さのせいだけではない。

けれどここにきてもなお怖気づこうとする自分を認めるなんて情けない真似はしたくなくて、シズシラは全力でヨルに笑いかけ、カンテラとともにリュウグウノツカイの後に続く。


「僕相手に強がらなくたっていいのに。シズシラはいじっぱりだ」

「強がってなんてないわ。ただ緊張しているだけよ」

「ふぅん。きみがそう言うなら、そういうことにしておいてあげようか」


僕は包容力のある男だからね、なんて冗談交じりにうそぶくヨルに、む、と思わず頬を膨らませたくなる。

けれど同時に、強張っていた肩の力が抜けていったのも確かだ。


解っている。

ヨルなりに、シズシラを鼓舞してくれているのだろう。

けれど素直にお礼を言うのはどうにも悔しいし気恥ずかしかったから、シズシラは腕の中の彼の顔を見ないまま、ただもしゃもしゃとその頭を撫でるだけに留めた。


そうして、どれだけ歩いたか。

夜光虫だけの明かりが頼りだった薄暗い周囲が、不意に、まるで真昼のように明るくなる。

そのまばゆさに思わず目を閉じてから、再びまぶたを持ち上げたシズシラは、目の前に広がる光景に大きく息を呑んだ。


「きれい……」


目の前にそびえたつのは、極彩色の珊瑚で彩られた豪華絢爛にして優美瀟洒たる人魚族の居城――――すなわち、竜宮城であった。

その周囲でしなやかに泳ぎ回る人魚達の鱗がきらめき、ますます城をより麗しく飾り立てる。

日の光も月の光も届かない海底であるというのに……いいや、だからこそなお余計にまばゆく輝く、海の楽園。


そんな場合ではないと解っているはずであったというのに、我知らずうっとりと目の前の光景に見惚れてしまう。

そんなシズシラのもとに近付いてくる影があった。

気付けば案内役であったリュウグウノツカイはその姿を消している。

代わりにやってきたのは、屈強な上半身と太く雄々しい魚の尾を持ち、その身を甲冑で固めた、竜宮城の警備兵達だった。


「――――リュー一族の魔女殿とお見受けする」

「は、はいっ!」

「我らが王がお待ちです。どうぞこちらへ」

「はい……」


カンテラの周りを数人がかりで完全に囲い込まれる。

逃げ道はない。


いや、元よりこの場においてそんなものは最初からどこにも存在してはいなかったのだけれども。

解っていたつもりだった。覚悟を決めてここまで来たつもりだった。

けれどいざとなると、こんなにも怖くて仕方がない。


周囲を囲む警備兵達も、その様子を遠巻きに見つめてくる人魚達も、その瞳に宿る光には冷たい怒りが宿っている。

誰もが理解しているのだ。

シズシラと、その腕の中のヨルが、彼らの至宝の姫君に対して犯してしまった罪を。


シズシラとヨルは、彼らから、何よりも得難き宝を奪ってしまったのだ。

だからこそ彼らのこの反応は当たり前のものであり、どれだけ恐ろしくても、拒絶することは許されない。シズシラとヨルが犯した罪は、そういうものなのだから。


――そう、だからこそ、私達は竜宮城まで来たの。


罪は償われ、贖われなければならないもの。

ぐっと唇をかみ締めてまっすぐに前を向く。

腕の中のヨルがもぞりと身動ぎして、器用にシズシラの腕の中で『お座り』のポーズを取った。

青と黄の双眸でゆぅるりと周囲を見回した彼は、そして「ふふ」と笑う。


「歓迎されているようで何よりだね」

「……あなたのそういうところ、時々とってもうらやましいわ」

「ありがとう。僕もシズシラの往生際の悪いところを尊敬しているよ」

「…………光栄だわ」


海の底ではついぞお目にかかれない愛らしい猫の姿を見せ付けるように、ヨルはにょいっと背を伸ばして、自らの鼻先をシズシラの鼻先にちょんっとくっつけてくる。

不意打ちに面喰うシズシラに、ヨルは得意げにひくひくとひげをひくつかせた。どこをどう見ても愛らしいふかふかのもふもふの姿に、周囲の人魚達の口から、ぼそぼそと、「かわいい……」だの「触りたい……」だの「そのお腹をもふりたい……」だのという、先ほどまでの殺気立った怒りとは打って変わった、呑気なつぶやきが聞こえてくる。

思わずシズシラが周囲を見回せば、人魚達は誰もがハッと息を呑んでバッと顔をそむけた。

不謹慎なことを言ってしまった自覚は誰もにあるらしい。


――こういうことを、してくれるから。

――いっそ嫌いになれればいいのに、嫌いになれないの。


悔しくて、心強くて、何よりも嬉しくて、そんな自分がやっぱり情けない。

人魚達の視線をやわらげるような愛らしいそぶりを見せて、その不謹慎な台詞を彼らに口走らせたのは、ヨルが意識的にやったことなのだと気付けないほど、シズシラだって鈍くはないのだ。


「ヨル」

「うん?」

「ありがとう」

「どういたしまして」


かくして、先ほどまでよりも随分と和らいだ視線にさらされながら、いよいよシズシラとヨルは竜宮城の中へと連行……もとい、招き入れられる運びとなった。

驚くほどすんなりと、謁見の間に通される。

今まで以上に厳しい視線にさらされながら、ヨルを床に降ろし、シズシラもまたその場に膝をつき、リュー一族の魔女として両手を組み合わせた。

いくらカンテラに包まれたままであるとはいえ、ひりひりと全身がひりつくのを感じる。


それでもここが正念場だ。


たとえ落ちこぼれであったとしても、シズシラにだってリュー一族の魔女としての意地と矜持がある。

ゆえにここで失敗するわけにはいかなかった。

完璧な一礼を捧げてみせると、玉座に坐す存在が、わずかに身を乗り出す気配を感じた。



「――――よい。顔を上げよ」



低く腹の底から響くような声は、大きく荒ぶるものでもないというのに、朗々と響き渡った。

促されるままに顔を上げる。

シズシラの視線の先で玉座に坐す存在こそ、黄金の尾びれを持つ人魚族を治める偉大なる王。

そして彼は、先日シズシラが出会った可憐な少女――本来は人魚であるはずのアウネーテの父親でもあるお方なのだ。


そして、王のすぐそばに、五人の美しい女性の人魚達が静かにたたずんでいる。

五人とも、アウネーテと同じ碧の瞳を持つ、それぞれ髪色の趣は異なれどアウネーテと似通ったとびきりの美貌の持ち主だ。

そう、彼女達こそ、間違いなくアウネーテにとっては姉にあたる姫君達だろう。


――さすが竜宮城の至宝……!


黒の尾びれを持つ、黒曜姫。

赤の尾びれを持つ、珊瑚姫。

青の尾びれを持つ、瑠璃姫。

黄の尾びれを持つ、琥珀姫。

緑の尾びれを持つ、翡翠姫。


そして末姫であるアウネーテを加えた六人の人魚族の姫君は、竜宮城の至宝と呼ばれ、愛され慕われているのだという話は、界隈では有名だ。


その六人の中でもとびきりかわいがられていたのがアウネーテであり、だからこそ人魚族は、ヨルが彼女に魔法をかけたことを許されざる大罪として怒り狂っているのである。


「リュー一族が魔女の娘、そして、そこの無力なる猫よ。今更我らに何用か。よもや我が末娘にかけた魔法が、もう解けたというわけでもあるまい?」


揶揄するような言いぶりだが、その声音はどこまでも冷静だ。

むしろ怒りをあらわにしているのは周囲の警備兵達であり、誰よりもアウネーテの身を案じているであろう王も、姉姫達も、泰然と構え、繰り返すがどこまでも冷静な様子である。

王のいかめしい威厳あるかんばせにも、姉姫達の美貌にも、何の感情も浮かんではいない。

ただただ、凪の海のように静かに彼らはこちらを見下ろしている。


そのおかげか、シズシラもまた、ようやく自分が冷静になっていくのを感じた。

わざわざ秘蔵のカンテラを使ってまで竜宮城に繋ぎを取った理由。

それを改めてかみ締めて、シズシラはぎゅっと手を握ってから、王の顔を見上げた。


「まずは、人魚族の至宝たる末姫様を、こちらのヨルが惑わし陸へとさらったこと、彼に魔法を伝授した者として、心よりお詫び申し上げます」

「詫びはもうよい。もはや意味のないものだ。まさかその謝罪のためだけに、我らの居城にやってきたとでも?」

「……いいえ」


淡々とした問いかけにかぶりを振る。

まさか謝りたいがためだけに竜宮城に来るだなんて馬鹿な真似はできない。

結果の伴わない謝罪なんて、王の言う通り、何一つ意味のないものなのだから。

それでも謝罪をしたのは許されたいからではない。

ただの事実確認だ。


そうだとも。

本題は、ここからだ。


「末姫様にかけられた、人間に変じる魔法をほどくにあたって、お願いしたい旨があり、馳せ参じた次第です」

「ほう?」


申してみよ、と、促すように、王の碧の瞳がすがめられる。

そのまなざしは、「末姫から尾びれと声を奪っておいて、この上何を望むのか」と、言葉にするよりもよほど雄弁にシズシラの罪を責めていた。


ぎゅう、と胸が締め付けられる。

自分がこれから、とても酷いことを言おうとしていることを、正しく理解しているからこそ。


それでもシズシラはリュー一族の魔女として、となりで沈黙を保ち続けているヨルとともに罪を償わなければならない。


「末姫様の人化の魔法は、まことの愛を得ずともほどくすべがございます。末姫様が求めたアトランティスの王子殿下の、その血を浴びれば、彼女は元の姿を取り戻されるでしょう」


シズシラのその言葉に、事の次第を殺気立って見守っていた周囲の人魚達が、おお、と沸き立った。

そんなことでいいのか、ならばすぐにでも刺客を送って……と笑みをこぼして口々に安堵の息を吐き出す人魚達にとって大切なのはアウネーテであり、アトランティスの王子の命など塵芥も当然なのだろう。

王の御前であると言うのに、にわか和気あいあいと暗殺計画を練り出す人魚達の姿に、シズシラは自分で提案しておきながら、顔を引きつらせずにはいられなかった。


――人魚族の人間嫌いは、うわさ以上だわ。


人魚族はあらゆる種族の中でも特に執念深く、恨みを決して忘れない。

かつての人魚狩りがそれだけ残酷なものであったことを思えば当然の話なのかもしれないが、それにしても……と周りの不穏な会話にびくびくと身体を震わせていると、不意に「わたくしに発言をお許し願えますか、陛下」と声が上がった。

凛とした涼やかな声を発したのは、最年長の姉姫たる黒曜姫だ。

他の姫君達もまた、もの言いたげに父王のことを見つめている。

王が視線で先を促すと、一礼した黒曜姫はシズシラへとそのまなざしを向けた。


「アトランティスの王子の血が必要なのは解りました。ですが、それだけではないのでしょう? あなたがわざわざ竜宮城までご自身のご立派な二本の足を見せ付けに来た、その理由は」


露骨な嫌味である。

アウネーテに似ているけれど、彼女よりも年上であり、より鋭利な印象を持たせる冷たい美貌にふさわしい発言だ。

感情を読み取らせない王よりもよほど恐ろしく感じられ、ぶるりと身体が震える。

けれどヨルがそっとすり寄ってきてくれたから、かろうじてその場に崩れ落ちずに済んでいる。


ああ、そうだとも。

ここでくじけるわけにはいかない。

本題は、ここから。


ぎゅ、と唇をかみ締めてから、シズシラは黒曜姫、そして他の四人の姉姫達を、一人ずつ見回してから、最後に再び王を見上げる。


「人化の魔法を解くアトランティスの王子の血は、末姫様の人魚としての根幹に縁深い刃によって流されたものでなくてはなりません」

「そう。つまり?」


黒曜姫が小首を傾げる。

さらりと流れる、アウネーテとは色の違う、けれどとても美しい長い髪。

そして、他の四人の姫君の髪もまた、色こそ異なれどどれもこの上なく美しく長く伸ばされている。


そう。

シズシラが、必要としているのは。



「その刃を作り上げるにあたって、姉姫様方の御髪を頂戴……」



したく、と、そう続けるはずだった。

けれど叶わなかった。

圧倒的な怒気が、シズシラに爆発的に襲い掛かったからだ。


カンテラの障壁越しにでも感じる衝撃に、その場にへたり込む。

ぶるぶると身体の震えが止まらない。

周りの人魚達の怒声は、罵声は、そのままシズシラをなぶり責め立てる。


「ひ、あぁ……っ」


悲鳴すら上げることができず震えることしかできない。けれど。


「よ、る」


ヨルが、立ち上がった。周りの怒声も罵声もまるで聞こえていないように、彼はシズシラを庇うようにその四肢で立ち、周囲を静かに見回した。


いくら大型であるとはいえ、今の彼はただの猫だ。

無力で何もできない猫なのだ。

それなのに、周囲の人魚達は、ヨルの視線に気圧されたように次々黙りこくっていく。

ヨルがそのまなざしを向ける、それだけ顔色を青ざめさせて目を逸らしていくのである。


「ヨ、ヨル」

「大丈夫だよ、シズシラ」


こちらを振り返ったヨルは、もういつものヨルだった。

ぶわりと安堵がこみ上げてきて、たまらなくなって手を伸ばす。

ためらいなんて忘れて彼を抱き上げて抱き締める。


「わあ、大胆だなぁ」


くすくすと嬉しそうに笑うヨルの声に涙がこみ上げてきて、けれど本当に泣きたいのは自分ではないことは解っていたから、シズシラはヨルを抱いたまま、再び王と、姉姫達へと視線を向ける。

ずっと冷静だった貴人達だが、今度こそ怒りをぶつけられるに違いない。


そう覚悟していたのに、どうしてだろう。


王も、姉姫達も。

六人とも、先ほどまでと何一つ変わらない。

何一つ感情を読み取らせない無表情で、こちらを見下ろすばかりだ。


「あ、あの」

「…………あれは……末姫は、母親に似た」

「え」


ぽつり、と王がこぼしたつぶやきに、きょとんと瞳を瞬かせる。

何をおっしゃり始めたのだろうと首を傾げれば、王は自らの背後を振り仰いだ。

そこで初めてシズシラは、玉座の背後に、美しい白銀の尾びれを持つ女性の人魚の肖像画が飾られていることに気が付いた。

陽の光を紡いだような金の髪と、王や姫君達と同じ、海を映した碧の瞳。

その可憐なかんばせは、アウネーテに生き写しだった。


「王妃様に、ということですか?」

「ああ。末姫を産んではかなくなったが、その末姫はそのまま王妃のすべてを受け継いだ。容姿も、気質もな」


懐かしむようにまなじりを細める王の姿に、姉姫達もまた穏やかに頷き合っている。

言葉にされずとも、彼らが王妃のことを、そしてアウネーテのことを、何よりも大切に思っていることが窺い知れるようだった。

けれどそれまで一人の父親の顔をしていた王のかんばせは、すぐに一変した。威厳ある統治者である、一国の王のものへと。


「我々はあの娘を甘やかしすぎたのだろう。愛されることに慣れた娘だ。愛されることが当たり前の娘だ。愛とは与えられるものであるということを信じて疑おうともしない。だからこそ、初めて自分から求めた愛に夢中になり、王族としての義務も誇りも忘れ、そこの猫の甘言に惑わされたのだろう」

「そ、そんな……」

「ゆえに」

「っ!」


シズシラが無礼にも口を挟もうとしてしまったところを、王は容赦なくさえぎって、朗々と宣言する。


「我は王として、これ以上リュー一族に何も奪わせぬ。姉姫達の髪は渡さぬ。末姫の末路は、自らが選び招いたものよ。その結果の対価は、本人に支払わせねばなるまい」

「で、ですが!」

「これ以上の発言は許さぬ。リュー一族の魔女の娘よ、そして凶星の魔法使いよ。疾く去るがいい。案ずることはない、今後もリュー一族との関係を断つつもりはない。ただ愚かな人魚の娘が一人泡と消えるのみ。我らの海は、何も変わらぬ」


それが、最後だった。


王が手に持っていた王笏を高く掲げると、シズシラとヨルを包んでいたクラゲのカンテラが輝きを増し、持ち主であるシズシラの意図に反して動き出す。

ぷかり、と浮かび上がったカンテラは、そのまま吹き抜けになっている謁見の間の上へ上へと驚くほどの速さで進み、そして。


……そして、シズシラとヨルは、気付けばアトランティスの浜辺へと、追い返されていた。



「ああ、なんだ。まだ夜なんだね」

「……うん」



呑気につぶやいたヨルに、シズシラは呆然と頷きを返した。


他に何ができただろう。何が言えただろう。

自分がもっとうまく言えば、姉姫達からその髪を得られただろうか。

いいや、そもそももっと優れた魔女であったならば、他の手段を用いて末姫を人魚に戻せたのではなかったか。


考えれば考えるほど悔しくて情けなくて仕方なくて、もっと悔しくて情けないことに涙がこみ上げてくる。


「シズシラ」

「っわか、ってる! 諦めない! 往生際が悪いところは、私の美点だって、ヨルが言ってくれたんでしょ!!」


陸に上がると同時に元の大きさに戻っていたクラゲのカンテラを、再び掲げる。

自身のなけなしの魔力をすべて注ぎ込んで、全力でその仄青い光を明滅させる。


――トントントン、ツーツーツー、トントントン。

――トントントン、ツーツーツー、トントントン。

――トントントン、ツーツーツー、トントントン。


何度も何度も繰り返し、海の底へと呼びかける。


お願いだから応えてください、もう一度だけチャンスをください。

私にできることなら、なんだってしますから。


そう内心で叫び続けて、どれほどの時間が経っただろう。

空が白んできた。

高く掲げ続けた腕も、注ぎ続けた魔力も、もう何もかも限界だ。

それでもヨルが何も言わないのをいいことに、シズシラは往生際悪く諦めない。

諦められるわけがない。


どうか、どうかと、もはや祈るように願い続けて、そして。



「~~~~うっるさいわねぇ!」



ぱしゃん! と。

大きな水飛沫が上がった。


燃えるように赤い尾びれがひるがえり、海面から顔を出したのは、珊瑚姫だ。

思い切り頭から海水を被ってまたしても呆然とするシズシラをにらみ付け、珊瑚姫はむっすりと唇を尖らせた。


「ツートンツートン、うるさいったら! いい加減諦めなさいよ!」

「え、あ、でもあのその、諦めたらそこで試合終了で……」

「口答えは許してないの!」

「ええええ……」


烈火のごとく怒鳴り付けられ、状況把握もできずおろおろするシズシラの耳に、ころころと鈴を転がすような笑い声が届く。

そちらを見遣れば、ゆらりと深い青の尾びれが揺れた。


「お姉様ったら、私達の中でいちばん信号を気にしてらしたものね。本当に素直でないんだから」


穏やかにそう続けるのは瑠璃姫である。

彼女はちらりとそのまなざしをシズシラに向けてから、すぐ後ろの岩陰を振り返った。


「ほら、隠れてないで出ていらっしゃい。あなたもいい加減になさいね」

「……はぁい、お姉様。だってぇ、ちょっとくらい意地悪してやってもいいじゃないですかぁ」

「そう言わないの」


瑠璃姫に促されて岩陰から出てきたのは、緑の尾びれを持つ翡翠姫だ。

と、なると、まさか、ときょろきょろと周囲を見回せば、ばしゃーん! と盛大な水音と共に、黄色の尾びれを持つ琥珀姫が海面から飛び出してきて、見事な背面ジャンプを決めた。


「遅れて飛び出てジャジャジャジャン! 遅れてごめんねお姉様方! ご用命のブツ、ちゃーんと準備してきたよ!」


いえーい、とピースを作って琥珀姫が掲げたのは、ひとふりのナイフである。

え、あ、あああああの、ええええええええ? と戸惑うシズシラを置き去りにして、最後に静かに現れたるは。


「――――先ほどぶりですね、魔女殿」

「……黒曜姫様」


艶めく黒の尾びれを優雅にしならせて、第一王女である黒曜姫が微笑んだ。

その笑みに悪意はない。けれど好意もない。

彼女はやはり何の感情も窺わせない美貌で、シズシラに笑いかけてくる。


その意図は掴めないけれど、とにもかくにも、姉姫達がここに勢ぞろいしてくださったのだ。

この機会を逃せるはずがない。

恥も外聞もなく、シズシラはその場にひざまずき、額を地面に打ち付けんばかりの勢いで、完璧な土下座を決めた。


「無理なお願いと解っております! ですが、ですが、どうしても姫様方の御髪が必要なんです! お願いします、なんでもします、どうか、どうか、その御髪を私にくださいませ……!」


シズシラの涙ながらの嘆願は、もはや悲鳴にも等しかった。

どれだけ情けない姿かなんてこれ以上なく自覚している。

けれど構ってなんていられない。

だってもうシズシラには、こうして土下座する以外にできることなんてないのだから。


――私には、できないことばかり。

――でも、だからこそ、できることを頑張りたい。

――できることを、やりとげなきゃ、私の意味がないじゃない!


ざん。ざざん。

打ち寄せる波音だけが白む空に消えていく。


姉姫達は何も言わない。

波音が鼓膜に突き刺さるかのようだ。

それでも頭を上げるなんて真似ができるはずがなく、シズシラは土下座をし続ける。


そんなシズシラの耳に、やがて、はああああああ、と、深い溜息の音が聞こえてきた。


「顔をお上げなさい。うら若き乙女がなんて真似をなさっているの」

「で、ですが」

「わたくしが顔を上げろと言っているのです。『なんでもする』のでしょう?」

「……は、い」


恐る恐る顔を上げると、黒曜姫がその怜悧な美貌に明らかな呆れをにじませて、こちらを見つめていた。他の姉姫達も似たようなものだ。

流石に恥ずかしくなって顔を赤くすれば、黒曜姫は琥珀姫からナイフを受け取り、それをそのままシズシラに差し出してきた。


「繰り返します。『なんでもする』とあなたは言いましたね」

「はい」

「ではわたくし達と同様に、あなたも髪を差し出す覚悟はございますか?」

「はい」


即答で頷けば、黒曜姫が「あら」と驚いたように目を瞬かせたが、それでもまだ彼女は冷静だった。

冷静ではなくなったのは、ずっと沈黙を決め込んでいたヨルである。

わずかな隙をついて地面を蹴った彼は、シズシラの手からナイフを奪い、完全に臨戦態勢を取った。


「ヨル!?」

「だめ。シズシラが髪を切るなんて絶対にだめだ。絶対にそんなこと許さない」

「私の髪くらい、姫様方の御髪とは比べ物にならないくらい安いものでしょう!?」


そう、安いものなのだ。

リュー一族の証は、黒い髪と赤い瞳。

その片方である髪を切り落とすことになったとしても、なんてことはない。

髪はまたいずれ伸びるし、何より。



「あんなにも健気な末姫様が泡になるのを、黙って見ていられるわけないじゃない!」



叶わぬ恋と解ってもなお王子を慕う可憐な少女を、愚かだと表する者はいるかもしれない。

けれどシズシラはそうは思わないのだ。


恋するアウネーテは美しかった。

悲しくなるくらいに美しかった。

悲しいままに終わらせたくないと思ってしまうほどに。

彼女が望まない結果を招くことになると解っていながら、それでもなお、姉姫達まで巻き込んで、解決策を提示せずにはいられないくらいに。


人魚族は執念深く、恨みを忘れないという。

けれどそれは、それだけ彼らが一途で純粋であるがゆえだ。


だから、だから。


「ヨル、そのナイフを返し……」


て、と、続けようとして、できなかった。

できなかったというよりは、かき消された、と言うべきか。


なにせ事の次第を見つめていた姉姫達が皆、腹を抱えて大爆笑しているのだから。


美しい笑い声の重なりはまるで華やかな祭り歌のようで、それなり以上に緊迫しているはずの現状を忘れそうになってしまう。

ええと、と、シズシラが姉姫達を見回せば、五人の姫君は誰もが笑い合って、シズシラの前に一列に並ぶ。


「意地悪を言ってごめんなさいね。そこの魔法使い殿に、ちょっとした意趣返しをしたかったのです」

「いいザマを見れたわ! あー面白かった!」

「かわいい妹を奪われた私達の気持ちが少しは解っていただけたかしら」

「もっともぉっと焦ってくれてもよかったんだけどぉ」

「及第点ってやつだね! これで黙って見過ごすクズならあたし達にも考えがあったんだけどね!」


五人の姉姫達は頷き合い、そして代表して黒曜姫がぴりぴりと険を孕んだ雰囲気をまとい続けているヨルに手を差し伸べる。

彼女が求めているのがナイフだと察したヨルが、やはり剣呑な雰囲気のまましぶしぶといった体で咥えていたナイフを渡すと、黒曜姫はためらうことなく自らの髪を切り落とした。


へ!? と硬直するシズシラを置き去りに、続けて珊瑚姫、瑠璃姫、翡翠姫、琥珀姫もまた順番に同じナイフで髪を切り落とし、ざんばらになった髪を気にもせずに、ナイフごと見事な髪の束をシズシラへと差し出した。


半ば押し付けられるようにして受け取ってしまったそれを唖然と見下ろすシズシラに、姉姫達は清々しく笑いかける。



「どうか、わたくし達の妹を、救ってくださいませ」



五人は一斉に頭を下げた。

はらはらと無残に切り落とされた髪が落ちる。

けれど構うことなく彼女達は笑うのだ。

その姿の、なんて美しいことだろう。


「お父様を許してさしあげて。あの方は父であるけれど、王である方だから。どれだけ末姫を助けたいと思っても、もとを正せば禁を破ったのは末姫なの。あの娘は罰を受けねばならない。あの娘が王族であるからこそ、なおさら」

「だからあの場では、部下達の手前、ああするしかなったのよね」

「今頃すっかり落ち込んで、お母様の肖像画にまた話しかけていらっしゃるわ」

「わたし達がこっちに来るのを見逃してる時点で、もうみぃんな解ってるのにねぇ」

「とにかくよろしくね! あたし達は後悔なんてしてないけど、きっとあの子は怒るだろうから、それだけはまぁ迷惑料ってことでごめーん!」


口々に言いたいだけ言いたいことを重ねた姉姫達は、そうしてそのまま、驚くほどあっさりと、海中へとその身を躍らせた。


黒、赤、青、黄、緑。

美しいきらめきが朝日にきらめき消えていく。


それをただただ呆然と見送って、シズシラは自らの手に残されたナイフと、姉姫達の髪を見下ろした。


「……ね、え、ヨル」

「うん」

「やっぱり、私、末姫様に助かってほしいわ」

「…………うん」


人魚族は執念深く、恨みを忘れず、けれど一途で純粋で、情に厚い。

だから彼らとリュー一族は、ずっと手を取り合ってきた。

その歴史が証明する事実を、今、ここで思い知る。


涙に震える声音でそう言うシズシラに対するヨルの返事は、いつになくそっけないものだった。

ああほら、夜が明ける。

朝日にナイフの刃が、切り落とされた髪が艶めく。


「ヨル」

「うん」

「私達は、償って、贖わなくちゃね」

「……うん」


ヨルの返事は、やはりそっけない。

何故かこちらを見ようとせず、顔を背けている銀の猫を、シズシラは手に持っていたナイフと髪を異次元鞄にしまってから、問答無用で抱き上げる。


ぎゅ、と抱き締めて、そのふかふかの背に顔を埋め、そして、それから。



「私の髪のこと、怒ってくれて、ありがとう」

「…………うん」



それ以上何も言わないヨルに、シズシラは小さく笑って、そうして再び、新たな覚悟を決めるのだった。


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