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【コミカライズ連載中!】落ちこぼれ魔女のためのメルヘン  作者: 中村朱里
番外編

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【シズシラ視点15歳秋】お月様が見ている

シズシラ、15歳の秋のお話

むせ返りそうなほどに甘く芳しい匂いで、世界が満たされている。

視界を埋めるのは、金色にも見える鮮やかなオレンジ色。

秋を彩る盛りを迎え、金木犀の花々が誇らしげに満開に咲き誇る。

シズシラ・リュー、十五歳。

「今年もこの季節が来たのね」と、目の前に広がる恒例の秋の光景を前に、気合いを入れ直した。

シズシラが腕に抱えているのは大きなバスケットだ。


「いい匂い……。今年も豊作ね」


胸いっぱいに甘い匂いを吸い込み、それからうっとりと、すっかりその香りに染まった息を吐き出した。

何もかも甘ったるくて、きらきら輝いていて、浮き立つ心が抑えきれない。

高鳴る胸ごと、ぎゅっとバスケットを抱き締める。

その用途はもちろん、金木犀の花の採取である。


「今年も来たわ、稼ぎ時が……! ああ、豊穣の大地母神様、秋の恵みに感謝いたします」

「魔女が神に祈ってどうするのさ。こういうときは精霊王じゃないの?」

「またそうやって揚げ足を取るんだから。確かに季節の巡りを管理なさるのは精霊王様よ? でもね、リュー一族が信仰するのは、森羅万象、ありとあらゆる神と精霊なの。豊穣神は多神教においては必ず登場なさる大御所だし、そもそも教会が唯一認める主神だって、リュー一族にとっては本来信仰の対象で……」

「ああうんうん、そうだったね。本当にシズシラは真面目だなぁ」

「ヨルが適当すぎるの! もう、一緒にお勉強したじゃない」


ぷくっとシズシラが頬を膨らませると、その膨らんだ頬を、えい、と幼馴染である同い年の少年、ヨルが人差し指でつついてくる。

ぷしゅっと間抜けに空気が抜けて、シズシラがムッと眉をひそめると、ヨルは「ごめんごめん」と軽やかに笑った。


「ほら、次の満月に向けて金木犀をたっぷり集めるんでしょう? 僕も手伝うから、さっさと終わらせよう。今年もシズシラの神饌をご所望のお客様がお待ちなんだから」

「う、うん! 手伝ってくれてありがとう、ヨル。そう、そうなの、今年も頑張らなくちゃ……!」


そうだった。

ここでいつまでもヨルとたわむれて、本来の目的を忘れるわけにはいかない。

次の満月は、めぐるひととせの中で最も大きな月が見られる夜だ。

月に住まう女神に定められた神饌を捧げ、一年の安寧を願うという、リュー一族にとってのみならず、世界的に認められたちょっとした祭りごとである。

世の人々が『輝夜の祝い』と呼ぶ夜が、すぐそこまで迫っている。


「蜜煮に砂糖漬け、お酒にお茶、ジャムにシロップ、お菓子はいっぱいレシピがあるし……ううん、腕が鳴る……! ヨル、手伝ってくれるお礼はたっぷりするから、今年も期待していてね」

「楽しみにしているよ」

「うん!」


シズシラが満面の笑顔で頷けば、ヨルも笑って頷き返してくれる。

それがまた嬉しくて、よし、とシズシラはバスケットを抱え直し、早速金木犀の花の収穫を始めた。


シズシラは魔女としては自他ともに認める落ちこぼれである。

十五歳ともなれば魔女ととしての能力が求められ、魔法の行使を求められる依頼を受けることになるのだが、生憎シズシラはその点についてはからっきし。依頼なんて頼み込んだって得られるものではない。

となると収入源は限られたものになり、現在のシズシラの生業はほぼ薬師のようなものだ。

幸いなことにそのたぐいのことは得手としているため、シズシラ印の薬をわざわざ指名してくれる顧客も増えてきて、生活に困ることはなくなりつつある。


そう、なくなりつつあるのだが、困らないことが皆無であるというわけでは決してないのが現状だ。


月末に財布の中身を確認しては悲鳴を上げるシズシラのもとに、ヨルが「差し入れだよ」と生活物資のアレソレを持ち込んでくれることは少なくはない。

それが情けなくて仕方なくて、いつだってシズシラは落ち込んでしまう。


これでヨルが、彼にすっかりくびったけになっている周囲の老若男女からの貢物を持ってくるのならば、シズシラだって「だめ! いらない! 持ってかえって!」と手酷く突っぱねることだってできただろう。

だが、違うのだ。

ヨルがシズシラのもとに、本当にシズシラが困っているときに持ってきてくれるものは、彼が自分できちんと労働の対価として受け取ったものなのだ。


本来ならば彼にその必要はないのに、元より器用な手先を駆使して小物を作って売りさばいたり、魔法で直すまでもない道具の修理に携わったり、シズシラと共に学んだ諸外国の知識を幼子達に教授する家庭教師として雇われたり。

見目麗しいヨルを間近で見られる機会を虎視眈々と狙う彼のファンはリュー一族の中でも後を絶たず、おかげ彼はそういうたぐいの仕事に困ることはないのだという。

そうして得た対価を、ヨルはそれを惜しげもなくシズシラに分け与えてくれる。


――シズシラが困っているときに助けるのは、僕の特権だもの。


そう言って当たり前のように笑ってくれる幼馴染に、いつも何も言えなくなってしまって、シズシラは「ありがとう」と彼に甘えることしかできないでいる。


と、そんな経緯も踏まえつつの、来たる『輝夜の祝い』である。


輝夜、すなわち、『かぐや』とは、月に住まう女神の名前であるという。

彼女はうさぎの姿の眷属と暮らし、はるか天上の世界から、月という大きな窓を通して地上を見守っていてくださるのだ。

かつてこの地上に彼女が降りてきたときにお気に召されたというのが金木犀の花であり、以来、月がひときわ大きく輝く秋の満月の夜には、金木犀を神饌として彼女に捧げるようになった、というのがこの習わしである。


というわけで、幼い頃からこの時期になると、シズシラはせっせと金木犀を集めて、少額の金子と引き換えにしてきた。

リュー一族の生まれともあれば、指の一振りで十分なほどに金木犀の花々を集められる。

だからこそシズシラが得られる金子はほんの一握りで、いつだって大量に余った金木犀を前にがっくりと肩を落とし、せっかくの秋の恵みを無駄にすることもできず、さまざまな甘味や茶葉、酒の香りづけへと活用させていた。

毎年その金木犀のあれこれを一緒に食べてくれるヨルが、ほんの数年前にふと口にしたのだ。


――これ、売らないの?


と。

きょとんと眼をまばたかせるシズシラに、ヨルは当時こう続けた。


――月の女神に捧げる神饌は金木犀なんでしょ。

――別に花に限った話じゃないなら、こういう加工品にして売った方がいいんじゃない?


「そんなまさか、売れるわけがないじゃない。だってこんなの、私の趣味の……」とかなんとか言ったように思う。

最初から諦めばかりが先に立って、「ヨルが食べてくれるなら十分嬉しいもの」なんて強がりまで口にした。

それなのにヨルは「いいからいいから、僕に任せて」とさっさとシズシラが作ったあれそれをバスケットに集めて、シズシラを連れ出した。

その結果はもはや言うまでもないことだろう。

ヨルがおずおずと「シズシラが一生懸命作ったんです。僕だけが独り占めするのはもったいなくて、よければおひとつどうですか?」とはにかんで微笑んでみせれば、それはもう飛ぶように売れた。

シズシラが口を挟む隙なんてどこにもなかった。


――ほらね、僕の言った通りでしょう?


すっかりからっぽになったバスケットを抱えて誇らしげに胸を張るヨルの笑顔が、忘れようにも忘れられない。

「ヨルが売ってくれたからでしょ」なんて憎まれ口は、後日「追加で買えないか」という要望が多数寄せられたことで撤回せざるを得なかった。


――私、いつも、ヨルに助けてもらってばっかり。


それが嬉しいのか悔しいのか、いつの間にか解らなくなってしまった自分がここにいる。

ありがとう、と、ただ一言伝えるのがこんなにも難しくなってしまって、けれどヨルの笑顔を前にしたら結局「ありがとう」は自然とこぼれて、そのたびに彼はとびきり嬉しそうに笑ってくれる。


――ずるいなぁ。


一生勝てる気がしない。

何はともあれ、以来シズシラは、毎年この時期になると、金木犀の加工食品を作るようになった。

シズシラが始めたことで、『輝夜の祝い』の神饌には金木犀の花ばかりではなく加工品も流行りになりつつあり、追従して販売を始める者達も数多くいるが、シズシラ印のものを、と求めてくれる顧客は確かに存在してくれていて、それが誇らしくむずがゆい。


――まあ、魔女のお仕事じゃないんだけど……。


若干どころではなく複雑になることはあるが、それはそれ、これはこれ。

何が言いたいかというと、話は戻って、この時期はシズシラの『稼ぎ時』なのである。


神饌を作るためには材料となる金木犀が当たり前だが欠かせない。

リュー一族の隠れ里においては、金木犀の木々が群生している場所を知る者は少ない。

庭木として植えている者が多いことがその理由の最たるものだが、そもそも魔女や魔法使いがわざわざ知っておくべき情報ではないから、という理由も大きい。

知ろうと思えばすぐに精霊が教えてくれるのだからわざわざ記憶しておく必要もないのである。

シズシラの場合は、隠れ里に永く住まう、かねてより懇意にしているドワーフの住まいの広大な敷地の一角を独占させてもらっている。

シズシラに鍵開けの手法を教えてくれたり、ヨルに小道具の修理法を伝授してくれたりする彼は、「好きにせえ。その代わり、ちゃんと桂花酒は寄こすように」という条件で、どれだけでも金木犀を持って行っていいと許してくれたのだ。


頑固で職人気質な彼が不器用ながらも自分のことをかわいがってくれていることが、なんともこそばゆくて仕方ない。

シズシラは祖父を知らないけれど、きっと『おじいちゃん』とはこういうひとのことを言うのだろう。

ヨルは彼のことを苦手なふりをしているけれど、それが彼なりの照れ隠しだとシズシラはちゃんと知っている。

道具の修理や小間物細工の腕前を武骨に褒められて、ヨルが耳を赤くして黙りこくっていたのを、ちゃーんとシズシラは見ていたのだから。


そんなこんなで、今年も金木犀の収穫である。

痛まないように散り始めの花々をそっと集めていくけれど、ううん、今年は本当に豊作だ。

例年よりも花期が遅れた分、一斉に花々は咲きほころんだらしい。

こんなにも満開で、こんなにも大量にあるなんて、少しずつ集めていたら日が暮れてしまう。

何日かに分けて収穫しようにも、花の盛りはそう長いわけではないし、何より、『輝夜の祝い』はすぐそこに迫っている。

加工品を作ろうと思ったら、そうそうのんびりもしていられない。


「ヨル、あのね」

「うん? どうしたの、シズシラ。疲れたなら休憩する?」

「えと、あの、そうじゃなくて。その、今年、すごいでしょ?」


何が、と明確に言葉にすることはなくとも、シズシラが視線を周囲に巡らせることで、ヨルはあっさりその意図をくみ取ってくれた。

「確かに今年は豊作だねぇ」とのんびりと頷く彼に、むずむずと心がくすぐられた。

彼の腕の中のバスケットにも、ある程度金木犀は詰め込まれているけれど、シズシラが集めた分を加えたって、今年準備する予定の加工品の量には至らない。


――うん。

――大丈夫。

――きっと、大丈夫!


自分でも不思議な自信があふれてきて、ふんす! とシズシラは気合いを入れた。

バスケットを足元に降ろし、離れた場所で「やっぱり疲れたの?」と首を傾げているヨルに向かってびしっと人差し指を突き付ける。


「そこで見ていて、ヨル。今日の私なら、やれる気がするの。ささっと金木犀を集めるから、今年はヨルにこれ以上迷惑かけないわ!」

「別に僕は迷惑だなんてちっとも思っていないけれど」

「ありがとう! 見てて!」


「えええ?」とますます首を傾げるヨルを置き去りに、シズシラは気合いたっぷりに両手を前へと掲げた。

吸って、吐いて、深呼吸。

とくとくと心臓の音が心地よくて、なんだか本当に何もかもうまくできそうで、シズシラはふんわりと笑みを浮かべた。

その姿に言葉を失って見惚れているヨルに気付きもせず、シズシラはそっと定められたことのはを紡ぐ。


「シズシラ・リューの名の下に! 風よ! 風よ! 猛き虎を愛でる乙女よ、此処に来たりてその腕を伸ばし、足を弾ませ、シズシラ・リューのために舞い踊れ!」


それは風の上位精霊を招く呪文だ。

普段のシズシラなら「そんな恐れ多い!」と震え上がるようなお相手である。

けれど今のシズシラはなんだかとってもなんでもできるような気分だったのだ。

金木犀を、花々を痛ませずに一度に集める芸当をしてのけてくれるお相手として、かの精霊がもっともふさわしいと思ったのである。


そして、シズシラにとっての奇跡は起こった。


ふわりと身にまとっているローブが風をはらんで、空気の色が変わる。金木犀に宿る樹精がさざめくように笑いだすのが聞こえた。

その声に声に応えて、強く優しい風が集まり、凝り、透ける翅を持つ華奢な少女の姿を編み上げる。

虎や猫の姿を選ぶことが多い下位の風精を統べる、疾風の乙女だ。

彼女は透ける軽やかなワンピースのすそを持ち上げて、可憐に一礼してくれる。


「やったぁ! ありがとうございます、よろしくお願いしま……って、あ、あの……?」


歓喜に震えるシズシラの前で、ぱっちん! と、ちゃめっけたっぷりに疾風の乙女はウインクをした。

同時にぶわりと風が巻き起こる。

シズシラはここにきて気付いた。


なんかおかしい。なんか違う。明らかに風が強すぎる。


さざめくばかりの笑い声だった樹精の声が、きゃーっ! と明らかな歓声に変わった。

その声援に応えて、高く舞い上がった疾風の乙女は、くるくると見事なステップを踏み出した。


同時に巻き上がる風、風、風!


金木犀の花々が一斉に舞い散り、舞い上がり、陽光を浴びて金色に輝く花弁がシズシラを包み込む。


「きゃ、きゃあああああっ!?」


むせ返るほどに甘い匂い。視界を埋め尽くす鮮やかな金色。

このまま金木犀に呑み込まれてしまいそうだ。

それでも風も花々もシズシラを傷付けることはないことは明らかで、ただ疾風の乙女も金木犀の樹精達もきゃらきゃらと楽しそうに笑っていて、なんだかもうシズシラまで笑えてきてしまった。


「ふふ、ふ、ふふふふっ!」


舞い遊ぶ金色の花弁の中で、シズシラも思わずくるくると回った。


――――あら、あなた、なかなかお上手ね。

――――悪くなくてよ、お嬢さん。


精霊達が褒めてくれるのが誇らしくて、無性に楽しくて、シズシラはすっかり夢見心地だった。

すごい、すごい、すごい! やっぱり魔法ってこんなにも楽しい――――と、そううっとりと目を細めた、その、とき。


「――――――――――シズシラ!!」

「ひゃあっ!?」


舞い散る金色の花々の世界に割り込んできた、強引な腕。

そのまま力任せに引き寄せられて、ぎゅうぎゅうとこれでもかと抱き締められて、シズシラは呼吸すらおぼつかなくなった。

ぎゅううううううううううっ! である。

あらあら、うふふ。いかにもほほえましげな精霊たちの笑い声が遠のいていって、宙に甘い遊んでいた金木犀が地に落ちて、そして。


「ヨ、ヨルッ、ヨル、苦しい、苦しいから、いき、息ができない……っ!!」


信じられないほど強い力で抱き締めてくるヨルの背中を、シズシラはなけなしの力でぱしぱしと叩いた。

シズシラのそんな抵抗にもならない抵抗と、絞り出すような声に、ようやくヨルはその腕の力を緩めてくれたけれど、開放してくれるまでには至らない。


「ヨル……?」


どうしたの、と問いかけるよりも先に、いつの間にかシズシラよりも高い位置まで成長した彼の星のようにきらめくこうべが、シズシラの肩に押し付けられる。


「………かと、おもった」

「え?」

「シズシラが、さらわれて、消えてしまうかと、思った」

「えええ?」


なぁにそれ? と心底不思議だったのだけれど、ヨルの声があまりにも弱弱しくかぼそいものだったから、シズシラはそれ以上問いかけようとは思わなかった。

うーん、と一呼吸分悩んでから、彼の腕の中に大人しく収まって、改めて両腕をその背に回し、ぽん、ぽん、とゆっくりと優しく叩く。


「私がどこかへ行くはずがないじゃない。ヨルと一緒よ」

「……ほんとに?」

「ええ。当たり前でしょう?」

「…………うん。うん、そう、だね。そうだったね」


噛み締めるように言う幼馴染の表情は、当たり前だけれどシズシラからは見えはしない。

けれどきっと彼は、今にも泣きそうな顔をしているのだろうと解った。

だからシズシラは手を伸ばして、ヨルの星のきらめきを紡いだ髪を梳くように、頭を撫でてあげることにした。


「ヨルは心配性ね。過保護すぎないかしら」

「シズシラにだけだよ」

「……どうせ私はいつも迂闊だし危なっかしいしドジでまぬけよ……」

「そこまで言ってないよ」

「『そこまで』じゃなくてもある程度は思ってるってことじゃない!」


自分で言っておきながら「ひどい!」とぷんすか怒るシズシラに、そんなシズシラを抱き締めたままヨルは、くつくつと喉を鳴らして肩を震わせた。

相変わらず肩に顔を押し付けてくる彼の表情は見えないけれど、ようやくその空気が緩んだことに、シズシラは心から安堵して、今度こそばりっと身体を引き離す。

あ、とさも名残惜しげに手を宙に遊ばせるヨルを見上げて、シズシラはふふんと胸を張った。


「とにかく! これでばっちり金木犀が集められ…………えええええええええええええっ!?」


シズシラが悲鳴を上げたのも無理はない。

予定では、金木犀の花々は、バスケットの中に山盛りになっているはずだった。

疾風の乙女がそういう風に集めてくれるように行使した魔法だった。

だが、実際は。


「大惨事だね」


ヨルの一言がすべてであった。

金木犀の花々は、集められるどころか、もうあっちこっちそっちどっちとばらまかれ、当初集めていた分すらばらっばらである。

幸いなことに花が痛んでいる様子はないが、それにしてもばらっばらだ。


「そんなぁ……」


せっかく成功したと思ったのに……と、涙ぐんで肩を落とすシズシラに、ヨルは肩を竦めて放り出していたバスケットを拾い上げる。


「やっぱり楽しようだなんて考えちゃだめってことだね。地道に頑張るのが一番だよ、シズシラ」

「うううう……」


びっくりするほどのド正論にぐうの音も出ない。

頑張ろうね、とにこやかに笑うヨルに、シズシラは頷き返すことしかできなかったのである。


かくして、家主であるドワーフの御仁に散々呆れられながらもなんとかかんとかかろうじて金木犀を集めたシズシラは、それから数日、当分我が家にこもることになった。

いつもならば何かと理由を付けても付けなくても遊びに来るヨルも、この時ばかりは邪魔をせずに見守るつもりでいてくれるので、シズシラは存分に金木犀と格闘し、おそらくここ数年で一番の量の加工品を作り上げたのだった。


それをヨルとともに例年のように売り歩き、見事完売を達成したのが、つい先日のこと。


かくしていよいよ今夜は満月。

『輝夜の祝い』の夜である。


天頂に大きな大きなまんまるの月が輝いている。

普段それぞれ個性的に我こそはと輝く星々は、今宵ばかりはその身をひそめ、我らが夜の女王の前に膝を折る。


「ヨル、お待たせ。準備できたよ」

「うん、ありがとう、シズシラ」


小さな我が家の庭先にブランケットを敷いて、シズシラはヨルととなり合って腰を下ろした。

目の前にいくつも並べたトレーの上には、金木犀の砂糖漬けに、金木犀のジャムを添えたスコーン、金木犀の花弁をくわえて香り付けしたパウンドケーキ、金木犀のシロップを加えたあたたかな紅茶などなど、さまざまな神饌が並んでいる。

我ながら上出来だと頷くシズシラの肩に、ふとヨルの手が回された。

そのままそっと彼のほうに引き寄せられて間を瞬かせると、ヨルは訳知り顔で「そろそろ冷えるからね」と笑った。


昔から寒がりな彼は、よくこうしてシズシラで暖を取ろうとする。

いつものことだ。

ついこの間まであんなにも暑かったのに、気付けばもうこうして秋の夜長の冷たさを感じるようになった。

時の流れというものが、自分で思っていたよりももっとずっとはやいものだということに気付いたのは、いつだっただろう。

ヨルと出会ってから、ひとりぼっちばかりだった時間がふたりぼっちになって、嬉しくて、楽しくて、それからずっと何もかもあっという間になった気がする。


――さむい、なぁ。


なんだか妙に冷えを感じて、シズシラはよりぴっとりとヨルに身体を寄せた。

自分からシズシラのことを引き寄せたくせに、なぜか硬直するヨルに「あれ?」と思いつつ、シズシラは両手の指を組み合わせ、リュー一族としての礼の形を取った。


「月におわしますかぐや姫、その浩々たる輝きが、永遠なるものでありますように――――よし、これで完璧! さあヨル、食べましょ!」

「毎年のことだけれど、意外とリュー一族って、儀礼に対して適当だよねぇ」

「ちゃんと礼を尽くしていれば問題ないの。ほらほら、好きなの食べてね。ああでもまずは紅茶の方がいいかしら。寒いんでしょう?」


はい、と甘く芳しい湯気をくゆらせるティーカップを差し出すと、ヨルは苦笑とともに受け取って、そのまま口に運んだ

そうしてふう、と吐き出された吐息は、やはり甘くいい匂いがする。


一年でいっとう美しい月の光に浮かび上がるヨルの姿は、もしかしたら月の女神様よりも綺麗なのかもしれないなぁ、なんて、神職者が聞けば「なんたる不敬な!」と顔を真っ赤にしそうなことを思いながら、シズシラはジャムをたっぷり乗せたスコーンを口に運ぶ。

うんうん、おいしい。ばっちり成功作だ。

これならば多方面の顧客様もご満足いただけていることだろう。


確かな満足を胸に、改めて空を見上げる。

大きな満月がまばゆいほどに輝いていて、一応用意したランタンなんてまったく必要なかったことを思い知る。


「……月の女神ってさ」

「え?」


ぽつり、と、耳朶を打ったその声にとなりを見ると、ヨルは月を見上げていた。

その横顔はとても綺麗で、まるで知らないひとのそれのようで、知らず知らずの内に息を呑むシズシラをよそに、ヨルは紅茶を口に運びながら続ける。


「地上に降りてきたことがあるって話があるでしょ」

「う、うん」

「月で罪を犯して、地上に堕とされて、やがてゆるされて月に帰ったって話」

「うん」


それは誰もが知る有名な伝承だ。

教会に属する者は、主神のみを信じる一神教こそを至上としているので表立って口にはしないが、そんな彼らですら、その伝承は幼い頃から語り聞かされる。

美しい伝承はときに絵本となり、ときに歌劇となり、月の女神の存在は決して忘れ去られることなく旧い時代から語り継がれ続けている。

特にこの時期になると、当たり前だが特に話題となる伝承なのだから、今更こうしてヨルに再確認されるまでもなくシズシラとてよく知っているのが、なぜわざわざその話題を……と戸惑うシズシラを見ず、ただ月を見上げて、ヨルはフンと鼻を鳴らした。


「僕、あの話、嫌いなんだよね」

「えっ!?」


さらりと告げられた言葉にシズシラは素直に衝撃を受けた。

ま、毎年一緒にこうやって『輝夜の祝い』をしてきたのに……!? と硬直せざるを得ない。

まさかずっと迷惑だったんだとかそういう話題になるのだろうかと青ざめるシズシラだが、ヨルはくぴくぴと紅茶を飲み、空になったら更に紅茶を継ぎ足してさらに飲み、低く唸った。


「堕とされた地上で恋に落ちた女神は、結局恋しい男のすべてを忘れて、何もかも捨てて、月に帰るんだ。月の女神は人間に対して慈悲深いって言うけれど、それも結局、神だからこその傲慢だね」

「よ、よる、そ、その辺で……」

「僕だったら」


そろそろ不穏な方向になってきた話に制止をかけようとしたシズシラを、ヨルが見た。

空になったティーカップを放り出すようにトレーに置いて、ただでさえ近い距離をさらに詰めてくる。

ひえええええ、とおののくシズシラの吐息に、ヨルの甘く香る吐息が重なるほどの距離だ。


「僕だったら、一緒に、月に連れ帰るのに」

「……!」

「月の女神は、やろうと思えばそうできたくせに、しなかったんだ。選択肢があるっていうのは、贅沢なことだね」


吐き捨て切るようにそう続ける幼馴染に、なんと言葉をかけたらいいのか解らない。

よる、と、声なくその『名前』を呼んで、そんなシズシラに、ヨルはわらった。

甘くとろけるような、うっとりとしたその笑みを、とても綺麗だと思った。


「ふふ」


するりと彼の手が、シズシラの頬のラインをなぞっていく。

彼に触れられることにはもうこれ以上なく当たり前に慣れ切っているけれど、なんだろう。

これはなんだかいつもと違う触り方である気がするのは、気のせい、だろうか。


不思議と妙にぞわぞわとして、もぞ、と腰を浮かせると、「だぁめ」と彼は今度は両腕をしシズシラのその浮いた腰に回して、しっかりとそれ以上離れないように固定してしまう。

え、え、え? ととうとう焦り始めたシズシラに、ヨルはその鼻先をより一層近付けてくる。


「いいにおい。あまいにおいがする」

「え、あ、それはずっと金木犀を……」

「それもそうだけど、それだけじゃなくて、シズシラの匂いだ」

「え、ええええええっとぉ……!」


なに、なになになになになになに、なにこれ、どうしよう、どうしたの!?


いくら母に「お前達は距離感が近すぎる。もう少し弁えよ」と苦言を呈されても「でもヨルだし……」とあまり深く考えていなかったシズシラだが、さすがにこれはなんだかおかしいことは解る。

これはおかしい。


――なに、なんなの、いい匂いってなに!?

――匂いってそんな、やだ、やだやだ、どうしよう!

――……ん?

――におい、って。



「~~~~ヨル!? あなた、お酒の臭いがする!」



べちっとヨルの額を叩き、シズシラは勢いよく立ち上がった。

「ええ?」とさも不満げにむくれつつ、そのままころんとブランケットに転がる幼馴染。

おかしい。明らかにおかしい。

金木犀の匂いにまぎれた酒精の臭いにようやく気付いたシズシラは、視線を巡らし、そしてその場に崩れ落ちた。


「ま、まちがえちゃったあああああああああっ!」


紅茶のポットの直接注ぎ込んでいたのは、金木犀のシロップではなく、桂花酒だ。

ほんの少し残っていたものを、シロップを詰めた瓶と同じ形の瓶に詰めていたのだが、あろうことかシズシラはよりにもよってそれをこの場に持ち込んでしまったのである。


やらかした。完全にやらかした。


「しずしら、どうしたの? ほら、おいでよ」

「ヨル…………」


うっすらと頬を薔薇色に紅潮させ、青と黄の双眸をとろとろにとろけさせているこの幼馴染は、つまるところ、完全に酔っぱらっているのである。


「ううううう、ごめん、ごめんねヨル……! とりあえずお水を取って来るから待っててほし……」

「やだ。いかないで。さびしいじゃないか」

「うううううううっ! ごめんなさいヨル!!」


ヨルは、その実、とてもとてもとてもプライドが高い。

シズシラに甘えてくるそぶりは見せるけれど、それはあくまでも彼の余裕がなせるわざだ。

彼がシズシラに甘えてくるのは、そうするとシズシラが喜んでしまうからだ。

だが今の彼は違う。

完全にゆるゆるのふっわふわだ。

これで彼が正気に戻って、この状態を覚えていたとしたら。


――絶対に怒られる!


笑顔でシズシラにとんでもない重圧をかけてくるヨルの姿が容易に想像でき、シズシラは血の気が引いた。

いやだが今はそんなことを考えている場合ではない。

未成年飲酒、ダメ、ゼッタイ。

どんな悪影響があるか解らない。

とにかく早くまずは水を……とシズシラはきびすを返そうとした、の、だが。


「だめだったら」

「きゃあ!?」


がしりと足を掴まれたかと思ったら、もう駄目だった。

あっという間にバランスを崩して倒れ込んでくるシズシラを、ヨルはなんなく受け止めてくれる。

仰向けに横たわった状態のヨルの上に見事に重なったシズシラを、くるんっと器用にひっくり返して互いに正面から向き合う形にした彼は、くふくふと満足げな吐息(※酒臭い)をこぼしながら、そのままぎゅうとシズシラを抱き締めた。


「ああ、あったかいなぁ」

「よ、よる、あのね、本当にあの、そろそろこの辺にした方がいいと思うの……! じゃなきゃ絶対あなたが後悔することに……っ」


彼にとって今の状態はとんだ醜態であるに違いない。

それを慮ったからこそのシズシラの発言だったのだが、皆まで言わせてもらえなかった。ぎゅ、と。腰に回された腕に、力が入って、シズシラは息を詰まらせる。

そうしてシズシラが見たのは、あまりにも綺麗な青と黄の双眸だった。


「しないよ」

「え」

「シズシラに関わることで、後悔なんて、絶対にしない」


ぜったいに。

そうもう一度繰り返したヨルの瞳が、そっと伏せられる。


そのままシズシラの腰に回された彼の腕の力が緩んで、ヨルの薄い唇から、規則的な呼吸音が聞こえてくるようになる。

寝ちゃったの、ヨル。

そう小さく呟いたシズシラは、これ以上彼の負担にならないようにそっと身を起こして、尻餅をつくようにそのとなりに座り込んだ。


「あ、明日が怖い……」


どうか忘れていてくれますように、と月の女神に祈りながら、シズシラはヨルの健やかな寝顔を見下ろした。


「――――ずっと一緒に、いられたらよかったね」


けれどたとえ離れ離れになったとしても、どこにいたとしても、同じ月を見上げることはできることを知っている。

だからシズシラはヨルが嫌いだという月の女神の伝承を、決して嫌いにはなれないのだ。

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