【シズシラ視点14歳夏・暑中見舞い編】真夏、その禁断の果実★
14歳、とある夏の日のお話。
たとえリュー一族の隠れ里が、どれだけ人里を離れ、幾重にも重なる強固な結界に阻まれているとはいえ、それでも世界は平等だ。
季節のうつろいは等しくリュー一族の隠れ里にも恩恵を、あるいは厄難をもたらす。
つまるところ、夏だ。夏である。
輝く太陽が燦燦と照り付け、魔女であろうが魔法使いであろうが関係なく、気力と体力を奪っていく。
そしてシズシラも例にもれず、十四歳にもなった年頃の少女だというのにもかかわらず、薄い麻の生地で作ったぺらぺらのノースリーブのワンピースで、だらしなくソファーの上で溶けていた。
「あ、あつい……」
今年の夏は特別暑くなるとは、リュー一族の天候観測官から聞かされていたが、それにしても暑い。びっくりするほど暑い。
家中の窓を開け放し、母の厚意で分けてもらった貴重な氷がたっぷり入れて、ついでにレモンと蜂蜜もたっぷり加えたアイスティーをがぶ飲みしても、到底乗り越えられるような暑さではない。
いつもは二つに分けておさげにしている長い髪も、今日ばかりは適当なお団子の形にして高くまとめ上げ、うなじをさらしているにもかかわらず、それにつけても暑いったらない。
「とけちゃう…………」
「うわあ、すごい恰好」
「…………ヨル?」
べたべたの汗まみれの状態で、のろのろと頭を持ち上げると、これまた開け放した扉の前に立っていたのは、幼馴染の少年、ヨルである。
シズシラと同じく十四歳であるはずの彼は、シズシラのだらしなさ極まる姿とは裏腹に、きちんと夏服を凛々しく着こなして、長く伸ばした銀の髪を三つ編みにして一つにまとめていた。
どこからどう見ても文句のつけようのない美しさである。もともとその美貌については出会ったときから誰の目にも明らかであったが、今日は特別美しい。
シズシラが夏にゆで上がる姿とはまるっきり対照的なその姿はいかにも涼しげで、夏の日差しを浴びながら我が家にやってきたはずだというのに、汗一つ掻いていない。
「ヨル……?」
「うん、僕だよ。あのねシズシラ、いくら暑いからって、きみだって年頃の女の子なんだから、僕以外にその姿を見られたらどうす……シズシラ?」
のそり、といかにも緩慢な仕草でソファーから身を起こしたシズシラに、ヨルが「ええと?」と首を傾げた。
こちらの尋常ならざる様子に気付いたらしい。けれど構うことはなくシズシラは、ふらふらと彼の元までぴったぴったと裸足で歩み寄る。
何故かヨルが白皙の美貌を強張らせて、ついでにその日焼けなんてついぞ知らないような透けるような顔色に朱を走らせたけれど、構うことなくシズシラは、彼を見上げて、そして。
――――――――――ぴたっ!
そのままシズシラは、ヨルにぴったりと身体をくっつけてみた。
ついでにぺたぺたとあらわになっている彼の肌に触れて、ふすんと満足げに溜息を吐く。
「つめたぁい……」
やはり予想通り、ヨルの身体は心地よく冷えていた。
それは彼の体温が特別低いから、というわけではないことくらい解る。
幼い頃から一緒に夜を過ごし時にお昼寝だって並んでしてきた仲だ。確かにヨルはどちらかというと体温は低めだが、それにしたってこの真夏にここまで冷えるはずがない。
すっかり硬直して何故か言葉を失っているヨルの冷たさを全身で味わうように、すり、とますます身を寄せる。
これまた何故かヨルは「うぐっ」と低く呻いたかと思うと、大きく天を仰ぎ、それからようやく、シズシラへと視線を寄こしてきた。
「…………………………シズシラ、あのね、あの、あのね、ほんっとうに、こんな真似、僕以外にはしないでね、もう本当に頼むからしないでね、約束だよ」
「うん、ヨルだからするんだもの。えへ、きもちいい……今日も誰かに魔法をかけてもらったの?」
「……ああ、うん。物好きなお嬢さん方が寄ってたかって水精と風精を呼んでくれたからね」
「そっかぁ。いいなぁ」
この季節……というか、このうだるような暑さの真夏に限らず、厳しく凍える真冬などにも、リュー一族は活躍する。
その魔法を用いて、自身の周りの、あるいは他人の周りの、はたまた部屋そのものの気温を調節し、心地よい温度に設定するのだ。
特にそのたぐいの魔法が得意な魔女や魔法使いによっては、隠れ里を離れてとある国の王族や貴族、豪商のお抱え空調師という役割を背負う者もいる。
簡単な魔法ではないが、快適に過ごすには必要不可欠とされる魔法でもあるため、多くの魔法使いがこの魔法を習得するのだ。
ヨルは魔法使いではないが、彼の美貌に骨抜きにされているのは、この隠れ里においては老若男女を問わず少なくはない。
「今日はあたしが!」「いやいや俺が!」「若者は引っ込んどれ、ここはワシが!」なんてやり取りの末に、毎日誰かしらが彼に空調魔法をかけていることをシズシラはよく知っている。
――私が、かけてあげられたらよかったのにな。
そうこっそり思っていても、自分自身にすら空調魔法をかけられず、こうしてすっかりゆで上がっている落ちこぼれのシズシラには到底口にできないわがままである。
そして今日も今日とて我が家にやってきた彼にくっついて、心地よい涼をとらせてもらっているのが現状だ。
「……はー、気持ちよかった。ありがとう、ヨル。やっと息ができるようになったわ」
ようやく人心地が付けたので身を離してヨルに笑いかけると、彼は真顔で何やら悩んでいた。
とびぬけた美貌がそういう表情を浮かべていると、それはもうとんでもない迫力があるものだが、シズシラには見慣れたものだ。
美形は三日で飽きはしないけれどある程度慣れはする。
だからこそシズシラは、肌に貼り付いていたワンピースをはたはたとはがしつつ、そおっと彼を前に首を傾げてみせた。
「ヨル、あの、大丈夫? どうかした?」
「別に、なんでも。とにかくシズシラの役に立てて何よりだよ。僕は逆に息ができなかったけれどね」
「えっ!? どうしよう、もしかして私、ヨルにかけられた魔法に干渉しちゃった? 大丈夫? 暑い? アイスティーなら山ほど作り置きが……」
「ああうん違う、違うってば。もう、あの、もうさ……いや、いいんだけど……これはこれで都合がいいし役得ではあるんだけど、だからこそ辛くもあって……これ、僕のわがままかな?」
「何のお話?」
「こっちの話」
「?」
結局何の話なのかさっぱり解らない。
頭の上に大きな疑問符を飛ばしてみせても、ヨルはこれ以上この話を続ける気はないらしく、さっさとクッションがたっぷり積み上げられたソファーのいつもの定位置に腰を下ろしてしまう。
なんだかよく解らないけれど、彼の雰囲気が明らかに「これでおしまい! これ以上はだめ!!」とわりと深刻かつ切実に訴えかけてきている気がしたので、シズシラはとりあえず彼のために大きなグラスに、汗を掻いているビッチャーからアイスティーを注いだ。
つやめくような琥珀色の中に水晶のような透明な氷と、鮮やかな黄色がまぶしいレモンのくし切りがごろごろと浮かんでいる。
「はい、どうぞ」
「ありがと。ふふ、シズシラがこれを作ってくれると、やっぱり夏って感じがするね」
「……これくらいしかまともにできないんだもの」
「それはそれで素敵なことじゃないか。空調魔法は便利だけれど、季節のうつろいは自分で体感してこそ美しいものだもの。それを僕に教えてくれたのはシズシラの台詞とは思えないな」
「…………ほんと、ヨルはお口が上手なんだから。おかわりはあるし、それから桃のコンポートも冷えてるわよ」
「それはすばらしい!」
アイスティーを口に運んでから、ヨルはぱちぱちぱちぱちと拍手してくれる。
上品な美貌に不思議と似合う大仰な仕草に、シズシラも思わず笑ってしまう。
仕方ないなぁ、なんてうそぶいて、彼のお望み通りに、一人暮らしを始めた一年前に母から餞別として贈られた温度調整機能付き小型格納庫から桃のコンポートを取り出した。
涼しげなガラスの器に盛られた甘い甘い桃のコンポート。
メープルシロップをついでにとろりとたらし、さらにミントの葉を添えれば、それだけで完璧な夏のデザートだ。
その果実の季節はつい先日終わりを迎えたばかりで、ギリギリのところで大量にもらい受けたのを、一気にコンポートやらジャムやらに加工したのがつい先日の話だ。
既に敬愛する母であるライラシラには夏のお中元としてお届け済みであるとは余談である。
「うーん、流石。とってもおいしい。シズシラ、これは売らないの?」
「売ってもいいけれど、リュー一族だからこその商品にはなれないから、買いたたかれるのがオチだわ」
「そっか、もったいない。こんなにおいしいのに。まあ僕としては、その分僕が独り占めできるから願ったり叶ったりだけれどね」
ふふふ、とご満悦に笑うヨルに、シズシラも不器用に笑い返した。
喜んでいいのか悲しんでいいのか、非常に悩むところである。
シズシラは魔法に関しては自他ともに認める落ちこぼれだが、薬学には自信があり、リュー一族印の薬の中でも特にシズシラが作ったものを、と言ってくれる顧客も最近増えつつある。
そんな彼らに時折おまけとして手製の甘味をプレゼントしているけれど、実際にそれを商品として売り出すことがとても難しいことくらい、いくら世間慣れしていないシズシラでも解る。
この隠れ里にこもりっきりのヨルは、何故かシズシラよりもよっぽど世の中の情勢に詳しいのだから、そのあたりのことについて解らないはずがないのに、こうやってとっても『お上手』なことを言う。
単なるお世辞ではないことは解っていた。
だってヨルは、いつだってシズシラに対して正直であってくれるから。
そもそも彼はまずいものははっきりまずいと言うし。
いくらシズシラが作ったものであっても、口に合わなければそのままはっきり「これはちょっと」と顔をしかめる。
そのくせそういうものであっても最後まで食べ切ってくれるのだから、ついついシズシラは彼に甘えてしまうのだ――――って、話がずれた。
何の話をしていたのだったか。
まあいい、とにもかくにも、夏である。
その夏を勝手知ったる我が家としてシズシラの家で満喫するヨルに今度こそ苦笑して、シズシラもまたヨルのとなりに腰を下ろす。
そして桃のコンポートを口に運ぼうとして、はたと気付いた。
「ヨル、それ……」
「うん?」
夏の熱さにまいってしまってまったく気付いていなかったが、よく見てみれば、シズシラとは反対側のヨルのとなりに、なにやらひとつ、デデン! と居座っているものがある。
綺麗な球形、というよりはもう少し間延びした、綺麗で鮮やかな、ちょうど人の頭くらいの大きさの、黄緑色の球体。
おそらくは何らかの木の実であって、ついでにそれに伴って、見慣れない大きく華やかな紅い花が添えられている。
あらゆる学問を教え込まれ、もちろん植物に関しても薬学に通じるからと精通することを求められたシズシラですら、初めて目にする木の実だ。
もしかして、もしかしなくても、それは。
「ココナツ?」
「へえ、シズシラ、よく知ってるね」
「あ、当たってた? ココナツの身の中身に詰まった液状胚乳は、南国では貴重な栄養源の一つだって習ったから」
「その知識を日常でぽんと出してこれるシズシラはすごいよ。活きた勉強をしてるんだねぇ」
ひょいっとココナツを、それに添えられた花ごと渡してきながら、ヨルはふふと笑った。
嫌味でも当てこすりでもない純粋な賞賛がくすぐったい。
顔が赤くなるのを感じながらそれを受け取って、シズシラは「それにしても」と口を開く。
「どうしたの、これ? この隠れ里ではなかなか手に入らないものでしょう?」
「ん、なんか、空調魔法のついでに貰った」
「……また貢がれたの…………」
「頼んでないのに押し付けられたんだよ。せっかくだしシズシラと食べようと思って」
「そ、そう」
おそらくこのココナツをヨルに渡したお相手は、「どうせならば自分と」という目論見があったに違いない。
それを解っていて、受け取るだけ受け取って他ならぬシズシラと食べようとしているヨルはつくづくなかなかになかなかだが、もうどれだけ言っても無駄なことは百も承知の上なので、シズシラは突っ込まないことにした。
我ながら懸命な判断である。
「ココナツかぁ。食べ方は一応知ってるからなんとかなるけれど、これ、食べるっていうよりも飲むものよ?」
「そうなの?」
「ええ。上の部分を削って、ストローを刺して、中身の液体を吸うの。南国の観光地ではよく……って、そうだ!」
「うん?」
ココナツを膝の上に置いて、ぱちん! と両手を打ち鳴らしたシズシラに、ヨルが青と黄の瞳をぱちぱちと瞬かせる。
そんなヨルににっこりと笑いかけて、ココナツをいったん彼の膝の上に置き、シズシラはすっくと立ちあがる。
そのまま足早に、部屋の片隅の古いマホガニーのクローゼットへとシズシラは歩み寄った。
「ちょっと待ってね。お母様が今年の夏のお中元返しにヨルと使えっておっしゃってくださったものが…………ええと、この辺にしまったはず……あった!」
お目当てのものを引っ張り出して、シズシラは誇らしげにヨルを振り返った。
そのまま『それ』を抱えて、いそいそと彼の元に戻り、「はい」と『それ』の『半分』となる一式を差し出す。
ぱちぱちぱちぱちっと、きらめく星がまたたくようにヨルの瞳がさらにまたたく。
「ええと、なにこれ」
「水遊び用の新しいお洋服! 南国ではこういうのを着て海や川で遊ぶんですって。ヨルと湖でこれで遊んできていいってお母様にお許しをもらったんだけれど、今年は暑すぎて危ないから無理かなぁって思ってたの。でも、気分は味わいでしょう? 私、水精を呼んで、お庭に小さな池を作ってもらうから、そこでこれを着て水遊びついでにココナツも飲んだらいいと思うの!」
そう、シズシラが差し出したのは、ヨルの分の水遊び用の衣装だ。
シズシラの手には、シズシラのためのそれがある。
母であるライラシラが、隠れ里の外に出られないシズシラとヨルのためを思って用意してくれたものだ。
その心遣いがとても嬉しくて、けれど同時に申し訳なくもあったのだけれど、今こそその出番だ。
「じゃあ私は池を作るついでに着替えもあっちでするから、ヨルも着替えて、ココナツを持ってきてね。はい、解散!」
「う、うん……って、あの、シズシラ、待……っ!」
「楽しみね!」
「…………はい」
何やらがっくりとうなだれたヨルを置き去りに、シズシラは奥の部屋に飛びこんで手早く着替えると、裏口から庭先へと飛び出した。
夏日に映える、小さな家にふさわしい、小さな庭だ。
ここでシズシラは細々と花や野菜や、主に薬草を育てている。
その一角、ちょうど木陰になるこれまた小さな広場に歩み寄る。
日向よりも涼しい木陰の中で、すう、はあ、と、何度か大きく、静かに、ゆっくりと深呼吸を繰り返して、そうしてシズシラは両手を前へとそっと差し伸べた。
「――――“シズシラ・リューの名の下に。水よ。水よ。来たれ。集え。その潤いこそ、今我が乞うもの、求めるもの。今こそここに留まりて、憩いと癒しを恵みたまえ“」
――――――――――ぽちゃんっ!
最初に、小さな小さな水音がした。
それは続けてぽちゃん、ぽちゃん、と繰り返され、その音はそのまま大気中の水を呼ぶ。
どうか成功して、と願うシズシラの、切実な思いを、四大精霊の中でもひときわ慈悲深い水精は、正しくくみ取ってくれたらしい。
気付けばシズシラの、ちょうど腰の位置あたりに、円盤状の大きな水の塊がぽっかりと浮いていた。
それこそ、シズシラが想定した通りの、『小さな池』と呼ぶにふさわしい大きさであり深さである水の塊だ。
「っやった、成功した! ちょっと思ってたのとは違うけど……」
想定ではもっと低い位置に、なんなら地面にぴったりと沿う形で喚ぶはずだったのだけれど、これはなんだか違う気がする。
いやでもとりあえず『池』が作れたことは事実だ。
これでよし……と、言いたいところなのだけれど、も。
「これ、水に入ったら、下に落ちちゃうのかしら?」
そのまま水の中にとどまっていられるのならば本当の意味での成功だが、水に入るなりそのまま落下なんてしたら目も当てられない大失敗である。
これはヨルが来る前にきちんと確かめておかねばなるまい。
犠牲になるのはシズシラただ一人であるべきなので。
そう悲壮な決意を固め、シズシラは大きく地面を蹴って、水の塊の中へと飛び込んだ。
――――ばしゃんっ!!
水飛沫が大きく上がる。
冷たくも心地より透明な水に全身を受け止められ、シズシラは気付けばきつく閉じていたまぶたを、恐る恐る持ち上げる。
そしてぱあっと顔を輝かせた。
「やったぁ! ちゃんと『池』になってる! 落ちない! 沈まない! ああ、よかったぁ……って、あら、ヨル?」
気付けばヨルが、準備よく中身を飲めるように上部の皮をそぎ落としストローまで刺した状態にして、極めつけに南国の花を飾った状態のココナツを片手に、庭先に立っていた。
その姿は、先ほどまでの夏服とは異なる、シズシラが渡した水遊び用の衣装……いわゆる水着と呼ばれるそれである。
ラベンダー色の半そでの上衣に、墨色のひざ丈のズボン、手首を飾るのは空調魔法のための赤い紐だ。
きらめく銀の髪は綺麗に三つ編みにされたままで、けれど先ほどまでとは異なるのは、その毛先を愛らしい桃色の髪飾りが飾っている。
極めつけは、おそらくはライラシラが遊び心でついでにつけたのであろう黒いレンズの丸眼鏡を彼は律儀にかけているところだろう。
そのままどうやら立ち竦んでいる様子の彼を訝しむこともなく、久々に成功した魔法にはしゃぎながら、シズシラは水に身体を預けて大きく手を振った。
「ヨルー! 見て見て、成功したの! 早くヨルもおいでよ!」
ぱしゃん、と水飛沫を跳ねさせてふよふよと浮遊感を楽しむシズシラのもとに、何故かヨルは近寄ってこない。微動だにもしない。
ここに来てシズシラは、ようやく「なんかおかしいかも?」と気が付いた。
とりあえず水の塊の中から飛び降りて、濡れぼそった姿のままヨルの元まで駆け寄った。
「ヨル? どうしたの?」
「え、あ、いや、その」
「私がちゃんと確かめたから、安全に遊べるから安心して? ふふ、ヨル、その水着、よく似合ってるね」
「……うん、あの、シズシラも」
「えへへ、そうかな」
誇らしげに胸を張るシズシラの今の姿は、ヨルの髪飾りと同じ桃色の、ふわふわとしたフリルが愛らしい水着だった。
髪も同色の桃色のフリルで飾り、頭の上にはこれまたライラシラの遊び心の表れであろうピンク色の、しかもハートの形のレンズが光る眼鏡が乗っている。
普段滅多に着ないような色であるし、ここまで肌をさらすことなんてそれこそ皆無だけれど、何分今日は特別だ。
「ほら、早く行きましょ? いつまでもこんな炎天下に立っていたら、いくら空調魔法をかけてもらっていても熱中症に…………ヨル?」
「……………」
「え、あ、ヨ、ヨル、ヨル!? うそ、鼻血!? もう熱中症!? しっかりして、ヨル!!」
そういうことである。
ぼたぼたぼたぼたっと鼻から真っ赤な血を流し始めたヨルにシズシラは悲鳴を上げ、慌てて濡れた手で彼の手を掴み、ぐいぐいと引っ張って水の塊の中へと押しやった。
抗う気力もないのか、ヨル大人しく水の中に身体を横たえて、自ら片手で鼻筋を押さえ、もう一方の手で顔を覆ってしまう。
とにもかくにもとりあえずしっかり身体を冷やさなきゃ、と一緒になって水の中に入ったシズシラは、ココナツを片手で受け取り、半泣きでヨルの額に自らの冷えたもう一方の手をあてがう。
「ご、ごめんね、あの、私が水遊びがしたいなんて言ったから……。いくら空調魔法をかけてもらってても、今年は暑いし、ああ、どうしよう、やっぱり私がさっき変な形で干渉しちゃったのかな? ごめん、ごめんねヨ……」
「ちがう」
「え」
「違うから。本当に全部違うから。別に熱中症じゃないから」
「え、でも」
「ちょっと刺激が強すぎただけだから。想定外だっただけだから。別に怒ってるわけでもないし調子が悪いわけでもなくて、ただそのシズシラが、その」
「わ、私が?」
「……………なんでもない。とにかく大丈夫。ほら、もう鼻血も止まったしね。僕こそごめんね、驚かせちゃって」
「う、うん……?」
何が何だか解らないが、ヨルの中ではもう決着がついたらしい。
ぷかぷかと水に遊ばせていた身体を、上半身だけ起こして、乱暴な仕草で鼻血をぬぐい、彼は小さく「血赤珊瑚の長め…………」と低くうなったが、幸か不幸かそれはシズシラの耳には届かなかった。
とりあえず何が何だか解らなくとも、ヨルは大丈夫らしい。
ほっと心から安堵の息を吐いて、シズシラはヨルに持っていたココナツを差し出した。
「はい、ヨル。水分補給」
「大丈夫だよ。せっかくなんだから、シズシラが飲んで」
「だぁめ。油断は禁物だし、そもそもこれはヨルに飲んでもらいたいから頂けたものでしょう? ちゃんとヨルが飲まなくっちゃ」
「シズシラは真面目だなぁ」
「ヨルが適当すぎるの」
「はいはい。それじゃあ遠慮なく。シズシラ、そのままね」
「え、あっ」
シズシラが両手で持っていたココナツにささったストローだけを動かして、ヨルは身を乗り出してその先端を加えた。
「お行儀が悪い!」とシズシラが頬を膨らませても、知らぬ存ぜぬの様子で彼はちゅーっとココナツジュースをすすり、ふむ、と頷いた。
「独特だけどおいしいよ。シズシラも飲んだら?」
「……うん、それじゃあ、せっかくだから」
「あ、じゃあ替えのストローを……ってシズシラあのちょっ待っ」
はむ、と先ほどのヨルに倣ってストローを加えたシズシラは、これまたちゅーっと中身を吸った。
口の中に広がる、ヨルの言葉を借りれば『独特』で不思議な味わいは、確かに夏にふさわしく美味だ。
「おいしい! そっかぁ、こういう味なのね。ありがとうヨル……ヨル?」
「……………………………………………………間接キス…………」
「え?」
「なんでもないなんでもない本当になんでもない気にしないでなんでもないから」
「????」
シズシラ、ヨル、ともに十四歳の夏は、かくして真っ盛りだったのである。




