【4(完結)】
いっそ憎々げとすら呼べるようなライラシラのまなざしにも、やっぱりユオレイルが臆することはない。むしろ気持ちよさげに受け止めているのだから大したもの……なんて、言っている場合ではない。
もう少しこの場にふさわしい態度があるでしょ!? と言いたくても、口を挟める雰囲気ではなくて、シズシラはおろおろと母とユオレイルの間で視線を行き来させるばかりだ。
「ユオレイル・ノッテ・フォルトゥラン殿下。そなたが各国にて再び残してきた我が一族の御業の爪痕、決して放っておけるものではない。反省を込めて自らに呪いをかけたその行為……いや、どうせ反省などしておらずただ私のかわいい娘の気をひくためだけだろうが、まあとにかくその行為を加味し、我らリュー一族はそなたに、フォルトゥランが王家との絶縁と、シズシラとともに問題解決への従事に努めることを求めよう。この求めに応じない場合、その呪いを長老衆の威信をかけてほどき、我が一族に関する記憶とその魔力のすべてを封じて、フォルトゥランにご帰還いただく。さて、どうなさるおつもりか?」
「もちろん僕は、シズシラとともに」
「よろしい」
ユオレイルの即答に、重々しくライラシラが頷いた。
黙っていられなくなったのはシズシラである。
「えっ!? いや、あの、本当にいいんですか!?」
あまりにもすんなり事が進みすぎている。
流石にこれは温情と言えど度が過ぎているのでは、と、シズシラが突っ込んでも、ユオレイルは上機嫌にしっぽを揺らすばかりで、ライラシラはライラシラで不機嫌そうにツンと顔を背けるばかりである。
ちょっと二人とも……! と一匹と一人をまたしても幾度となく見比べるシズシラの耳に、笑い声が聞こえてきた。それは一つではなく、いくつもの笑い声だ。
え、とそちらを見遣れば、陪審員席に座る長老達が皆、誰もがそろって楽しそうに笑っているではないか。
かつて師と仰いだ方々の、久々に目にする本当の笑顔に、シズシラが結局戸惑うばかりでいると、長老達は皆、口々に好き勝手にしゃべりだした。
「血赤珊瑚のも素直でないわね」
「かわいい一人娘を嫁に出すようなものだからな、仕方あるまい」
「我が一族に舐めた真似をしてくれたフォルトゥランにようやく一泡吹かせられるのう。ほほ、いい気味じゃ」
「それにしても、先達てのユオレイルの獣化の魔法がちっとも解けなかったことには焦らされたなあ」
「まったくだわ! 魔法の知識はともかく行使についてはぽんこつの弟子が、色恋沙汰にまでぽんこつだったなんて!」
「あんだけ露骨に両片想いの雰囲気を呈しておきながらまったく進展しなかったもんな。いっそ感心するしかねぇわ」
「とはいえ、此度の呪いは流石にすぐにほどけるでしょう。久々にいいものを見させてもらいましたわ」
「まあとにかく、これで晴れてユオレイルをフォルトゥランに引き渡す理由も無くなった。今宵は祝杯じゃ!」
「我らがかわいい弟子の恋の成就に!」
カンパーイ!! と盛大に声を張り上げた長老達は、そうしてさっさと一斉にこの法廷から姿を消した。
ライラシラが好き勝手なことを散々言い残していった同僚達が消えた陪審員席をにらみ付け、やがて諦めたように溜息を吐いて、カン! とガベルを再び打ち鳴らす。
「これにて閉廷。かわいい娘よ、しばしの別れだ」
そうして、ライラシラの姿もかき消えた。
残されたのはシズシラと、銀の猫、もといユオレイルである。
静まり返った法廷で、へなへなとシズシラは座り込んだ。
ユオレイルがそっと寄り添ってくれたから、それに甘えて彼を抱き上げて、ぎゅううううううっと力いっぱい抱き締める。
「うあ、うわあああん! よか、よかったあああああ!」
ぼろっぼろと涙があふれて止まらない。
ユオレイルにぺろぺろといくら舐められても、涙は一向に止まる気配を見せない。
だって仕方がないではないか。
本当は、本当は、怖かったのだから。
怖くて怖くて仕方がなかった。
死ぬことが、ではない。
ただもう二度ユオレイルに会えなくなることが怖くて仕方がなかったのだ。
それこそ、もう二度と会えなくなるくらいなら、極刑に処されてもかまわないと思ってしまうくらいに。
シズシラが死んで、ユオレイルがシズシラのことを忘れてしまっても、シズシラの魂にユオレイルとの想い出が刻み込まれているのなら、それだけで十分だと必死に自分に言い聞かせて。
でも結局駄目だった。
シズシラはやっぱり、ユオレイルと一緒に、生きていきたい。
「……ほんとうに、ばかだね、シズシラ」
「ユ、ユオレイルだって、また猫の姿になっちゃうなんて、ばかじゃないの!」
「うん。そうだね。僕らは馬鹿同士、とってもお似合いなんだと思うよ」
「っ!」
穏やかに、甘やかに、ささやかれたその言葉。
ふわりと胸があたたかくなって、ついでに顔が熱くなって、うぐっと言葉に詰まるシズシラを見上げてくつくつと器用に喉を鳴らして笑った銀の猫は、そしてちょいと背伸びをした。
「何度でも言うよ。愛してる、シズシラ」
「……うん、ユオレイル。私も、あなたを、愛してる」
ふにっとユオレイルの口が、シズシラの唇に押し当てられる。
猫との口付けにこんなにも胸がどぎまぎと忙しくなるなんて、と、シズシラが思わず笑った次の瞬間、ぽんっと軽い音を立てて銀の猫の姿が弾けた。
えっ!? と驚いたシズシラがのけぞると、そんなシズシラに覆い被さるようなかたち……を通り越して、シズシラを完全に押し倒して、麗しい銀の青年が美しくあでやかに笑っている。
「なるほど、僕らのまことの愛は、僕の呪いをほどくほど強いものだって訳だ」
「ちょっえっ!? 待って! いいの!? いいのそれ!?」
「いいから、黙って」
そのままユオレイルに唇を奪われてしまう。
そうしてまたしてもいつぞやと同じく呼吸がおぼつかなくなったころ、やっと解放してもらえたシズシラが、ユオレイルの手を借りて身体を起こすと、ふむ、とユオレイルは一つ頷いた。
なんだか嫌な予感がして「ユオレイル?」と彼の名前を呼んでも、彼は答えてはくれず、かわりに彼は自らの手をその胸へと当てて続けた。
「〝ユオレイル・ノッテ・フォルトゥランの名の下に〟」
「え? ああっ!?」
再びぽんっという軽い音と共にユオレイルの姿は麗しい青年のそれから、美人さんな猫のそれへと変じた。
唖然と固まるシズシラに、銀の猫はにっこり笑いかける。
「コツは掴んだし、いざとなれば君に口付けしてもらえば元に戻れる。獣化の呪いも、こうして使うと便利なものだね」
完全に猫としての自身を満喫する気満々のユオレイルに、シズシラはがっくりとこうべを垂れた。
これはいいのだろうか。
たぶん、いや絶対に駄目なやつだろうこれは。
禁呪を便利とかそんな。
これはユオレイルが天才だから、凡才以下の自分には理解できないだけなのか。
何も解らない。
解らないけれど、一つ確かなことがある。
「白い髪の私でも、愛してるって言ってくれたよね」
「当然でしょ」
「うん。私も、どんな姿のあなたでも、大好き。愛してるわ」
人間の姿でも、猫の姿でも、彼がユオレイルであるのならば、それでいい。それがいい。
そう笑ったシズシラに、ユオレイルは困ったように瞳をすがめた。
「どうしよう。早速元の姿に戻ってしまいそうだ」
困ったなぁとうそぶく彼の顔色は、きっと人間の姿だったら、真っ赤になっていたに違いない。
シズシラが声を上げて笑うと、珍しく気恥ずかしそうに瞳を伏せたユオレイルは、やがて「ああ、そうだ」と名案を思いついたとばかりに瞳をきらめかせた。
「そもそもの君の罪は、リュー一族ではない僕に魔法を教えたことだよね」
「そうね」
「だったら、僕が君と結婚して、リュー一族に婿入りすれば、君の罪はなかったことになるんじゃない?」
「……それ、プロポーズ?」
「の、予約。確約する日には、ちゃんと準備して君が絶対に断れない状況に追い込んでから実行するよ」
それはもはや脅しではなかろうか。
けれど悪い気はしない。
むしろとっても嬉しくて、シズシラは手を伸ばしてユオレイルのふかふかの体を抱き上げて、そのまま抱き締める。
シズシラは罪を犯した。
そして、ユオレイルもまた罪を犯した。
その罪の償いのために、これからシズシラとユオレイルは世界中を奔走することとなり、やがて白の魔女と銀の魔法使いの名声が、世界にとどろくこととなる。
人間は原初より七つの大罪をその身に抱くと言うが、いずれ歴史に名を刻む二人が犯した罪の名前が何たるかと問われれば、きっとシズシラとユオレイルは、そろって八番目の罪を答えるのだろう。
その罪の名を、二人は、『愛』と呼び、なによりも大切な宝であると笑うに違いない。