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【3】

なんということだ。信じられない。信じたくない。


けれど母は大真面目に怒り狂っているし、ユオレイルは否定しようとはしない。

だからつまりは、そういうことなのだろう。


「ユユユユユユユユオ、ユオレイル! あなた、何してるの!?」

「聞いての通りだけど。だから反省を込めて、僕は自分で自分に獣化の呪いをかけたんだけど、何か文句でも?」

「文句なんてそんな、大ありに決まって……っ!?」


と、そこまで続けてから、はたとシズシラは気が付いた。

こちらを見上げてくる銀の猫の双眸に宿る光がなんたるか。

そこにごうごうと燃え盛る炎に、シズシラはようやく気付く。


これはもしかしなくても、と、手枷を科せられたままの手でなんとか、恐る恐る彼を抱き上げて、視線を合わせ、シズシラは続けた。



「あなた、怒っているのね」

「今頃気付いたのかい?」



そう、ユオレイルは怒っているのだ。

穏やかなそぶりを見せながらも、本当は誰よりも、それこそ、魔力があふれるほどの怒りを見せているライラシラよりも大きく、根深く、それはもうとんでもなく怒っている。


その事実に自分でも驚くほど驚かされるシズシラに、ようやくユオレイルは、そうと見てはっきりと解るほどに極めて険しいまなざしを向けてくる。



「シズシラの馬鹿」



震えを押し殺したその声に、息を飲んだ。怒りばかりではなく、悲しみもまたはらんだその声音に、言おうとしていた言葉すべてが潰えていく。


ユオレイルは怒っていると同時に、とてもとても悲しんでいる。

きっと、放っておいたら、彼は泣き出してしまうのだろう。

笑顔が誰よりも似合う彼は、本当はとても泣き虫だ。


それが解ってしまうから、シズシラは反論できずに彼を視線の高さまで持ち上げたまま、その目を逸らすことができない。


「何が愛してるだ。君のそれは、結局、僕とさよならするための言い訳じゃないか」

「そ、んなこと」

「ないだなんて言わせない。そんなことあるんだよ。君は僕の手を、愛してるって言葉で手放したんだ」


違う。

そんなつもりはなかった。


そう言いたかったけれど、やっぱり言葉にならなかった。

ユオレイルの言葉はいつだって正しくて、シズシラはそのたびにいつも自分の馬鹿さ加減を感じてきた。けれど今こそそれを、こんなにもまざまざと思い知らされたことはない。


ユオレイル、と小さく唇を震わせるシズシラを、彼はにらみ付けてきた。

にらみ付けなければかわりに泣き出してしまうからと言わんばかりに、一生懸命涙を堪えている彼のまなざしに、ぎゅうと胸が締め付けられる。



「君が僕の手を放したって、僕は何度でも君の手を掴むよ。僕が君の〝まことの愛〟だと言うのなら、僕にとってだって君こそが、君だけが、僕の〝まことの愛〟だ。シズシラ、君がどれだけ嫌がったって、僕は君を愛してる。君が死ぬというのなら、僕も一緒に死んでやる。一緒に居られなくたっていいなんて殊勝なことなんか言ってあげない。僕は君とずっと一緒だ。君のそばにいられない未来なんていらない。これが僕の〝まことの愛〟のかたちなんだ!」

「……!」



それは、なんて傲慢で、なんて強欲で、なんて熱烈な愛の告白だろう。


とんでもなく恥ずかしいことを言われている気がして、シズシラはこの場の現状を忘れて顔を真っ赤にした。

その手から力が抜けて、ユオレイルがすとんと足元に落ちる。

華麗に着地を決めた彼は、するりとシズシラの足元に絡みつき、そのまま裁判官席と、陪審員席を見回した。


「という訳で、シズシラに極刑を科すならば、僕も同じ沙汰に。大丈夫、フォルトゥランには何も言わせないよう、既に手は打ってあります」

「なっ! ユオレイル!?」


そんなのは駄目だ。許されてはいけないことだ。

死ぬのは自分だけで十分だと言おうとしたシズシラを、青と黄の双眸がギラリと輝いて見上げてくる。


その迫力にひえっとシズシラが身をすくませるのを満足げに見届けたユオレイルは、再びその視線をライラシラへと向けた。

挑むようなまなざしだ。


「どうなさいますか、血赤珊瑚の長」

「……そろって極刑に処しても、ユオレイル、それはそなたにとっては褒美にしかならんだろう」

「流石、よく解っていらっしゃる」

「ふざけるでないわ。ああもう、本当にそなたときたら……よくも私のかわいい娘に……」


らしくもなくつややかな黒髪をぐしゃりとかき上げたライラシラは、ぶつぶつと散々文句を連ねながら、パチンとその指を弾いた。


その途端、シズシラの目の前に何枚もの書状が降り注ぐ。

多種多様な上質な紙の雨に驚きつつも、手近に落ちた一枚を拾い上げ、それに目を通したシズシラは、驚きに目を瞠った。


「これ、は」

「見ての通りよ。お前の助命嘆願書だ。人魚族の住まう竜宮城、アルトハイデルベルク、シュヴァルツヴァルトの七人のドワーフ殿、リヒルデ、ロズィエリスト、リニーユッセ、アンドル、ドルトヘンヴィルト。各地の貴人の皆様より、そなたの助命を乞う書状がこれだけ届いておる。ここまで揃えられたら、流石に無視することはできぬ。ユオレイル、やってくれたな」


低くうなるように続けるライラシラににらみ付けられても、ユオレイルは「それほどでも」としっぽを揺らすばかりだ。

どういうことなのと彼を見下ろすと、ユオレイルはこちらを見上げてにっこりと笑った。


「君が牢獄にいる間に、僕が出奔したって聞いたでしょ。それで、各国でちょいちょい〝まっとうなる善意の魔法〟をほどこすついでに、今まで君と立ち寄った地の人達に事情をちょーっぴり話させてもらっただけだよ。皆、親身になって僕の話を聞いてくれたけど……まさか助命嘆願書を寄越してくれるなんて! シズシラ、愛されているね」

「助命嘆願書とともに、ユオレイル、お前の悲壮な姿を心配する旨の個人的な手紙も届いておるぞ」

「……血赤珊瑚の長、それは今言わなくてもいいのでは?」

「お互い様だわ、小僧」


ユオレイルとライラシラの間で火花が散った。


わあまぶしい……と今度こそ完全かつ完璧に置いてきぼりにされているシズシラはそろそろ現実逃避をしたくなってきた。

けれどユオレイルとライラシラの瞳がそろってこちらに向けられたから、反射的に姿勢を正す。


一匹と一人の顔を見比べて縮こまっていると、一匹の方はシズシラをなぐさめるようにすり寄ってきて、一人の方はそんな銀の猫と娘の姿を辟易とした様子で見下ろしてくる。


そしてライラシラは、カン! とひとたびガベルを打ち鳴らし、ごほんと咳払いをした。


「判決を申し渡す。シズシラ・リュー。お前は先達てと同じように、ユオレイルが各地でやらかしてきた問題の解決に従事せよ。すべてを解決するまで、この隠れ里に帰還することは許さぬ。事実上の追放であると思うがいい」

「え!?」


驚きに声を上げると同時に、科せられていた手枷が砕け散った。

解放された両手を呆然と見下ろすシズシラの耳に、ライラシラのいかにも不機嫌そうな溜息が届く。


「不満か?」

「え、いえ、だって、私、処刑されるはずじゃ……」


そうだとも。

シズシラは極刑に処されるべき罪を犯した。

いくらフォルトゥランの王子であるユオレイルが尽力してくれても、今まで出会った心優しい方々の助命嘆願書があっても、自分にはもう未来はないのだろうと、そう覚悟していた。


それなのに、極刑ではなく、追放だなんて。

そんなの、あまりにもシズシラに都合がよすぎる罰だ。


身内であると言えど、それを理由に甘くなる母ではないし、陪審員席に座っている他の長老達の手前であればなおさらライラシラはシズシラに極刑を命じなくてはならないはずだろう。


どうして、と呆然と見上げてくる娘に対して、母はほうと溜息をもらした。

いつぞやの裁判の時と同じく、赤い花弁が、その唇からこぼれ落ちる。


「お前が交わした悪魔との契約における対価が、お前の身に関わるものだけだったからこその温情よ。悪魔が求める対価は気まぐれであり、だからこそ我々はあやつらには手を出さぬ。シズシラ、お前は、悪魔から求められる対価が、たとえばフォルトゥラン中の国民の命であったかもしれぬことを知れ。それほどの危うい契約であったことをゆめゆめ忘れるな。……せいぜい、くだんの悪魔……自身の父とそのご友人に感謝するがいい」

「え、あ、は、はいっ!」


悪魔から求められた対価が安く済んだとほっとしていたシズシラだったが、それは本当に安い対価であったことを今更思い知らされる。


もしも母の言う通りに、たとえばフォルトゥラン中の国民の命を対価として求められたら。

そうしたらシズシラは、どうしていたのだろう。


考えるまでもない。

きっと、フォルトゥラン中の国民の命よりも、ユオレイルのことを優先していた。

歴史に落ちこぼれの最悪の魔女と名を刻まれながら極刑に処されたとしても、きっと後悔しなかった。

罪悪感にさいなまれながら、それでもシズシラには、ユオレイルこそが唯一無二であるのだから。


とはいえそんな対価を求められなくて本当によかったと胸を撫で下ろすシズシラは、母が最後に付け足した言葉をほとんど聞いていなかった。


だがライラシラはそれ以上は言及せず、「続いて」とユオレイルへと視線を向けた。

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