【2】
そうして、それから、おそらくはまた数日が経過したころ。
いい加減暗い牢獄暮らしにも飽いてくる余裕が出てきて、細々と食事も口にするようになり、いっそのこと今すぐにでも判決が出ないかな、とすらシズシラが思い始めた頃合いを見計らったかのように、シズシラは牢獄から、裁判所へと引きずり出されることとなった。
手枷をはめられて、いよいよかぁ、と、驚くほど落ち着いたまま、シズシラは被告席に立つ。
前回はヨル……ユオレイルとともにこの場に立ったけれど、今はシズシラ一人だ。
それでいい、それがいい。
そう思える自分に安堵する。
これはシズシラのためだけの魔女裁判だ。
ユオレイルはきっともうフォルトゥランに返されていることだろう。
麗しき王子殿下の帰還に、きっと彼の国は祝祭を催しているに違いない。
歓迎されて幸せそうに笑う彼の姿を見られないのは残念だけど、そこまでは流石にシズシラのわがままが過ぎる願いだ。
ただ彼が、ユオレイルが、笑っていてくれれば、それでいい、それがいいのだ。
何も思い残すことはない。
「悪魔との契約という禁忌を犯した罪人、シズシラ・リューよ。申し開きはあるか」
「何一つ、ございません」
シズシラが犯した禁忌を裁くのは、母であるライラシラだ。
彼女はもうシズシラの母ではなくて、血赤珊瑚の長だ。
その凛とした美貌に冷ややかなまなざしを宿してこちらを見下ろしてくるライラシラをまっすぐ見つめ返して、シズシラは、先達て母に返したセリフとまったく同じセリフを返した。
この場に集うは、ライラシラばかりではなく、他の長老達も全員が陪審員席についている。
そのかわりに、傍聴席には誰もいない。
悪魔との契約の禁術であると同時に秘術だ。
隠れ里の中には、そんな禁術があることなど知らない者が山といる。
第二、第三のシズシラを出さないために、この魔女裁判は秘匿されたまま開廷されていた。
そうやって誰にも知られないまま、シズシラは極刑に処されて、そのまま誰もに忘れられていくのだろう。
落ちこぼれにはお似合いの最期だ。
ああ、でも。
――ごめんなさい、ユオレイル。
彼はシズシラを〝リュー一族が誇る立派な魔女〟に仕立て上げてくれたのに、そのお膳立ての何もかもすべてを、結局無駄にしてしまうことになった。
彼は怒るだろうか。嘆くだろうか。
どちらも嫌だなぁとシズシラは思った。
いっそシズシラのことなんて忘れてくれればいいのに、と思えてならない。
自分のことを覚えていてほしくて魔法を教えたのに、いざとなってみれば忘れてほしいと願うシズシラの身勝手さを、どうか赦してほしい。
そしてそのあとは、やっぱり忘れて、彼にふさわしい、いずこかの国の美しい姫君と結ばれてくれればいい。
そうすればシズシラの生きた価値は、確かに残せる気がした。
――大好き。愛してる、ユオレイル。
呪文のように内心でそう繰り返すシズシラの頭の中は、ユオレイルのことですっかりいっぱいになっていて、だから、裁判長であるライラシラの「被告にこれ以上の発言がないならば、次は弁護人の番だ」という朗々と響くセリフに、反応が大きく遅れた。
「…………………………へ?」
べんごにん。弁護人。
誰のって、この場においては被告人はシズシラなのだから、シズシラのための弁護人だろう。
一体誰がそんな役目を買って出てくれたと言うのか。
そもそもシズシラがこの魔女裁判にかけられていることを知る者は、リュー一族の中でも長老衆をはじめとしたごくごく少数に限り、傍聴することすら叶わないのに、弁護人として裁判に参加するなんて、一体誰が……と、混乱しているのはシズシラだけであるらしい。
かつてライラシラとともにシズシラの師であった傍聴席の長老達は、誰一人驚いた様子を見せずに、むしろ「やっとか」と言わんばかりに頷いている。
――ええっと?
この場において誰よりもシズシラが当事者であるはずなのに、誰よりもシズシラが置いてきぼりにされている。
これははたしてどういうこと……? と戸惑うシズシラのことなんてすっかり無視して、裁判官席のライラシラが「入れ」と威厳たっぷりに命じる。
その言葉に、シズシラの背後の扉がゆっくりと開かれる音がして、シズシラは思わずそちらを振り返り、それから。
「――――ユオレイル!?」
「やあ、シズシラ。久しぶりだね」
シズシラの悲鳴のような叫びに対して返ってきたのは、聞き慣れた、耳に心地よい青年の美声だ。
けれどそこに立っていたのは青年ではない。
そこにいるのは、シズシラが今後のさいわいを願った青年の姿の彼ではなく。
「なんでまた猫になってるのよ!?!?」
つまりは、そういうことだった。
銀髪の麗しい青年の姿ではなく、銀の毛並みの大型長毛種の猫の姿のユオレイルが、そこにいたのだ。
なんで。どうして。あなたは元の姿に戻ったはずじゃない。
混乱し切ったまま、ユオレイルを見つめてあぐあぐと口を開閉させるシズシラのもと、被告人席へと優雅にやってきた銀の猫は、シズシラを見上げてにっこり笑った。
「なんでも何もない……と言いたいところだけれど、まあなんていうか、色々あってね」
「色々ってなに!?」
何をどう色々したらまた猫の姿になってしまうというのだろう。
訳が解らない。
せっかく元の姿に戻って、小人からの誓約からも解放されたはずで、もうなんの憂いもなくユオレイルは祖国で幸せになれると、そう思って、だからシズシラには後悔はなかった。
そのはずだったのに、これでは何も変わらないではないか。
ゆぅらりと立派なふさふさのしっぽを揺らすばかりのユオレイルは説明してくれる気はないようだ。
ならば、と裁判官席を見上げたシズシラは、ひえ、とそこで一歩後退った。
こちらを見下ろすライラシラの美しいかんばせが、とんでもない渋面になっていたからだ。
「お、お母様」
「そやつのことは一応弁護人と呼んだが、正確には異なる」
「え?」
「そやつもまた罪人よ。この魔女裁判における、二人目の被告人だ」
シズシラの目が瞬いて、足元のユオレイルと、高みに座るライラシラを何度も見比べることしかできなくなる。
どういうことなのか、やっぱりさっぱり解らない。
娘の察しの悪さに呆れたのか、それともあわれんだのか、ライラシラは溜息を吐いてそのつややかな赤い唇を動かす。
「ヨル……ではなく、今はユオレイルか。ユオレイル・ノッテ・フォルトゥランは、フォルトゥランに帰還する運びになったその日のうちに出奔し、数日間行方不明になっておった」
「えっ」
初耳である。
牢獄にいたシズシラが知るすべなどなかったのだから当然だ。
だが、だったら教えてくれたってよかったのでは……とショックを受けるシズシラをよそに、ライラシラはぎろりとユオレイルをにらみ付ける。
歴戦の猛者でも震え上がる血赤珊瑚の長の鋭いまなざしだが、ユオレイルは臆することなくどこ吹く風で、ひくひくとひげを震わせるばかりだ。
ちょっと、ユオレイル、よく解らないけどここはちょっとでも反省したそぶりを見せた方がいいんじゃないかしら、などとシズシラが小さくささやくのを打ち切るように、ダンッとライラシラが机に拳を叩き付ける。
その拳からほとばしる怒りに、シズシラはぴゃっとその場で跳び上がった。
お母様がマジギレしていらっしゃる。
そう気付かざるを得ないシズシラに、ライラシラはことさらゆっくりと言葉を続けた。
「ユオレイルは、出奔した先の国々で、またしても、そう、またしても、色々やらかしてくれてきおってな。現在、この隠れ里には各国からの苦情が大挙して押し寄せてきておる。それはもう、先達て解決してきた問題の比ではない勢いでな!」
カカッ!! と、ライラシラの背後で稲妻が光った。
誇張表現ではなく、実際に感情のままにあふれ出る彼女の魔力が雷を作り上げているのだ。
ばちん! と足元にまで走ってきた電流に、またしてもシズシラは跳び上がる。
そしてそれからようやくライラシラの言葉を受け止めて、顔色を一気に青ざめさせた。