【3】
ちょうど十年前、シズシラが七歳になったばかりのころ。
当時のリュー一族は、数年前――正確には七年前から、一族の威信をかけて総出で取り組んでいる依頼があった。
輝ける星の国、フォルトゥランからの依頼だ。
貧しい粉屋の生まれの王妃が産んだ王子が悪しき小人にさらわれてしまったと。その王子を見つけ出してほしいという依頼である。
フォルトゥランは流星が落ちる国だ。
王族は生来星の加護を持って生まれ、星読みを商いにする魔法使いや魔女にとって聖地とされ、落ちてきた星の欠片は最高峰の魔法の触媒となる。
リュー一族とは旧くから付き合いがあり、今後も友好関係をぜひとも続けていきたい国、それがフォルトゥランである。
そんな彼の国からの依頼とあれば、リュー一族としては断る理由はなく、行方不明の王子の捜索が始まった。
シズシラが物心つくころにもその捜索は続いており、幼心にも「ご無事でいらっしゃるといいなぁ」なんて思ったものだ。
小人一人がしでかした誘拐だ。
当初、リュー一族は、すぐに王子を見つけられるものだとたかを括っていた。
だがしかし、王子は一向に見つからなかった。
王子の捜索が始まって七年が経過したある日のこと、当時はまだ〝血赤珊瑚の長〟と呼ばれる長老の座にはなく、一介の魔女――とはいえ極めて優秀な、という修飾が付く――でしかなかったライラシラ・リューに連れられて、彼女の幼い娘であるシズシラは、とある森を訪れた。
フォルトゥランにおける、星が落ちる深き森だ。
母にとっては貴重な触媒採集の機会であり、シズシラにとっては初めて隠れ里の外に出た楽しい旅行だった。
浮かれてはしゃぐシズシラに、「あまり遠くに行かないように」と言い含めたライラシラは、湖に落ちた星を採りに水底へと消えた。
それを見送って、七歳のシズシラはうきうきと森の奥へ、そのまた奥へと進んだ。
そうして気付いたときにはすべて後の祭り。
ここはどこなのだろうと呆然と立ちすくむ羽目になったのである。
まるで天鵞絨の上にあまたの宝石をぶちまけたかのような満天の星空の下、ぐすぐすとシズシラは森の中をさまよい歩いた。
母の教えを守らなかった自分の愚かさを思い知りながら、ただただ何も解らないままに歩みを進める。
その時だ。
シズシラは、生まれて初めて、星が落ちるのを見た。
いくつもの星が落ちる。
それらはすべて同じ方向に落ちていって、気付けばシズシラはそちらへ向かって歩き出していた。
あちこちを草木に引っ掛けながら進んだ、その、先。
輝く星がいくつも地面に転がる中に置かれていたのは、大きな鳥かご。
そしてその中にうずくまっていたのは、星よりももっとまぶしい、美しい少年だった。
伸びっぱなしにされた銀の髪が、まるで流れ星を集めたみたいで、シズシラは生まれて初めて、美しいものを前にするとこんなにも心が揺さぶられるのかと、大層感動したことを覚えている。
何が何だか解らなくて立ちすくむシズシラに、遅れて少年は気が付いたようだった。
とても、本当にとても美しくて綺麗なお顔をしているのに、そこにはなんの感情もうかがわせない無表情しかなくて、シズシラは「なんてもったいないのかしら」と思ったものだ。
恐る恐るそちらに近寄ると、少年は、青と黄という、左右異なる色彩を宿した不思議な双眸を細めて、「なに」と冷たく言い放ってくれた。
怖気付くシズシラをどう思ったのか、少年は冷ややかに「迷子ならさっさとひき返しなよ。人喰いの小人がやってくる前にね」と続けた。
人喰いの小人。
恐ろしい響きの言葉に身体を震わせたシズシラだったが、だったらこの美しい少年をこのまま置いていく訳にはいかないのでは、と、幼い頭で考えた。
転がる星をよけながら鳥かごに近付いてくるシズシラに、少年は驚いたらしい。
わずかに目を瞠った彼の元にようやくたどり着いたシズシラは、鳥かごの扉に手をかけた。
南京錠には鍵がかかっていた。
まるで溶接されたようにぴたりとも動かない南京錠をいたずらに触っていると、少年は「無駄だよ」と呆れたようにシズシラの手を鳥かごの柵の向こうから引き剥がした。
――僕がここにいるのは、母上が小人と交わした誓約の結果だ。
――僕の所有権は、母上が小人の名前を当てられなかった時点で、僕自身ではなく小人に譲渡されている。
――僕は成人を迎える直前までここで小人に育てられて、〝子供〟としてぎりぎりまで大きくなったところで小人に食べられる。
――そういう誓約の元にかけられた鍵なんだから、君が何をしようとも開けられない。
まるで歌うかのように、少年はそう言った。
彼の言うことは同じ年頃であるはずなのに、シズシラにはどうにも難しくて、半分も理解できなかったけれど、一つだけはっきりと解ることがあった。
――あなた、食べられちゃうの?
こんなにも綺麗な存在が誰かのお腹に収まってしまうなんて、そんなこと、許されてはならないことのような気がした。
けれどシズシラにはその鳥かごの鍵を開けることは叶わなくて、ならば、と、小さな両手を打ち鳴らした。
お母様だ。
賢くて強くて美しくて立派な魔女のお母様なら、きっとこの男の子を助けてくれる。
そう思ったから、シズシラはにっこり笑って、少年の手を鳥かご越しに手に取った。
冷たい手にびっくりしたけれど、なぜだか少年の方がよっぽど驚いているみたいだった。
無表情なのに。
変なの、と思いながら、シズシラは口を開いた。
――私、シズシラ。シズシラ・リューっていうの。
――あなたのお名前は?
きゅっと彼の手を握り締めて問いかけると、少年は小さく「リュー一族の……」とつぶやいたけれど、それからすぐに皮肉げに笑った。
どんな希望も目の前で蹴散らされてきた者の笑い方だった。
――僕の名前? 知りたかったら当ててみれば?
唐突な謎かけに、シズシラはきょとんと赤い目を瞬かせた。
少年の名前なんて知らない。知るはずがない。
もしかして、あだなを付けてほしいのかしら。
そうシズシラの幼い頭は結論を出し、ううん、ううん、と、少年の手を握りしめたまま頭を悩ませた。
こんなにも綺麗な男の子だから、相応にとても綺麗な名前がいい。
綺麗なばかりじゃなくて、とっておきの意味も込めたい。
ああ、そうだ!
――ヨル! あなたはヨルよ。
――遠い東の島国では『夜』を意味する、このフォルトゥランにふさわしい名前!
――それからね、『夜』はね、私の大好きなお母様と同じ名前なのよ!
ねえ、輝ける流れ星を集めた銀の髪を持つあなたに、ぴったりでしょう?
これが、いずれ落ちこぼれの魔女と呼ばれるシズシラ・リューと、銀の魔法使いと呼ばれるヨルの、初めての出会いだった。
ヨル、ヨルと、鼻高々に繰り返すシズシラの笑顔に、少年は、ヨルは、呆然としていた。
どうして、と、その淡い色の薄い唇がわななくのと同時に、ばきん! と大きな音を立てて鳥かごの南京錠が壊れて地に落ちる。
なんだかよく解らないけれど、やったぁ! と無邪気に喜んだシズシラは、呆然と鳥かごの中で座り込み、信じられないと言わんばかりにカランと開かれた扉を見つめる少年の手を引いて、彼を鳥かごから引っ張り出す。
――ねえ、ヨル。気に入ってくれた?
そう問いかけた瞬間、ヨルはその場に泣き崩れた。
突然号泣し始めた少年にシズシラはとても驚かされたし慌てたのだけれど、彼の涙があんまりにも綺麗で、それこそ流れ星みたいだったから、彼のことを一生懸命慰めながらも、もっとその涙を見たいだなんて意地悪なことを思ってしまったものだ。
それからすぐに、シズシラを探しにきた母と合流した。
母は少年――シズシラが〝ヨル〟と呼ぶ彼の姿にらしくもなく大層驚いていた。
――その髪、その瞳。御身はこのフォルトゥランの……!
そうしてライラシラは、シズシラとヨルをリュー一族の隠れ里に連れ帰り、長老衆とフォルトゥランの国王夫妻の間で、秘密裏に会談がなされることになった。
シズシラはその間、ずっとヨルと一緒にいた。
本来ならばくだんの秘密裏の会談の場に同席するはずだったのだというヨルが、シズシラにぴったりくっついて、決して離れようとしなかったからだ。
当初は新しいお友達の存在に喜んでいたシズシラが、徐々に戸惑い出す程度には、ヨルはシズシラから本当に離れようとしなかった。
そんなヨルという少年の本当の名前が、ユオレイル・ノッテ・フォルトゥランであり、行方不明であったフォルトゥランの王子様であったことを、シズシラはやがて母から知らされた。
フォルトゥラン側は、リュー一族に王子の依頼をする際に、その全容を語っていなかったのそうだ。
王妃が小人と交わした誓約の末の結果であるのならば、王子の身が小人の元に引き渡されたのは古くからのことわりの通りの正しき流れだ。
リュー一族が口を挟んではならない誓約である。
だからこそフォルトゥラン側は、王妃と小人の誓約を伏せて、リュー一族に依頼をした。
そうと知った小人は、王子の名前を封じて、その存在を完璧に隠したのだ。
隠された王子の名は〝ユオレイル〟。
それは夜のとばりを重ねた名前だ。ひいてはそのまま『夜』を意味する名前である。
誰かにその名前を当てられなければ王子の存在は隠されたままであるはずだった。
それを当ててしまったのがシズシラである。
リュー一族の長老衆は頭を抱えた。
小人との誓約は覆し難いものであるが、とはいえフォルトゥランの王子を再び小人に返してフォルトゥランを敵に回すのもまずい。
とてもまずい。
ならば、という折衷案として出たのが、王子を、そのまま〝ヨル〟というただの少年として、リュー一族の隠れ里でかくまうという案だった。
すぐさま王子を国元に返してほしいとフォルトゥラン側は訴えてきたが、そのままはいどうぞと王子を返したら、小人は必ず再び王子をさらうだろう。
ならば、王妃と小人の誓約の期限である、王子が成人を迎えるその日まで、〝ユオレイル〟の名を封じ、〝ヨル〟として、小人の目から王子を隠してしまおうと。
そういう訳で、フォルトゥランの王子ユオレイルは、シズシラの幼馴染のただのヨルになったのだ。