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【2】

そちらを見上げれば、長い尾羽に一筋の赤い流れが混じる大きなカラス――母であるライラシラの使い魔が、こちらに向かってくるところだった。


カラスを迎え入れるために宙を滑りそちらへと向かうと、ぐるりとシズシラの周りを旋回したカラスは、一声鳴いてすいと飛んでいく。

何度もこちらを振り返ってくるカラスの姿に、どうやら「ついてこい」と言われているらしいことを遅ればせながらにして気付いたシズシラは、一つ頷いてカラスの後を追った。


つい先日まではこの箒の先端には銀の猫が座っていたのに、今はそこには誰もいない。

箒に乗るのも気付けば我ながら随分上達したものだ。

年に一度開催される箒乗りの大会にも、今年ならば胸を張って出場できるのでは、と思えるくらいに。


それもまた、きっと、ヨルのおかげだった。

それなのに、彼はいない。


どこへ行ったの、と内心で声を震わせながら、母の使い魔の後を追い続け、そのままたどり着いたのは、長老衆が普段集う、隠れ里においてもっとも古い塔だった。

カラスが大窓からその中へと滑り込んでいく。

いいのかな、と思いつつもシズシラも後に続いて塔の中に入ると、そこでシズシラを待っていたのは、予想に違わず母――いいや、血赤珊瑚の長、ライラシラ・リューであった。


「私にご用でしょうか、血赤珊瑚の長様」


母に対してではなく、長老に対して、箒を異次元鞄に収納して一礼するシズシラに、ライラシラは「楽にせよ」と一言告げて、その美しい赤の瞳を、この彼女の執務室の一角に置かれている長椅子へと向けた。

座れ、ということらしい。


大人しくちょこんとそこに腰を下ろすと、ライラシラはひとつ頷き、パチンとその指を鳴らした。

詠唱の一つもなく、長椅子の前のテーブルにティーセットを召喚したライラシラは、てきぱきと紅茶を淹れ、そのままシズシラの前にティーカップを押しやる。


ぱちりと目を瞬かせて戸惑うシズシラをさっくりスルーして、そのままライラシラは、シズシラのとなりに座る。ますますシズシラは戸惑うしかない。


促されるままに紅茶を口に運ぶ。

おいしい。とても。

こんな風に彼女ととなり合って座るのなんて、何年ぶりだろうか。


ライラシラは〝血赤珊瑚の長〟としてシズシラのことを呼び出したのだろうに、これでは、まるで……。


「お、お母様?」

「なんだ、不肖の娘」

「あ、ああああの、よろしいので?」

「楽にせよと言っただろう。お前の耳は飾りか」


ライラシラの声音は、淡々としながらも、確かに柔らかな響きを孕んでいた。

お母様だ。

シズシラはそう静かに驚く。


今、となりにいるのは、厳しく誇り高い血赤珊瑚の長ではなく、シズシラの母なのだ。


そう思うと、今更ながらにぐぅっと胸にせぐり上げてくるものがあって、けれどそれを吐き出してしまったらいよいよ本当に心が折れてしまうような気がして、ぎゅっと痛いくらいに唇を噛み締める。

そんなシズシラをとなりから穏やかに……そう、驚くほど穏やかに見つめてくるライラシラは、そのままシズシラの頭を抱いて、自らの肩へと引き寄せた。


ことん、と、母の肩に頭を預ける形になったシズシラは、そんなことをされてしまったら、もう限界を迎えるしかない。

ぼろっと、大粒の涙が瞳からこぼれ落ちる。


「ヨルが、いないんです、お母様」

「ああ」

「ずっと一緒にいられないことくらい解っていました。解っているんです。でも、こんな風にいきなりいなくならなくたっていいじゃないですか」

「ああ」

「さよならくらい、言わせてくれたっていいじゃないですか。言ってくれたっていいじゃないですか。それなのに……っ!」

「ああ、酷い男だな……と言いたいところだが、まあ今回はあれにとってもある程度は不測の事態だったのだから許してやれ。もう会えない男に心を砕く必要などない」

「……お母様?」


ぐすぐすとしゃくりあげるこちらをなぐさめてくれる母のその言葉に、シズシラはぱちりと瞬いた。

ぽろん、と、また大粒の涙がほおを滑り落ち、膝の上できつく握りしめていた自身の拳を濡らす。


その切ない熱さにようやく母の言葉の意味を噛み砕いたシズシラは、彼女に預けていた頭を持ち上げて、となりを見つめる。

母の赤い瞳と、自分の赤い瞳が、確かな音を立ててぶつかった。


「お母様、もしや、ヨルの行方を突き止めたのですか?」

「ああ。既に先達て通達したヨルの捜索は打ち切られることになった。不肖の娘、お前があれを探す必要ももうなくなったと思え」

「ど、どうしてですか!」

「すべてがあるべき流れに戻っただけだからだ。この十年、我らが捻じ曲げてきたことわりが正されてしまった。もはや我々にできることはない」


穏やかでありながらも、けんもほろろに突き放す言葉だ。

母のその言葉の意味を呆然としながらも懸命に噛み砕くシズシラは、やがて、まさか、と唇をわななかせた。



「あの小人が、ヨルを?」



シズシラの問いかけは、疑問ではない。確認であり確信だった。

ライラシラは何も答えなかったが、ゆっくりと伏せられた永く濃いまつ毛の震えが、何よりの答えだった。


ヒュッと自らの喉がおかしな音を立てるのを、他人事のように聞いた。

そんな、そんな、まさか、そんなはずはない、嘘だと、冗談だと言ってください、お母様。

そう言葉にできないまま懸命に視線で訴えても、母の凪いだ瞳の光が波立つことはない。

それはもう、彼女の中で、これが終わってしまった問題であることを示していた。


ざわりとシズシラの全身が総毛立つ。

恐怖ではない。焦燥でもない。抗いがたい圧倒的な憤怒だ。自分でもどうしようもできない怒りに支配され、シズシラは母の手を振り払って立ち上がり、異次元鞄から箒を取り出す。


そのまま大窓へと駆けるシズシラの背に、「お待ち」という冷ややかな声がかけられ、同時にシズシラの身体はその場から一歩も動けなくなる。

ただ方向転換だけが可能だったから、シズシラはくるりとその場で背後を振り返り、ライラシラをにらみ付けた。


「行かせてください、お母様」

「行ってどうする。お前にできることは何もない」

「何もできなくても、それでも私はっ」

「シズシラよ」

「ッ!」


ライラシラがゆったりと歩み寄ってきて、そっとシズシラのほおに触れた。

そこで初めてシズシラは、またしても自分が泣き出していることに気が付いた。


優しく丁寧に涙を拭われて、ぐすっと鼻を鳴らすと、呆れたようにライラシラは溜息を吐く。


「今日はこのまま私の塔に滞在せよ。一人では心細かろう。最近ろくに寝ておらぬことは私とて聞き及んでおる。ゆっくり休むがよい」

「そんな、休んでいる暇な、ん、て……」


休んでいる暇なんてない。一刻も早くヨルの元へ。


そう続けるつもりだったのに、言葉にならなかった。

まぶたが重くて仕方なくて、立っていられなくなってぐらりと身体がかしぐ。

倒れ込むシズシラの身体を、ライラシラが受け止めてくれた。

優しい母の匂いがする。


「ゆっくりおやすみ、かわいい娘。そして忘れておしまい。大丈夫だ、誰もお前を責めはしない。フォルトゥランとは揉めるかもしれんが……なに、元を正せばあちらの責よ。何も言わせはせぬ。私のかわいい娘を傷付けてくれた罪に対する罰にするには生ぬるいがな」


お母様、お母様、待ってください。私、わたしは。


そう言いたくももう無理だった。

甘い母の匂いに包まれて、シズシラは深い眠りの淵に沈んでいく。



――僕の名前? 知りたかったら当ててみれば?



初めて出会ったとき、幼くとも輝くように美しい少年は、シズシラに向かってそう言った。

大きな鳥かごの中にうずくまる彼をシズシラが見つけたのは、ただの偶然だった。

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