【7】
本日、晴天なり。
部屋にこもり切りで作業するのも気が滅入ってしまうだろうという国王の気遣いにより、城で一番大きなバルコニーにて、晴れ渡る空の下でシズシラ達は鎖帷子作りに勤しんでいた。
「あいたっ! もう! なんで私はこんなに下手なのよ……! 編むのも遅いしぐちゃぐちゃになっちゃうし、エリザお義姉様、ごめんなさい……」
致命的に不器用であることが判明した王妹が、痛みのせいばかりではない意味で瞳を潤ませて肩を落とす。それでも手を動かすのをやめない根性は立派なものだ。
そんな義理の妹のことがどんどんかわいく思えてきてならないらしいエリザ妃は、柔らかく微笑んでかぶりを振る。
「あなたのおかげでとても心強いわ」と言葉なく訴えてくる義理の姉に、王妹は王妹ですっかり心をがっちり掴まれてしまったらしく、「もっと頑張るわ! お義姉様、ご無理はなさらないでね、疲れたらすぐ休んでくださいましね」と訴える。
あまりにも美しい姉妹愛は、エリザ妃の夫である国王が「わ、私だって……!」と危機感を覚えるほどであった。
自分も妻の手伝いをするのだと乗り込んできた国王は「お兄様には政務がございますでしょう! お義姉様に余計な気を遣わせないでくださいまし!」と王妹に一喝され、すごすごと引き下がっていった。
その光景は、すぐそばで見ていたシズシラの記憶に新しい。
なお本日バルコニーを解放してくれたその国王は、現在地方の視察に出ており、城を不在にしている。
今までであれば、唯一の味方である国王が不在の状態では、エリザ妃は針のむしろ状態であったことだろう。
だがしかし、エリザ妃の事情が公表されたことで、それまで城を満たしていた不穏な空気が一掃され、誰もがエリザ妃と、王妹のことをあたたかく見守っている。
シズシラもまたイラクサで袖部分を編みながら、「ねえヨル」と、ようやくイラクサを踏み締め終えて身体を休めている銀の猫に声をかけた。
「今回の解呪方法もまことの愛、なんだよね」
「そうだね。古来より人ならざるものの姿に変えられた人間が元に戻るには、まことの愛ってものが定番だ。君が僕にそう教えてくれたんじゃないか」
「……うん。それは、そうなんだけど」
「けど?」
「…………なんでもない」
あなたが元に戻るのにだって、〝まことの愛〟が必要とされるのでしょう?
あなたにとっての〝まことの愛〟ってなぁに?
そう問いかけたかったけれど、自分がヨル自身からどんな答えをもらったら納得できるのかが解らなくて、シズシラは小さくかぶりを振って無言で袖を編み続ける。
まことの愛。
今日に至るまでさまざまな形のそれを目にしてきた気がする。
目の前で互いを気遣い合いながらそれぞれイラクサを編むエリザ妃と王妹の間にだって、まことの愛があるのではないだろうか。
そしてそのエリザ妃は、自身のまことの愛を込めて、イラクサを編んでいる。
まことの愛。
もう一度その単語を繰り返す。
どこにも見つからないもののようでもあり、すぐそこに転がっているもののようでもある、不思議なもの。
ヨルにとってのまことの愛がなければ彼は元の姿に戻れない。
――私は、ヨルに、どうなってほしいのかしら。
まことの愛を得て元に戻ったら、ヨルはシズシラの前から消えてしまう。
国元に帰り、きっとシズシラのことなんて忘れてしまうに違いない。
でも、それがきっと一番ヨルのためになることなのだから、シズシラはどれだけ胸が痛んだってそれを受け入れなくてはならない。
彼のために、一刻も早く、まことの愛がなんたるかを見つけなくてはならない。
でも、でも。
それでもなおためらいを捨てられない自分の浅ましさに溜息をこぼしたその時、ちくっとイラクサが指先を傷付けた。
ぷっくりと血がにじむ指先をなんとなくじいと見つめていると、そんなシズシラに気付いたヨルが、音もなく近づいてきて背伸びをしたかと思うと、ぱくりとシズシラのその指を口に含んだ。
生あたたかく濡れた感触に「ひゃっ!?」と声を上げるシズシラを解放して、ヨルはぺろりと自らの口の周りを舐めたあと、いつも通りの平然とした様子で「いったん傷薬を塗った方がいいよ」なんて言ってのけてくれる。
ごもっともであるが、これは、あの、私はスルーしていいのかしら……? 本来のヨルの姿を踏まえて普通に考えたらすごく恥ずかしいことをされたのでは……? と呆然としつつ、とにかく促されるままに、エリザ妃、王妹と共有している傷薬を手元に引き寄せて自らの手に塗り付け、ついでヨルを膝に乗せて、彼の前足、後ろ足、両方に、自分の時よりもよっぽど丁寧に傷薬をたっぷり塗りたくる。
「あなただって傷だらけなんだから、私ばかりに気を遣わなくていいの。ほら、これでいいでしょう?」
「……ありがとう、シズシラ」
「お互い様ね。……って、あの、エリザ妃殿下? 王妹殿下? どうなさったのですか?」
気付けば二人が、それまであれだけ熱中していた手を止めて、こちらのことを揃って見つめていた。
そこはかとなく両者ともに顔が赤い。
シズシラが首を傾げると、王妹が恐る恐ると言った様子でその口を開いた。
「その猫さんって、元は人間なのよね?」
「はい、そうですよ。私と同い年の男の子で、幼馴染です」
「……そ、そうなの」
「はい。どうかしましたか?」
「べ、べべべべ別にっ! なんでもないのよ、ただ仲がよくて結構ね、って思っただけで……ねえエリザお義姉様!?」
こくこくこくこく。
王妹の言葉に、エリザ妃が何度も頷く。
なんだかよく解らないが、たぶん褒められたのだろう。
ありがとうございます、と頭を下げて、シズシラはイラクサ編みを再開した。
それにつられて、エリザ妃、そして王妹も同様に手を動かし始める。
やがて、シズシラが自身の分のノルマを果たし、エリザ妃もまた十一着目の身体部分を編み終えて、シズシラが編んだ袖を縫い付け、残すは王妹が編んでいる片袖を残すだけになった。
あとほんの少し、と、シズシラがほうと息を吐いた、その時だ。
「忌まわしき魔女どもめ! 三人そろって火あぶりにしてくれるわ!!」
敵意と害意がたっぷり込められた怒鳴り声とともに、バルコニーに、くだんの大司教を筆頭にした一団がなだれ込んできた。
驚きに固まるシズシラ、エリザ妃、王妹は、大司教が連れてきたらしい教会務めの兵士達にあっという間に取り押さえられてしまう。
「無礼者! お義姉様と魔女さんに触らないで! 大司教様、どういうおつもり!?」
王妹が身体を拘束されながらも叫ぶが、その懸命な叫びに対し、大司教はふんと尊大に鼻を鳴らした。
「どうもこうもないわ。魔女の甘言に惑わされ、自らも魔に落ちた愚かな娘め。お前達を火あぶりにすれば、国王陛下の目を覚めるであろう。そして、このドルトヘンヴィルトにおける私の地位はより確固たるものになり、信者からの喜捨もより一層……!」
グフフといやらしく笑う大司教の顔は、ぶさいくなガマガエルによく似ていた。アルトハイデルベルクの王子殿下のカエルのお姿は、まだ美形な方だったのね……と場違いにも感心するシズシラの視線に気付いたのだろう。
大司教はシズシラを取り押さえている衛兵に目配せを送る。
次の瞬間、シズシラはバルコニーの床へと身体を押さえ込まれ、続けてその顔を大司教によって蹴り飛ばされる羽目になった。
口の中が切れたのか、血の味を感じる。
痛みと衝撃で声が出てこないシズシラを下劣な視線で見下ろして、大司教は大きく笑った。
「はははははは! リュー一族出身と言えど大した者ではないではないか! これはいい、この魔女はまずは衛兵達の慰み者に……」
してやろう、とでも続けられるはずだった言葉が不自然に途切れた。
風が。
風が、バルコニーを、いいや、それまでただの猫なのだからと放置されていた銀の猫を中心にして、ごうごうと渦を巻く。