【3】
なんとも含むものを感じさせる物言いに、シズシラは先程よりももっと確信的な嫌な予感を感じ、テーブルの上に佇むライラシラの瞳が鋭くなる。
似ていない母娘の視線を一身に受けて、ヨルは「そういえば」と口火を切った。
「この間の旅行のついでに、ちょっとだけドルトヘンヴィルトにも立ち寄ったんだけど、その森で休んでいたお嬢さんと出くわしてね。そうそう、ちょうどたまご色の髪と緑の瞳の、かわいらしいお嬢さんだったなぁ。彼女に、『兄が白鳥に変えられてしまったから元に戻す方法を教えてほしい』って頼まれたから、『完成まで決して口をきかないまま、まことの愛を込めてイラクサで鎖帷子を編んで、それを白鳥に着せれば兄君達は元に戻れる』とアドバイスをしたような……」
ヨルの言葉が続くに連れて、シズシラの顔色はどんどん青ざめていき、ライラシラの表情もまたどんどん険しくなっていく。
「……結局、そういうアドバイスをしたのね?」
確認を込めて問いかけると、ヨルは悪びれることもなくこっくりと首肯した。
「まあしたよね。流石の僕も泣いてすがってくるお嬢さんの願いを無碍にはできなかったし……あのお嬢さん、ドルトヘンヴィルトの妃になられたのか。そんなこともあるんだね」
「言ってる場合じゃないでしょ!?」
つまりエリザ妃の不幸の原因は、元を正せばヴィアナ・リューであるが、現在進行形の原因はヨルのアドバイスによるものであるということが判明した。
「もっと他になかったの!?」とヨルをぶらんと持ち上げて更にぶらんぶらんと揺さぶるシズシラに、ヨルは「そんなこと言われてもなぁ」とぶらんぶらん揺さぶられてもどこ吹く風である。
まったく響いていない。
もおおおお! と嘆くシズシラの耳に、はあ、と重い溜息が届く。
そちらを見上げれば、ライラシラが頭痛を堪えるようにこめかみに手をあてがい、こうべを垂れていた。
「お、お母様……」
『……まあ、十一人もの王子の呪いを解くには、相応の対価が必要とされるものよ。ヨルではなく、我々がエリザ妃から同じ問いをかけられても、同様の助言をすることになっただろう。仕方がないと言えばその通りだ。そう、仕方はないのだが……』
そこで言葉を切ったライラシラは、再び溜息を吐いた。
仕方がないとは解っていても、色々とタイミングが悪かったことについて思うところが山とあるのだろう。
長老として頭を悩ませている母になんと声をかけていいものか解らず、シズシラはおろおろとライラシラとヨルを見比べることしかできない。
ヨルが「これだって〝まっとうなる善意〟によるアドバイスだったのに」と大した反省もなく「運が悪かったよねぇ」と完全に他人事としてつぶやいている。
今回ばかりはヨルのことだけを責める訳にもいかず、シズシラはもうどうしたらいいのか解らなくなる。
どうしよう、と内心でつぶやくシズシラの声に気付いたのか、ライラシラは機を取り直すようにこほんと小さな咳払いをした。
『そういう訳であるのならば、なおさら今回の依頼はシズシラ、そしてヨルが適任であろう。事態がより深刻になる前に、急ぎドルトヘンヴィルトへ発ち、王妹殿下にご説明を。そして、責任を持って、エリザ妃殿下に助力を。私からは以上だ。異論はあるか?』
「……ございません」
『よろしい。では、吉報を待つ』
その言葉を最後に、ライラシラの姿がかき消え、テーブルの上の珊瑚がまるでガラスのように砕け散り、その破片もまた宙に溶けてしまう。
自らの主人の姿が消えるとともに、大人しく事の次第を見守っていたカラスもまた窓から飛び去っていく。
後に残されたのは、シズシラとヨル、そしてすっかり冷めてしまったパンケーキと食べかけのサンドイッチだ。
「よかったね、シズシラ」
「何が!? どこが!?!?」
ヨルの笑みを含んだその言葉に、シズシラは本気で叫んでしまった。
何がどうよかったというのだろう。
思ってもみなかった問題解決に従事することをいきなり求められても、シズシラにはまったく自信がない。
王妹に説明してエリザ妃に助力、と言われても、うまくやれる気なんてまったくしない。
今回はただヨルがしでかしてきた問題を解決してきた時とは違う意味で、絶対に失敗できないのだ。
プレッシャーで心がへし折れそうになっている。
ライラシラが残していった書状を見つめながら震えるばかりのシズシラに、ヨルはのんびりと「よかったじゃないか」とまた繰り返した。
「今までのシズシラだったら、こんな依頼すら任せられなかったでしょ。でも、今回は長老衆がシズシラでも解決できると判断したんだ。それだけ君が落ちこぼれではなくて一人の魔女として認められつつあるってことだよ。ね、よかったでしょ」
「そ、れは、そうかもしれないけど」
「そうかもしれないんじゃなくてそうなんだよ。いい加減自信を持つべきだと思うね。自己評価が低すぎるのは、ときに逆の場合よりもタチが悪いよ」
「……うん」
ヨルの言うことは正しい、とは、以前にも思い知らされたことだったか。
彼の言葉の何もかもが正しい訳ではないことくらい理解している。
けれどその上で、彼は時折シズシラが触れられたくない部分の真理を貫く。
今がきっとその時で、シズシラはきゅっと唇を噛み締めて頷いた。
「ありがとう、ヨル。私、頑張る。だから、その、手伝ってくれる?」
やっぱり一人は心細くてそう問いかけると、ヨルは笑った。
「もちろんだよ、シズシラ」
その肯定がどれだけ嬉しくて心強いかなんて、きっとヨルは知らない。
きっとこれからも知らないまま、ヨルはいずれ元の姿に戻って、シズシラを置いて去っていく。
いつか必ず訪れるであろうその日、せめて笑って見送れるように、シズシラはヨルのその言葉を決して忘れないように胸に大切にしまって、そうしてシズシラとヨルは、食べ損ねかけた朝食を再開した。
そのまま腹を満たしたかと思うと、食後のお茶もそこそこに、すぐさまドルトヘンヴィルトへと向かうことになった。
海辺の北国であるドルトヘンヴィルトにはさまざまなら渡り鳥が集う。
その渡り鳥の群れにまぎれて箒に乗ってやってきたシズシラとヨルは、早速王妹からの書状を証拠に、彼女と謁見する運びになった。
の、だが。
「あの女が魔女じゃない!? そんなの信じられる訳ないでしょう!!」
バーン! とテーブルを手を叩きつけて、ドルトヘンヴィルトが王妹殿下は、大きく声を張り上げた。
北国の生まれらしく淡い色素の、まるでオーロラを思わせる美しい髪と、薄い灰色の瞳を持つ、どこか冷たくありながも、その性格の苛烈さがにじみ出る熱を感じさせる美しい王妹は、この応接室にて正面に座っているシズシラをぎらりとにらみ付けてきた。
王妹はシズシラの来訪を待ち兼ねていたらしく、謁見は驚くほど簡単に叶ったが、だからと言ってシズシラの言葉をそのまま受け入れてくれるかどうかはまったく別の話であったらしい。
シズシラがエリザ妃の経歴と、彼女がなぜイラクサの鎖帷子を編んでいるのかを説明しても、これっぽっちも聞く耳を持ってくれない。
「いいからさっさとあの女をとっ捕まえて、お兄様の目を覚まさせてちょうだい! それが同族の務めというものでしょう!」
「いえ、ですから、エリザ妃殿下はリュー一族出身のお方ではないのです。海の向こうの外つ国の、れっきとした姫君で……」
「証拠はあるの!?」
「も、持ってきてないんですけど、でも」
「ほら見なさい。魔女は別に黒髪赤目ばかりではないんでしょ? あの女がリュー一族の突然変異である可能性だって十分あり得るじゃない」
「ええええっと……」
いや流石に突然変異とまで言われるともう返す言葉がないのだが。
どうしたものかとシズシラは内心で頭を抱えた。