【2】
――私に、依頼?
信じられない言葉に、反射的に勢いよく伏せていた顔を上げるシズシラを、テーブルの上から見下ろして、ライラシラは『なんだ。不満か?』と問いかけてきた。
そうは言われても、というのがシズシラの正直な気持ちだった。
不満かそうでないかという問題ではなく、自分に依頼をこなす真似なんてできるのだろうかという不安の方がよほど大きい。
自慢にまったくならないが、今でもなおシズシラはリュー一族一番の落ちこぼれである。
リュー一族の隠れ里には世界各国からさまざまな依頼が持ち込まれ、隠れ里に住まう魔法使いや魔女はその依頼をこなすことが求められる。
難易度の高い依頼をこなすほど報酬は跳ね上がり、自身も名声を手に入れることになるが、シズシラにはとんと無縁の話だった。
なにせシズシラには、一般的な依頼をこなせるほどの実力はない。
だからこそほそぼそと薬草から軟膏を作ったり、女性が喜ぶ花の香りの石鹸を作ったりと、魔法を使わずとも知識さえあればなんとかできる部分の商いで生計を立てていた。
そんな自分が、依頼を任されるなんて。
大きな戸惑いと不安に顔を青ざめさせるシズシラに、ライラシラは呆れたような視線を向ける。
『お前もそこのヨルがしでかしてきた問題を解決してきたという実績がある。お前が落ちこぼれであることは変わらないが、少しは自信を持て』
落ちこぼれなのに自信を持てとはこれいかに。
お母様、私を励ましたいのか罵りたいのかどっちなんですか。
ものすごくそう問いかけたくなったが、母の切長の瞳が放つまなざしの前では何を言えばいいのか解らなくなってしまう。
結局沈黙するシズシラに、すり、と、ヨルがすり寄ってくる。
ふかふかふんわりとしたぬくもりに無意識に安堵の息を吐き出すシズシラを複雑そうな光を瞳に宿して見下ろしていたライラシラは『とにかく』と続けた。
『落ちこぼれのお前でも解決できると判断した依頼だ。お前が解決してきた依頼よりはまだたやすいはずだ。…………おそらくだが』
「おそらくってそんな全然安心できないのですがお母様……!」
小さくささやくように付け足された聞き捨てならないセリフに抗議するシズシラだが、ライラシラのひと睨みで口ごもることしかできなくなる。
うう、と肩を落として縮こまる不肖の娘を見下ろして、その娘の抗議を完全に無視し、ライラシラは『ドルトヘンヴィルトを知っているか』と問いかけてきた。
気付けば涙ぐんでいた瞳をぱちりと瞬かせ、シズシラはとなりにちょこんと行儀良く座っているヨルと顔を見合わせる。
ドルトヘンヴィルト。
大陸の北に位置する、海に面していることで漁業と貿易業が盛んな国であるはずだ。
そして確か、そのドルトヘンヴィルトでは。
「先達て、国王陛下がご成婚されたと聞いていますが……」
『その通りよ。問題はそこだ』
「そこ?」
とはどこだ。
国王の結婚が何がどうして問題になると言うのだろう。
ますます首を傾げると、小さなライラシラの幻影は、パチンと指を鳴らした。
その途端、ライラシラの幻影の足元の珊瑚がぴかりと輝き、同時にシズシラの目の前にひらりと一枚の書状が現れる。
流石お母様、遠隔転送魔法すら詠唱なしでやってのけてみせなさる……と自分との実力差におののきつつ、ライラシラの視線に促されてその書状を手に取った。
ヨルがシズシラの足に手をかけて覗き込んできたので、彼にも読みやすいように角度を調整してから、シズシラはいざその書面に目を通し始めた。
ライラシラは急かさないが、自然とシズシラの目の動く速度は速くなっていって、そして同時に先程よりも更に顔色が青ざめる。
「ドルトヘンヴィルトの妃殿下が、我が一族の魔女……?」
ライラシラから寄越された書状、それは、ドルトヘンヴィルトの国王陛下から……ではなく、彼の妹君である王妹殿下からのものだった。
曰く、兄であるドルトヘンヴィルト国王が、素性も何も解らない、得体の知れない女を妃として迎え入れたと。
しゃべることができないらしい女は、夜な夜なイラクサで鎖帷子を編んでいる。
怪しい。怪しすぎる。怪しいことこの上ない。
きっとあのイラクサの鎖帷子は呪われていて、いずれ兄である王をとり殺してしまうことだろう。
そうだとも、兄はだまされているに違いない。
あの女は間違いなく魔女、魔女と言えばリュー一族、そうだあの女はリュー一族出身だろう、さっさとなんとかしなさいな!!
――という内容が、王妹からの書状の中で切々と語られていた。
あちこちに飛び散ったインクや荒々しい文字から、王妹がかなりお怒りであることが感じ取れる。
それはもう痛いほどに。
「ち、ちなみに、その妃殿下は本当に我が一族ご出身のお方なのですか?」
『いいや。調べさせたところによると、たまご色の髪にエメラルドの瞳の、美しいお嬢さんのようだね。我が一族の黒髪と赤目からはほど遠い容姿をしていらっしゃるようだ』
「……なんでまたそんなお方を我が一族の魔女だと王妹殿下は勘違いを……」
『そそのかした輩がいるのかもしれないな。だが、妃殿下がリュー一族と関係がないのならば、とにかくこの件は我が一族の預かり知るところではない。よって、依頼は丁重にお断りさせていただく運びのはずであったのだが』
だが、と、そこで言葉を切ったライラシラに、シズシラはなんだかとても嫌な予感がした。
何事も明確に発言し、曖昧な発言を好まない母にして珍しいこのなんとも複雑そうな言葉尻。
これは何かある、と確信するシズシラの視線の先で、ライラシラの幻影は深々と溜息を吐いた。
『イラクサで鎖帷子を編む、その行為は魔法的な意図が感じられるものだ。妃殿下がしゃべらない、という点も気になった。だからこそ我々は、万が一を考えて、王妹殿下に返信するよりも先に妃殿下について少々調べさせてもらった。そうしたら、これが大当たりでね』
「お、大当たり?」
『妃殿下のお名前はエリザ。海の向こうの外つ国の姫君だ。先達て我が一族を出奔した魔女、ヴィアナ・リューがエリザ姫の父である国王陛下に取り入り、エリザ姫の兄である十一人の王子を白鳥の姿へ変え、エリザ姫ごと国を追い出したことが判明した』
「ひえ」
ライラシラはさらりと言ってくれるが、その内容はさらりと聞き流せるものではない。
ヴィアナ・リューの名はシズシラも知っている。
その性格と素行の悪さは格別であり、とにかくやることなすことタチが悪く、一族の中でも問題視され、いずれ取り返しのつかなくなる真似をしでかす前に魔力を封じてリュー一族を追放すべきでは、という話が出てきた頃に姿をくらました問題児。
それがヴィアナ・リューである。
「えっまさか私に、ヴィアナ・リューの討伐をしろとおっしゃるんですか!? 無理です、無理無理無理無理!」
『阿呆、話は最後まで聞かぬか。お前がヴィアナに対抗できぬことなど誰もが解っておる。あやつについては既に、他の魔女達が動いておる。ヴィアナが捕らえられるのは時間の問題であろうよ』
「あ、そ、そうですか……って、なら私は依頼として何をすれば?」
『察しの悪い娘め』
ぎろりとにらみ付けられて縮こまるシズシラに、ライラシラはその小さな手をすいと動かし、シズシラの手にあった王妹からの書状を目線の高さまで見えざる力によって持ち上げてみせた。
『この書状を送ってきた王妹殿下に、事情を説明しておいで。このままではエリザ妃殿下の身も危ぶまれることだろう。元を正せば彼女の身に起こった不幸は、不本意ながらも我が一族が原因だ。王妹殿下、そしてエリザ妃殿下の憂いを、シズシラ。お前が晴らしてくるのだ。お前は落ちこぼれだが、今日までの実績で、それくらいの依頼であればこなせるであろうと我々長老衆は判断した。お前にとっては初の依頼となる。ただの説明ならばまず失敗はせぬだろう。ヨルも連れていくがいい。ヨルはお前よりも口が回るからな、うまいこと王妹殿下を納得させられるだろう』
「は、はい。あの、ですがお母様」
『なんだ』
「そもそもエリザ妃殿下は、どうしてしゃべらないままイラクサで鎖帷子なんてものを編んでいらっしゃるのでしょうか。そんな真似をしなかったら、王妹殿下に疑われることもなかったんじゃ……」
「…………あっ」
「……ヨル? どうしたの?」
シズシラの言葉を遮るように、いかにも今思い出しましたと言わんばかりに声を上げたヨルは、ぱちりと大きく瞬きをして、「もしかしてあれかなぁ」とのんびりと遠くを見てつぶやいた。