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第6章 白鳥の王子【1】

今日の朝食は薄焼きのパンケーキ。

付け合わせにはたっぷりのクリームと、真っ赤な木苺のジャム、それから黄金色のはちみつ。


甘いものばかりでは飽きてしまうから、ちょうど二口ほどで食べられるサンドイッチも用意した。

ハムにチーズ、ベーコン、卵にレタス、トマトにキュウリ。


ついつい調子に乗って作りすぎてしまったけれど、シズシラ一人で食べる訳ではないから、これくらいがちょうどいい。


「ヨル、できたよ」

「うん、ありがとう、シズシラ」


クッションに優雅に寝そべっていた銀の猫が、羽根でも生えているかのように華麗に床に降り立ち、ゆらりとふさふさの立派なしっぽを立てて、テーブルの上に皿を並べるシズシラの元までやってくる。


ふんふんと鼻を鳴らし、ぴくぴくとひげを震わせた彼は、ひょいっと助走もなくテーブルの上に飛び乗った。

お行儀が悪いなぁと思えども、猫の彼がテーブルの上の食事を食べようと思ったらテーブルに乗るより他はなく、そもそも彼の足が汚れている訳でもないのだから、結局シズシラは今日も何も言わずに彼の元にパンケーキとサンドイッチを取り分けた皿を押しやった。


自分の前にも同様の皿を引き寄せて、さて、と早速ナイフとフォークでパンケーキを切り分けて口に運ぶ。

やっぱり焼き立てはいい。

ほかほかの生地と、その熱でとろけるクリーム、甘酸っぱいジャムと花の香りがかぐわしいはちみつが奏でるハーモニーに、シズシラはうっとりとグミの実のような赤い瞳を細めた。


視界の端では、テーブルの上にちょこんと腰かけたヨルが、シズシラが一口サイズに切り分けてあげたサンドイッチに食い付いている。

それでもなお感じさせる気品と優雅さに感心せずにはいられないのだが、それにしても。


「いつまでうちに居座るつもり?」

「それはもちろん、少なくとも元に戻るまでかな。なんだい、シズシラは、無力な猫でしかない僕を追い出すつもり?」

「そういうつもりはないけど……」


そう、そういうつもりはないのだが、まるっと二週間も小さいながらもお気に入りの我が家に我が物顔で居座られると、なんというかこう、「……んん?」と疑問が湧いてくるものである。


シズシラとヨルが、リニーユッセからこのリュー一族の隠れ里に帰還してから二週間。

長老衆議会に報告書を提出し、これまでの問題解決の経緯を認められたシズシラは、ヨルとともにはれて隠れ里に再び住まうことが許されることとなった。


母ライラシラに「ギリギリではあるが及第点と認めよう。……よくやったな」と珍しく素直なお褒めのお言葉を頂いて、シズシラは本当嬉しくて誇らしく思ったものだ。


それはいい。

それはいいのだが、しかし。


「あなたは猫の姿のままなのよね……」

「割と快適だよ」

「そういう問題じゃないわよぉ……」


がくりとこうべを下げるシズシラとは裏腹に、パンケーキのクリームに舌鼓を打つのは、流れ星を集めたかのような銀の毛並みが美しい、長毛種の大型の猫。

それが今なおヨルの姿である。


長老衆にとってもこれはどうやら想定外の事態であったらしい。

「シズシラとであれば、てっきり旅先で元に戻って帰ってくるとばかり……」と長老の皆様は揃いも揃って頭を抱えていた。

いやあなた方がかけた魔法ですよね、とシズシラが突っ込もうにも突っ込めなかった。


人間を猫の姿に変える高等変化術は、長老衆にもそう簡単に解けるものではないらしい。

当たり前だ。

人魚の末姫やアルトハイデルベルクのカエルの王子、ロズィエリストの獣の姿に変えられた王だって、誰もがみな相応の対価――すなわちまことの愛を求められていた。


ヨルの場合、彼曰くの〝血赤珊瑚の長のご温情〟により、シズシラの危機に対して一度は人間の姿を取り戻したものの、それは限定的なものにすぎなかった。

再び猫の姿に変じた彼は、この姿ではまともに生活できないと、この二週間というものシズシラの家ですっかりくつろいで暮らしている。


これはいいのだろうか。いやよくないだろう。

長老衆はヨルを人間の姿に戻すためにあれそれ尽力しているらしいが、この二週間まったく音沙汰がないことを鑑みると、「これはまずいのでは……?」と流石のシズシラも不安になってくる。


ただヨルだけが、猫の姿を満喫している。

周りの焦りなんて、ちっとも意に介さない様子で。


このまま一生猫でいるつもりなのかしら、その場合世話係は私……? となんとも複雑な未来予想図に、ぱくり! とクリームとジャムをたっぷり乗せたパンケーキを口に運んでその予想図をなかったことにしようとするが、ヨルは口の周りについたはちみつを舐め取りながら上機嫌に笑った。


「僕としてはこのまま君と同棲生活を続けるのも悪くないと思っているよ。猫の姿のままだとできないことが多くて、まあそれは不満と言えば不満だけど、でも、猫の姿だからこそできることもあるからね」

「冗談にしてはのんきすぎない?」

「八割は本気だから、のんきというよりは堅実な未来予想図だよ」

「ちょっと待って、どの辺が堅実だって言うの?」

「シズシラのお世話になるところ?」

「勘弁してちょうだい!」


悲鳴混じりに叫べば、ヨルは「まあまあ落ち着いて」と、そっと紅茶で満たされたカップをつつつと小さな手で押しやってくる。

大人しくそのカップを口に運んで喉を潤し、心を宥めようとするシズシラは、内心で溜息を吐いた。


何が未来予想図だ。

元の姿に戻って、次の春に成人を迎えたら、あなたは国元に帰ってしまうくせに。

猫の姿のままであれば確かにこのままずっと一緒にいられるかもしれないけれど、それはきっと、決して望んではいけないことだ。


こっちの気も知らないで、と、もう一度今度こそ実際に小さな溜息を吐くシズシラの耳に、コンコン、と窓が外から小突かれる音が聞こえてきた。

そちらを見遣れば、一羽のカラスが行儀よく窓辺の木の枝に止まって、こちらを覗き込んでいる。


尾羽が他のカラスよりも長く、そこに一筋の赤い流れが混じるカラスは、シズシラの母であり、長老衆の中でも血赤珊瑚の長と呼ばれるライラシラ・リューの使い魔だ。

二週間前に帰還の報告の際に顔を合わせたきりの母からの使いに、シズシラは首を傾げながらもそのカラスを部屋の中へと招き入れた。


「ごきげんよう。お母様からのご連絡かしら?」


カラスを自らの腕に留まらせて問いかけると、賢いカラスはカァとひとつ頷いて、その片足にくくりつけられている何かを示してみせた。

書簡ではなく、小さな入れ物だ。


あら、と目を瞬かせてからその入れ物をカラスの足元から外して、中身を手のひらに出すと、ころりと小粒の、それでいてかなり上質なものと解る赤い珊瑚が一粒。


これは、と目を瞠るシズシラの手のひらの珊瑚が輝き出し、慌ててそれをテーブルの上に乗せると、珊瑚から放たれた光はそのまま小さな人影をテーブルの上に形作る。



『――不肖の娘、シズシラよ』



美しく艶のある声に呼びかけられ、自然とシズシラは姿勢を正して、その場に礼を取る形でひざまずいた。

テーブルから飛び降りてきたヨルがそのとなりに並ぶ。

その様子を威厳をもって見下ろすテーブルの上に佇む小さな人影は、間違いなくライラシラだった。


精霊のように透ける小さな姿は、珊瑚を媒介にした投影魔法によるものだ。

離れた場所にいる者と顔を合わせて連絡し合うために開発された魔法である。

ライラシラの本体は、今頃、長老衆のための塔の研究室にあるのだろう。


ライラシラはシズシラを先程『不肖の娘』と呼んだが、今この場においては、彼女とシズシラは、母と娘としててではなく、一人の長老と一人の魔女として向かい合うことが求められているのだと聡く気付いたシズシラは、「はい、血赤珊瑚の長様」と粛々と答えた。


娘の反応に鷹揚に頷いたライラシラの瞳が、シズシラのとなりのヨルへと向けられる。

その呼び名の通り血赤珊瑚のような美しい赤の瞳が、なんとも複雑な光を宿してすがめられた。


『ヨルも、変わらず息災か』

「ええ、おかげさまで、楽しく猫の姿を満喫させていただいております」

『……そなたのその言い振りは、嫌味なのか本気なのか、私にも解りかねるものがあるな』

「あえて言うなら両方ですので、その評価は正しいものかと」

『…………本当にそなたと言うやつは煮ても焼いても食えそうにないものよの。かわいらしいのは見かけだけか。我が娘がぽんこつだからこそ幸いだったと言うべきか、むしろぽんこつだからこそまずいと言うべきか……』


嘆かわしげにライラシラは眉間を押さえている。

さりげなく母はぽんこつと二回も言ってくれた。

その全体の言葉の意味はいまいち理解できないが、とりあえず褒められていないことは解る。

お母様、それ、どういう意味ですか。


そう首を傾げるシズシラを諦めとあわれみのこもった目で見つめたライラシラは、やがて疲れたような溜息を吐いたかと思うと、すっと表情を長老としてふさわしい威厳にあふれたものへと変えた。


改めて姿勢を正すシズシラに、ライラシラは『シズシラ・リュー』と呼びかける。

はい、とこうべを垂れるシズシラに、ライラシラは続けた。


『お前に、我が一族に届けられた依頼の一つを任せようと思っておる』

「……えっ!?」


一瞬、何を言われたか解らなかった。

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