【3】
伏せられたまぶたの向こうにあった、大粒のぶどうのような紫の瞳。
あまりの美しさに息を飲むシズシラを、百年の時を経てとうとう目覚めたターリアは、じいと見上げてきた。
「――――だぁれ?」
愛らしい声がおっとりと問いかけてくる。
ターリアの瞳に気付けば見惚れていたシズシラは、慌ててその場に膝をつき、ターリアが身を起こそうとするのを支えながら、礼を込めて頭を下げた。
「お初にお目にかかります。私は、シズシラ。シズシラ・リューと申します。この名の通り、リュー一族の者です。ターリア姫、ご無事にお目覚めになり、何よりでございます」
「わたくしは、眠っていたのかしら?」
「はい。事情は……ご存じではないようですね。説明させていただきます」
城内がにわかざわめき出すのを耳で拾いながら、シズシラは、相変わらずじいとこちらを見つめてくるターリアに、彼女にかけられていた呪いとその顛末についてかいつまんで説明する。
リュー一族という生まれを同じくする魔女がしでかした大問題について、シズシラに怒りをぶつけてくるかとも思われたが、ターリアはそんな素振りなどかけらも見せずに大人しくシズシラの話を最後まで聞き終えてくれた。
「……と、いう訳でございます。リュー一族を代表し、此度の不祥事についてお詫び、を?」
「シズシラ様」
深く頭を下げようとしたシズシラの手に、白く華奢な手がそっと重ねられる。
えっと顔を上げると、ターリアがシズシラの手をキュッと握り、やはりじいとこちらを見つめてくる。
あ、あの、と戸惑うシズシラに向かって、ターリアは微笑んだ。
大輪の花のつぼみがほころぶように、白かったほおを薄紅に上気させ、うっとりとターリアはシズシラに身を寄せてくる。
えっなにこれ。どういうこと。
硬直するシズシラを見上げて、ターリアはその花弁のような唇を震わせた。
「シズシラ様……いいえ、シズシラお姉様。あなた様が、わたくしの運命のお方なのですね……!」
「…………へ?」
感極まった様子で、ターリアはますますぴとっ! とシズシラに身体を密着させてきた。
十五歳という年齢にしては豊かなふかふかの胸がふわんと自らの胸に押し付けられ、シズシラは凍り付く。
えっなにこれ。どういうこと。
先程内心でつぶやいた疑問がそのまままるっと繰り返される。
身体は驚きに硬直し切っているが、なんとかまだ動く首をギギギギギギと下方へと向けると、こちらをじ……………っとりと見上げてくるヨルと目が合った。
彼の青と黄の双眸が半分になる。
ヨルはそのまま、にっこりと笑った。
「浮気者」
「はい!?」
色んな意味で聞き捨てならないセリフであるが、反論しようにも、あまりにもヨルの声が低く地を這っていたのでシズシラはあぐあぐと唇をいたずらに開閉させることしかできない。
シズシラをうっとりと見上げるばかりだったターリアは、そこでようやくシズシラのとなりにいる存在に気付いたのだろう。
あら、とぱちりと大きな瞳をまばたかせたかと思うと、ふんわりと微笑んだ。
「シズシラお姉様のお友達かしら? 素敵な毛並みですこと。まるで流れ星を集めたみたいだわ。ごきげんよう、銀の猫さん」
「お褒めにあずかり光栄だけどね。そんなことよりも、なんだって君はシズシラを運命だとかなんとかふざけた大間違いをしているんだい?」
ヨルの声は低く、たっぷりと棘が振りかけられていた。
それこそ先ほどまでこの城を守っていた茨の棘よりももの凄まじいとげとげしさである。
あ、これ、ヨルってばなんでかわかんないけどすんごく怒ってる……! とおののくシズシラとは裏腹に、ターリアはそんなシズシラに身を寄せたまま、「あら!」と柳眉をひそめてみせた。
「失礼な猫さんね。だってわたくしのことを目覚めさせてくださったのはシズシラお姉様なんだもの。これこそ運命でしょう? ね、シズシラお姉様」
「ふぅん。おめでたい頭だね。まだ夢を見ているらしいお姫様に現実を教えてあげなよ、ね、シズシラ」
「えええええっと……!?」
圧が。圧がすごい。
ターリアにもヨルにも同意できない。
ここでうっかりどちらかを選んだら、あとあとものすごく面倒……ではなく大変なことになる気がしてならない。
それはもうものすごく。
予感ではなく確信するシズシラの床についている膝に、ヨルがこれみよがしにしなりしなりとすり寄ってくる。
まるでシズシラは自分のものだとマーキングするような仕草だ。
そのヨルの姿に「まあ!」と声を上げたターリアはターリアで、ますますぴったりくっついてくる。
密度が異様に高い空間が完成した。
シズシラを挟んで、ヨルとターリアの間に火花が散る。
普通にめちゃくちゃ怖い。
――ど、どうすればいいの!?
シズシラが内心でそう悲鳴を上げた、その時。
バーン! と、つい先ほどシズシラとヨルが使った扉が、勢いよく開け放たれた。
びくぅっ! とシズシラは身体を跳ねさせたが、ヨルとターリアは完全にその騒音を無視してにらみ合うばかりである。
えっすごいねふたりとも……と震えながらシズシラが扉の方を見遣れば、そこに立っていたのは、一目で上等なものであると解る作りの武装を身にまとった少年だった。
歳の頃は十二か十三といったところか。
幼いながらも凛々しく整った顔立ちは、いずれ成長すれば誰もが憧れるような男ぶりを見せるに違いないそれであり、確かな気品を感じさせる容姿である。
少年の瞳が、シズシラ……ではなく、シズシラにぴったり身を寄せるターリアへと向けられた。
険しかった彼の表情が歓喜に輝く。
「姫! お助けに参りました!」
まだ声変わりを迎えていない若く瑞々しい声が、ターリアに向かって放たれる。
そこでようやくターリアは乱入者である少年の存在に気付いたのか、そのぶどうのような瞳をちらりと彼へと向けた。
「なぁに? だぁれ?」
シズシラに向けていたそれと同じものとは思えない、スンッと凪いだ冷たいまなざしである。
邪魔しないでくださる? と副音声で聞こえてくるような問いかけに、それでも少年は嬉しそうに駆け寄ってくると、ベッドの手前で膝をつき、見事な一礼を決めてみせた。
「俺は隣国アンドルの王子です。幼きころよりあなたの存在を聞いて育ち、十二の誕生日を迎えた本日、いざあなたを助けに参りました。そこにいるは姫に呪いをかけた悪しきリュー一族の魔女だな!? この手で成敗してくれる!」
「違います! いや確かに私はリュー一族の者ですけど、呪いをかけた魔女ではってあなた聞いてませんね!?」
「覚悟――――!!」
シズシラに皆まで言わせず、アンドルの王子と名乗った少年は腰に提げていた剣を抜き放ち、振りかざしながら駆け寄ってくる。
いきなりシズシラは生命の危機に直面した。