表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/56

【2】

そうして一人と一匹は、一夜を明かし、夜明けとともに箒に乗ってリニーユッセへ向かった。


しばしの飛行ののちにたどり着いたかつての太陽と月の生まれた国は、鋭い棘をたっぷりたくわえる茨にすっかり覆われた、光からはほど遠い昏き国となっていた。

茨は王城を守るためのもののはずだが、そのおどろおどろしい様子は、かつて処刑された十三番目の魔女の執念を感じさせ、シズシラはぞくりと背筋を冷たいものが伝っていくのを感じた。


「到着したのはいいのだけれど……どうやって入ればいいのかしら」

「とりあえず王城の正門じゃない?」

「やっぱり?」


〝茨姫〟を目覚めさせる者は、侵入者ではなく、正当なる客人でなくてはならない。

となればシズシラがこのリニーユッセの王城に入るには、ヨルの言う通り、正門からというのが道理である。


箒を操り、正門と思われる茨の門扉の前に降り立つ。

改めて下から見上げると、これはまたやっぱり見事におどろおどろしい。

もうここまで来ると城ではなくて森である。


「今年が百年目なら、もうこの茨も消えていいはずなのに。何かあったのかな?」

「さて。そこまでは僕にも解らないよ。何はともあれ中に入って姫君を目覚めさせるのが先決でしょ」

「う、うん」


とはいえ、目の前で森のようにはびこる茨は、当時の長老衆による、守護魔法の集大成だ。

シズシラのつたないとすら呼べないぽんこつ魔法ではこの茨をほどくことは叶わない。


ならば。


「こうなったら、やっぱり頼りになるのはこの手しかないわよね」

「え、本気?」

「当たり前じゃない。魔法が駄目なら自分でむしっていくしかないでしょう」


驚いたようにヨルが足元で瞳を瞬かせるが、構うことなくシズシラは、とりあえず目の前の茨に手をかけた。

ちくちくちくり、どころではなく、ざくざくざっくり、と手のひらをいくつもの棘が傷付けるのを感じながら、それでも無理矢理えいやっと一番手前の茨をむしり取る。


茨の森に変化が起きたのは、そうして、流石に痛いなぁと他人事のように思いながら、さて次の茨を、と、シズシラが手を伸ばしたその時のことだった。


「え?」

「おや」


シズシラが手を出すまでもなく、茨がほどけていく。

顔を見合わせるシズシラとヨルの前で、正門である門扉が大きく開かれた。


あれ? あれあれ? と首をひねるシズシラに対し、ヨルが「もしかして」とつぶやいた。


「今この瞬間が、姫君が眠りに就いてから百年経過した瞬間なんじゃない?」

「あっ」


なるほど、とシズシラは傷だらけの両手を打ち鳴らした。

普通に痛くて涙がにじんだが、まあそれはさておいて、なるほどなるほど、そういうことか。


〝茨姫〟の百年の眠りの終焉がやってきたのだ。

彼女は、ターリアは、今こそ目覚めようとしているということだろう。


だったら! と、シズシラはにじんだ涙を拭って顔を輝かせた。


「もう私達、この件は解決したってことにしていいんじゃない!?」

「一応姫君の無事を確認しておいた方が建設的だと思うよ。後から実は目覚めてませんでしたってなった時、シズシラは責任取れないでしょ」

「……ごもっともです……」


シズシラはがくりと肩を落とした。

いくら茨の守護が解けたとはいえ、その中の状況まではシズシラどころか長老衆にすら解らないのだ。

聞くところによると、〝茨姫〟のうわさを聞きつけた不貞の輩が、あの手この手でこの城に侵入しようとしたという。

そのすべてが守護の茨により断罪されたというが、本当にターリアが無事か否かは確かめねば解らない。


ならばシズシラがすべきは、このまま王城の中へと進むことだけだ。


ごくりと生唾を飲み込んで、いざ、と足を踏み出す。

そのすぐ足元をヨルがトトトトと歩きつつ、彼はシズシラを見上げてきた。


「歩きついでに、その手、ちゃんと傷薬を塗りなよ。痛いんでしょ」

「あ、そ、そうだよね。うん、そうする」


呆れ切ったような、そしてどこかとがめるような言いぶりで異次元鞄をくいくいとあごで示してくるヨルに頷いて、手製の傷薬を取り出して手のひらに塗りつける。

やわらぐ痛みにほっとしながら、シズシラはヨルとともに、進めば進むごとにほどけていく茨の道をいく。

シズシラを待っていたかのように、もしくは導くかのように、茨はするするとほどけ、宙に溶けていく。

城内は静かで、自分達の足音以外は何も聞こえない。

あちこちで倒れ伏して眠っている騎士や衛兵、侍女といった王宮勤めの人々が目に入ったが、まずは〝茨姫〟その人の無事の確認が先決だ。


向かうは、彼女が眠っているはずの、この王城の塔の最上階である。


ひょいひょいと階段を軽々登っていくヨルとは対照的に、シズシラの足は限界だった。

日頃の運動不足が悔やまれる。

ぜえはあと荒い呼吸を繰り返しながら階段を踏み締めるシズシラの元に、先を行っていたヨルがわざわざ戻ってきてくれた。


「大丈夫? ちょっと休もうか?」

「だい、じょうぶ! ターリア姫が本当にお目覚めになられるのなら、その時に周りに誰もいなかったらご不安に思われるでしょう? ウチの一族のせいで百年も眠ってらしたんだから、せめてお目覚めの時にはそばにいてさしあげなくちゃ……!」

「……シズシラは本当に損な性格してるよねぇ」

「そんなことない! 普通だと思う!」

「そうかもね。そういうところも好きだよ」


困ったようにさらりとそう続けたヨルは、それからはシズシラの遅い歩みに合わせてゆっくりと階段を登ってくれる。

それからしばらくして、ようやく、本当にようやく、シズシラとヨルは、塔の最上階にたどり着いた。


「つ、疲れた……!」

「お疲れ様」

「なんであなたはそんなに平然としていられるのよ」

「鍛えてるからじゃない?」


たぶん、と続けるヨルに、シズシラはクッと歯噛みした。

今は猫なのに! と罵るのは完全に嫉妬でしかないのでそのセリフは飲み込んだ。


異次元鞄から取り出した水筒で喉をうるおし、ヨルにも手から舐めてもらって、それからようやくシズシラは部屋の中を見回した。


広くはない、狭いと言っても過言ではない部屋だ。

部屋の中心には、このリニーユッセには存在しないはずの紡ぎ車が鎮座しており、そのすぐそばに錘が落ちている。

そして、紡ぎ車の向こうには、薄い天蓋がかかるベッドが置かれていた。


誰かがそこに横たわっているのが天蓋越しでも解る。

きゅっと唇を噛み締めてから、シズシラはそのベッドへと歩み寄り、天蓋の中へと入った。



「……なんて綺麗なお姫様なのかしら」



そうして思わずこぼれたのは、感嘆の吐息だった。


天蓋の向こうの簡素なベッドですやすやと寝息を立てていたのは、それは美しい姫君だった。

長く豊かに流れる、実りの麦の穂のような見事な髪。

髪と同色の長く濃い睫毛に縁取られた瞳は今は伏せられ、そのまぶたの向こうの光は窺い知れないが、誰が見てもきっと美しいと断言するに違いない。


十五歳であるのだという〝茨姫〟、もといリニーユッセが王女たるターリア姫は、同性であるシズシラの目から見ても、眠っている姿だけしか知らなくとも、大層美しいと評されるにふさわしい少女だった。


――尊き身分の方は、みんな、容姿が整っているものなのかしら?


今日まで訪れてきた国々で出会った貴人達の姿を思い返してみると、なんだかそういう決まりがあってもおかしくない気がしてくる。

うーん、それにつけてもお美しい……とシズシラがベッドのかたわらにたたずみ頷いていると、ぴょんっとベッドの上に飛び乗ったヨルが、ターリアの顔を覗き込み、「へえ?」とつまらなそうにつぶやいたかと思うと、すぐにまたベッドから飛び降りてシズシラのとなりに並んだ。


「どれだけ美しいのかと思ったら、こんなものなんだね。うわさは当てにならないな」

「えっ!? うわさ通りとってもお美しいじゃない!」

「まあ確かに美しいけど、僕の方が綺麗でしょ」

「うっ!」


そう言われてしまうと口ごもることしかできないシズシラである。


ヨルの言っていることはものすごく不遜だが、誤りではない。

事実ではある。

今の猫の姿も大層美人さんなヨルだが、元の人間の姿の彼は、ターリアより、今まで出会ったどんな貴人よりもずっと美しい。

輝ける星のようにまばゆいヨルは、美形の多いリュー一族の隠れ里でも、日々取り沙汰されるほどのものだった。


そういえば昔からぴかぴかきらきらしていたなぁと幼少期を思い返しつつ、でもやっぱりターリア姫はターリア姫でとてもお美しいじゃない、と、身をかがめて彼女の寝顔を覗き込む。


その時、ふるり、と、ターリアの長く濃い睫毛が震えた。あ、とシズシラが声を上げる間もなく、ターリアの伏せられていたまぶたが持ち上げられる。


そう、いよいよ茨姫の目覚めの時だ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ