第5章 茨姫【1】
リュー一族の歴史は古く、そして大層長い。
世界各国の史書を紐解けば、建国時よりリュー一族の名が連ねられていることなど、決して珍しいことではない。
誉れ高き高名なる魔法使いや魔女を数えきれぬほど輩出してきたリュー一族は、数々の偉業を大陸の歴史に刻みつけてきた。
だが、その功績が高らかに謳われれば謳われるほど、同時に隠しきれない失態もまたひそやかに語られるものだ。
リュー一族における『茨姫』の伝承もまたその一つである。
リュー一族の長い歴史における汚点の一つとされるその伝承は、かつて豊かな金脈を内包し、『太陽と月の生まれた国』とすら呼ばれた大国、リニーユッセにまつわるものだ。
百と十五年前、子宝に恵まれなかったリニーユッセの国王と王妃の元に、待望の姫君が生まれた。
ターリアと名付けられた姫君の誕生祝いに、当時のリュー一族の長老衆が招かれることとなった。
当時の長老衆の人数は十三人。
だが、招かれたのは十二人。
最後の十三人目の長老たる魔女は、普段から数々の悪行をしでかしており、リニーユッセ側はそんな彼女のうわさを聞いた上で、彼女を招くのを避けたのである。
王と王妃に招かれた十二人の長老は、それぞれターリアに祝福を授けた。
最後の十二人目もまた同様に祝福を、というところで、祝宴に乱入してきたのが、招かれざる十三人目の魔女だ。
彼女は「よくも自分をないがしろにしてくれたな」と、なぜそういう経緯になるに至ったか、すなわち自身の悪行の数々を棚に上げ、怒りのままにターリアに呪いをかけた。
「ターリア姫は十五歳になると、紡ぎ車の錘が指に刺さって死ぬ」という、なんともまあタチの悪い、冗談では済まされない、禁忌とされる呪いを。
王と王妃は嘆き悲しんだが、十二人目の魔法使いがまだターリアに祝福を授けていなかったことが幸いした。
なにせ十三人目の魔女は性格は最悪だが実力だけは一級品というとんでも事故案件だったので、十二人目の魔法使いの力だけでは呪いを完全に解くことはできなかったが、「ターリア姫は死ぬのではなく、百年間眠り続けた後に目を覚ます」と呪いを軽減させることに成功したのである。
王と王妃はその後国中の紡ぎ車を焼き払ったが、結局ねじ曲げられた運命は変えられず、十五歳になったターリアは紡ぎ車の針で指を刺し、眠りに就いた。
同時に王、王妃、そして城の者達も深い眠りに就き、まばゆき黄金の王城は、彼女らを守る茨で覆われることになった。
リュー一族の総意により、くだん十三人目の魔女は処刑されたが、今なおターリアにかけられた呪いは継続し、彼女はいずれ来たる目覚めの日を待っている――とは、大陸でも有名な伝承であり、れっきとした史実である。
という訳で、シズシラとヨルの元に、かつて太陽と月の生まれる国と呼ばれ、今は昏き茨の国と呼ばれるリニーユッセへ向かうようにという通達が、長老衆より下される運びとなったのだった。
「……って、なんで私達がリニーユッセに!?」
とっぷりと日が暮れた森の中、近場の宿場町にもたどり着けず、今夜も野宿かぁと諦めの境地でシズシラが敷き布の上に寝転ぼうとしたところにやってきたのは、長老衆議会の使いであるフクロウである。
夜間であってもばっちり夜目がきく彼女が運んできた書状の内容を読み終えたシズシラは、敷き布の上でがっくりと膝をつきこうべを垂れた。
焚き火がぱちぱちと燃えている。
この書状もその炎にくべちゃったら駄目だろうか。
書状を読まなかったことに、何もかも知らなかったことにしてしまいたい。
けれど長老衆の寄越した書状は、炎にも水にも強い、リュー一族の秘術の一つとされる技法により作られた紙だ。
煮ても焼いても炒めても水に浸しても氷漬けにしても変質しない書状相手ではもう本当にどうしようもなくて、結局シズシラは嘆くことしかできないのである。
「なんだい? リニーユッセに行けだって?」
シズシラが握り潰した書状を覗き込み、ヨルはこてりと小首を傾げた。
焚き火の灯りを青と黄の瞳を映しながら、その美しい瞳が書状の上につづられた文面を滑り、そして「ふぅん」と彼は納得したように頷く。
「なるほど、今年で百年か。とうとう姫君のお目覚めって訳だね。その確認に行ってこいってだけなら、別に大したことじゃないじゃないか」
「大したことあるわよぉ……! ヨル、あなたちゃんと書状読んだ!? もうターリア姫は目覚めていてもおかしくない時期なのにまだ目覚めていないから、ちゃんと彼女を目覚めさせてリニーユッセを解放してこいって無茶振りを長老衆議会はおっしゃってるの! なんで!? なんで私!? 私が落ちこぼれだってこと、一番ご理解しているはずの皆様なのに!!」
なんでえええええええええ!! と、深夜の森に、シズシラの悲痛な叫びがこだまする。
あちこちで眠りに就いていたはずの鳥が驚きに羽ばたく音、獣が不機嫌に低く唸る声が聞こえてきたが、構ってなどいられなかった。
長老衆議会からの通達は、つまりはそういうことであった。
つい先日滞在したロズィエリストの近隣国だからついでだしよろしく! ということらしいが、シズシラにとっては〝ついで〟ではないし〝よろしく!〟なんて軽く頼まれるような話ではない。
そりゃあ百年前のリニーユッセにおけるリュー一族の失態はシズシラとて聞き及んでいる。
あの十三番目の長老のようにはなるなと、リュー一族においてはかの魔女は既に教訓として言い伝えられているのだから。
だからこそ、未だターリア姫が目覚めておらず、王城が茨に覆われている件について、現代のリュー一族が責任を取ろうとするのは当然の流れではある。
それは解るのだが、しかし。
「だからなんで私……? もしかしてアレかな、長老衆の皆様は私が茨に絡まってそのままぽっくり逝っちゃうのをお望みなのかしら」
「いくら血赤珊瑚の長が厳しくても、流石にそこまでしないと思うよ。たぶん」
「たぶん……」
そこで『絶対』ではなく『たぶん』なところが、母ライラシラが血赤珊瑚の長と呼ばれるゆえんである。
これもシズシラが犯した罪に対する罰なのだろうか。
確かにヨルはそこかしこの国で、本人曰くの〝まっとうなる善意の魔法〟を使って色々しでかしてくれてきたが、ようやくその問題解決にも目処が見えてきたところでこの通達。そろそろ心が折れそうである。
リニーユッセについてはヨルは関与していないはずなのに、と、そこまで思ってから、ハッとシズシラは息を飲みヨルを見遣った。
んん? と首をまた傾げる銀の猫をぶらんと抱き上げ、自らの鼻先を彼の鼻先に近付ける。
「まさか、まさかだと思うけれどあなた、リニーユッセにまで足を伸ばしてターリア姫に何かしてきたんじゃ……!」
「やだな、それはあんまりだよシズシラ」
ふにっとピンクの肉球が鼻先に押し付けられる。
反射的に口をつぐむシズシラを、青と黄の双眸が間近からじいと見つめてくる。
彼が人間であったときと何も変わらない、子供の遊び道具であるガラス玉のようにも、あるいは貴婦人の装飾品である宝石のようにも見える、夜闇の中ですらきらきら輝く美しい瞳だ。
その瞳に自分だけが映されていることに気付き、目を逸らそうにも逸らせなくなるシズシラに、ヨルは笑った。
「リニーユッセの茨の加護は、当時の長老衆が総出でかけた特級の高位魔法だ。いくら僕でも手が出せなくて諦めるしかなかったんだよね」
「……それ、やっぱりリニーユッセで何かするつもりだったってことじゃない」
「結局何もしなかったんだから無問題でしょ。世の中結果論だよ、そう思わないかいシズシラ」
「あなたって人はもおおおおお!」
今は『人』ではなく『猫』である、長老衆にすら〝天才〟と言わしめた稀代の魔法使いに対してもうそれ以上の言葉が見つからず、自他ともに認める落ちこぼれの魔女は再び敷き布の上に突っ伏した。
自然とシズシラの手から解放されることになったヨルが擦り寄ってくるが、このささくれだった心は癒されない。
ちくちくちくちく、針でつつかれているような気持ちになる。
「どうせ私なんて、茨に絡みつかれてそのまま干物になるしかないんだわ」
「それはないよ」
「どうして言い切れるの!」
「だって僕がいるじゃないか」
「……」
のろのろと突っ伏していた顔を持ち上げると、すぐそこにヨルがちょこんと座っている。
彼の鼻先が、ちょん、と、シズシラの額に触れた。
「君は僕が守るよ、シズシラ」
当たり前のことを言うように、ヨルは言い切った。
魔力を封じられた彼は今、ただの美人な猫でしかない。
今の状態ならば、もしかしたら落ちこぼれでもシズシラの方が何かしら役に立つかもしれないくらいだ。
それなのに、そんなことは解っているのに、それでもシズシラは、ヨルのそのセリフに、自分でも驚くほど安堵した。
彼が、ヨルがいてくれる。
自分が独りではなく、大切な彼がいてくれるのだと、そう思うだけで、不思議と胸があたたかくなり、こうしてぐだぐだと悩み嘆いているのが馬鹿らしくなってくる。
「……ありがとう、ヨル」
「どういたしまして」
ふふふと笑い合えるこの時間を、忘れないようにしよう。
シズシラはそう思った。
長老衆議会から送られてきた通達の書状は、実は一枚ではない。
ヨルに見せていない、もう一枚が存在する。
そこに記されていたのは、今回のリニーユッセでの件を解決すれば、シズシラとヨルのリュー一族の隠れ里への正式な帰還を許可するという旨。
そして、帰還後は、ヨルを、彼が成人を迎え次第、本来彼が在るべき場所である国元へ返すという旨だった。
まだ彼は猫の姿のままなのに。
――まことの愛を見つけたら。
そうしたらきっとヨルは元の姿に戻れるのだろう。
後顧の憂いなく、晴れて国元に帰れるのだ。
だからこそシズシラは、まことの愛を見つけなくてはならない。
ヨルにとってのまことの愛を。
ヨルはシズシラのことを守ると言ってくれた。
けれどその約束は、永遠ではない。
あともう少しだけの約束だ。
ずっと一緒にいられないことは解っている。痛いほどに。
だからシズシラは、そのあともう少しだけの時間を大切にしようと心に決めて、改めて敷き布の上に横になり、異次元鞄から取り出したブランケットを被って、ヨルを招き入れる。
「明日、朝一番にリニーユッセに向かいましょ」
「ん、了解。じゃあおやすみ、シズシラ」
「おやすみなさい、ヨル」
ふかふかのぬくもりを感じながら、シズシラは目を閉じた。
まぶたの裏が潤んでいくのを感じたけれど、気が付かないふりをした。




