【7】
それは、まだ王が王子であり、醜い獣であったころの話。
そもそもラ・ベルは、商人である父がラ・ベルのためにこの王城の薔薇を盗んだ償いとして、この地にやってきたのだそうだ。
獣とともに戸惑いながらも暮らし、やがてその暮らしに慣れたころ、ラ・ベルはどうしても故郷に残してきた家族に会いたくなったのだという。
獣との交渉の末に、二か月間だけ自宅に戻ることを許され期間限定の帰郷を果たしたところ、そのまま父親に乞われて、その二か月と言う期限を破ってしまったのだとか。
約束を破られた獣は病に臥し、彼の命の灯火は消え失せんとした。
幸いなことにラ・ベルは獣が死の床につく寸前で間に合い、彼とまことの愛を誓い合った。
そして次の日の朝には、醜い獣は美しい王子の姿へと変じていたのだそうだ。
――それは、ハッピーエンドじゃないのかしら。
ラ・ベルの語り口調は淡々としていて、やはり皮肉げなものであるが、その内容は誰もが憧れる素敵な愛の物語であるように思う。
いやだがしかし、ラ・ベルは、今は麗しい王たる青年の獣の姿をいたくお気に召しているのだというのだから、彼女にとってはハッピーエンドではないのかな? と更に首を傾げると、ふふ、とラ・ベルはシズシラを見上げて小さく笑った。
今度は皮肉げな笑みではなくて、いたずらげなものだった。
「魔女さんは、あたしが本気であの人が獣さんの姿になってほしがってるって思ってる?」
「違うんですか?」
「そうねぇ……。半分あたりで、半分はずれかしら」
ふふふ、くすくす。
吐息をこぼすように小さく笑い声をこぼしたラ・ベルは、そうして両手で顔を覆った。
その美しい花のかんばせを、誰の目からも見えないように隠してしまう。
「あたし、ずっと後悔してるの。家になんて帰らなければよかった。ずっと獣さんの、あの人のそばにいればよかったんだわ。だってそうでしょう、あの人、あんなにも素敵になっちゃって。あの人は約束を破ってしまったあたしをそれでも愛してると言ってくれるけど、あたしがあんな風に素敵になってしまったあの人を選んでしまったら、結局顔で選んだってことになっちゃうじゃない」
「そんなこと……!」
「あるわよ。あるの。だから」
そんなことはないと言葉を重ねようとしたシズシラの言葉を遮り、ラ・ベルは体を起こした。
そのほっそりとした手が、シズシラの手にすがるように重ねられる。
「お願い、魔女さん。あの人にもう一度魔法をかけて。あの人はあたしのことを憎むかもしれない……ううん、きっと憎むでしょうけれど、かまうもんですか。あの人の本当の姿を知っていてもなお、あたしは獣さんの姿のあの人を愛する自信があるわ。そうしたらあたしの愛は、まことの愛だと証明できる。ねえお願い、そうでもしなきゃ、あたし、あの人に、あたしのこの想いがまことの愛なんだって伝えられない……!」
今にも泣き出しそうに、ラ・ベルは声を震わせた。
いいや、もう彼女は泣き出していた。
ぽろぽろと真珠のような涙が、琥珀の瞳からこぼれ落ちていく。
ああ、とシズシラは感嘆の息をもらした。
なんて美しいのだろう。
それは彼女が涙するかんばせについてだけではない。
彼女のその、愛しい人に対する想いの、なんて美しいことだろうかと。
結局彼女は、あの王たる青年のことを、心から愛しているのだ。
だからこそこうして彼のことを裏切ってしまったことを悔やみ、自分の愛に自信が持てず、強硬手段でその想いを証明しようとしている。
その姿の、なんて美しいことだろう。
シズシラはもらい泣きしそうになった涙をぐっと飲み込んで、ラ・ベルの手を握り返した。
そしてそのまま立ち上がり、彼女の手を引く。
相変わらず涙を流しながらもシズシラの行動に驚いたラ・ベルが「な、なによ?」と恐る恐る問いかけてくる。
シズシラは、ヨルの笑顔を思い浮かべながら、彼と同じようににっこりと笑ってみせた。
「国王陛下の元へ行きましょう」
「……あの人を、獣さんにしてくれるの?」
「いえ、そうではなく。あなたのその想いをぜーんぶ、国王陛下ご本人にぶっちゃけに行くんです」
「…………はあ!?」
ラ・ベルの口からひっくり返った声が上がるが、構うことなくぐいぐいとシズシラは彼女の手を引っ張り、扉へと向かう。
驚きに思考が追いついていなかったらしいラ・ベルが、慌ててその場に踏み止まろうと抵抗してくるが、先に動いたシズシラに今回は勝機があった。
ぐーいぐいとラ・ベルの手を引っ張りつつ、たどり着いた扉へと手をかける。
「さっきのあなたのお気持ち、あれは私が聞くべき言葉ではありません。本当に聞かなくていけないのは、私ではなく、てっ!?」
ガチャ、と扉を開けていざ王の寝室へ、と足を踏み出したシズシラは、その低い鼻先を思い切り何か……ではなく、誰かの胸板にぶつけた。
たたらを踏んで後退る拍子にラ・ベルの手を解放してしまうが、それよりもわりと勢いよくぶつけた鼻先が痛い。
一体誰が、と、扉の向こうを見上げたシズシラは、あ、と思わず声をもらす。
そして、ラ・ベルが悲鳴を上げた。
「きゃああああっ! なんであなたがここにいるの!?」
「い、いや、銀の魔法使い殿が、急ぎこの部屋に来るようにと案内をしてくれたからであって……」
「なんですって!?」
扉の向こうに立っていたのは、ちょうど話題の中心人物、ロズィエリストが国王陛下たる青年である。
顔を赤らめ、熱の宿る瞳でラ・ベルを見つめる彼の足元から、するりとヨルがシズシラの元へと擦り寄ってくる。
彼を抱き上げたシズシラは、その三角の耳元にそっと耳打ちする。
「陛下を呼びに行ってたの?」
「そういうこと。たぶんうまいこと事が運ぶだろうと思ったんだけど、その通りになったようだね」
「……今回は心から同意するわ」
そんな会話を交わすシズシラとヨルを完全に蚊帳の外にして、王とラ・ベルは互いに顔を真っ赤にしながらなんやかんやと言い合っている。
「君がそこまで僕のことを想ってくれていたなんて……君の気持ちを理解できていなかった僕を、どうか赦してくれ」
「ちっちがっ! あた、あたしはただ獣さんの姿がいいってだけで!」
「それも僕のためを思ってのことなんだろう? 僕は何も解っていなかった。君が誓ってくれた愛がまことのものであるからこそ、僕はこの姿に戻れたのに」
「だから、あたしは……!」
王からの言葉をなんとか否定しようと、ラ・ベルは顔を真っ赤にして涙ぐみながらあれこれ言葉を探している。
そんな彼女を熱く見つめた王は、その長く力強い腕を伸ばし、そのまま彼女を自身の胸に抱き締めた。
わあ、情熱的。
思わずシズシラまで顔を赤らめ、ヨルが「やるときはやるようだね」と評するが、そんな外野などさておいて、王は暴れることもできずに硬直している愛しい恋人の耳元でささやく。
「ラ・ベル。僕だって君の顔が好きだ」
「っ!」
「それから、その素直でなくて意地っ張りな性格も。気まぐれで意地悪で、そのくせ肝心なところで不器用なところも」
「しっ失礼ね! あたしは……うむっ!?」
なかなかな酷評に反論しようとしたラ・ベルの唇に、王の唇が重なった。
わあ、情熱的。
再び同じことを思うシズシラと、その腕の中で「僕らのこと完全に忘れてるね」とあくびをするヨルを置き去りに、王はラ・ベルのしなやかな肢体を改めて掻き抱く。
「顔なんてきっかけだ。僕は君が君だから恋に落ちた。だから君に愛を誓ったんだ。ああ、僕は一体何をためらっていたんだろう! 君が望むのならば、僕は再び獣になろうとも構わない!」
「~~馬鹿! ばかばかばか、馬鹿! あたしだって、あたしだって、どんなあなただって大好きよ! 愛してるわよ馬鹿ああああああっ!!」
互いに大音量の盛大な愛の告白大会である。
気付けば扉の向こうには、王城勤めの面々が山と連なり、客室の中を覗き込みながら、ぐすぐす涙を流しながらよかったよかったと頷き合っている。
きっとロズィエリストは、王城の騎士や侍女達をはじめとした民草に愛される国王夫妻のもとに、これからも栄えていくのだろう。
不思議とそんな確信がシズシラの胸をすとんと落ちてきて、なんだか胸がいっぱいになって、シズシラはぎゅうとヨルを抱き締めた。
「……前女王陛下がおっしゃっていた、ラ・ベルさんの願い事って、つまり、彼女のまことの愛の証明ってことだったのね」
「そういうことだろうね。結局痴話喧嘩ってことか。まったく人騒がせだなあ」
「だからあなたがそれを言うんじゃないの!」
かくしてロズィエリストにおける一件は、幕を閉じることとなる。
この夜の次の朝、シズシラとヨルは王城を発つことになるのだが、その際に王とラ・ベルから「結婚式にはぜひ出席を」と熱望されることになるのだが、それはまた別の話となる。




