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【6】

それから数日、シズシラはヨルとともに、何をするでもなくのんびり……とばかりはいかないものの、基本的には穏やかな日々を過ごすこととなった。


毎日のようにラ・ベルはシズシラの元を訪れて、いかに獣の姿だった王が素敵であったかを切々かつとくとくと熱心に語り、うっとりとほおを薔薇色に染め、そして最終的に「だからお願い、あの人を獣さんにして!」という結論を叩きつけてくる。


いやいやそういう訳には、といくらシズシラが言葉尻を濁しても、ラ・ベルは諦めない。

驚くほど懸命に、必死なまでに、シズシラに魔法の行使を望む。


そんなラ・ベルのことを、影からこっそりと見つめながら物憂げに、を通り越して露骨に涙ぐみながら溜息を吐く王のことも、シズシラは気付いていた。


そしてそんな主君と、主君の想いびとのことを、王城の誰もが心配そうに見守っている。

彼らは無茶振りを言っているラ・ベルのことを責めるつもりはなく、ただ主君のハッピーエンドを望んでいるらしい。


平和だなぁとシズシラは遠い目をするしかない。

いやしかし、それにしても。


「あんなに獣の姿がお気に召してるなんて……。妖精が逃げ出すほど恐ろしい獣の姿にしたんじゃなかったの?」


王城に逗留して気が付けばもう一週間だ。

そのちょうど一週間目の夜、月が天の頂点に坐すころ。

貸し与えられた客室にて、ヨルのブラッシングをしながらシズシラは彼を見下ろした。


部屋の豪華さに当初は恐れ多いとおののいていたが、気付けば慣れていた。

その事実に気付いた時、シズシラは震え上がった。

こんなぜいたくな暮らしに慣れてしまったらもう元の生活に戻れなくなってしまいそうだ。

だからこそ毎日朝晩「ぜいたくは敵……!」と自分に言い聞かせているのだが、それはさておいて、シズシラの膝の上で気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らしていたヨルが首をもたげてシズシラを見上げる。


「そりゃあとびきり醜い獣にしてあげたとも。でなきゃ意味がないでしょ」

「まことの愛なんてまたとんでもない条件突きつけて……」

「それは仕方ないよ。人魚の末姫やアルトハイデルベルクの王子と同じさ。個人の姿を根源から変じさせる魔法には、相応の対価が必要だってことを僕に教えてくれたのは、シズシラ、君だったはずだよ」

「…………」


それを言われてはぐうの音も出ない。

返す言葉もなくシズシラはブラッシングを再開した。


ふかふかさらさらの毛並みは梳るごとにますます輝きを増して銀にきらめく。

今でこそとびきり美人な長毛の大型種の猫だけれど、本来の彼の姿は、やっぱりとびきり美人な人間の青年だ。


よくよく考えてみたらこんな風に膝に乗せてブラッシングなんて、お互いの年齢と性別を考えるとまずいような気もするのだが、毎回ヨルに「お願い、シズシラ」とそれは愛らしくきゅるんきゅるるんと見上げられると強く言えずに受け入れてしまう。


そういえば彼が人間の姿の時から、彼に何かお願いされると、なんだかそれがすごく誇らしく思えて、結局いつだって彼の言われるがままだった。

その結果がシズシラの罪。ヨルへの……リュー一族ではない者への、魔法の教授だ。

さんざんヨルがやらかした、ヨルがしでかした、と繰り返し続けてきたが、元を正せばシズシラが彼に魔法を教えなければこんなことにはならなかった。


結局魔女としての能力ばかりではなく、考え方まで自分は落ちこぼれなのだ。


そう思うと情けなくて仕方なくて、はあ、と大きく溜息を吐く。

部屋のドアがノックされたのは、その時だった。


誰かしら、とヨルを膝の上から下ろして扉を開けると、そこに立っていたのは、夜着を身にまとい、大きな枕を抱えたラ・ベルだった。

予想外の人物にぽかんと口を開けるシズシラに、美女はにっこりと魅力的に笑った。


「恋バナしましょ」

「えっ」

「お邪魔するわね。ほらほら、女子会するわよ。銀の猫さんはしばらくお留守にしていてちょうだい」

「えっあっヨル!」


ラ・ベルは持っていた枕をシズシラのベッドに放るが早いか、そこで寝そべっていたヨルをひょいっと抱き上げてそのまま扉の向こうへと追い出してしまう。

慌てるシズシラをよそに、ゆらりと立派なしっぽを揺らしたヨルは、抵抗するでもなくそのまま廊下へと消えていった。


それを見送って、ぱたんと扉を閉めたラ・ベルは、さっさとベッドに腰を下ろし、ぽんぽんと自らのとなりを叩く。


「ほら、魔女さん。座んなさいよ」

「はあ……」


なんだか逆らえる雰囲気ではなくて、大人しくシズシラはラ・ベルのとなりに腰を下ろした。

追い出されたヨルのことは気にかかるが、シズシラよりもよっぽど賢い彼のことだから、ここぞとばかりに夜の散歩を楽しんでくることだろう。

ならばシズシラができることは、ラ・ベルの誘いに乗っかって、女子会なるもので恋バナなるものをするだけである。


女子会。恋バナ。


どちらも知識の上での単語としては知っているが、それ以上は何も知らない、シズシラからはとんと縁遠いものである。

一体何をするのかしら、とラ・ベルの方を窺うと、彼女は美しく微笑んで「ねえ」と口火を切った。


「この一週間、あたしの話ばっかりしてきたけど、あなたの話も聞かせてちょうだい」

「はあ、私の話ですか」

「そう! あなたにもあるでしょ、胸を焦がすような熱い想い! あなたの想いびとってどんな殿方?」

「別にいませんけど」

「え?」

「え?」


きょとん、と同時に目を瞬かせて顔を見合わせる。

ラ・ベルはシズシラの「いませんけど」発言に驚いているようだし、シズシラはラ・ベルのその驚きの意味が解らない。


ラ・ベルのつややかな琥珀色の瞳が信じられないと言わんばかりに瞠られるが、そんな反応をされてもシズシラとしては困るばかりだ。


ラ・ベルの言う想いびととは、いわゆる恋のお相手というやつだろう。

そんなもの、考えたことがなかった。

シズシラのそばに在ったのはいつだって膨大な魔法の知識ばかりで、他にはなんにもなかった。

それをさびしく思う暇もなく、周囲はシズシラに知識を与え続けた。

シズシラが行使できない、まったくもって宝の持ち腐れにしかならない知識を。


そんなシズシラに寄り付く輩なんて数えるほどにも存在せず、ようはシズシラはリュー一族の隠れ里で孤立していたのだ。

そしてとうとうシズシラが落ちこぼれであると知れ渡り、何人もいた魔法の師が筆を投げたとき、いよいよシズシラは独りに――……。


「あ」

「なに!? 想いびとを思い出した!?」

「え、あ、いえ、想いびとというか、ずっとそばにいてくれた幼馴染はいたなぁと」

「あら素敵! どんな人?」

「人というか、今は猫なんですけど」

「……もしかして、あの銀の猫さん?」

「はい」


ぱちり、と、大きな琥珀の瞳が瞬いた。

あらまあ、とばかりに紅を刷かずとも薔薇色に色付く唇を押さえたラ・ベルは、すす、とただでさえ近い距離を更に詰めてきて、シズシラと自ら以外には誰もいないというのにわざわざ声をひそめてこそこそとシズシラに耳打ちしてくる。


「好きなの?」

「はい」


それだけは自信があるので、シズシラもようやく笑顔を浮かべて力強く頷くと、ラ・ベルはなんとも複雑そうな表情を浮かべ、「なんかあたしの言ってる意味と違う気がするんだけど」と唇を尖らせた。


そんな子供っぽい表情もまた魅力的で、美女ってすごいなぁとのんきにシズシラは感心した。

そんな風にぽけっと間抜けな表情を浮かべるこちらをどう思ったのか、ラ・ベルは、「あーあ!」となんだか随分と盛大な息を吐いて、そのままバタンとベッドに仰向けに倒れた。


どうしたのだろう、と彼女の顔を覗き込むと、ラ・ベルはどこか悔しそうに、そしてうらやましそうに、じいとこちらを見上げてくる。



「どういう意味であれ、あなたはあの銀の猫さんがどんな姿でも、『好き』って断言できるのね」



悔しそうに、うらやましそうに、そして何よりも切なげに、ほうとラ・ベルは溜息を天井に向かって吐き出した。

今まで強気な態度で周囲に接していた彼女の姿とはまた違った雰囲気だ。

いっそ頼りなさすら感じさせる姿に、声をかけられず沈黙する。


ラ・ベルは、元よりこちらの声かけなど期待していなかったのだろう。

構うことなく彼女は天井を見上げたまま、ぽつりとつぶやいた。


「私の顔、どう思う?」

「え? ええと、とてもお美しいと思います」


元は商家の生まれ、つまりは平民であるのだというラ・ベルは、その名前が示す通り、尊き生まれの姫君であると言われても何一つ不思議はないほどに大層美しい。

彼女の大粒の琥珀のような瞳は、見る者の心を今まで一体どれだけの人々の心を奪ってきたのだろうかと思わせるほど魅力的だ。


こんなにも間近で見ても直視に耐える美貌、そうそういない。

なぜかシズシラのそばには幼い頃からそういうとんでもない美貌の幼馴染がいたけれど、それはさておき、ラ・ベルの美貌は『傾国』と呼ばれても遜色なきものだろう。


そんな気持ちを込めてシズシラが忌憚なき意見を口にすると、ラ・ベルは笑った。

皮肉げな笑い方だった。


「でしょう? 顔の美しさだけでみんな、みーんな、私に愛を囁いたわ。けれどね、あの人は……あの王様は、私の顔だけじゃなくて、私の心の醜さを知ってもなお私のことを好きだって言ってくれたの。私、約束を破ってしまったのに、それでも私のことを愛してるんですって」

「約束?」

「そう。破ってはいけない約束を、あたし、破っちゃったの」


その約束が何たるかを問う意味を込めて首を傾げてみせると、ラ・ベルは深く息を吐き出して、それからようやく再び口を開いてくれた。

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