【4】
びっくぅとその場で座ったまま跳ね上がるシズシラの手を、王は両手で持ち上げ、ぎゅうと握り締めてくる。
勢いにおののくシズシラは、ぴくりとひげを震わせたヨルが冷ややかに王を見上げたことに気付かない。
「銀の魔法使い殿はおっしゃった。人間の姿に戻りたくなったときには、まことの愛を手に入れろと。獣である僕の正体や事情を知らないまま、僕にまことの愛を誓ってくれる存在が現れたら、元に戻れると。その存在が現れるまでは、その場に居合わせた侍女や騎士達の姿を彫刻に変え、魔法使い殿は万全を仕立て上げてくださった」
またまことの愛!? とシズシラは膝の上を見下ろすと、何やら面白くなさそうな顔をしているらしいヨルは、「いつまで手を繋いでるの」と低く唸った。
今はそういう問題じゃないでしょ!? と口にするよりも先に、自身が興奮しすぎていたことに気付いたらしい王が「失礼した……!」と慌ててシズシラの手を解放する。
「そう、そして僕は運命の女性と出会った。ラ・ベル。彼女のおかげで僕はこの姿を取り戻し、ようやく安寧を手になさった母上から譲位されるに至ったんだが……!」
ぎゅうぎゅうに握り締められていたせいでじんとしびれる手をそれとなくひらひらさせるシズシラを前にして、王は言葉を切ってテーブルに突っ伏した。
見事なまでの落ち込みぶりである。
何をそんなにも落ち込む必要があるのか、シズシラにはさっぱり解らなかった。
まことの愛を手に入れて、本来の姿を取り戻し、王位を譲られ、あとに待つのはハッピーエンドしかないだろう。
今まで散々苦労した分、存分に幸せになるしかないと思うのだが、この若き王の嘆きっぷりはなんなのか。
何一つ解らずにシズシラは戸惑うばかりであったが、ふとそういえば、と気付く。
「そういえばロザリンド前女王陛下はどちらに……」
「母上ならば僕が獣になった時点で外遊の途につかれている。これまで国に縛られていた分、自由を満喫してくださいと僕からお願いした。僕の事情を知る母上が城に滞在していると都合が悪かったこともあってね。その外遊中の母上から、僕が獣の姿から解放された件について、リュー一族に改めて通達がなされたと聞いているんだが、その書簡は魔女殿の元には届いていないのだろうか?」
「えっ? ちょ、ちょっとお待ちください……!」
聞いてない! 聞いてないわよ!?
そう内心で叫びながら、とりあえずテーブルの上の書状を手に取る。
いくら読んでも女王の筆による息子を襲った憂鬱云々という短い文言と署名、日付けしか記されていない。
この書状しか受け取っていないはずなのにどうして!? と慌てるシズシラの膝の上から、ヨルが身を起こして、ふんふんと書状の匂いを嗅ぐ。
そして、「あ」と小さく彼はつぶやいた。
「これ、二枚重なってるね」
「え゛っ!? うそでしょう!? そんなことある訳…………うそ、ほ、ほんとだ……」
爪先でかりかりと書状のはしを引っ掛けると、はらりともう一枚の書状がはがれ落ちる。
慌ててそれに目を通すと、その内容は、王が語った通りのもので、銀の魔法使い、もといヨルへの丁寧な謝礼文がとくとくとしたしめられていた。
思わず無言になって膝の上を見下ろせば、ヨルはやはりにっこりと笑う。
「ほら。〝まっとうなる善意の魔法〟でしょ?」
「…………」
得意げになるでも誇らしげになるでもなく、ただ当たり前のことを当たり前のこととして言い切るヨルに、先程の王ではないが、シズシラこそその場に沈没しそうになった。
だがしかし、それでもまだ疑問が残っていたので、なんとか沈没しそうなところを踏みとどまり、シズシラは「でしたら」と王に向き直った。
「何故私は……というかリュー一族がお招きにあずかったのでしょうか? これまでのお話によると、我々の力はもはや国王陛下には不要かと存じますが」
「だからそこなんだ!!」
「ひえっ!」
二度目のテーブルダァン! である。
またしてもびくつくシズシラの膝の上で、ヨルが「あ、三枚目」と不穏な発言を小さくつぶやいた。
シズシラが恐る恐る見下ろした二枚目の書状、その端を見ると、ぴらりと覗く三枚目。
とんでもない目眩を感じながらその三枚目をいよいよ剥がそうとした、その時だ。
「お、お待ちください妃殿下!」
「うるっさいわね、あたしはまだお妃様じゃないわよ!」
「今、陛下はお客様のご対応中でして……!」
「そのお客様にあたしも用があるの! 邪魔しないでちょうだい!」
「ひ、妃殿下、落ち着いてくださ……っ!」
「だからまだお妃様じゃないって言ってるでしょ!!」
……何やら扉の外が騒がしい。
若く張りのある、瑞々しい女性の怒声と、その女性を宥めようとする周囲の声音。
何事かとおろおろと挙動不審になるシズシラに対して、王ははっと姿勢を正してこの応接室の扉の前に立つ騎士に目配せを送る。
騎士が一礼し、扉を開けようとその手をドアノブに伸ばした、その瞬間。
――――バァン!!!!
騎士が扉を開けるよりも先に、向こう側からすさまじい勢いで扉が開け放たれた。
扉が砕け散らなかったのが奇跡と思えるような勢いであった。
しかし驚いているのはシズシラだけで、ヨルはあくびを浮かべて毛繕いを始める程度には余裕たっぷりであり、王はなぜか歓喜に顔を輝かせ、周囲の騎士や侍女達は「おやおや……」「あらあら……」と微笑ましげに若き王を見つめている。
えっなにこれ。
そう戸惑うシズシラの視線の先には、扉を大きく開け放した張本人がいる。
そこにいたのは、美女だった。
それもそんじょそこらの美女ではない。
とんでもないとびきりの、という枕詞が着くようなド迫力美人だ。
美しさの種類こそ違えど、先達て出会った人魚の末姫や白雪姫と並んでも遜色はないだろうと断言できるような美女である。
思わず見惚れるシズシラだったが、彼女の琥珀色の瞳がギラリと向けられると、反射的に縮こまってしまう。
美女に睨まれるのは普通に怖い。
目を逸らすこともできずに美女と見つめ合うシズシラは何か言おうと言葉を探すが、それよりも先に、王が立ち上がり、いそいそと嬉しそうに軽い足取りで美女の元へと歩み寄る。
「ラ・ベル! 部屋から出てきてくれたんだね。もしかしてようやく僕と結婚を……」
「違うから引っ込んでて」
スパッ!!!! とラ・ベルと呼ばれた美女は王の言葉を一刀両断にした。
そこには情けも容赦もない。
見事なまでの切れ味に、おおー、と、つい拍手するシズシラの元に、カツカツと高いヒールの音を鳴らしながら歩み寄ってきた美女、もといラ・ベルは、シズシラの前で身を屈めたかと思うと、がしっ!! とシズシラの両手を自らの片手で握り込んだ。
え? と瞳を瞬かせるシズシラを極めて真剣に見つめてくる彼女は、そうして、空いているもう一方の手で、ビッ!! と悲しみに打ちひしがれ周囲からあれそれとフォローされている王を指差した。
「リュー一族の魔女さん、あの人にもう一度魔法をかけて!!」
「…………はい?」




