【6】
かわいいむすめ。
その言葉を口の中で反芻し、きょとんとシズシラは首を傾げた。
「……えっ?」
どういうことなの、と、現状の事と次第を見守るばかりになっている七人のドワーフの方を振り返ると、彼らも戸惑い切った様子で首を傾げ合っていた。
代表してドクが「王妃殿下」と口火を切る。
「お前様と姫さんは不仲じゃと聞いておるんじゃが」
「そう、ね。確かに、厳しく接してきたわ。いずれ国を背負って立つ王位継承者のブランシェが、また誰にも馬鹿にされないようにね。あたくしにできるのは、ブランシェをどこに出しても恥ずかしくない女王にすることだけだから」
「……お前様の持つ魔法の鏡が、世界で一番美しいのは白雪姫だと言って、だから姫さんのことを亡き者にしようとしているんじゃと、リヒルデばかりかこの森の動物まで聞いておるんじゃが……」
「鏡の言うことに異論があるのは当然でしてよ。だってブランシェは美しいのではなく、世界で一番かわいらしいんだもの。鏡とは解釈違いが原因で今も絶賛戦争中よ。夜毎今日こそ殺してやるわ! って鏡の精に怒鳴りつけているけど、それが何か?」
「…………狩人に姫さんの心臓を取ってこいと命じて、そのせいで姫さんはわしらと暮らすことになったんじゃが」
「はあ? あたくしは狩人に、ブランシェを息抜きとして森に連れて行ってあげてと命じただけよ。ついでに滋養をつけてあげるために、獣の心臓を塩茹でにして食べさせてあげてと命じたけど……待ちなさい、もしかしてこの話、どこかで捻じ曲がってるのかしら」
「………………行商に化けて呪いの腰紐と櫛を売りつけたんじゃないのかの?」
「確かに腰紐と櫛を渡しにはきたわよ。息苦しい王宮よりも気ままな森の暮らしの方がブランシェのためだとはいえ、年頃の娘がおしゃれもできないのは不幸なことでしょう? だからそこの銀の……今は猫にされてるようだけれど、たまたま出会ったそこの魔法使いから、腰紐と櫛を買い取ったの。ブランシェに喜んでほしくて。それが、そう、それがどうして死を招く呪具なのよ!?」
その場の視線がすべて、銀の猫、もとい銀の魔法使いたるヨルのもとへと集まった。
シズシラの不安たっぷりの視線、王妃の殺気じみたどころか殺意に満ちた視線、ドワーフ達の訝しげな視線、それからついでに完全に蚊帳の外に追い出されている青年の困惑の視線、すべてを悠然と受け止めて、ヨルは笑った。
猫であるのに確かにそうと解る笑顔で、彼は続ける。
「僕が王妃に渡したのは、持ち主の願いを叶える腰紐と櫛だよ」
「嘘をおっしゃい! あたくしは、あたくしは一度だってブランシェの死を望んだことなんてないわ!」
「うん、だから、『持ち主の願いを』って、何度も言っているじゃないか。耳が遠くなるにはまだ早いんじゃないかい、王妃」
「なんですってえええええええ!?」
「あああああもう、ヨル! だから! もうどう言うことなの!? まどろこっしいこと言ってないで、結論をお願い!」
結い上げられた黒髪を掻きむしらん勢いで怒気を放つ王妃から庇うように再びヨルを抱き上げて、間近でシズシラが懇願すると、彼は「だからね」とちらりとその視線を、泉のほとりのガラスの棺へと向けた。
「王妃から譲渡された時点で、腰紐も櫛も、持ち主は王妃ではなくブランシェ姫となる。つまり」
青と黄の双眸が、ぐるりと周囲を見回して、それから最後に、目の前の王妃を捉えた。
「腰紐と櫛によってブランシェ姫が死んだって言うのなら、それはブランシェ姫自身が、自らの死を望んだってことだ」
その瞬間、息を飲んだのは誰だったのか。
王妃の顔色が蒼白になり、ぐらりとその身体が傾ぐ。
いつのまにかすぐそばまで来ていた青年が彼女の身体を気遣わしげに支えた。
かつて赤林檎の長と呼ばれた誇り高き貴婦人は、その青年の腕を振り払うこともできずに、支えられるがまま、ふらふらと再びガラスの棺へと向かう。
「――――ブランシェ」
王妃の紅に彩られた唇が震える。
白い手がそおっとガラス越しに、ガラスの向こうの美しい少女の輪郭をなぞる。
「どうして? どうして、ブランシェ。お前は誰よりも幸せになるべきだったのに。あたくしが愛した男のかわいい娘、お前はあたくしにとってもいとしい娘だったの。ねえ、あたくし、林檎をあげたでしょう。あたくしが手ずから育てた、とっておきの林檎だったのよ。腰紐の時よりも櫛の時よりも、お前は嬉しそうにしてくれた。あたくし、本当はね、本当に嬉しかったの。どんなまじないもかかっていないただの林檎なのに、嬉しそうに受け取ってくれたお前に、いずれお前が城に戻ってきたらもっとたくさん食べさせてあげようと……」
ぽろぽろと涙を流しながら物言わぬ娘に語りかける貴婦人は、確かに一人の母親の姿だった。
王妃を支える青年も、遠くから見守る七人のドワーフも、ぐっと涙をこらえて王妃のセリフに聞き入っている。
ヨルはシズシラの腕の中でつまらなそうにあくびを浮かべていて、なんて空気が読めない幼馴染なのかとシズシラは眉をひそめ、そして、ふと気が付いた。
「……ん?」
「どうしたの、シズシラ」
「ねえヨル。今、王妃様、ただの林檎って仰ってた?」
「言ってたね。どうやらブランシェ姫のこの三度目の死は、その林檎によるものらしいけど……実はただの林檎じゃなくて、死を招く毒林檎だったのかな?」
「ううん、違うわ。きっとそうじゃなくて、本当にただの林檎だったのよ! だったら!」
「シズシラ? うわっ!」
ぽーいっとヨルを放り出し、シズシラはガラスの棺の元へと駆けた。
泣き濡れる王妃が驚きに目を瞠るが、構うことなくガタガタと棺の蓋を開ける。
そのまま王妃を押し退けて、雪のように白い肌、黒檀のように黒い髪、血のように赤い唇を持つ、王妃曰く『世界で一番かわいらしい』美少女の身体をなんとか起こす。
シズシラの強引な行動に、王妃が目の色を変えてシズシラに食ってかかる。
「あ、あたくしの娘の遺体を辱めるつもり!?」
「違います! ちょっとだけですから見ててください、あの、邪魔しないでくださっ!?」
「今度こそあたくしがブランシェを守るのよ! おどきなさい小娘!」
「あいたたたたっ! すみませんすみませんちょっとだけ! ただの林檎が原因なら、きっとこれで……って、あ゛っ!!!!」
ブランシェの身体を抱え上げたシズシラに王妃が掴みかかり、そのまま押し合いへし合い揉み合いになるうちに、シズシラはバランスを崩してベチャッと転ぶ。
その腕に抱いていたブランシェの身体が宙を舞い、ばしゃーん!! と泉に沈んだ。