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【5】

この黒い森を庭とするドクの歩みはよどみなく、シズシラは大人しくその後に続く。

それから獣道をえっちらおっちらと歩くことしばし、ふと腕の中のヨルが顔を上げて、ぴくぴくと三角の耳を震わせた。

てっきりもう眠っているのだとばかり思っていた彼の予想外の様子に思わず「ヨル?」と声をかけると、彼はじいと前を行くドクの背中、更にその向こうへと青と黄の双眸を向けてすうと細める。


「泣き声」

「え」

「誰か泣いてる。……んん? この声、聞き覚えが」


どういうことなの、と問いかけるよりも先に、ドクが「そろそろじゃ」と足を早めた。

シズシラも足早になって彼の後を追いかける。


そして、進むにつれて聞こえてきた声に、シズシラもまた、ぱちりと瞳を瞬かせた。



「泣き声……」



そう、泣き声だ。

悲嘆に暮れた女性の泣き声が、ひそやかながらも確かに聞こえてくる。

それは足を進めるごとに近づいてくるようだった。


こんな森深くで誰が、どうして。

首を傾げるシズシラを肩越しに振り返り、ドクが「はて?」とシズシラ同様に首を傾げる。


「泣き声? わしには聞こえんが……歳を取ると耳が遠くなっていかんのう」

「あの、女の人の泣き声が聞こえるんです。急ぎましょう」

「急ぐも何も、すぐそこじゃ」


その言葉の通りだった。

鬱蒼と生い茂っていた木々を一気に抜けて、金色の陽光に水面をきらめかせる泉が眼前に広がる。

わあ、と、現状も忘れてその美しさに見惚れそうになったが、そんなシズシラをものすごい勢いで現実に引き戻す声が聞こえてきた。

くだんの泣き声である。


「ああ、ブランシェ! ブランシェえええええっ! どうか目を覚ましてちょうだい!!」

「レ、レディ、少し落ち着いて……」

「落ち着ける訳ないじゃない! 下手な同情は無用よ、引っ込んでなさい! それよりもブランシェ、ブランシェが!!」


泉のほとりには、聞いていた通りガラスの棺が安置されている。

その棺に取りすがって号泣している妙齢の貴婦人がいた。


葬送を意味する黒いレースのヴェールを涙でぐっちゃぐちゃにしながら、彼女は棺に突っ伏して、ヴェール越しでもそうと解るほどものすさまじく泣きじゃくっていた。


そのとなりには、身なりのよい、女子供がうっとりと見惚れそうな整った容姿の青年がいる。

彼は貴婦人を懸命になぐさめようとしているが、貴婦人にとってはそれは何の癒しにもならないどころかうっとうしい以外の何物でもないらしく、泣きじゃくりながら「だから放っておいてちょうだいと言っているでしょう!」と噛み付いている。

そしてそんな貴婦人と青年の様子を、離れた位置からこわごわと見守っているドワーフ六人。

なんだこれ。


どういうこと? とシズシラが呆然としていると、ドクがひょこひょこと歩いて仲間達の元まで行き、「ありゃなんじゃ?」と問いかけた。

問いかけられたドワーフ六人はそれぞれ顔を見合わせ合い、代表してドーピーがのんびりしつも困惑し切った様子で「それがのう」とちらりとガラスの棺の方を見遣った。


「わしらがここに到着した時には既にあの様子での。あのレディの方は姫さんの知り合いらしいが……他にはなーんにも解らんのじゃ」


あの様子じゃ下手に声もかけられん、と困り果てた様子のドーピーに、残りの五人のドワーフも同意するように何度もこくこくと頷く。

その間にも貴婦人の悲嘆に満ちた泣き声は止まない。

止まないどころかどんどんヒートアップしていくようである。

べったりと棺にはりついて、そのガラスの向こうで眠るように死んでいる美少女を見つめ、貴婦人はぼたぼたと涙を流す。



「ブランシェ、ブランシェ、かわいいかわいい、あたくしのいとしい娘……!」

「え?」



今、聞き捨てならないセリフが貴婦人の唇からほとばしったような。

うっかり腕から力が抜けて、抱いていたヨルを地面に落としてしまう。

音もなく優雅に地面に着地したヨルはじいとしばし泣きじゃくる貴婦人を見つめてから、やがて納得したようにこっくりと頷いた。


「ああ、なるほど。誰かと思ったら、あの女性、リヒルデの王妃じゃないか」

「ええ!?」

「「「「「「「なんじゃと!?」」」」」」」


シズシラとドワーフ達の驚きの声が重なった。

思いの外大きなその叫びに、ようやくこちらの存在に気付いたのだろう。青年が貴婦人からこちらへと顔ごと視線を動かし、貴婦人もまたようやく、本当にようやくのろのろと顔を上げる。

その瞬間、折しも吹いた風が、貴婦人の黒いヴェールをさらっていった。そしてシズシラは、大きく目を瞠ることになる。


「あ、赤林檎の長!?」

「お、お前は、血赤珊瑚のの娘!?」


シズシラと貴婦人の声が重なった。


貴婦人の丁寧に結い上げられた髪は黒。

そして泣き濡れた瞳は林檎のような赤。

黒い髪と赤い瞳は、リュー一族の生まれの証。そしてシズシラは、貴婦人の顔を知っていた。


ぞくりとするような色香を放つ美貌の彼女は、かつてリュー一族の長老衆の一人として数えられていた魔女だ。

赤林檎の長と呼ばれていた彼女は、数年前に「あたくしはまことの愛に生きるわ!」と言い残し、隠れ里を後にした。


その空いた長の席に改めて座ったのが、シズシラの母である、現在は血赤珊瑚の長と呼ばれる魔女、ライラシラである――とは余談だ。


とにかくなぜにその赤林檎の長がここに。

しかもブランシェ姫を娘って呼んでいた。

加えてヨルは彼女を〝リヒルデの王妃〟と呼んだ。


えっなに、つまり、そういうこと?


「お、お久しぶりにございます、赤林檎の……」

「やめてちょうだい。あたくしはもうリュー一族とは関係のない、一人の女よ。そしてブランシェの母……そう、母親に、なりたかったのに、この子ったら、その前に死んでしまうなんて……! あたくしが魔力を封じていなかったら反魂術だって使ってみせたのに、ってそうだわ! そこの血赤珊瑚のの娘!!」

「は、はい!」

「この子に、ブランシェに、反魂術を使いなさい!」

「はい!?」


怒涛の勢いにまったくついていけない。

ガラスの棺から離れたかと思うと凄まじい勢い、そう、それこそ掴みかからんばかりの勢いでシズシラに詰め寄ってきた元赤林檎の長、現在ひリヒルデの王妃である貴婦人は、その赤い瞳をぎらつかせてシズシラの手を取った。


そこでシズシラは気が付いた。

どれだけ居丈高で強気な物言いでも、王妃の手が、緊張に震えていることに。

未だ涙をたたえる赤い瞳が、不安に揺れるすがるような光を宿していることに。


リュー一族に生まれた魔法使いや魔女が、リュー一族の名を捨てるとき、その魔力のすべては封じられることが義務付けられている。

シズシラの目の前にいるのは、本人の言う通り、もうかつて赤林檎の長と呼ばれた高名なる魔女ではなく、ただ美しいだけの無力な貴婦人なのだ。


だからこそシズシラは、リュー一族の魔女として、王妃の手を握り返し、ゆるりとかぶりを振る。


「申し訳ありません。本当にブランシェ姫が事切れていらっしゃるならば、私には彼女を救うすべは……」

「っ! この、落ちこぼれが! 血赤珊瑚のも哀れなものね、こんな使えない娘を持って!」

「……」


返す言葉もなくこうべを垂れると、「ちょっと」と低い声が足元から聞こえてきた。

ヨルだ。

彼が瞳を鋭くすがめ、冷たく王妃を見上げている。


「自分で招いた結果を、シズシラに当たらないでくれないかな。いい歳してみっともない」

「なっ!」

「ヨ、ヨル、いいから」

「よくないよ。こんな風に君を馬鹿にされて黙っていられるほど、僕が腑抜けだと思われているのなら極めて心外だ」


ヨルの声は、淡々としていながらも、確かな怒りを宿していた。

ぐっと胸の奥からせぐり上げてくる何かを感じて唇を噛み締めるシズシラをよそに、王妃はヨルを睨みつけ、そしてようやく気付いたように「お前……!」と声を怒りにわななかせる。


「お前、お前がよこした腰紐と櫛! あれはどういうことなの!? あたくしはブランシェが喜ぶ贈り物と思ってお前から腰紐と櫛を買い取ったのに! 命を奪う呪具だなんて聞いていなくてよ!?」


シズシラの手を解放したかと思うと、今度は今にもヨルをくびり殺さんばかりにその手を伸ばす王妃の手から庇うようにヨルを抱き上げて後退る。

王妃の発言をやっとの思いで噛み砕き、これまでの彼女の行動や様子も顧みて、そしてシズシラは「ええと」と恐る恐る口を開いた。


「あの、王妃様は、ブランシェ姫を殺したがっていらしたのでは……?」

「はあ!? なんですって!? どうしてあたくしがかわいい娘を殺さなきゃいけないの!? 冗談じゃなくてよ!」


烈火のごとき様相の王妃の怒声が、黒き森に盛大に響き渡った。

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