【4】
曰く、最初は腰紐だったと。
七人のドワーフが採掘に出かけている間に家にやってきた親切な行商から買ったのだという腰紐で、ブランシェはぎゅうと締め付けられ、事切れていたのだそうだ。
幸いなことに腰紐をはさみで切ってやったところ無事に彼女は息を吹き返したらしい。
これにて一件落着かと思いきや、数日後再びブランシェは命を落としたのだという。
今度は櫛だった。
ドワーフ達が不在の折に、またしても親切な行商に売り付けられたのだという櫛を頭に刺され、ブランシェはやっぱり事切れていたのだとか。
だがこれまた幸いにも、その櫛を抜いてやったことでブランシェは無事に生還したのだそうだ。
「本当に運の悪い姫さんでのう。おかげでちいとも目が離せん。そういう手がかかるところもかわいらしいが、命が危険にさらされているとあってはおちおち採掘にも出かけられんくなってしもうたわ」
「…………」
いや、もうそれ、運がいいとか悪いとか、そういう次元の話ではない。
完全に殺人事件である。
ドクは気付いていないようだが、彼の言う〝親切な行商〟とやら、怪しいにもほどがある。
ブランシェがこの森に入ったきっかけが、継母に命を狙われたからこそだというのならば、普通に考えて、その行商は継母の手のものであると考えるべきだろう。
腰紐、それから櫛。
どちらも取り除くことで息を吹き返したということはつまり、それらは直接的な凶器であるというよりは、『死』という概念を招く魔法具であると考えられる。
対象に自身が死んだと思い込ませ、そのまま対象の身体は『死』という概念を抱え込んだまま目覚めることなく、やがて本当の意味での衰弱死を招く魔法具――いいや、呪具とでも呼ぶべき凶器だ。
そんなもの、いくら一国の王妃と言えども簡単に用意できるものではない。
つまりは魔法使い、あるいは魔女が関わっていると見るべきなのだろう……と、そこまで考えてから、ふとシズシラは、ヨルがそっぽを向いていることに気が付いた。
こちらを見上げていたはずの彼は、ミルクを飲むのを再開する訳でもなく、あらぬ方向を向いてゆらゆらとしっぽを揺らしている。
その姿に、シズシラはピンときた。
悲しいことに、ピンときてしまったのだ。
「……ヨル」
「なんだい?」
「呪いの腰紐と櫛に、心当たりがあるのね?」
問いかけではなく確認である。
ぱた、と、ヨルのふさふさとした立派なしっぽが倒れた。
そのままふらりとその場を離れようとする銀の猫の身体をわしっと両手で掴み引き寄せ、自分の視線の高さまで持ち上げて彼の瞳を覗き込むシズシラの目に、ぶわっと涙がにじむ。
「もおおおおおおおお! なんってことしてるのよあなたってばああああああ!」
「違うよシズシラ。僕が作ったのは持ち主の願いを叶える腰紐と櫛であって、間違ったって人殺しのための呪具じゃないさ」
「結果が同じなら似たようなものじゃない! ……って、待って、もしかしてあなたがくれたお土産の中の腰紐と櫛……! あれってもしかして」
小旅行からリュー一族の隠れ里に帰ってきたヨルは、シズシラにそれはたくさんのお土産をくれた。
一例として挙げられるのは、先達ての人魚の末姫の声が封じられた巻き貝だが、それ以外にもヨルはそれはそれは美しいあれそれをシズシラに譲ってくれた。
その中にあった、色とりどりの糸で編み上げられた虹色の腰紐と、つやめくべっ甲のような見事な彫刻がほどこされた櫛。
ヨルの手作りなのだというそれらに、なんて綺麗なのだろうとシズシラは当時感動したものだ。
隠れ里の中に引きこもっていたら決して手に入らない逸品。
何よりヨルが自分のためにわざわざ旅先で用意してくれたことが嬉しくて、シズシラは心を躍らせたのだけれど、まさか。
まさか、あれらが。
さっと顔色を変えるシズシラに、ヨルはぴくぴくと長いひげを震わせて、「大丈夫だよ」とまったく信用できないのんびりとした調子で続けた。
「シズシラにあげたのは普通の腰紐と櫛だよ。なんのまじないもかけてないから安心して。君にあげるための練習に作ったやつにこうちょいちょいと呪をかけたやつを、王妃が譲ってほしいっていうからそのままはいどうぞと」
「どうぞじゃないわよおおおおお……」
頭がずきずき、胃がきりきりと痛む。
許されるのならばその場に突っ伏して転がり倒したくなるくらいだ。
つまりはそういうことである。
結局今回の件も、根本的な原因はヨルであり、ひいてはシズシラであるという訳だ。
最悪である。
もしかしたら長老衆はそれを解っていて今回の依頼をシズシラ達に渡したのかもしれない。
いよいよ逃げ道がない現実にめまいを感じる。
「リヒルデの王妃が娘に何か贈り物をしたいって言うから、年頃のお嬢さんにふさわしい腰紐と櫛を用意しただけさ。その後のことまで責任を取れって言われても僕の預かり知るところじゃないね」
「無責任な!」
「まさか娘を殺すための贈り物だとは思わなかったんだよ。確かにだいぶ面倒くさい王妃だったけど、でも、暗殺まで企てるような女性には見えなかったんだけどなぁ」
うーん、と、宙に吊るされたまま首を捻るヨルを、シズシラは今度こそ本気で怒鳴りつけたくなったが、こちらのやり取りを静かに見つめてくるドクの手前、それは諦めた。
ヨルを膝の上に下ろして、無言でドクに頭を下げると、彼は「ふぅむ」とひとつ頷いて自らの豊かなひげを撫でた。
「お前さん達の話によると、前回、前々回の件で姫さんの命を奪ったのは、その銀の猫殿の手による呪具ということじゃな?」
「そ、そのよう、です。大変申し訳ございませ……」
「僕は欲しいって言われたから譲っただけだよ。〝まっとうなる善意〟極まりない厚意じゃないか」
「ヨル!」
よくもまあいけしゃあしゃあと! と、シズシラが批難を込めて膝の上でさっそく丸くなるヨルのおしりをぺしん! と叩くが、「セクハラはやだなあ」とぺしぺし立派なしっぽで叩き返され、今度こそがくりとこうべを落とすシズシラの鼓膜を「ホッホッホッ」となんとも穏やかな笑い声が震わせる。
顔を上げると、テーブルの向こうで、ドクがその深いシワに囲まれたどんぐりのような目を細めてこちらを見つめていた。
「仲がよくて結構じゃの」
嫌味でも当て擦りでもなく、そのやわらかな響きからは怒りも感じられない。
無意識に安堵してしまうシズシラに、ドクは「今回はの」と口火を切った。
「腰紐や櫛のように解りやすい原因ではなくてのう。姫さんには油断するなと散々言い聞かせてわしらは仕事に出かけたんじゃが……帰ってきたら扉の前で姫さんが事切れておってな。何をどうしても目を覚ましてくれず、無茶と解っていながらリュー一族に依頼した訳じゃ。長老殿達はさぞかし困られたことじゃろう。申し訳ない」
「い、いえ、そんな! ねえヨル、他にも王妃に何か渡してないの? それが原因になったってことないかしら?」
ぽむぽむと何度もヨルのつやつやとした銀の毛並みの背中を叩くが、彼は「うーん、覚えがないね」とまったく気のないお返事である。
いつぞやと同じくやる気の『や』の字も感じられない様子だ。
これはもうどれだけ自信がなくても自分が頑張るしかない。
迷っている場合ではなく、いよいよ覚悟を決めるべき時だ。
きゅ、とひとたび唇を噛み締めてから、シズシラはドクに向き直った。
「とにかく、ブランシェ姫に直接お会いしなくては話にならないかと。その、姫の、あの、ご遺体があるのは……?」
「さっきも言った通り、泉のそばに安置した棺の中じゃ。わしらが作ったガラス製の棺じゃぞ」
「ああ、それならご遺体の腐敗も防げますね」
「その通り! 何も知らずに見たらただ眠っているだけにしか見えんわ」
七人のドワーフの手による特製のガラスの棺は、〝時が止まる〟と呼ばれるほど、中身の保存性に優れている。
ドクが自慢げに胸を張るが、シズシラは苦笑いすることしかできない。
いくら遺体が完璧に保存され、眠っているだけにしか見えなくとも、そこに魂が宿っていないのならばどうしようもない。
とりあえず蘇生術というよりは反魂術だろうか。
肉体の修復も可能な蘇生術に対し、反魂術は魂を黄泉から召喚することで死者をよみがえらせる秘術だ。
東方のモグリの魔法使いや魔女はその反魂術を利用してキョンシーだのゾンビだのと呼ばれる不死者を使い魔にするらしいが……と、それは置いておいて、とにもかくにもまずはブランシェ姫の状態の確認だ。
シズシラが「それでは」とヨルを抱き上げて立ち上がると、ドクも頷いて椅子から降りる。
「先にグランピー達が棺の元に行っておるが、あやつらにはお前さん達の呪具の件は黙っておいた方がよいじゃろうな。わし以上に姫さんのことを溺愛しとるやつらじゃからの」
「……お気遣い、感謝いたします」
「なぁに。その代わり、全力を尽くしてもらおうぞ、リュー一族が魔女殿」
「…………はい」
そこはかとなく低められた声にびくびくしながら、シズシラはぎゅうとヨルを抱き締めて、ドクとともに家を後にする運びとなった。