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第3章 白雪姫【1】

久々の我が家をシズシラは満喫していた。


ここはリュー一族の隠れ里、そのはずれのこれまたはずれ、更に重ねてその片隅に位置する小さな家だ。

母ライラシラにせっつかれて実家である屋敷を出てから既に二年。

十五歳から一人で暮らし始めたこの家は、シズシラにとっては小さいながらも立派な城、大切な我が家だった。


「やっぱり我が家は落ち着く……!」


ひらべったくなってしまった、大きさも形も色もしまざまなクッションを敷き詰めた、小柄な自分にはちょうどいい大きさの作りのソファーに転がって、クッションに負けず劣らずひらべったくなっているシズシラは、うっとりとグミの実のような赤い瞳を細めた。


このままずっとこうしていたい。

お行儀は悪いけれど、おいしいお茶と焼き菓子を持ち寄って、このソファーでごろごろしながら古い書物を読む――なんて、なんて素敵な考えだろう。


そうと決めたら話は早い。ふんふんふふんと調子はずれの鼻歌を歌いながらキッチンに向かおうと、寝そべっていた身体を起こした。

帰郷ついでに立ち寄った街で買ったマドレーヌと紅茶の茶葉がある。

優雅なティータイムの始まりだ。


「シズシラ、僕にもよろしく。ミルクは……」

「はいはい。人肌に温めたミルクで茶葉を煮出して、はちみつをたっぷり溶かした、とっておきのミルクティーね」

「流石シズシラ。よく解ってくれているじゃないか」

「十年も付き合っていればいい加減覚えるわよ」


シズシラの鼓膜を震わせるのは、どれだけ聞き慣れてもそのたびに魅力的だと感じてしまう、若々しい青年の声だ。

だがしかし、シズシラのそばに、というかこの家そのものに、その若々しい青年の姿は不在である。

かわりにいるのは、シズシラのソファーの中でももっとも大きいお気に入りのクッションの上に陣取る、銀の毛並みが美しい長毛種の猫だ。


青と黄色という異なる色彩をそれぞれ左右の瞳に宿した猫、もとい元人間のシズシラの幼馴染であるヨルは、立派なしっぽをぱたん、とひとたびクッションに打ち付けて丸くなる。


お茶の準備をしようとしているシズシラを手伝おうという気はないらしい。

そもそも今の彼は猫なので、手伝ってもらおうにもどう手伝ってもらうのかという話なのだが、それにしてももう少しこうやる気の『や』の字のかけらくらい見せてくれてもバチは当たらないのではないかと思う。

まあ猫相手にそれを求めるのは酷な話か。


てきぱきと慣れた調子で鍋で湯を沸かし、ミルクをたっぷり投入、それから茶葉も惜しみなく。

芳醇な甘い匂いとともにくつくつ煮立ってきた鍋に、とっておきの黄金のはちみつを。

くるくるとかき混ぜてから茶こしで茶葉をこして、自分用のマグカップと、ヨルのためのお椀にそれぞれ出来立てのミルクティーを注ぎ、マドレーヌを皿に乗せてソファーまで運ぶ。


くんくんとお椀のミルクティーの匂いを嗅ぐヨルに、「猫舌にはまだ早いわよ」と言いつつ、シズシラは彼のとなりに腰かけてほうと溜息を吐いた。


「人魚の末姫様の件と、カエルの王子様の件の報告に戻っただけだから、またすぐ次の国に向かわなくちゃいけないけど……やっぱりつくづく我が家が一番だわ」


そう、まだシズシラとヨルの贖いは終わった訳ではない。

まだまだヨルがやらかしたアレソレドレミは各地に残っており、先の二件についてまとめた報告書が長老衆議会に受領され次第、再び自分達はこの隠れ里を発たねばならない。

久々のこの帰還は、ほんのわずかな休息に過ぎないのだ。


それでもやはり自宅にこうして帰ってこれたことは、嬉しいことだ。

ここぞとばかりに我が家の空気を味わうシズシラと、当然のように一緒にいるヨルは、長老衆議会からの連絡を待ちつつ、こうしてティータイムへと洒落込んでいる訳である。


「僕もこのソファーが相変わらずの寝心地で嬉しいよ」

「……あなた、人間の時からずっと、暇さえあればそのソファーに転がっていたものね……」


とびきり見目麗しい銀髪の青年がソファーにしどけなく寝そべる姿は確かに眼福とされるべきものなのだろうが、その間魔導書や魔術書を読み漁り懸命に魔法の修行に励むシズシラには少々……いやだいぶイラッとするものがあった。


そうだ、思えばあの頃から兆候があったのだ。

門前の小僧、とは誰が言ったか。

たぶんヨルは、シズシラの魔法の修行を何をするでもなくただ寝転がって眺めるばかりの中で、少しずつ魔法を覚えていっていたのだろう。

だからこそ彼は、どれだけ努力してもまともに魔法を行使できないこちらに同情したのか、「魔法って大変なんだね。復習、付き合おうか?」と提案してくれたのだ。


母をはじめとした周囲の魔法の師に見放され、同年代には馬鹿にされるばかりでひとりぼっちだった自分にとって、その言葉がどれだけ嬉しかったことか。


いずれ来たるとされていた別れの日はすぐそこまで迫っていて、せめてそれまではと、どうか私を忘れないでと、思い出を一つでも増やそうとした。


そうしてシズシラはヨルと魔法の修行に励み、そのままそれがすべての罪の始まりになってしまった。


「シズシラ? どうしたんだい?」

「なんでも、ないわよ」

「ふうん。マドレーヌ、もらうよ」

「…………」


猫の姿であれども元は人間のヨルにとって、人間の食べ物や飲み物は毒にはならない。

ぱくぱくとご機嫌にふんわりレモンが香るマドレーヌにかじり付くヨルは、もうどこからどう見ても、ただのとびきり美人さんなだけの猫だ。


姿形が猫なのだから当然なのだが、本人もすっかりその気になっていて、まるで――そう、まるでもう、人間だったころのことなんて忘れて、人間に戻る気なんてないようにすら見えるというのは、シズシラの考えすぎだろうか。


――せっかくもうすぐ、お家に帰れるはずだったのに。


本来住まうべき新しい世界に帰還した美しい銀の青年は、落ちこぼれの魔女のことなんてすぐに忘れてしまうだろうと思っていた。

いくら十年間ともに過ごしても、本来シズシラとヨルは住むべき世界が違う。

だから、だから少しでも思い出が欲しくて、自分のことをほんの少しでも覚えていてほしくて、シズシラはヨルに魔法のすべを教え込み、そしてヨルはその奇跡を行使し禁忌を犯した。


やっぱり全部自分の、シズシラのせいなのだ。


そう思うとあまりにも情けなくて、もう涙すら出てこない。

かわりに込み上げてくる溜息を、マグカップにたっぷりと注いだミルクティーを一気に飲み干すことで一緒に飲み込む。


すっかり無言になってしまったこちらのことを、ヨルは気にするでもなくぺろぺろとちょうどいい塩梅に冷めてきたミルクティーを舐めている。

かわいらしい姿に和みそうになるけれど、彼のその姿こそがシズシラとヨルの罪の証。


そっと彼の頭を撫でようと手を伸ばす。

シズシラの手が銀の毛並みに触れる寸前、何かに気付いたようヨルはぴくりと耳を動かし、お椀から顔を上げて窓の方を見遣った。


「来たね」

「え、あ……ほんとだ」


コンコン、コンコン。

窓ガラスを外からくちばしで大きなカラスがつついている。


持っていたマグカップをテーブルに置き、窓を開け放すと、カラスはそのまま部屋の中へと入ってくる。

ぐるりと天井を旋回したカラスは、そうしてシズシラの肩へと舞い降りた。

ちょい、とカラスが見せてくるのは、自身の足にくくりつけられた書状である。


その書状を解いてやってから、お礼を込めてまだ手を付けていないマドレーヌを差し出すと、カラスはぱくりと一口でそれを飲み込み、窓から飛び出して空へと帰っていった。


「長老衆議会からの通達かい?」

「そうみたい。もう少し時間がかかるかと思っていたんだけど……」

「本格的な外交問題に突入する前にさっさと全部片付けたいから焦ってるんだろうね」

「…………」


どの口がそれを言うの!? とよっぽどツッコミたかったが、シズシラはあえて沈黙を選んだ。

どうせツッコんでも「この口だよ」となにげに鋭い牙がぎらりと光るお口をくわぁと開けてくれるであろうことが容易に想像できたからだ。


久々の我が家に帰ってきて癒されつつあった心身が早くも疲れてきた気がしたが、気がつかないふりをして折り畳まれた書状を開く。

見事な達筆は、見慣れた母の手によるものだ。



――罪人たるシズシラ・リュー、ならびに同じく罪人たるヨルに告ぐ。



容赦のない書き出しだ。

流石お母様、と、傷付くよりも先に感心が先に立つ。


ついつい苦笑いを浮かべながらその達筆の流れに目を滑らせて、そうしてシズシラは、文面が進むたびに徐々に自身の身体が震え始めるのを他人事のように感じた。

ふるふるからぶるぶるへと震えは大きくなり、ついでに顔色も平素のものから青、白、土気色へと変化していく。


のんびりゆったりと構えてミルクティーを舐めていたヨルも、シズシラの尋常でない様子に気付いたのだろう。

口の周りをぺろりと舐めてから、「シズシラ?」と彼は首を傾げた。

気付けばぐしゃりと力いっぱい書状を握り潰していたシズシラは、これまた気付かないうちにうつむいていた顔をバッと持ち上げる。


熟れたグミの実のような赤い瞳には、涙がなみなみとたたえられていた。



「どうしよおおおおおお!」



そしてシズシラは、悲鳴とともにその場に膝から崩れ落ちた。

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