【6】
「なっ、なに!? なになになに!?」
「うるさいなぁ。せっかく気持ちよく寝てたのに」
ベッドから跳ね起きるシズシラと、その隣で未だ丸くなったままあくび混じりにつぶやくヨル。
窓の外はまだ暗く、未明であることを教えてくれる。
なんだ今のけたたましい音は。
何かが砕け散ったかのような派手な音だった。
どうやら隣の部屋から聞こえてきたらしいが、一体何だと言うのだろう。
寝ぼけた頭できょろきょろと周囲を見回すと、同じく騒音に叩き起こされたらしいハインリヒが、剣を抱えたままソファーから飛び降りた。
「っ殿下!!」
「えっ」
殿下。
ハインリヒの言う殿下とはつまり、アルトハイデルベルクが第一王子殿下のことである。
シズシラが声をかける暇もなく、ハインリヒは部屋を飛び出していく。
ほとんど反射的にシズシラもまた、枕元のローブを羽織って異次元鞄を手に取り、ベッドから飛び降りてその後を追った。
心底面倒臭そうに、それでもなお律儀にヨルもまたついてきてくれる。
ハインリヒの後を追って隣室である第一王子の寝室に飛び込んだシズシラは、ひゅっと息を飲んだ。
ハインリヒがすぐ前に立っている。
その向こうでは、シズシラ達がやってくるよりもかなり前から、それなりのやりとりがあったのだろう。王族のための豪奢ながらも上品だった家具のあれそれが破壊され、その中心にカエル、ではなく第一王子がいる。
そして、彼と相対するのは、完全なる武装とともに覆面までばっちりの、どこからどう見ても怪しいと断言できる不審者だった。
不審者の手には鋭く光る剣があり、その切っ先は第一王子へと向けられている。
「我らがアルトハイデルベルクのため、第二王子殿下のため、第一王子、そのお命、貰い受ける!」
「っおのれ、暗殺者か!」
「やめなさい、ハインリヒ! 危な……っ!」
第一王子の制止も聞かずにハインリヒが剣を抜き放ち、ダンッと床を蹴った。
勢いのままに不審者、もとい暗殺者に斬りかかる。
だが、暗殺者は相当の手練れであるらしい。
難なくハインリヒの剣を受け止めてしまう。
そして、激しい剣戟が重ねられることになった。
剣と剣がぶつかり合い、互いの命を狙って銀の切っ先が月明かりにきらめく。
「ど、どうしよおおおおおお!」
「どうしようもないね。下手に手を出してもあの騎士の邪魔になるだけだ」
「だからって見てるだけなんて……あ、ああっ! 危ないっ!」
シズシラが悲鳴のように叫んだ次の瞬間、ハインリヒの手から剣が弾き飛ばされる。
深く斬り付けられたのだろう、鮮やかな赤がしたたる腕を押さえて膝をつくハインリヒだが、それでもなお背後に第一王子を庇い、瑞々しい若葉色の瞳はまだ諦めてはいない。
「私は殿下の第一の騎士……! たとえ剣がなくとも、この身だけでも、私はっ」
「ハインリヒ、もういい、もういいんだ、これ以上はお前が……!」
「ならばまとめてあの世に送ってやる!」
暗殺者が剣を振りかざす。もう迷っている暇はない。
シズシラは両手を暗殺者に向かってかざした。
「〝シズシラ・リューの名の下に! 風……じゃなくて剣よ! 剣よ! 地より生まれし銀の輝きよ! その刃で、シズシラ・リュー……じゃない! アルトハイデルベルクが第一王子殿下と、その騎士ハインリヒを守りたまえ!〟」
「なっ! うわぁっ!?」
祈るように叫んだ次の瞬間、床に転がっていたはずのハインリヒの剣が宙に持ち上がった。
そのまますさまじい勢いで、剣は宙を滑り、その刀身で暗殺者に体当たりする。
暗殺者はぶつかってきた剣ごと背後の壁へと叩きつけられた。
からん、剣が再び床に転がり、遅れてどさりと暗殺者もまた床に伏せる。
「や、やったぁ! 成功した!」
「本来ならあの剣はそのまま暗殺者を殺してたはずの呪文なんだけどね。まあ結果オーライか」
「……ヨルは本当にいつも一言多いわよね……」
褒めてくれたっていいじゃない、と唇を尖らせるシズシラに、銀の猫は器用に肩を竦めてみせる。
そのやりとりは場違いに滑稽なものにハインリヒと第一王子の目には映ったらしい。
彼らの中でようやく張り詰めていた糸が切れたのか、二人はほうと安堵の息を吐き、そして。
「~~くそっ! せめて第一王子だけでも!」
「なっ!? 殿下!」
「ハインリヒ!? ――――ッハインリヒ、ハインリヒ!」
倒れ伏しながらも意識を失っている訳ではなかったらしい暗殺者が、隠し武器として用意していたらしいナイフを第一王子に向かって投げた。
あっとシズシラが息を飲んでも遅い。
ハインリヒが第一王子に覆い被さり、その背にナイフが突き刺さる。
そのままぐらりと身体を傾かせるハインリヒに、第一王子が懸命に呼びかけるが、反応はない。
舌打ちをしてこの隙に逃げようとする暗殺者に、ヨルが飛びかかった。
覆面越しにすら十分威力を発揮する鋭い爪に顔面を切り裂かれ悲鳴を上げる暗殺者に、今度はシズシラが床に落ちていた鉄製の彫像を持ち上げて、その頭に殴りかかる。
今度こそ本当に意識を失って倒れる暗殺者を蹴り付けるヨルを抱き上げて、シズシラは第一王子に覆い被さった状態で倒れるハインリヒを助け起こす。
背中に突き立ったナイフは下手に抜くと出血してしまう。
だがこんな時に使いたい治癒魔法なんて高度な奇跡、シズシラには行使できない。
どうしよう、と、顔を蒼白にするシズシラとともにハインリヒの顔を覗き込み、第一王子が悲痛に叫ぶ。
「ハインリヒ……! 私の愛しい人よ、どうか目を開けておくれ!」
「えっ」
なんか今、とんでもない発言を聞いたような。
状況も忘れて固まるシズシラのことなどちっとも目に入っていないのだろう。
衝撃的な発言を叫んだ張本人である第一王子は、ハインリヒの閉じたまぶたの向こうの瑞々しい若葉の瞳を覗き込もうとするかのように、更に懸命に言葉を紡ぐ。
「どうか聞いてくれ、そして応えてくれ、愛しい人。お前と出会ったのは三年前だったね。寛容なる優しき王子とは聞こえはいいが、実際は冷徹な判断を出せない優柔不断の腑抜けの王子だと影に日向にささやかれていた私の元に、お前は現れてくれた。私の騎士になりたいのだと言ってくれた。幼い頃に出会った初恋の少女の面影があるからという不埒な理由でお前を騎士に叙任した私を赦しておくれ。お前は私がどれだけ情けなくともずっとそばで支えてくれた。それがどれだけ嬉しく誇らしかったことか! 気付けば私は、お前に恋に落ちていた。お前のことを愛しているのだと気付いた時の甘い絶望を、お前は知りはしないだろう。私は王族、次代に血を残す義務がある。だが同性であるお前とはそれを望めない。だから私は銀の魔法使い殿に願ったんだ。この恋と、お前と、ずっと一緒にいられるすべが欲しいと。魔法使い殿は見事その望みを叶えてくれた。あの末姫には酷い目に遭わされたが、当然の罰だ。愛してもいない彼女に愛をささやく私のことを、彼女は見抜いていたんだろう。お前が馬車で迎えにきてくれた時も、私は本当に嬉しかった。この醜いカエルの姿でもなおお前は私を慕ってくれる。お前はずっと私のそばにいてくれるのだと。カエルの姿のまま、私は叶うことのない恋を抱いて、お前とともに生涯を終えることができるのならば、なんて幸福なのだろうと。それが、それがこんなことになるなんて……!」
多い。
多い多い多い。
何がって情報量が、である。
怒涛の勢いで重ねられる情報、もとい熱い愛の告白に、シズシラは口を挟めない。
シズシラのとなりのヨルが、くわぁと大きくあくびをした。
呑気である。
そんな場合ではないはずなのだが。
そう、そんな場合ではないのだ。




