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【5】

だが、やがて隠しても無駄だと悟ったのだろう。

先ほどよりも深く溜息を吐き、シズシラに、ソファーに座るように促す。


シズシラが大人しくちょこんと腰を下ろしたのを認めつつ、自らは立ったまま、ハインリヒは続けた。


「……元より、殿下はその寛大さ……お優しさが過ぎると、一部では反感を買っておられた。お優しすぎる君主は国に利をもたらさないと。そういう奴らは、第二王子を次代の王とすべきだとほざいている。冗談じゃない。第二王子は国に利をもたらす以上に、自身の利しか考えない、到底王の器にはなれない王子だ」


そんなこと言っていいのだろうかと、部外者であるシズシラの方が焦るくらいに、ハインリヒの第二王子に対する評価は辛辣だった。

けれどその辛辣さは、裏を返せばハインリヒの主人である第一王子への信頼の深さを表しているのだろう。

口を挟める雰囲気ではない。


沈黙は金、と唇を閉じるシズシラと、ベッドの上で既に寝息を立て始めているヨルをそれぞれ睨みつけたハインリヒは、若葉色の瞳に再び怒りを宿し、その怒りのままにダンッと床を蹴り付ける。


「第二王子がそういう王子であると知る者は多く、我が殿下のお優しさに救われた者もまた多い。結局は殿下がいずれ王位を継がれるであろう未来は盤石なはずだった。それが今回、殿下がカエルの姿に変えられたことでひっくり返されてしまったんだ…!」

「っ!」

「魔法使いにだまされてカエルにされるような王子など王の器ではないと、城内のみならず城下でももっぱらのうわさだ! 誰もが気味悪がり、今や殿下のそば付きは私のみ。客室を用意することすら叶わない。このままでは殿下は廃嫡されるより他はない。本当になんてことをしてくれたんだ!」

「も、申し訳……」

「私に対して謝罪は不要だ。殿下に対する誠意ならば受け入れるがな」


自分でも制御できない感情になんとか折り合いをつけようとしているのか、ぐしゃりとハインリヒは前髪を掻き上げて、その場にずるずるとしゃがみ込む。

その薄く色付く唇から「殿下……」と切なげな吐息がこぼれ、シズシラはぎゅうと胸が締め付けられるような気がした。


本当にヨルは、そして自分は、なんてことをしてしまったのだろう。


「……ハインリヒさんは」

「なんだ」

「本当に第一王子殿下のことを、お慕いしているんですね」

「なっ!?」


夜の少ない明かりの中でもはっきりとそうと解るほど、ハインリヒの顔色が真っ赤になった。

バッと立ち上がった彼は、背後の壁にびたん! と背中を押し付ける。


「な、いや、そんな、恐れ多く……っ、そん、そんな……!」


顔を真っ赤にしたまま慌てふためく騎士の姿はなんだか妙にかわいらしくて、シズシラは自身の立場や状況を忘れて思わずぷっと吹き出した。

「何がおかしい!」とやはり赤い顔で怒鳴るハインリヒに、シズシラは笑いを堪えながらしみじみと頷いた。


「ハインリヒさんのような騎士様に支えられている第一王子殿下は、きっと、素晴らしい王になられるのでしょうね」

「っ、そ、それは当然だ! あの方は、あのお方は、私の夢を認めてくださったお方なのだから!」

「夢?」

「ああ。あの方は、父にも母にも認めてもらえなかった私の夢……騎士になるという夢を認めてくださった。幼いころ出会った殿下は、私の背を押してくださった。あの時からだ。私は騎士に……あの方のためだけの騎士になりたいと……三年前その望みがようやく……これ以上は望むべくも……って、何を言わせるんだ!?」

「えっ」


自分で言ったのにシズシラに怒鳴るのは流石に理不尽だと思うのだが、それを突っ込むのは無粋というものなのだろう。


とにもかくにも、このハインリヒという騎士は、心底第一王子に心酔し、彼の力になりたがっているようだ。

見上げた忠誠心である。

騎士様ってこういう存在なのね、と感心していたシズシラは、そして、ぎょっと赤い瞳を見開いた。


気を取り直したように立ち上がったハインリヒが、自らの甲冑を脱ぎ出したからだ。


「ハ、ハインリヒさん……!?」

「勘違いするな。私とて休む時は休むだけだ。甲冑を着たままでは休めるものも休めないだろう」

「あ、な、なるほど……」


がしゃん、がしゃん、と手甲や胸当てを一つずつ丁寧に外していく姿を見ていてもいいのだろうか。

いや普通に駄目だろう。

だがしかし、月明かりに浮かぶハインリヒの姿はとても美しくて、シズシラはドギマギする胸を抱いたまま彼から目を離せない。


そしてすべての甲冑を脱ぎ終えて身軽になったハインリヒの姿に、シズシラは再び大きく目を瞠ることになる。

その視線の意味に気付いたのだろう。


ハインリヒは初めて笑った。

その笑顔はどこか切なげな、はかなさを帯びたものだった。


「これが気になるか?」

「は、い」


ハインリヒが、『これ』と示したのは、彼の胸に巻かれた三本の鉄の帯だ。

見るからに頑強な作りの鉄の帯が、ぎゅうと彼の胸を締め付けている。

一体何のために、と戸惑うシズシラに対して、ハインリヒは当たり前のことのように続けた。


「殿下がカエルの姿に変えられた時、私は悲しかった。あまりにも悲しくて、心臓が張り裂けてしまいそうだった。それを防ぐために作らせた、特注の帯だ」


それだけのものだ、と、更に続けたハインリヒは、無言のままうつむくシズシラの姿を認め、くすくすと笑った。

虚をつかれて顔を上げれば、ハインリヒがいたずらっぽく笑っている。


「なんてな。そんな訳がないだろう。騎士に就任した時に作らせた、ただの護身具だ。鎖帷子よりも丈夫なものを望んだら、こうなった。我が国が鉄鋼業で栄えていることは知っているだろう? なかなか快適だぞ」


そこまで言い切ってから、ハインリヒはくいっとあごをしゃくった。

示されたのはすやすやと深く眠るヨルが陣取るベッドである。


「さっさと寝ろ。明朝、即刻城を発て。私に斬られたくなければな」

「で、でも、私は第一王子殿下の魔法を解かなきゃ……」

「貴様には無理なんだろう? 自分で言っていたではないか、落ちこぼれだと。なに、殿下ならば自ら魔法を打ち破ってくださるとも。殿下の本当の素晴らしさを知ったら、あの末の姫君も、必ず殿下にまことの愛を捧げてくださるだろうから。ほら、解ったら寝るんだ」


まるで幼子に言い聞かせるかのように、今までになく穏やかに諭される。


怒鳴りつけられでもしたら反論だってできたものを、こんな風に優しく……そう、本当にとても優しく言い聞かされてしまっては、シズシラにはもう逆らうすべはない。


こうべを垂れて促されるままにベッドに登る。

羽織っていたローブと、腰に下げていた異次元鞄を枕元に置く。


ハインリヒはソフ

ァーで眠るつもりらしく、剣を抱いてソファーに横たわる。

もうシズシラと話す気はないらしい。


ベッドのど真ん中に陣取るヨルを問答無用で荷物を置いたのとは反対側の枕元まで移動させて、シズシラもまた身体を横たえた。

王族の妃のためのベッドは、当然ながらとても寝心地がいい。

だからなのか、驚くほどあっさりと、シズシラの意識は眠りの淵へと沈もうとする。

けれど、その意識を現実に繋ぎ止める声が聞こえてくる。


――……その、無理、なのだろう?

――貴様には無理なんだろう?


第一王子とハインリヒの言葉が耳元でよみがえる。

きゅ、と唇を噛み締める。

ぐうと喉が鳴って、閉じたまぶたの裏に涙が溜まる。


どうせ私は落ちこぼれ、と、決まり文句を口の中で呟いて、けれどその決まり文句を当たり前のことだと受け入れられるほどまだシズシラは自分を諦め切ることはできなくて。


こんなにも眠たいのに、眠くて眠くてたまらないのに、落ちこぼれという言葉が耳元で反響してどうしようもなくなっていく。



「……大丈夫。大丈夫だよ、シズシラ」



胎児のように身体を丸めて涙をこらえるシズシラのまなじりを、ざらざらとした生あたたかい感触が辿っていく。


何が大丈夫よ。

誰のせいだと思ってるの。


そう文句を言いたい気持ちは山とあったけれど、それよりも先に安堵が胸を満たしていって、そのままシズシラの意識は深い夜闇の中へと沈んでいった。



そして、シズシラは、その数刻後、ガシャーン!! というとんでもない騒音によって叩き起こされることになる。

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