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【4】

そも、何故アルトハイデルベルクが第一王子殿下が、カエルの姿になったのか。

その件についてはもうご本人の言う通りであるとシズシラは資料から既に理解していた。


先達て、彼は恋に落ちたのだそうだ。お相手はとある国の末姫である。

彼女はその美しさから父王に溺愛されており、周囲はおいそれと求婚することすらできずにいたのだとか。

アルトハイデルベルクが第一王子殿下もその周囲の内の一人であり、なんとか末姫とお近付きになろうと考え、そしてあろうことかそんな彼に魔手を伸ばす者がいた。


そう、銀の魔法使いことヨルである。



――その勇姿と引き換えに、君に機会を与えよう。

――まことの愛が得られたならば、君は元の人間の姿に戻ることができる。

――けれどまことの愛が得られなければ、君はそのまま生涯を醜いカエルのまま過ごすことになるだろう。



と、第一王子に「さあどうする?」と問いかけたのだそうだ。

またしてもなんて酷い条件を突き付けたものだとシズシラは頭を抱えた。


まことの愛。

人魚姫もまた求め、そして得られなかったものを、醜いカエルがそう簡単に得られるはずがない。


当然のごとくカエルの姿の第一王子は、想い人たる末姫に手酷く拒絶され、迎えに来た家臣――資料によると腹心である騎士であるとのことから、ハインリヒであると思われる――とともに、すごすごとこのアルトハイデルベルクに帰国する運びになったのだとか。


その経緯により、第一王子にかけられた魔法を解くようにとアルトハイデルベルクの王、そして重臣達から抗議書がリュー一族の隠れ里に届いたのである。

「事の次第によっては……解っているな?」という脅し文句が透けて見える抗議書に震え上がったのも今となってはいい思い出、な訳がない。

どこまでいっても恐ろしい思い出であり、そもそもまだ思い出にはしていけない事実である。


「姫にこの想いが伝わらなかったのは、私の愛が足りなかったせいだろう。いずれ改めて彼女の元に馳せ参じるつもりだよ」

「えっ!? 壁に投げ付けられたと聞いているんですが!?」

「それでも私は彼女を愛している。彼女に恋してしまったんだ。恋とはそういうものだろう?」

「さ、さようでござい、ます、ね……?」


まるで自らに言い聞かせるように語る第一王子の背後で、「殿下……お労しい……」とハインリヒが目頭を押さえている。

シズシラは背筋を冷たいものが伝っていくのを感じた。


そう、この第一王子、くだんの姫君の金のまりを拾ってやった恩をたてにして、彼女の寝室までたどり着くことに成功したらしいが、いよいよベッドに登るところになってとうとう耐えかねた姫君に思い切り壁に叩き付けられたと聞いている。


どう考えても望みのない見事な玉砕っぷりである。

それでもなおまだ第一王子は姫君が諦め難いらしい。

いやもう本当にこれ以上ないくらいに拒絶されているというのに。


えっ恋ってそういうものなの? 

私が知ってる恋と違う気がするんですけれど?

えっえっもしやこの王子殿下、まさかのまさか……。


「マゾかな?」

「ヨル、しっ!」


世の中には言っていいことと悪いことがある。

自らの顔を覆う手から逃れてぼそりとつぶやくヨルにシズシラは顔面蒼白になってまた彼の顔を覆い隠す。


だが言ってしまった言葉はもう戻ってはこない。

第一王子は「これは手厳しい」と鷹揚に頷くばかりだが、問題は彼の背後の騎士、ハインリヒだ。


その険しかった表情から、スッと感情が抜け落ちる。

手甲で覆われた手が腰に伸び、すらりと再び剣を抜き放つ。


「――――殺す」

「ああああああ申し訳ございませんこの猫には私がよく言って聞かせますから何卒ご勘弁をおおおおおおっ!」

「こらこらハインリヒ、落ち着きなさい」

「いいえ殿下、このふざけた猫を討ち取れば、あなた様にかけられたあやしい魔法が解けるかもしれません! どうか止めないでください!」

「ハインリヒ。これは命令だ。アルトハイデルベルクが第一王子の名の下に、銀の魔法使い殿とリュー一族の魔女殿に手を出すことは許さない。解ったかい?」


穏やかながらも確かな力が、いずれ国を背負って立つ者であるこそ持つ威厳が、その言葉には込められていた。

ハインリヒはハッと息を飲んでから恥じ入るように剣を収め、シズシラはシズシラで自然と背が伸びる。


姿こそカエルだが、彼は立派な第一王子殿下であらせられることを今更ながら思い知らされた気がした。


「さて、もう夜も更けてきた。私のことはともかく、魔法使い殿も魔女殿もお疲れでいらっしゃるだろう。ひとまず今夜はこの城で休まれていってほしい。なに、リュー一族には私から改めて謝礼と謝罪の書状をしたためよう。さあ、大したもてなしはできないが、ハインリヒ。お二人に客室をご用意してさしあげてくれないか」

「……かしこまりました、殿下」


いかにも渋々とハインリヒは一礼し、まずは第一王子を自ら抱き上げて彼の寝室まで送り届ける。

大の大人でもギョッとする大きさの、お世辞にも美しいとは言い難いカエルをためらいなく丁寧に抱き上げて運ぶその姿、忠臣の一言に尽きる。


本当に信頼しあっていらっしゃるのね、と職業柄カエルには慣れているシズシラはしみじみと感心したように頷いた。


「今日は柔らかいベッドで眠れそうだ。ありがたいことだね」

「そうね……って、ヨル、あなた、自分のやらかしたこと、忘れた訳じゃないわよね?」

「もちろん覚えているとも。〝まっとうなる善意の魔法〟を、僕はあの第一王子に授けたよ」

「まっとうなる善意がどうしてカエルになるのよ……」

「彼がお近付きになりたい姫君の守りは物理的にも魔法的にも本当に堅固でね。これくらいしないと近付くことすらできなかったんだよ」

「だからって……!」

「おい」

「はい!?」


ヨルに重ねてお小言を連ねようとしたシズシラに、背後から低い声がかけられる。

振り向けば、主人を無事に寝室に送り届けたハインリヒが、無表情を取り繕うとして失敗したような、なんとも難しい表情を浮かべて、こちらのことを見下ろしていた。


ヨルを抱いたまま慌てて立ち上がると、ハインリヒは「ついてこい」と先ほどと同じように冷たく突き放すような声音でまたあごをしゃくる。

ひええ、と怯えつつも逆らう理由はなく、シズシラはもともと小柄な身体を更に小さくしてハインリヒの後に続く。


「ここだ」

「えっ」

「なんだ、不満か?」

「ええと……」


そうではなくて、とシズシラは瞳をさまよわせた。

ハインリヒの案内はすぐに終わった。

そう、ものの数秒だった。


なにせ彼が案内してくれたのは、第一王子の寝室のすぐ隣。

上品ながらも可憐な印象を抱かせる上等な家具の揃うその部屋がなんたるかが解らないほどシズシラだって子供ではない。


「あの、ここ、第一王子殿下のお妃様のお部屋では?」

「ああ。殿下は未婚でいらっしゃるから、今は私が殿下の護衛のために恐悦にも使わせていただいている。殿下はあのお姿になられてから人前に出られなくなってしまったから、私が常駐できる部屋がここしか残されていなかったんだ」

「そ、そうですか」


いくら未婚であるとはいえ、護衛のためだけに未来の妃の部屋を騎士に明け渡すなんていいのかな? というシズシラの疑問はそのままハインリヒに伝わったのだろう。

「誰のせいだと思っている?」という冷たすぎる視線が向けられて、縮こまることしかできない。


はい、私とヨルのせいでございます。


「お前達には今夜は私とともにこの部屋で過ごしてもらう。下手な真似ができると思うな。怪しい真似をしたら即刻斬り捨ててくれる。明日の朝、さっさと追い出してやるからな」

「えええええええ……」


一応私も未婚の乙女なんですけど。

流石にあなたのように凛々しい騎士様と同室で一晩はちょっと、その、まずい気が。


ハインリヒは凛々しく立派な騎士だ。

どこかはかない中性的な面差しは、世の女性の心を惹きつけてやまないものだろう。

彼が女性に不自由しているとは思えず、当然シズシラとどうこうなるなんてことにはならないだろうが、この一晩で変なうわさが立ってしまったら彼にとって極めて不名誉であるのではなかろうか。


「私、廊下の床でも寝れますけど」


自慢ではないがリュー一族の隠れ里では、膨大な過去の文献を漁り続けた末にそのまま寝落ちするなんてことは日常茶飯事だった。

わざわざこんな立派な部屋に泊めていただかなくても、廊下の床で十分だ。

慣れている。


これ以上ハインリヒ、そして第一王子にとって都合の悪いうわさを招く真似は避けたいと思ったからこその発言だったのだが、ハインリヒは「我々が客人すらもてなせないと侮っているのか」と眉尻をつり上げてくる。

そんなつもりじゃないです! とぶんぶんとかぶりを振れば、腕の中のヨルが首を持ち上げて「シズシラ」と呼びかけてきた。


「大丈夫だよ。この騎士が血迷って君に手を出そうとしたら、僕が持てるすべてを使ってその罪をこいつに思い知らせてあげるから」

「誰もそんな心配してないわよ!?」

「誰が手を出すか! 誰が!!」


シズシラとハインリヒは揃ってヨルに怒鳴りつける。

そういう反応が返ってくることはヨルにとっては解り切っていることだったのだろう。

「じゃあありがたくこの部屋を使わせてもらおう」と、さっさとシズシラの腕の中から飛び降りて、繊細なレースの天蓋が美しいベッドのど真ん中で丸くなってしまう。


もはやツッコミを入れるのも馬鹿馬鹿しい尊大な態度に、がっくりとシズシラは肩を落とし、ハインリヒはハインリヒでもう怒る気力もないのか、「なんて疲れる奴らなんだ……」とぼやいて溜息を吐いた。


「私とて極めて不本意だ。だが、今の殿下のご権力ではこれが限界なんだ。お前達のせいでな」


心底忌々しげに吐き捨てられたその言葉の意味が解らない。

きょとんと赤い瞳を瞬かせると、ハインリヒは失言だったとばかりに口を押さえた。

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