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【3】

慣れない人間が見たらわりとギョッとする程度には巨大なカエル、ではなくアルトハイデルベルク第一王子は、目の前で土下座する不審者に対してゲコッ? と不思議そうに喉を鳴らし、その背後で騎士が「やはり殿下を狙うつもりだったのか!?」とチャキッと剣を構え直す。


またしても緊迫する場を治めたのは、他の誰でもなく、諸悪の根源であるヨルその人、もとい猫だった。


彼は一歩前に出て、自分よりもわずかばかり下にある第一王子の視線を捉えて、猫らしくにゃあ、と鳴いてみせた。

彼なりの挨拶なのだろう。


「お久しぶりと言うべきかな。先日ぶりだね、第一王子」

「私は喋る猫殿とのは面識はないはずなのだが……」

「鈍いなぁ。この声、この瞳、この毛並みの色。覚えがないとは言わせないよ」

「で、殿下に向かってなんたる口の利き方! いくらふわふわでかわいらしくたって許せるものではないぞ、この手で無礼打ちに……!」


恐れを知らない言いぶりの銀の猫に、シズシラと騎士はそれぞれ異なる意味で身体を震え上がらせた。

前者は焦り、後者は怒りである。


「ちょっとヨル!」といつものように慌てるシズシラをよそに、ヨルは悠々とそこにたたずむばかりである。


騎士が怒りに任せて剣を向けてくるが、その刃が振るわれるよりも先に、第一王子がやはり穏やかに忠義の厚い騎士を諌めてくれる。


「こらこら、だから落ち着きなさい、ハインリヒ。見事な銀の毛並みにその金銀妖瞳……まさかあの魔法使い殿か?」

「ご名答。ご機嫌麗しく、第一王子」


猫の姿でありながらもなお優雅に一礼してみせるヨルに、ほう、とカエル、ではなく第一王子が頷いた、その時だった。


ダンッとつい数瞬前までヨルがいた場所に、深く剣が突き立てられている。


悲鳴すら上げられず凍りつくシズシラと、自らを屠らんとした刃を見事かわしてみせたヨルを、騎士の若葉色の瞳がギラギラととんでもない鋭さを帯びて睨み付けてくる。

床に突き刺した剣を抜き、再び騎士は、ヨルに向かって剣を構えた。


「貴様の……貴様のせいで殿下が……っ!!」

「これは彼が自分で望んだことだよ」

「黙れ! いくら、いくら貴様が極めてかわいらしいもふもふであろうとも、私はごまかされないぞ! 覚悟――――ッ!」


剣がいよいよ振りかざされる。

ヨルは動かない。

彼ならばどれだけ騎士が優れた剣の使い手であったとしても、その刃を今までと同じようにひらりとかわしてみせるに違いない。

そんなことは解っている。

けれどだからと言って黙って見ていられる訳がない。


だってヨルは、シズシラの大切な幼馴染なのだから。


そう思ったら、もう、いいや、ようやく身体は動いていた。

両手を騎士に向かってかざし、シズシラは叫ぶ。


「〝シズシラ・リューの名の下に! 風よ! 風よ! 荒ぶる虎のごとき風よ! その牙を、その爪を、シズシラ・リューのために振るえ!〟」


それは魔女が自らの名の下に命じる古いことのはだ。

魔女の名には魔力が宿る。

その名に従い、大気の精霊が具現化し、騎士に襲いかかる。


騎士が顔色を変えて受け身を取ろうとするが、遅い。

そして風で形作られた虎が騎士にいざ――と、なる、はず、だったのだが。



――――そよそよそよ。



「……?」


騎士がいぶかしげに首を傾げたのも無理はない。夜風が甘えるように騎士の長い髪を撫でていった。

なぁお、と虎、ではなく小さな身体の透明な子猫が三匹ほどころころと騎士の周りを駆け回り、そしてそのまま掻き消える。

ぽかん、と騎士が毒気が抜かれたように口を開け、シズシラは羞恥で顔を真っ赤にした。


「まあ、召喚に成功しただけ、シズシラにしては上出来なんじゃない?」

「う、ううううううっ」


それは本当にその通りなので、シズシラはヨルの冷静な評価に対し反論することもできずにその場で撃沈されたようにぬかずいた。


恥ずかしくて顔が上げられない。

労わるようにヨルが足音もなくそばに寄ってきて頭を擦り寄せてくるが、今はその優しさが辛い。

というかこれは優しさなのだろうか。

逆に馬鹿にされているような気がするのは被害妄想なのか何なのか。


どうせ私は落ちこぼれ、なんて半泣きで呻くシズシラに、すり、すりすりすり、とつやつやとした毛並みが押し付けられる。

至高のもふもふタイムである。

状況がこの状況でなかったらシズシラはもう諦めてここぞとばかりにヨルのふかふかの身体をもふらせてもらったのが、あいにく状況はこういう状況である。


はっとその現実を思い出し、大変遅ればせながらにしてヨルを抱え込み顔を上げると、怒りを忘れてその代わりにただ困惑をその凛々しい顔ににじませている騎士と、おやおや、と微笑ましげにこちらを見つめている第一王子(※カエル)とそれぞれ目が合った。


アッそういえば、と、改めて状況に気付いたらしい騎士が再び剣を構えるが、そんな騎士の方へと第一王子が向き直る。


「ハインリヒ。私が大恩ある銀の魔法使い殿と、リュー一族の魔女殿がお越しだ。私と一緒にお二人をもてなしてはくれないだろうか」

「そんな、ですが!」

「ハインリヒ」

「~~わか、り、ました!」


盛大なつば鳴りの音とともに騎士は主人の求めに応じて剣を収め、「ついてこい!」とシズシラとヨルに対して怒鳴りつけてくる。

ひえっと身体を竦ませるシズシラを見上げて、ヨルは確かににっこりと猫なりに笑った。


「第一関門は突破かな?」

――だからそれはそうなんだけど、あなたがそれを言うの!?


まなざしがそのまま刃になるのならば、確実にシズシラとヨルは滅多刺しになっている。

そう断言できる視線を若葉色の瞳から放つ騎士の手前、シズシラはヨルにそう嘆くのを諦めた。


落ちこぼれは落ちこぼれなりに処世術が必要で、ここで必要とされるのは長いものには巻かれろ精神である。


何故か余裕たっぷりの銀の猫をぎゅうと胸に抱き締めて、シズシラは騎士に促されるままに王子の寝室と繋がっている応接室へと足を踏み入れた。

手慣れた様子で明かりを灯す騎士は、くいっとあごをしゃくってシズシラにソファーに腰を下ろすよう示してくる。

従うより他はなく、恐る恐る腰を下ろすと、驚くほど柔らかいクッションに思い切り身体が沈んだ。


心地良すぎて逆に落ち着かないシズシラとは裏腹に、やはりヨルは悠然と構えていて、なんだか自分ばかりが焦っているのがようやく馬鹿馬鹿しく思えてきたころ。


長いガウンをずるずると引き摺り、ぺたんぺたんと足音を立てながら現れたカエル、ではなく第一王子を前にして、無理矢理姿勢を正す。


騎士に手伝われてシズシラの正面の上座に座った第一王子は、「さて」とその趣味の人間には好まれるだろうが基本的には醜いとされるカエルの姿にはふさわしからぬ穏やかな美声を紡ぐ。


「何用だろうか、銀の魔法使い殿、そしてリュー一族の魔女殿。わざわざご足労くださり感謝したいところなのだが……本当にあなた方がいらしてくださったことが不思議でならなくてね」

「えっ」

「ん?」

「いえ、『ん?』ではなく……そのお姿から元に戻せと仰らないのですか?」

「それは無理だよ、シズシラ。さっきも言ったけど、今の姿は王子が自分で望もがっ!」

「ちょーっと黙っててくれるかしら、ヨル」


勝手に膝の上でくつろぎつつまたしても余計なことを言い出し始めた幼馴染の口を顔ごとまたしても手で覆い、シズシラは愛想笑いを浮かべてみせた。

おやおや、とのんびりと構える第一王子の背後には、こちらを刺殺せんばかりににらみ付けてくる騎士がいる。


彼のことを第一王子は〝ハインリヒ〟と呼んでいた。

よほど親しく信頼のおける仲の護衛なのだろう、こんな夜分に自室の警備を任せるなんて相当だ。

だからこそ余計に騎士ハインリヒがシズシラとヨルを赦せない理由は明らかだった。


ライラシラから渡された資料を脳裏に広げて、シズシラは改めて第一王子を見遣る。


かつての誉れ高き勇姿からほど遠い、醜いカエルだ。

彼をカエルに変えたのは、他ならぬ、この膝の上でくつろぐ猫、ヨルである。


「私が銀の魔法使い殿に、とある国の末の姫君との仲を取り持ってくれと頼んだんだ。この姿はその代償だ。まことの愛が得られれば元の姿……人間の姿に戻れるが、得られなければ生涯このままだと。私はその条件に納得してこの姿を選んだ。この件について、父王や重臣達がリュー一族に異議を唱えたとは既に聞き及んでいる。だからこそ魔女殿、あなたがいらしてくださったことはありがたく心強いが……その、無理、なのだろう?」

「…………が、がんばります……」


としか言えなかった。

頑張る気持ちは山ほどあるが、その努力が結果に結び付くか否かとはまったく別問題である。


シズシラの魔法についての実力は、先ほどの一件で第一王子の知るところとなっていることが窺い知れた。

だからこそ蚊の鳴くような声とともにうつむくシズシラを、第一王子は苦笑混じりに見つめてくる。


いい人だ。

もうびっくりするくらいにいい人だ。

だからこそヨルのようなタチの悪い魔法使いに引っかかってしまったのだろう。

気の毒すぎて泣けてくる。


ああ、ハインリヒの視線が痛いことこの上ない。

だが彼のその視線も至極ごもっとものものであるので、もうシズシラはなすすべなくただ大人しくその視線を受け入れるのみだ。

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