序章 シズシラとヨル【1】
シズシラ・リューは、その名の示す通り、リュー一族の生まれの魔女だ。
リュー一族といえば、数多の高名なる魔法使い、魔女を輩出してきた、旧くより連綿たる血と魔力を受け継ぎし一族である。
そのリュー一族の中でも、若くして長老衆に迎え入れられた誉れ高き魔女、ライラシラ・リューの娘としてこの世に生を受けたシズシラは、幼い頃より将来を期待され、周囲からあらゆる知識を与えられて育てられてきた。
の、だが。しかし。
「――――この、落ちこぼれめが!」
「だ、だってお母様……!」
「魔女裁判で被告が裁判官を母と呼ぶでないわ、この落ちこぼれの不肖の娘め!」
「うううう……」
ひどい。落ちこぼれって二回も言った。
とはいえ、まったくもってその通りであったので、シズシラはリュー一族の証であるグミの実のように真っ赤な瞳を涙ぐませながらがっくりとこうべを垂れた。
自分だって私のこと、今、“娘”って言ったじゃない。なんて思えども、それを口に出せる雰囲気ではない。
赤の瞳と合わせ持てばこれぞリュー一族の証であるとされる長い黒髪を指でいじりつつ、なんとかあの手この手で突破口を探す。
どんな手を使ってでもライラシラのご機嫌を取り、彼女の慈悲を乞わねばならない。
だがそのライラシラの美しくも鋭い瞳にギロリと睨み付けられては、言い訳のひとつも出てこなくなってしまう。
助けを求めて周囲を見回しても、誰もが一斉に目を逸らす。
誰だって血赤珊瑚の長と呼ばれる長老衆の若きホープに睨まれたくはないのだ。
長老なのに若きホープとはこれいかに。
その長老衆の若きホープ、もとい今この場においては自らを裁く立場にある母、ライラシラ。
彼女がこういう時……ばかりではなく基本的にどんな場合においても自分に厳しくあることは、文字通り骨身に染みて痛いほど理解しているつもりだ。
ここで下手に反論したら余計に彼女の雷が、そう、比喩表現ではなく本物の光り輝く稲光が、目の前ではなく自分自身に落とされることになる。
それは予想でも予感でもなく確信だった。
――ど、どうしよう……!
リュー一族が住まう隠れ里における、めったに使用されない裁判所。
その扉が開かれるのは、魔女裁判が催される時とされる。
今回、久々にその扉が開かれ、現在は絶賛魔女裁判中だ。
弁護人も検察も存在しない、裁判官と被告人だけの極めて一方的な裁判である。
隠れ里中の魔法使いと魔女が集まり好奇の視線を向ける先は、もちろん被告席だ。
あのライラシラの娘がとうとうやらかしたらしい。
ああ、あの、見た目も中身も才能も、全然母に似ていない例の娘が。
そう周囲がささやき合う中で被告席に立たされているシズシラは、この場におけるもっとも天に近き席、すなわち裁判官席に座る母の顔がまともに見られず、ただただうつむくことしかできない。
「血赤珊瑚の長、そう怒らないでくださいよ。シズシラだって悪気があってやったんじゃないんですから」
「よりにもよってそなたがそれを言うか、ヨルよ」
「僕だから言うんじゃないですか」
「……ヨルよ、それは胸を張って言うことではないと心得よ。そなたも被告の一人であると理解しておらんようだな?」
ライラシラの地を這うような低い声音にびくつくシズシラのとなり。シズシラと同じく被告席に立つのは、美しい青年だった。
肩口で切り揃えられた銀の髪はさながら王冠のごとく彼を飾り立て、晴れ渡る空の青の右目と、とっておきの目玉焼きの黄身のような鮮やかな黄色の左目という異なる色を映した双眸は、青年により一層神秘的な魅力を加味している。
透けるような白磁の肌のかんばせに、これまた大層魅力的な笑みを浮かべて、“ヨル”と呼ばれた青年は「ええ? それはおかしなことを」とことりと小首を傾げてみせる。
「だって僕は悪いことなんて一切していませんよ」
それはもう、これっぽっちも。
そうわざわざ右手の人差し指と親指をくっつけて、『これっぽっちも』を強調してみせた美しい幼馴染の姿に、シズシラはもともと青ざめさせていた顔色を真っ白にした。
彼――ヨルの右手をバシッと叩き落とし、赤い瞳でにらみ上げる。
にじんでいたはずの涙なんてとうに引っ込んでいた。
泣いている暇があったらこの幼馴染の口を閉じさせるべきだ。
でなければ今度こそ本当に雷が落とされる。もちろんその被害に遭うのはヨルではなく自分だ。
それだけは勘弁してほしかった。
「ちょっとヨル!」
「なんだい、シズシラ」
「これ以上お母様を刺激しないでちょうだい! あなた、自分が何をやったか解ってるの!?」
ほとんど悲鳴のようにシズシラが怒鳴りつけると、ヨルはこれまた不思議そうに、今度は先程とは逆方向にわざわざ首を傾げ直してくれる。
その拍子にさらりとこぼれる銀の髪はさながら流星群のようで、傍聴席から感嘆の吐息がもれるが、そんなものにごまかされてあげられるほど今のシズシラは血迷ってはいない。
ごまかされるどころかむしろ小憎たらしくてならない仕草である。
出会ってから十年も経てば見慣れもする。ここまで来ると美しいからこそ余計に腹立たしい。
美しさは罪だとは古来より伝わる常套句だが、この場合においてその常套句が正しい意味で適用されるか否かなんてもう知ったことではない。
シズシラがどれだけ批難を込めた瞳でにらみ上げても、ヨルは変わらず美しく涼しい顔だ。
「それはもちろん」と彼はにっこりと大輪の花のつぼみがほころぶがごとく笑みを深めてくれる。
傍聴席でうっかりその笑顔を直視してしまった魔女の一人がその美しさの前に卒倒した。
慌ただしく運び出されていくその魔女をひらひらと手を振りながら見送って、ヨルはツン、とシズシラの低い鼻先をつついてくる。
「解っているけれど?」
解ってんのかい。裁判所に詰めかけた魔法使いと魔女が揃って内心でツッコんだ。
シズシラは目眩を感じながら「だったら!」と声音を震わせるが、ヨルの笑顔は変わらず美しく余裕たっぷりだ。
「あのねぇ、シズシラ」
「何よ!?」
「僕は“まっとうなる善意の魔法”しか使っていないよ。ねえそうでしょう、血赤珊瑚の長?」
こちらをなだめようとしているのか、はたまた慰めようとしているのか、ヨルはシズシラの肩を抱いて自らの身体の方に引き寄せてくれる。
うっかりどきんと胸が高鳴るが、たぶんこのどきんはトキメキなどという甘酸っぱいものではなく、その美貌に鬼のような表情を浮かべてこちらを見下ろしてくる母、ライラシラへの恐怖である。
胸がどきどきするばかりではなく胃がきりきりと痛み、シズシラは「うう……」とお腹をさすった。
そんな情けない娘と、娘とは対照的に優雅に余裕たっぷりな青年が並び立つ被告席を、相変わらず鬼の表情で裁判官席から見下ろしていたライラシラは、やがて諦めたのか、嘆かわしげに深く溜息を吐いた
深い色の口紅が刷かれた唇から、はらりと赤い花弁がこぼれ落ちる。
過ぎた感情のうねりを魔力により具現化し形作られた花弁は、ライラシラの前の机の上に既に山盛りになっていた。
「シズシラよ、愚かなる不肖の娘。お前はヨルとは違って、お前の罪を理解しているな?」
「はい……」
「では自ら罪状を述べてみよ」
「……ヨルに、我が一族の魔法を教えたこと、です……」
「よろしい。よく解っておるではないか」
褒められているはずなのにまったく褒められた気がしないのはどうして? なんて愚問だ。
母はまったくこちらのことを褒めてはいない。
言葉の端々からにょきにょき飛び出ている棘がぐさぐさとシズシラに突き刺さる。
けれどその痛みは甘んじて受け入れなくてはならないものであることもまた理解していた。
シズシラ・リューは罪を犯した。
隣に立つ青年に、リュー一族に伝わる数々の魔法を教えてしまったのである。
それだけ? とリュー一族について詳しくない者は首を傾げるかもしれない。
だがそれこそがシズシラの最大の罪だった。