夢に羽ばたけ“元”令嬢
徐々に近づいてくる青い空。ぽかぽかの光が、カーテンのようにマイナの全身を包み込む。
旋回する鳥の親子と並ぶ。小鳥が「どこへ行くの?」と聞いてくるように、その小さなくちばしを動かしながら不思議そうにこちらを見つめている。ーーさぁ、少なくとも、ここよりずっといいところ――。
「え、ちょっとまって」
ここでやっと、今自分が大空へ放り出されている事を自覚した。
「え、ちょっなんで? なんでなんでなんでですの!? どう言う流れでこうなってますの!? いや、嬉しかったけど! 嬉しかったけどなんで空を飛んでいますの!?」
いや、違う。マイナは自分の背中にかけられた重力で気付く。飛んでいるのではなく、信じられないほど高く跳躍しているのだと。
徐々に鮮明に見えてくる大地。国民がめちゃくちゃ混乱しているようだが、そんなものに目を通している余裕は無い。このままだと落下の衝撃で死んでしまう。
空中で手足をばたつかせるが、全く意味を成していない。さながら地上に打ち上がった魚と同程度の無力さだった。
ーーえ、もしかしてこれ……罰? 私、罰されていますの?
なにがなんだか分からない以上、そう思う他なかった。とにかく泣いたりショックを受けている暇はない。とにかく生きなければ。ーー多分林の方に落ちればギリギリなんとかなりませんか!?
「ったく。なんだよその犬掻きみてぇな変なフォームは」
揶揄う声に合わせて、自重が安定した。マイナを覆うのは黒紫色の巨大な翼。どうやら空中で受け止めて貰ったらしい。
「あ、ありがとうございます……で、でもそ、その翼は、いったい……?」
アルザックの腕に必死にしがみつきながら、彼の背から生えている翼について問う。彼はあっけらかんとした表情のままそれを羽ばたかせ、空を駆けた。
「ああ、こいつは覚えた」
「覚えた? 意味が分からないのですが?」
「そうじゃねえ。魔導具現スキル《飛翔》だよ。俺の魔力を一時的に翼にしてんだ。冒険家になんなら割と欲しいスキルだなぁ――ま、そんなことより知りてぇだろ? 判定結果」
「そ、それもそうですが……なんかもうなにがなんだか」
じゃあ――と言うように、アルザックは翼を折り曲げて降下を始める。
完全にお姫様抱っこの状態になっているのが猛烈に恥ずかしかったが、接近するごとに鮮明に見えてくる地上の惨状を前にすれば、そんな感情など容易く吹っ飛んでいった。
そこに広がっていたのは、砕かれたガラス板のように地盤をぐちゃぐちゃにして崩壊を始めていた庭園の姿だった。完全にパニックになった国民達は、われ先にと互いに押しのけ合いながら逃げ惑っている。勿論、ゼルファにそんな国民達を指揮できる力がある訳が無い。それどころか、まるで魂が抜けたかのように端の方で体操座りをしていた。
「こ、これはどういう――」
言い切る前に、アルザックは顎をクイっと動かしてマイナの視線を誘導する。あれこそが女神様の下した判決であり、罰なのだろう。ーーでも、どうして地面にめり込んでいますの?
「アレは追放刑か? あのまま皿の上で地面を貫通してウルマリガの裏っかわに行っちまうんだろうな」
「いや、え? お皿ごと物理的に地下に突っ込まれるんですか!? 惑星滅びますよ?」
「大丈夫だ。女神様だからな。判決でな、あいつは二つの罪を背負うことになった。俺達人間を騙そうとした罪と、神を欺こうとした罪――。特に後者は重罪のようだぜ。『そんなもので私を欺けると思ったか』ってとこかな? んで、庭園がこんなんになってる理由は多分――《設定》丸ごとぶち壊して力の差を思い知らせてやろうってとこか?」
「え、ええ……そんな力任せな追放刑……これが女神流の裁判ということですか? ――それで、どうして私は空中へ?」
「あ~判決ン時に罪人の方の天秤を地面につけるんだけどな、その勢いがとんでもなかったんだよ。もう地面にめり込むくらいにあいつの乗ってる皿を地面に叩きつけてなぁ。おまえは……そのせいで逆に上に突き上げられる感じになって空高くぶっ飛んだんだな」
「はあああああ!? それ私も罰されてますよね!? 貴方いなかったら死んでましたよ!!」
「まあ、俺が出張らなくてもなんとかしただろうな、女神さんなら。おまえの疑いは晴れたんだし、寧ろ一回上空に飛ばして被害受けないようにしたんじゃねえのか? さ、どーする? 折角だし、あいつになんか言ってやるか? 『くそざまあ』とか」
「い、いえ……」
マイナは崩壊した庭園の中央――特に破損の酷い場所で這い蹲るルミィを見下ろす。
彼女なりの抵抗か、辛うじて動く手足で藻掻いているが焼け石に水。先ほど空中で同じような形でもがいていたので、少しばかり気持ちは分かった。
女神に容赦という概念は存在しないのか、更に強い重力をかける。完全に身動きが取れなくなったルミィは、最早内にある醜い本性を隠そうともせず、誰が見ても“悪魔”と喩えるであろう壮絶な形相で何かを叫び散らかしていた。
「ちくしょうちくしょう失敗した!! 糞みたいな国なのに!! あとちょっとだったのに!! なにが冒険だ女神だ糞!! 覚えていろ覚えていろ!! 私は……わたしはああああ!!!!」
ーーいや、世界乗っ取るの失敗した魔王みたいになってますけど……。
「くううううそおおおおお!!! 何故だああああ!!! 何故失敗した!!! 完璧だったのに!!! 畜生覚えていろクソ共!!!! 必ず私はぁぁぁぁぁぁああああ!!!!」
ルミィの絶叫も虚しく、絶大的な重力に身体を皿に押し付けられたまま文字通りの奈落へ堕ちてゆく。アルザックの言う通りならば、彼女はあのまま地面を貫通して世界の裏側へ追放されてしまうことになる。ーーでも、あの様子だといつか本当に戻ってきそうで怖いですね……。
他人事のようにルミィの末路を想っていると、砕かれた地盤が光を纏って宙に浮きはじめた。流石に庭園を破壊したままにするつもりは無いのだろう。それでは女神ではなくただの破壊神だ。
パズルのピースが埋まるように地盤が再結成され、庭園が修復されていく。
ただ一人、ルミィを奈落に残したまま――。
地上に蓋をされ、自身が追放されていく様を、指先一つ動かせないまま眺めていく気分はどんなものだろうか。神を欺こうとした罪はこんなにも重いのか――。
暫く考えた後、アルザックの腕をギュッと掴む。
「――アルザック。今ならまだ、間に合いますか?」
「ああ……まあ、ギリギリな」
アルザックは再び翼を折り畳んでまだ地盤が直っていない箇所へ急降下する。
落ちていく岩や石などに邪魔されて姿はほぼ見えないが、まだ間に合う。
ルミィの方もマイナを視認出来るのか、物凄い顔でこちらを睨みつけて来ていた。
チャンスは一度きり。絶対に、届けたい。
大きく息を吸い込み、限界まで身を乗り出して――。
爆ぜるような想いを、伝えた。
「く! そ! ざ! ま! あああああああああああああ!!!!!!」
叫び切ると同時に、ルミィの姿は完全に見えなくなった。手向けの言葉としては、結構いい感じになったのではないだろうか。冗談のつもりだったのか、アルザックは狼狽した様子で言った。
「おまえ、結構容赦ねえのな」
「あら。『まだ助けられる』とでも言うと思いました? 残念ながら、そこまでお人好しじゃないので」
「いや、いいんだぜ。それで。それくらい傍若無人の方が冒険家向きだ!」
誰も居なくなった庭園にマイナを下ろしたアルザックはそう言って笑った。
一気に静けさの戻ったウルマリガの地を見渡すマイナは、はぁとため息をつく。
「疑いは晴れましたが、恐らく本日の騒動で私は腫物のように扱われるのでしょうね。ファルナスタ一族もそんな問題児、扱いに困って仕方ないでしょうね。もう、ここで平和に生きるのは不可能なようです」
「その割には、なんだか楽しそうだな」
「し、仕方ないでしょう! 大きな重りが全部なくなったのですから――侯爵令嬢という大きな重りを。ですから少しくらい騒いだって! 本当に、こんなにめんどくさいだけの立場で良ければ、普通に交渉してくれたら喜んでお渡ししましたのに」
「そう言われれば……知らなかったとはいえ、あいつめちゃくちゃ回りくどいことしてたんだな」
なんだか今までの出来事が猛烈におかしく思えてきた。じわじわやって来る笑いに堪えきれなくなり、吹き出してしまう。
きっとあのまま島流しを受け入れていたら、ルミィの《設定》に従っていたら、こんな清々しい気持ちにはなれなかっただろう。こうして“夢”を掴むチャンスに巡り合うことも――。
軽くなった心と体で思う存分笑った後、アルザックの方へ向き直る。思えば退屈な日常を支えてくれたものは彼の書物だったし、希望をくれたのも、絶望を切り開くヒントをくれたのもこのアルザックだった。恐らく、マイナが今後人生をかけても頭の上がらない“命の恩人”という存在が彼だ。
ーーですが、枷の無くなった私は結構欲深いものです。あともう少しだけ、貴方を利用させてください。アルザック。
彼こそが、新しく出来た夢への懸け橋。それを前にして、遠慮なんていらない。
一仕事終えたと言わんばかりに寝転がるアルザックの方へしゃがみ、言った。
「アルザック――私の夢を、叶えてくれませんか?」
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次回、最終話となります。もしよろしければ、最後まで御付き合い下さい!
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