こいつだけは死んでも愛せなかった(敗因)
「――え?」
ルミィ、ゼルファをはじめとする全ての国民が、一斉に静まり返った。マイナですら、一歩遠のいた地面を眺めながら困惑する。
なにか分かったのか、唯一アルザックだけが必死に笑いを堪えているようだった。
「る、ルミィよ。発言のどこかに《虚偽》があったということか……?」
「い、いえ! 私は全て真実を――」
天秤が再びルミィの方へ傾く。
どよめく国民の中、アルザックが耐えきれなくなったように吹き出す。
もう一段階地面が遠のいた所で、マイナはハッとなった。
――――《設定》した以外の事柄に嘘はつけない。
もしこれが本当ならばほんの少しだけゼルファが気の毒であるが、この決定的な隙を突かない理由は、無い。
「憶測の範囲、ですが――貴方々言う“真実の愛”とやらになにか問題が隠されているのでは……?」
「ぬぅわんだと貴様ァ!!」
目を血走らせたゼルファが、巻き舌で叫ぶ。
「私とルミィの友情から始まった愛の絆をォ!! 貴様のような悪女がァ!!! 疑うと言うのかああああ!!!」
「ではもう一度、確かめてみては如何ですか? 二人の“真実の愛”とやらを」
「マイナ様。貴女は容疑者の立場です。それを理解された上で我々を弄ぶような発言を――」
「言われなくても分かっているッ!! 今こそ、我々の“真実の愛”には一切の陰りすら無いことを証明してくれるぞ!!」
細い剣を掲げ、ゼルファが吼える。国民も彼に便乗するように再び大きく盛り上がった。まるで心の奥底から浮かび上がった一筋の疑念を振り払うように。
【ゼルファ! ルミィ! ゼルファ! ルミィ! ゼルファ! ルミィ!】
ルミィはギョッとした顔で湧き上がる民衆を見下ろしていた。彼女も恐らく気付いているのだろう。自分の作った《設定》の中に、「ルミィがゼルファを真に愛する」が無かったことを。
幻惑魔法《設定》は設定する項目が多ければ多いほど、使用する魔力と結ぶ魔廻印の複雑性が増す。
ただでさえ「庭園全体にかける」という高等技術を使用しているので、結ぶ魔廻印はなるべく単純にしなければならない。
よってルミィは《設定》の内容を「マイナを排除する」過程のみに絞り、それ以外は持ち前の掌握力でカバーする方法をとった。ウルマリガの国民性を考慮すれば、充分現実的な策だったと言える。
そもそもルミィの計画内容は「マイナからゼルファを奪い、この国の頂点に立つ」こと。その過程でゼルファを真に愛する必要はどこにも無かった(それを差し引いてもルミィはゼルファを見下していたので、単純に《設定》としてでも彼に恋心を抱く事に抵抗があった事も大きい)。
それがまさかこんな形で裏目に出るとは思っても見なかったのか、強い愛を訴えるゼルファに対してルミィはただただ狼狽していた。
そんな複雑な彼女の事情など知る由もないゼルファは、ポケットから丁寧に包まれた正四角形の箱を取り出す。
「ルミィよ……本当は裁判が終わった後に渡す予定だった。だが! それではこの悪女の眼前で、我々の“真実の愛”を証明することが出来なくなるではないか!! 故に! 天高くから私を見つめる君へ、サプライズと! 一生で一番の願いを伝えたいーー!!」
ゼルファは箱を空け、未だ天秤の上で震えるルミィへ掲げる。中には「とりあえず金とダイヤモンドをめっちゃくちゃ贅沢に使った」感丸出しの、正にアホ王子に相応しい高価な指輪が丁寧に収まっていた。
「このゼルファ=ウルマリガの愛を――受け取ってくれ」
【うおおおおおォォォッ――――!!!】
王太子の公開プロポーズに、国民は狂ったような盛り上がりを見せた。津波のようなルミィ&ゼルファコールに庭園が支配される。最早裁判の内容など二の次三の次と言った感じだ。
アルザックだけが、大爆笑しながら床を転げ回っていた。
「いや……あの……今はその……」
「ルミィ嬢。三分間の沈黙は《虚偽》と判定されますよ。さぁ国民の期待に答えてください。貴女はゼルファ=ウルマリガの愛を心から受け止めますか?」
狼狽えるルミィを逃がさぬよう、冷たい視線と質問で釘を刺す。こちらを睨みつけるルミィの悪魔のような眼光は、その心の中で蠢くどす黒い本性を剥き出しに表していた。
どれだけ美しいドレスに身を包もうと、高価な化粧品でおめかししようとも、腹を裂いて顔を覗かせた悪魔を隠し通すことなんて出来ない。
「沈黙。それは即ち《虚偽》。貴女が“真実の愛”を否定する道は変わりませんよ。正直に、素直な心で――ゼルファ様のお気持ちに答えてあげてくださいね」
「――――ッ!!!」
小さくて愛らしい唇をプルプルと震わせながら、滲み出てくる嫌な汗で崩れていく化粧をなんとかハンカチで抑えて誤魔化すルミィ。アレだけ心強かった民の声援が今は鬱陶しくて仕方ないのか、余った手で片耳だけを必死に塞いでいる。
天秤はまだまだマイナの方に傾いているのに、王太子と大量の民衆がルミィ味方についているのに、両者の心の内はまったくの真逆だった。
「う、うけ……と……す」
蚊の鳴くような声で、何かを呟いている。まさか小声で呟いて逃れようとしているのだろうか? そんな往生際の悪い方法が通用する筈がない。
「どうした? ルミィよ。聞こえぬぞ? 恥ずかしがらなくても良い。私の方から歩み寄ったのだ――君の正直な心が分かれば、私はそれで満足なのだ」
とぼけた顔のゼルファが優しい言葉をかけるが、完全なる逆効果。ルミィは更に太い釘で固定されたようにビクッと一瞬身体を震わせてから硬直し、目を白黒させている。思ったような反応と違ったのか、ゼルファの顔にも焦りの色が浮かび上がって来ていた。ーーこの人、本当になんにもわかってないですね……。
質問から二分と五十秒が経過。自分に狂信する大衆と、お高い指輪を捧げんとする王太子を見下ろす様はさぞかし絶景に違いなのだろうが、今のルミィにはどのように映っているのか。
否定、肯定、沈黙――。そのどれもが同じ結果を生むという絶望を先に嫌という程味わったマイナは、ずっと下の位置からルミィを憐れむだけだった。
「う……受け取ります。ゼルファ様の、あ……愛を」
天秤は容赦なく、ゆっくりと、見せつけるように、ルミィの方へ傾いた。
再び訪れる沈黙。ゼルファの手から離れた細い剣の落ちる音が、最後の質問の終了の合図となった。
「三つの質問を終えましたが、完全な判定には至りませんでした。お互いの天秤が動いた事も初めてです。よって当裁判の判定は、“真実の天秤”を創造なさった罰の女神――ネメシスー様による、最終審判に委ねることに致します」
管理者がゆっくりと語る。天秤は大きくマイナの方へ傾いたままだが、地面に付かない限り彼女は《容疑者》の立場。
後はルミィの《設定》が、女神の視界すら支配する強大な力を持っているか否かのみ――。
「認めんぞ……みとめええええええん!!!」
ゼルファがまた剣を振り回して絶叫した。
「う、嘘をついているのはマイナ!! お前だああああ!! だ、だからルミィの答えに嘘があるはずなんて無い!! こ、故障してるぞこの天秤!! だって……だって嘘ついてるのマイナだもん!!! それが証拠!!」
国民が徐々にザワザワし始める。理由は困惑ではなく恐れ。
自分達の信じていたモノが、間違いだったかもしれないという恐れか。徐々に大きくなっていく不安に逃げ惑うような弱った心では、王太子のバカ理論も光明に映るのだろうか。一人、また一人とゼルファに合わせて叫び始めた。
「そ、そうだこの野郎! お前の方が全然嘘ついてんだぞコラァ!」
「嫌がらせしたんだろ?? 靴に南京錠付けて壁紙黄土色にしたんだろ?? 事実から目を背けるな!!」
「これでも……喰らえ!!」
昂った民衆の一人が投げる石が、マイナの額にぶつかる。それを皮切りに、その他のギャラリーもこぞって石を拾う。今更乗り換えることなんて出来ない。冤罪という間接的な罪から逃れる為、無理矢理にでも事実に蓋をしなければならない。
女神が見ているのにも関わらず、彼らは小石を握り締めた。
「やめろアホ共。もう遅せぇよ」
決して大声を出していたわけでは無い。拡声器を使った訳でもない。にも関わらず、石を持っていた民はこぞって声のする方角を向いていた。最初に石を投げた者を押さえ付けながら民を睨みつけるアルザックの方を――。
彼の圧倒的強者のオーラは、平和ボケした民衆を再び沈黙させるには有り余るほどだった。
三度訪れる沈黙。だが、明らかに今までとはなにかか違う。
「降りてきたな? 女神さんが」
常人には視認出来ないようなナニカが、この場に降りてきている。アルザックの呟きには、「ようやくお前らでも感じるようになったか」という皮肉が篭っていた。
女神がそこに“在る”。それは無神論を掲げるウルマリガ国民の常識が、強制的に歪められた瞬間でもあった。
来る――審判が来る。マイナもルミィもゼルファも、アルザックを除く国民全ての本能が、それを知らせている。
沈黙の中――マイナとルミィの天秤皿が、それぞれ神々しい黄金色の光を放つ。まるでお互いが重ねた《虚偽》を測るように。
ーーなんて、あたたかい光でしょうか……。
マイナはその光に、春の晴天に昇る太陽の陽射しのような暖かさを感じていた。すり減った心が満ちていくような、優しい光。とても《判定》されているなんて思えない。
対してルミィの方を見てみれば、彼女は身を乗り出して驚いている。彼女は女神の存在を嘲笑ったこともあった。
今更認めたところで、最早手遅れだろう。
彼女の行いは全て、天から女神に見られていた。
やっとくだらない茶番から解放される。間抜けな国民から石を投げられることも無いし、アホ王子との婚約も無くなる。色々な意味を孕んだ達成感が、天にも昇れる快楽を齎していた。
ーーそう、まるでこんな感じに空へ飛んでいくような……!
女神の最終審判が執行された瞬間、ゴウッという爆音が鳴り響くと共に、マイナの身体が空へ放り投げられた。