最強戦術・論点ズラし
「それでは、最後の質問です。マイナ=ファルナスタはルミィ=イグナフームへ悪行を行ったか――是か否かで答えなさい」
「是で、お願いしますわ」
「――否で」
「それでは、最後の議論を開始してください」
始まると同時に、マイナは素早く挙手をする。先に仕掛けられたら終わりだ。
「否――そう申し上げてみたものの、私の中でとある疑念が産まれつつあることも事実です。たとえば、自分自身で悪行を認識していない可能性――意識外での暴走とでも言いましょうか」
「……何を仰りたいのです?」
「どうして私を犯人と確定するに至ったのか、その経緯のご説明を頂きたいのです。まさか、『誰かがこの目で見た』なんて第三者の曖昧な情報だけで公爵令嬢を疑い、こうして壇上に晒しあげているわけでは――ありませんよね?」
「記憶が無いとでも? あそこまで堂々と主張しておいて、まさかその様な言い逃れが通用するとお思いですか?」
「いいえ。記憶喪失以外でも、精神魔法干渉による意識外的な行動や、第三者による催眠術――様々な可能性があります。仮に私がそれらの精神汚染を受けており既に手遅れとあれば、すぐにでもこの首を刎ねねばなりません。これでも元は侯爵令嬢。それなりにこの国の重要な情報を握っておりますので」
天秤は――動かない。
主張でなければ意見でもなく、ルミィの《設定》に対する否定でもない、ただの《質問》――。故に、天秤は判定を下さなかった。
ルミィを欺くだけでなく、天秤のルールすらもギリギリで躱して容疑者の段階に留まり続ける。まるで崖の上で綱渡りをしているようで、中々にスリリングだった。――いや、全然楽しくないですが。
そんなマイナの策略をあざ笑うかのようにルミィは言った。
「……実際、イースの眼を斬り裂いたのは貴女でしょう? 《虚偽》の判定が出ていますよ」
「仰る通りです。ですが、ここで気になるのが『どうして片方の瞳だけを奪った』か。見つかってはならないのならば、瞳ではなく命を狙う筈です。仮に私が魔力汚染を受け、斬り裂いたイースの瞳の中に呪いを埋め込めているとしたら――」
「ふざけるな!! 貴様は私の目を切り裂いた後、心臓を突き刺そうとした!! それが出来なかったのはイグナフーム嬢のお付きの方々が助けに来てくださったからだ!!」
「では見つけた段階で捕らえてしまえば良いでしょう。ルミィ嬢の御両親が雇われた優秀な執事ならば、四六時中本ばかり読んで運動不足の私など、すぐに捕らえる事が出来るかと。それに、切り裂かれた瞳の検査はお済みですか? 先程申し上げた通り、瞳の中に呪いを埋め込んでいる可能性は勿論考慮されていますよね? 検査結果で私の体外魔力が検出されたのならば、私の犯行は確定的になると思います。もしよろしければ、検出結果の書類を見せて頂けませんか?」
「――ッ! してはいないが、私はこの目で見た!! 悪魔のように顔を引き攣らせた貴様の顔を!!」
「どうやら、その時の私は正気では無いようですね。ならば尚更、なんとしてでも即日で捕えなければなりませんね。何せ私はこのウルマリガ宮廷に申請無しで出入りすることが可能ですので。人の目玉を切り裂くような狂人を、つい三日前まで放置していた――という事でよろしいですか?」
「貴様……貴様……!!」
イースは拳を震わせ、黙り込んだ。彼女は直接ルミィから《設定》を植え付けられているのだろう。本当に悔しそうにこちらを睨みつけている。ーー可哀想ですが、今は貴女に構っている暇はありませんの。
「……どうでしょうか? ルミィ様。どうして即日に捕えず、裁判の日まで私を放置されたのでしょうか?」
ルミィは憎たらしい微笑みを張り付けたままだったが、ほんの少しだけそこに曇りが――見えてきたような気がした。
「お気付きにならなかったのですか? 疑惑を抱いてから我々は宮廷と連携し、マイナ様の監視を行って参りました。幾ら狂人と言えども、簡単に公爵令嬢を捕らえることは出来ませんよ」
「――ゼルファ様は三日前に私をここで裁いた際、『つい四日前まで何も知らなかった』と仰っておりましたが、一体何時から監視されていたのでしょうか? まさか、たった四日の監視で私を捕らえる手続きを完了したとでも?」
「――――っ」
「つい昨日、両親が留置されている私の所へ面会に来ました。『まさかお前がそこまでの悪女だとは思わなかった。ファルナスタ一族の恥さらしめ』と一方的に絶縁宣言されただけでしたが――そこで気になったのが、両親ですら私の悪行を知った事が国民の皆さまと同じ日だったという事です。ファルナスタ一家は長年王国に仕えて来た言わば《ウルマリガの懐刀》のような存在です。事実、私のお爺様はウルマリガ国騎士団総団長を務めておりました。幾ら極秘だったとはいえ、我々ファルナスタ一族を通さずにその娘を監視し、独断で捕らえることなど不可能に近いかと思いますが――一体どのようにファルナスタをご説得されたのでしょうか」
「失礼ですが、それは貴女の推測に過ぎません。天秤は全て貴女の発言を《虚偽》と判定しております」
「憶測ではなく、事実です。ファルナスタ一族は騎士団をはじめ、ウルマリガの防衛の指揮を任されている人物が本家、分家問わず数多く存在します。現実的に考えてたった四日の監視程度でファルナスタの血を引く侯爵令嬢の私を犯人と断定し、公開処刑のように晒上げる事など……果たして可能なのでしょうか?」
なるべく、複雑に。なるべく、広い領域で。圧倒的不利なこの状況で正面からの殴り合いに応じる程、マイナは単純ではなかった。
少しづつ本筋から論点をズラし、《設定》ではカバーしきれない矛盾を突く。答えきれず、強引に話を戻してくれば絶妙に答えになっていない弁論で持ち直し、再びズラす。追い詰められたマイナが無意識下で発現させたディベートスタイルは、この局面において充分なを発揮していた。
無論、ただ時間稼ぎの為だけにこの方法を取っているわけではない。マイナは、女神様が直々に判定を下すという《最終審判》に賭けていた。
天から眺めているという女神様ならば、庭園の魔力に汚染されることなく厳正な判定をしてくれる筈。文字通りの“神頼み”になるが、ここを切り抜けられる手段が神の手に委ねられていると言うのならば、選択肢は無い。ーー後は本当に女神様とやらが“実在”するのか……それだけです。
対するルミィも、徐々にマイナの策に気が付き始めている頃だった。彼女の持つ絶対的有利なカードーー天秤の判定を惜しみなく切り、強引に論点を戻さんとする。
女神の存在を信じないルミィであるが、論点をズラされてしまえば必ず矛盾を見つけられてしまう。
イース等を盾にすることでなんとか《虚偽》の判定から逃れているが、それもどこまで持つか。後一度でも主張させれば勝てるのに、王手が掛かっているのに――何故かマイナ以上に焦っている事を、彼女はまだ自覚していない。
攻めるルミィと躱すマイナ――完全な平行線を往く両者の議論に我慢の臨界点を超えたその男は、次期国王にはとても相応しいとは思えない乱暴な言葉で、叫び散らかした。
「そんなの決まっておるだろう!! 貴様の拘束の指示はこの私が出したのだからな!!」
針のように先の細い剣を振り回しながら、ゼルファは続ける。
「いいかよく聞け悪女!! 私とルミィの間に芽生えた“真実の愛”は、貴様が思っている以上に太く強く作られているッ!! ファルナスタがなんだ!! 侯爵令嬢がなんだ!! 全てこの私が判断したのだ!! 彼女の瞳と心が訴える“助け”を汲み取ってなッ!!」
あまりの馬鹿馬鹿しい理屈に、最早反論する気も起きなかった。ーー確かこの人いつか国王になるんですよね? 絶望を感じるのですが……。
「貴様はルミィという女性の素晴らしい心を知らないのだ! 彼女は私の全てを受け入れてくれた!! 立場、世間体、家柄!! そんなもの、彼女の為ならば喜んで捨てる!! 彼女を傷付ける愚者に対しては、私は悪魔にだってなってやる!! これこそが“真実の愛”!! ヒトが生きる上で、最も尊ぶべき真の感情なのだッ!!」
震える拳を握りしめ、ゼルファは雄叫びのように叫ぶ。その怒涛の勢いに感化された民衆も獣のように湧いた。ーー阿呆しかいらっしゃらないんですか? この国は。
事実に基いた理論ですら、“真実の愛”という間抜けな単語の前に簡単に潰れてしまう。結局はお堅い理屈なんかよりも、大衆の感動を誘う言葉の方がずっと大きいのだ。
「ああゼルファ様――貴方と出逢えて私は本当に幸せです……! こんな下級貴族の私をここまで大切にしてくださるなんて――ううっ」
演技派ルミィはここぞとばかりにハンカチで目を抑え、感極まったような呻き声を上げている。
彼女の演技力は大したものだが、その力を後押ししているのは、間違いなく全ての情報を鵜呑みにするような、危機感の欠如したウルマリガの国民性のお陰だろう。
ただ、ピンチというモノは、そういった危機感の欠如によって産まれる油断の中で突然に訪れる――。
「私も貴方を愛しておりますゼルファ様! そう、これこそが“真実の愛”……! 最も尊く、素晴らしいヒトの輝き……! これによって結ばれた我々の愛はきっとウルマリガに祝福を――」
天秤が、傾いた。
ルミィの方へ――。