その令嬢、奸佞邪智につき(ルミィ視点)
この国はいい。まず、外敵が少ない。単純に周りが海だから侵略し辛いのだろう。大した資源も無いので、そもそも他国から興味も持たれない。この国で天下を取れば、実質無敵だ。
そのせいで危機感が無い。情報を吟味する能力が無い。少し周りの魔力をいじって洗脳をかけてやるだけで、国民の意志など簡単に統一出来る。
最後に時期国王が自分にメロメロだ。容姿端麗で女など何人もたぶらかしてきたのだろうと予測していたが、全然そんなこと無かった。婚約者が居たからあまり他の女とは関わらないようにしていたとーー。
なんと馬鹿真面目か。そのせいか、少し誘惑してやるだけで簡単に堕とせた。
ーー今日は気分がいい。なので、私が直接夕食を運んで差し上げましょう。恐らく私とは対照的に、最悪な気分で牢屋の柵を握っておられるであろう彼女に。
ルミィ=イグナフームは、ゼルファに購入して貰った美しい青色のドレスを纏い、鼻歌を交えながら優雅に城内を進む。
向かいからやってくるのは、数名の看守と料理人。料理の乗ったワゴンを押している。
一同は彼女を見つけるなり一列に立ち止まり、ビシッと敬礼のポーズを取った。
「これはこれはイグナフームお嬢様! 本日は忌むべき相手を前に堂々としたお姿、大変ご立派でありました!」
「えへへ。私が招き入れてしまった問題ですので、同席するのは義務で御座います。ところで、その夕食はどちらへ?」
「はっ! あの忌まわしき悪女も腹が減るとの事で、ゼルファ様から唯一の情けとのことです!」
「まぁ! 流石はゼルファ様。お懐の深い御方です。そうですね……ここは是非、私も率先して彼の意向に同調させて頂きたく存じます」
薄い水色のロング手袋を穿いた両手を前に合わせ、明るく笑ってみせる。キョトンとした顔で「と、言いますと?」と返した料理人に向け、真摯に頭を下げ――。
「はい。ファルナスタお嬢様へのご夕食の配達。このルミィが致しましょう」
「なりません! 貴女のような御方が留置所へ赴くなど、ゼルファ様が知ったら!」
「ゼルファ様へは私が申し伝えますわ。万が一のことがあっても、貴方々にご責任は取らせません」
「で、ですが……これから一国の王女になられるような御方が」
「ファルナスタお嬢様は三日後、確実に孤島へ飛ばされてしまいます。私は知っているのです。あの孤島は別名《石の監獄》。立ち入ったら二度と出てこれず、ウルマリガの特殊スパルタ部隊監修の下半永久的に資源となる鉱石を掘らされると。私はウルマリガ人――いいえ、一人の女性として、彼女へ同情しているのです。……だめ、でしょうか?」
決意の固い凛とした態度で臨みつつ、なるべく距離を詰めて上目遣いで、小さな声で――囁く。
このギャップを用いて落とし込めない異性など存在しない。
「は、はうッ!!」
目をハートにして呆けた料理人は、ルミィにされるがままワゴンを手放した。
「ああ、本当にルミィ様はお美しい。容姿は勿論ながら、悪女にすら情を持てるなんて……」
「それに我々のフォローまで約束くださった。あの方が王妃に迎え入れられたならば、この国はより良いものとなるでしょう……」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
もう日が落ちているので、留置所は昼間より一層暗さを増している。こんなところに三日間とは、本当に気が狂ってしまいそうだ。
「でな、あいつら言うんだよ。『手に残ったソースを舐めるのが最高に美味いんだ』ってよ、なわけあるかよ! って言いつつもまぁそこの国の文化に習ってみるかって思ってな――」
「いひゃぁ……私には無理な話です。第一、素手では熱の通ったものを食せないではありませんか」
ーーだからこそ、気に入らない。どうして愉しげに談笑されているのでしょうか?
曲がり角の向こうから響く愉快に語り合う男女の声。マイナと、もう一人はアルザックだろうか。
絶望に打ちひしがれた邪魔者の姿を拝もうと、こんな掃き溜めまで来てやったと言うのに――と、ルミィは小さく舌打ちする。
ーーまぁよろしい。私を見ても同じような態度が貫けるでしょうかね。
全て壊してやる。そう呟き、ルミィは角を曲がった。
「ごきげんよう。ファルナスタお嬢様。昼間より随分と調子が良さそうですわね」
「貴女は……」
「このような隠隠な空間に閉じ込められさぞかし不健康になられているでしょうし、夕食を交えながら少しお話し相手になって差し上げようと思いまして」
「結構です。夕食の配達、痛み入ります」
彼女は表情一つ変えずに夕飯を受け取る。メニューは至って普通。米とカレー、オニオンスープにサラダ。ーーまぁ、そうやって効いていないアピールをするのも今だけですよ。
間違いなく聞いてくる。飯を食すのに必要なものが無いことを。ーーほら、首を傾げてこっちを見た。
「あの、スプーンにナイフとフォークは?」
「……ああ。ナイフ、フォークのような金属類は檻内持ち込み禁止との事です。貴女のような素晴らしい聖女様へのご助言としては大変なご無礼になりますが……直接両手で食されては如何でしょう? 既に程よく時間が経っているので、火傷の御心配は無いかと」
その時、マイナの眼の色が変わった。ーーそうそう。その表情が見たかったのです。
「随分いい性格をされていますね。昼間よりはずっと親しみやすそうですわ」
「ええ。実は私、貴女と同い年でありますの。ですから、ここは本来の私の姿で、改めて貴女とご友人になれればなと思いまして――。与えられた時間も、残り僅かでしょうし」
「構いませんよ。ですが私、冒険譚以外あまり興味が無いので。貴女のお話に問題なく両耳が機能するかどうか……」
「大丈夫。こう見えてとっておきが御座いますよ。“王族の婚約者という立場にありながら、罪人に食事を届けに向かったという大冒険のお話が――」
その時マイナが視線を外したことをルミィは見逃さなかった。ーー舌戦すら私に及ばないなんて。本当に憐れな女。
しかし、マイナの意識が既にルミィではなく、なんの躊躇も無く右手を飯の中へ突っ込むアルザックへ向けられていたことは、見逃していた。
「ちょ、ちょっとアルザック! 何をされているのです!?」
「だって食器ねえんだろ? だったら俺の手がフォークでナイフでスプーンだ」
「だ、だからって――ひっ。カレーと白米を素手で……」
「意外とこっちの方が美味いんだよ。ルーが米とよく混ざるんだ」
ーー何、この男。冒険者には人としての尊厳が備わっていないのかしら。
ルミィは表情を変えないまま、ギリギリと奥歯を噛みしめる。
「それになぁマイナ嬢。冒険にわざわざキレーな皿とナイフやスプーンを持ってく奴がどこにいるよ。フォークの変わりにその辺の木の枝。紅茶の代わりに川の水。ソースの代わりになんかの実の汁――こんなの普通だぜ?」
「そ、そうは言っても……」
「ああ、でもウノトト民族は飯の中に埃が入っただけで半狂乱になって暴れるぞ」
「ウノトト民族はもういいですから!! で、でも……すでぇ……?」
「じゃあ、お前冒険の才能ゼロな」
「うぐぐぐぐぐぐぐ」
目に涙を浮かべて唸るマイナ。ルミィとの舌戦よりずっと悔しそうな表情をしていた。
かと思えば、ギュッと下唇を噛みしめ、精神統一するように固く目を閉じている。なにか決意を固めているようにーーもしやこの女……?
「い、いただきまあああああす!!」
マイナは咆哮するように叫んだ後、カレーのルーと白米を素早く混ぜ合わせ、ぶつけるように口の中へ放り込んだ。もぐもぐと動く口の周りが、言葉すら話せない子供のように汚れている。
「ッシャアいけえッ!!」
「は、はむあむんぐんぐんぐん!!」
「いいよーいいよー! 仕上がってるよー冒険家の神降りて来てるよおおお!!」
「ん! んんんんんんッ!!!」
「もういいよ手ごと喰っちまえ!! お前は虎だ! トラ! タイガー! 百獣王!!」
「んぐんぐ――ちょっとその変な掛け声ほんとにやめて」
「ハハッいーじゃねえか。 ようこそ冒険家の世界へ! よッ冒険の天才!」
楽しそうに茶々を入れつつサムズアップで激励する男と、謎に達観した表情でそれに応える女。
理解不能。素手でカレーを貪る檻の中の男女を、とても同じ人間だと思いたくなかった。
「ああ汚らしいみすぼらしい痛々しい汚らわしい!! こんな醜い男が王家の血を引き、こんな醜い女が次期国王の妃となるやもしれなかったなんて……城内の人畜共が知ったらどのように絶望していたことか! ああ駄目です。これ以上貴女方と同じ空間に居たら私までケダモノに堕ちてしまいそうです。ただ、これだけはよくわかりましたよ。冒険への憧れというものが生み出す醜さを!」
なんという醜いものを見せてくれたのだと、壮絶な不快感が身体を迸る。最大級の侮蔑を孕んだ瞳で牢の中の二人を見下ろしてやるが、そんなものでこの不快感――いや、怒りが収まるはずが無い。
雪崩のように溢れてくる黒い感情を誹謗として二人へぶつけ散らかす。
ーーこの私にここまで汚い言葉を使わせるなんて……!
ハンカチで口を押えて彼女らから背を向ける。とにかく、早く帰って忘れたかった。
「おい。悪女」
半ばパニックになっていたルミィの意識を一瞬で引き戻す呼称で、男は言った。ーー私が、悪女?
立ち止まるルミィへ向け、男は続ける。
「天から女神が、見ているぞ」
ゆっくりと振り返り、男を睨みつける――なんだその世迷言はと、嘲笑うように。
「女神……? ああ、冒険者様は常に過酷な状況と隣り合わせですからね。さぞかし神なんて超常的な概念に寄りかかっていたいのでしょうが――残念ながら、ウルマリガに神はいらっしゃらないですよ」
「ウルマリガしか知らねえもんな。おまえ」
「――ッ!!」
気が付けば没収した食器を男に向けて投げつけていた。ナイフは男の頬を掠め、皮膚を切り裂く。ここまで頭に血が上ったのは初めてだった。ーー何故素手で飯を食している癖にこの私を見下せる?
男は頬に伝う血をカレー塗れの手で拭い、不敵に笑った。
「焦るなよ。あと三日で決着がつく。徹底的にやろうぜ」
この男はなにも分かっていない。何故、今自分がここまで国民を掌握出来ているのか。幾ら間抜けな国民とその国王が相手とはいえ、ただ弱々しい雰囲気で被害者面をするだけで一国の王妃になれる訳がない。根回しは充分。どんな方法を以ってしても、立場は変わらない。
「忘れないで下さいまし。私は妬みを受けて嫌がらせを受けていた被害者。悪女は――貴女なのですよ。マイナ嬢」
ーーああ、気分が悪い。
最低に醜い食事に立ち会ってしまったうえ、結局最後まで彼女の無駄に固い表情を最後まで崩すことは出来なかったルミィ。
留置所を後にするその相は、まるで金棒を持った鬼の如く憤慨に歪んでいた。