その令嬢、極悪非道につき
今日もウルマリガ王国は平和だ。
青い空の中央で光るぽかぽかの太陽に、そよめく風に揺れる草木。上空をのびのびと旋回する小鳥の親子や、眠たそうに大あくびして寝転がるどこかの牧場の家畜達。
そして何より、壇上に立つたった一人の少女を徹底的に罵倒する国民の姿――。
本当にこの国は平和だ。王族の恋愛事情一つで、ここまで感情を剥き出しに出来るのだから。
マイナ=ファルナスタ侯爵令嬢は、自分に向けられた大量の悪意をボーっと見下ろしながら、そんなことを考えていた。
「マイナよ。今、このように大衆の怒りの前に晒してみてはいるものの、私はつい四日ほど前までは本気で貴君を愛していたつもりだ。少なくとも私の目に映る範囲の貴君は、淑やかで美しく、侯爵令嬢に相応しい気品を揃えた聖女だった! 少々不愛想な面もあったがな!」
両手足を縛られ、棒に括りつけられたマイナに激しく怒鳴るこの青年こそ、現ウルマリガ王国の次期国王最有力候補であると同時に、マイナが人生の全てをかけて尽くすはずだったフィアンセ――ゼルファ=ウルマリガ王太子である。
黄金色に輝く金色の髪は乱れ、瞳は充血している。透き通るような白い肌に浮かび上がる血管が、彼の抱く怒りの度合いが既に限界を迎えつつあることを表していた。
ゼルファは腰に携えた針のように細い剣を引き抜き、マイナの喉元に突きつける。
「だが、実際はどうだ! 私が友好的に接していたという醜い嫉妬で彼女に! 私の大切なルミィに陰湿な愚行の数々を行う悪女ときたか! 最早今の私の眼には貴君――いや、貴様は悪魔にしか映らんッ!」
太陽の光に当てられた白刃がギラリと光り、マイナの瞳を焦がす。眩しさに視線を少し逸らすと、そこにはプルプルと怯えるような目付きでこちらを見つめる可憐な少女の姿があった。
彼女はどこか小動物のような愛らしさを持ち合わせており、自然と庇護欲が擽られる不思議な魅力に満ちている。
暗い銀色のウェーブヘアーに黄緑色の瞳――。ゼルファにとっては、政略的に結びつけられたマイナよりは余程愛が深いであろう真のフィアンセ――ルミィ=イグナフーム男爵令嬢である。
ルミィは弱ったようにヨタヨタと立ち上がってからゼルファの腕にすり寄ると、潤んだ瞳でゼルファを見上げ、懇願するように両手を組んで訴えた。
「ゼルファ様、私はなにもそこまでの裁きは……」
「良いのだ。これも全て私の責任。初めから君だけに専念すべきだった。だからこそ、私の手でケジメを付けなければならない」
「ですが、貴方はマイナ嬢様を心から愛されていたのでしょう……? 自らの手で愛する者を手にかけるなど……あまりにも!」
「……心から、愛したかったさ。だが、それも全て裏切られた!!」
剣を太陽に掲げ、ゼルファは叫ぶ。本物のフィアンセの静止すら、聞き入れるつもりはないらしい。
「マイナ=ファルナスタよ。貴様に残された権限はたった一つ! 罰を選ぶ権限だ。己の口で真実を語り、王都とは離れるが西側の在郷へ居住を移すか、その硬い口を最後まで開かず、東側の孤島に箱舟一つで送られるか――さあどうする!?」
「……私は、何もしておりません。それ以外に申し上げることなんて」
これでも記憶の深層をこれでもかという程ほじくり、導き出した結論であるはずだった。
その上で、身に覚えがない。今ゼルファの腕に擦り寄って弱々しく泣きじゃくるルミィへ数々の嫌がらせを行ってきたなんて事実など、記憶のどこを探っても見つからなかった。
そもそもの話、マイナにはゼルファに対する愛情が一片も無かった。婚約者として彼の手を握っていたのも、全ては自分が「ファルナスタ」の姓を受けた故の使命。彼の伴侶という生涯モノの職業を全うするという彼女なりの覚悟が故だった。
捨てられるモノなら捨ててやりたい。彼女は冒険者というものにあこがれていた。
図書館に並べられた冒険者達が記した「日誌」を、空いた僅かな時間を使って読み耽ることが、その儚くも強い願いを誤魔化す唯一の手段になるほどに。
彼女に意地悪をする時間があるのならば、読みかけの冒険日誌を読み切りたいものだ。――今丁度伝説の勇者パーティがエンシェントドラゴンと対峙したところで止まっているところなの。ああ早く続きを読みたい。
本の事を考えて思い出したかのように苛立ったのを感づかれたのか、ゼルファは針のように細い剣を彼女を縛る木の土台へ突き刺し、威圧する。
「なんだその態度は! ならば今一度聞くがいい! 貴様が彼女に行った外道の数々を!!」
ゼルファはそう叫ぶと胸ポケットに仕舞ってあった風呂敷を両手いっぱいに広げる。――結構大きいけれど、一体どうやって収納していたのですか。それ。
ギラギラした目付きで風呂敷を睨みつけるゼルファはやがてマイナに向き直ると、固く閉じた目に涙を浮かべながらひねり出すように言った。
「ルミィの大切にしていた招待用のドレスをハサミで切り裂いたそうだな!」
「……いいえ。やっていません」
あり得ない――と、マイナは思った。仮に本当ならば嫉妬という醜い感情一つでルミィの屋敷に忍び込み、彼女の部屋のクローゼットを開き、ドレスをハサミで切り裂いて立ち去ったという事になる。
学園での勉学や侯爵令嬢としての振舞や礼儀作法、マナーの英才教育などに削られ、マイナは限られた時間しか使えない。彼女の性格上、貴重な時間を費やして嫌がらせを行うくらいならば、読みかけている冒険日誌の続きをすぐにでも読みに向かうだろう。ーーああ早く勇者対ドラゴンの続きを読みたい……。多分僧侶の子が勇者を庇って死んでしまう展開があると思うのです。これまでの発言から推察するに。ああなんて切ないのでしょう……。
「しらばっくれるな! ならばこれはどうだ! ルミィの食す物に古紙の切れ端を混ぜたそうだな! よく図書館に赴いているそうだが、どうなんだ!?」
「いいえ。やっていません」
考えられない――と、マイナは思った。ルミィの配膳された飯に紙の切れ端を入れるという行為の達成がそもそも結構な難易度を誇る。口に入るまで気が付かないようにするならば、混ぜ込んだ後に料理の形を整え、違和感を消さねばならない。
この犯行を確信するに当たった根拠の一つが図書館に赴いているからとゼルファは言っていた。図書館を頻繁に利用する国民は王国周辺だけでも数百人規模で存在するため、根拠としてはあまりにも弱すぎる。――というかそんな風に本を粗末に扱う輩、この私が許しません。たっぷり助走をつけて辞書で頭を殴打して差し上げます。
「クソッ! あくまでしらを切るつもりか! ルミィのブーツ全てに膨大な数の南京錠を取り付けて履けなくしたそうだな! 取り外すことに鍵屋を五人使ったぞ!! お前は悪魔だ! ロクな死に方をしないだろうな!」
「……や、やっていません?」
そんな訳がない――と、マイナは思った。南京錠は一つだけでもそこそこ重い。膨大というのだからかなりの数と重さになるはずだ。分厚い本を五つ以上持ち運べないことが悩みのマイナに、それ程大量数の南京錠を持ち運べる筋力は無い。――いや、そもそもシンプルに嫌がらせの癖が強すぎるでしょう。本当に信じているの? こんなことを。
「なんだその生意気な顔は! これなんか特に酷いぞ!! ルミィの部屋の壁紙やシーツに机、とにかくありとあらゆるもの全てを黄土色に塗り替えたそうだな!! このド畜生がッ!!」
「やっているわけないでしょう!?」
あまりの馬鹿馬鹿しさに、反射的に声が出ていた。
一応令嬢という立場なのですぐに口元を抑えて冷静を取り戻し、軽く咳ばらいをしてから続ける。
「これが真実とするならば、わざわざ巨大な黄土色の壁紙とペンキを両脇に抱え、ルミィ様のお屋敷に忍び込み、壁一面を黄土色に塗り替えたということになります……ここまで大胆な犯行でどうして現行犯で捕らえられなかったのですか? もう少し警備に力を入れてみては?」
「うぅるさいッ!! この聖女の皮を被った魔物め!! 最後に!! ルミィを本気で殴打したそうだな!! 最早厄災だ貴様は!! ここまで野蛮だったとはな!!」
「なんでここに来てストレートな暴力に!? あり得ないでしょう!」
「左右に全力のフックを一発ずつ! ルミィがよろけたところを腹に一発! 更に追い打ちをかけるように全体重を乗せた頭突きを喰らわせたそうだな!!」
「喧嘩慣れし過ぎでしょう私!? 流れるようなフルボッコですわ!?」
「この……この馬鹿ッ!!」
「丁度いい語彙の罵倒が思いつかなかったのですね!?」
せっかく取り戻した冷静を呆気なく崩されたマイナは、最早立場を忘れて否定の限りを尽くした。
そんな態度の彼女が気に入らなかったのか、ゼルファは更に燃え上がるように顔を赤らめ、風呂敷をビリビリに破いて紙片をばら撒き、言葉にならない声で咆哮していた。彼の事にあまり興味を持ったことが無かったマイナだが、ここまで憤怒に支配されたゼルファを見たのは初めてだった。
そして彼の怒りに呼応するように、民衆の罵声も勢いを増してゆく。信ぴょう性の無い蛮行を一方的に信用し、容赦なく誹謗中傷をぶつけてくる。
本当にこの国は平和だ。平和だから、黒い感情の行き先を皆が持て余している。本来向けられるべき外敵がいないから、定期的に現れるヒール役を全力で叩きに行く――馬鹿馬鹿しくて仕方がないと、マイナは思った。
「いいだろう。ならば最後の温情だ。一度だけ問う。先ほど記した愚行の数々は……貴様が行ったことか?」
「いいえ。違います」
マイナはマイナなりに、真摯な視線でゼルダに訴えた。だが、彼表情は変わらない。“最後までシラを切るつもりか”と訴えるように、マイナを睨みつけていた。はじめから彼女の意見を聞くつもりは無かったのだろう。
「貴様の主張はよく分かった。証拠も完全に出来上がっている。これらの質問は全て、貴様の行き先を決める場所の選別に過ぎなかった」
つまらない。本当にこの国はつまらない。そんなに感情の変化を求めているならば本のひとつでも読めばいいのに。冒険日誌ほど心の踊る娯楽は存在しないだろうに。どうして誰かを晒上げ、貶めることにのみ感情が集中してしまうのだろうと、マイナは呆れかえっていた。
同時にもう、どうでもよくなってきていた。恐らく自分は東の孤島へ送られる。ここまで王太子歯向かったのだ。実家も決して自分を許さないだろう。
こんなつまらない国に留まり続けるよりは、孤島で細々と暮らしていく方がよっぽど有意義ではないだろうか? もうここにいても何も残らない。つまらない濡れ衣で、自分の人生は壊れるのだから。
マイナの心の中で、左遷の覚悟が定まりつつあった。
ゼルファは激しく息を乱しながら、剣を鞘に納める。見下ろしてくる瞳に込められていたものは、マイナへ向けた容赦のない軽蔑だった。
「マイナ=ファルナスタ。貴君に東の孤島、イテッポツ島にへの左遷を――」
「おいゼルファッ!! なんで返事しねえんだこの野郎!!」
彼女への判決は、民衆の中央から響く酷く野蛮な声によって完全にかき消された。