脱出編
前後不覚に陥りそうな感覚に耐え、桃と楓花は一本道の隠し通路を小走りで進んでいた。
隠し通路に入ってからというものの、灯火は数多のタマシイ様の影響なのか、消えてしまっていたのだ。
背筋を凍らせるような不気味な笑い声が反響したのも、ついさっきまでだ。今ではピシャリと音が止まり、二人の足音だけだ。
声の正体は明らかだった。唯一気がかりなのは、理旺が追って来ていないことだ。
しかし引き返すことは出来ない。いくら声が聞こえないとしても、気配がないとしても、この世界の主タマシイ様は神出鬼没。一度は助けられたものの、次に捕まってしまえば命がないことくらい、二人も理解していた。
やがて二人は壁に阻まれる。暗闇の中、ぶつかることで初めて気づいた。
「行き止まり!?」
焦る楓花。途中で分岐があったかと自分を疑う。
「落ち着いて。扉か何かがあるはずだよ。探そう!」
焦ったところで何も始まらない。
ここまで至るのに数分かかる細い通路が、意味もなく伸びているわけがない。桃は端と端を結ぶ口は存在すると、確信していた。
二人が壁際を調べようとすると、補助するかのようにカンテラの火が戻った。
そして桃は見つける。壁に沿って伸びている、赤錆の目立つ梯子を。
「楓花、こっち」
二人して頭上を見上げる。天井はどこも変哲の無い石だったが、まずは楓花が確かめてみる。
「私から行くね」
「うん、気を付けて」
カンテラを片手に持ったまま、滑り落ちないように一つずつ上る。
最上部に着いても、やはり出口らしきものは見つからない。
「何かあった?」
「うーん、何も。ちょっと待ってて」
楓花は左手で梯子を掴んで踏ん張り、右手で周囲を探り始める。
出応えはすぐに感じた。
楓花は上方が持ち上がることに気付く。出せる力を右手に集約して、石を押し上げた。
重厚な音を響き渡らせ、石は傾き、阻んでいた道を開ける。
楓花は一つ大きく息をついて、その先へ頭を出す。
きょろきょろと見回して危険がないことを確認すると、梯子を完全に上り切った。
「桃、上っておいで!」
「うん!」
桃は上った後で、石を元の場所に戻す。
「よいしょっと……。ここはどこだろう?」
「見た感じ、厨房っぽいね」
一列に並ぶ口のついた多数のコンロに、中心にはアイランド式のキッチン。鉄色の飲食店が使いそうな冷蔵庫が一つと、他に冷凍室専用の物が一つ。壁には直径の異なるフライパンや中華鍋が掛けられており、棚の一つを開ければ使い分けのなされている包丁が研がれた状態で仕舞われている。
一般家庭のキッチンとは訳の違う有様に、二人は目を奪われていた。
そんな時、厨房の出入り扉がガタっと音を立てる。
警戒の十分な二人は、アイランドキッチンの下収納部分に身を潜める。
取っ手の無い内側の戸を、必死に寄せて完全に閉め切ろうとする桃。しかし上手くはいかず、結局戸が一センチほど浮かぶ不自然な形になってしまった。
厨房に誰かが入って来る。数は一人のようだが、理旺ではなさそうだった。
「イナイナァ……。ドコ、行ッタノカナ……」
囁く声に心拍が加速する二人。間違いなくタマシイ様だった。
「ココカナ……。ココカナァ……?」
タマシイ様は至る所の戸を開けては閉める。
その度に体が震えあがる。
「イナイ……イナイ……」
ぶつくさと言い放ち、タマシイ様は場を離れていった。
偶然にも、二人は出入り口から遠い場所の戸に隠れていたので、タマシイ様が先に諦めてくれたのだ。
「良かった……」
胸を撫で下ろす桃。
「これからは見つからないように、隠れながら動かないとだね」
「うん。これからどうする?」
「理旺の言ってた脱出方法が気になる。桃、貰った手記を見てみない?」
楓花が冷たい板金の上にカンテラを置く。
桃はその横に手記を広げ、最初のページから順に捲る。カンテラの火のおかげで、かろうじて字が読める。
「これを書き残した人は、幽玄さんって言うんだ。……って今は関係ないか」
「色々書いてあるけど……」
さらに手記を読み進めると、桃はあることに気付く。
「幽玄さんって、事件で亡くなった女の子と血縁関係があるみたい」
「どういう事?」
桃は該当する記録の部分を指でなぞる。
『私は、かくれんぼの最中に命を落とした夏南が気掛かりだった。約五十年も前の事だ。彼女の生顔を見たこともなければ、声を聞いたこともない。しかし、夏南の母に当たる私にとっての祖母から事件の話を聞いた時、とてもいたたまれない気持ちになった。その時だ、ネットを通じてタマシイ様という奇妙な噂を耳にした。これはもしや……と思った私は、噂の記述通りかくれんぼを通じて、その世界に行って確かめようと決心した。だが、大学生にもなってかくれんぼをしてくれる友は私にはいない。申し訳ないが、近所で遊んでいる小学生の集団に混ぜてもらうことにした。彼らにとっては当然のこと、私を不審に思っただろう。だが、真相を探るためだ。他人の目など気にはしていられなかった。かくれんぼをしていると、声が聞こえた。幼い女の子の声だ。前後左右どこを確認しても姿はない。次第に体が言うことを聞かなくなってきて、これはまずいと私はネットの記事通り、約束事のような返事をした。すると、見事に現実とは異なる創造された世界に入り込んだではないか。噂は真だったのだ』
手記の内容は、まさに桃たちも体験してきたことだった。
「幽玄さんと、夏南ちゃんは同じ家系で、その夏南ちゃんがタマシイ様ってことかな?」
「そうだと思うよ。手記はまだ続いてるみたい。読むよ」
桃は息を整え、数ページ後を再び読み上げる。
『この場所は、見て回るほど祖母の持つ別荘に似通っている。子供の頃に一度だけ訪れたことがあるが、こんなにも不気味な雰囲気ではなかった。淡い記憶を辿れば、この屋敷の捜索も不可能ではないかもしれない』
次のページには、またずらりと文字が並んでいる。
『タマシイ様に遭遇した。私は幽霊なのかと思っていたが、身体は透けてはいない。本物の人間のようだった。顔を見て、声も聞いた。瞳は充血していて、声は怒りと悲しみが半々に混じったようだったが、タマシイ様は夏南の遺影に映っていた姿とそっくりだった。私は夏南に呼びかけてみた。しかし返ってくるのは、歳に不相応な不気味な笑い声。本当にアレは夏南なのだろうか。夏南の皮を被った悪魔なのではないか』
「幽玄さん、戸惑っただろうね」
「うん、きっとね」
幽玄の思いに同情し、口数が減る楓花と桃。
まだまだ手記は続いており、目に入ったページを抜粋する。
『なんという事だ……。一緒に遊んでいた小学生たちが、あの悪魔の餌食になっていた。酷く生気を吸い取られ、死の直前まで苦しんだことだろう。私は改めて自分が申し訳のないことをしたと実感した。果たして、私の行いは正しかったのだろうか。未来ある子供たちの命を奪ってまですることだったのか、あの悪魔に出会って私はどうするというのだ……』
幽玄はもうタマシイ様のことを、その名で呼んではいなかった。時間が経つ度、死者を見る度、彼の苦悩は増大していくことになった。
そして手記を読み続けること十数分。
『あの悪魔に追いかけ回されて何日が経っただろうか。いや、実際は数時間な気もする。それだけこの世界は私の精神をおかしくさせているのだ。私はある仮説を立てた。悪魔はこの世界に一体だけではなかった。複数いるのだ。恐らく、奴は増殖と減少を繰り返す。その規則性は全く分からないが、それを無意識にコントロールする“本体”がいるのではないかと考えた。その本体こそ、本物の夏南に違いない。居場所の見当はついている。夏南を見つけ、この悪夢の連鎖に終止符を打ってみせる』
このページより先は白紙のページが続いている。
「終わったみたい」
桃は手記を閉じる。
「タマシイ様の本体……。どこにいるんだろう?」
「幽玄さんには見当がついているみたいだけど……」
二人はしばらく唸る。
「ねえ楓花、幽玄さんって大学生だったよね?」
「うん、確か」
楓花の返事で、桃は閃く。
「私、幽玄さん知ってるかも」
「ええっ!? だって幽玄さんは、私たちよりも前にこの世界に来たはずだよ。そんな人、今まで見たわけ……ああっ!」
楓花も遅れて気付いた。
「急ごう。私たちが幽玄さんの意思を引き継ぐんだ!」
二人は厨房を出る。広い廊下を進めば、階段が見えて来る。そのまま下ると、理旺と出会った正面玄関に出た。
自分たちの居場所が分かり、行くべき場所とそこに至る道も明らかになる。
別館に続く廊下を、時に部屋に隠れては、時に走り駆けて行った。
「やっと着いたね」
「うん、長かった……」
二人の目の前にあったのは、桃が始めに目覚めた部屋。扉は半開きのままだった。
「じゃあ、行こうか」
桃の合図で、彼女を先頭に螺旋階段を下る。その先の防音部屋の扉は閉まっていたが、鍵は開いていた。桃が部屋を後にした時から、状況は変わっていないということだ。
そう思われたが、防音のための重々しい扉を全力で開け中に入ると、一つだけ変化があった。
「あれ?」
弔いのための白い布は床に垂れていた。被られていた男性死体は消滅していた。
「やっぱりあれは幽玄さんの……」
今頃は、現実世界で彼の死体が発見されていることだろう。
もう一度手を合わせて追悼して、二人は部屋の捜索を開始する。
しかし見つかるのは音響機材ばかり。夏南の手掛かりになるようなものはなかった。
「幽玄さんはここで何を探していたんだろう……」
「桃、手記には、幽玄さんはこの屋敷を知っているようなことが書いてあったよね?」
「うん」
「夏南ちゃんって、音楽が好きだったんじゃない? だから幽玄さんはこの部屋で、何かをしようとしてた、違うかな?」
「どうだろう……。手記に何か書いてあるかも。もう一回読み返してみるね」
桃は手早くページを捲る。厨房で読んだ箇所を除いて新しい情報がないか、確かめる。
すると、目的のものが見つかった。
「あった!」
『祖母の話によると、夏南は音楽が好きだったらしい。ジャンルは確か、クラシックだった気がする。幼いながらにして、大人びた一面だ。クラシックと言えば、別館の地下にクラシックを聴くための部屋があった気がする。私が訪れた時にはまだ造りかけで壁は剝き出しのままだったが、心を満たすには十分すぎる空間だったのをよく覚えている。私にはクラシック音楽の良さはイマイチ分からなかったが、夏南には分かっていたんだろうなあ』
「夏南ちゃんはクラシックが好きなんだ。ねえ桃、クラシック流せない?」
楓花の意図は桃にも読めた。クラシックを響き渡らせることで、本物の夏南を呼び寄せようという魂胆だ。
「やってみるよ。一応放送委員だし、機材の扱いは大丈夫だと思う」
桃はそう言うが、懸念が一つあった。
果たしてこの世界には電気は通っているのだろうか。部屋の電源を触ったことはなかったが、蝋燭とカンテラの灯火しかまともな光源は見ていない。
だからといってやらないわけにはいかなかった。幽玄も同じことをしようとしていたのだから、きっと可能だと自分に言い聞かせる。
ケーブルの色を確かめ、適切に繋いでいく。
流す音楽はどうしようかとCDの挿入口を開けると、既に一枚入っていた。
マジックで表面に曲題と作曲者名が書いてあった。それは桃でも楓花でも知っているくらいに有名だった。
「準備できたよ!」
他にも調整を終え、桃は楓花に呼びかける。
「ありがとう、お願い!」
桃は再生開始のボタンを押す。
すると左右のコンポから、味のある深い音が鳴り響く。
音が出たことに喜びを覚える二人だが、音を発するということはタマシイ様に自分たちの伊庭y祖を教えるに同義。音楽に混ざって、その声が聞こえてくる。
「ミィツケタ……。ヤット、ヤット」
「「しまった!」」
距離が詰められる中、状況に変化が起こるなら早くしてほしいと祈っていたところ、二人は真っ白な光に包まれた。
それから意識がはっきりしたのはすぐのことだ。
隣同士に立ち尽くしていた二人は辺りを見回す。
「桃、大丈夫?」
「うん、それよりもここは……っ!」
久しぶりの感覚。日暮れ時なのに空気は暑く、木漏れ日が眩しい。蝉も合唱の如く鳴いている。
「外に……出た?」
「でも知らない場所。まだタマシイ様の世界の中かも」
楓花の言う通り、二人は助かったとは言い切れない。
迫っていたタマシイ様の気配は感じられないが、警戒はしておくべきだ。
そんな時、無邪気な子供の声が近づいて来る。一人の小学校低学年の男子が目を凝らしていた。
どうやら二人には気付いていないようだった。見えていないと言った方が適切だろうか、男子は二人を通過して遠ざかる。
「……タマシイ様の世界って言うよりも、夏南ちゃんの記憶って感じがする」
楓花の予想を訂正する桃。その一言に、楓花は希望を見出す。
「夏南ちゃんたちのかくれんぼの光景ってことだよ、きっと。私たちで夏南ちゃんを見つけようよ!」
「そうすれば何か起こるかもしれないね。うん、分かった!」
整備の行き届いていない林の中を手分けして捜す。
先程の男子を何回か見かけたが、そのたびに「あと何人……」と指折りながら鬼として務めていた。その指数えがあと一秒でも長く続いたなら、と桃は当事者ではないにしても後悔の念に苛まれてしまう。
二人は合流した。結局、夏南を見つけることは出来なかった。いつの間にか他の子どもたちは解散していて姿は見えなかった。
「あっつーい……。これだけ捜しても見つからないなんて」
楓花はシャツをパタパタと引っ張り、汗をかいた体を冷やそうとする。
「もっと普通じゃ思いつかないような場所ないかな?」
「そう言われてもなあ……」
楓花はもう一度ぐるぐると見回す。
「あそことか、どうかな?」
指差した方角には、石段が続いていた。
桃は「うわぁ……」と流石に嫌悪感を示すも、やらなきゃこの状況を打破できないと奮起する。
実際、猛暑に見舞われる中、百を超える石段を上り切るのは骨が折れた。
その先には赤い鳥居が、神社が佇んでいた。
「こんな所に神社……。きっと何かあるよ!」
はぁはぁと声を荒げながらそう言う桃。
「そうだね。行ってみよう!」
汗を拭い、鳥居を潜る。
それからしばらくして、桃はかくれんぼの最後の参加者を見つけた。
場所は縁側の支柱の裏。そこに背を掛けるように少女は座っていた。
「楓花、いたよ!」
楓花が駆けつけた直後、桃は縁側の下を覗き込むようにして告げる。
「夏南ちゃん、見ーつけた!」
幸い、夏南はまだ気を失う前だった。虚ろな目で桃を見る。
「お姉ちゃん、誰? でも……」
夏南は優しく笑う。
「ありがとう、見つけてくれて」
その言葉を最後に、周囲の地形が崩れ去る。世界の崩壊と言うべきものだろうか、木々が神秘的に揺らめき音を立てる中で、二人の意識は優しい光に包まれる。
桃は数多くのタマシイ様の残滓を見たような気がした。夏南という姿かたちは全く同じの少女に集約していく瞬間。彼女の思いが少しでも報われたということだろう。
とにかく、あまりに現実離れした彼女の世界で、これ以上の犠牲者は出ない。彼女本人も、全くの他者も。
そう思えば、「私は皆の託された思いを叶えることが出来たんだ」と安堵のような深い眠りに誘われていった。




