11話:フェルギス2
春になって、俺は仕方なく屋敷を出た。
近くの町の魔術師ギルドへ行くためだ。
春になって交通量の戻って来た町の中は賑わっている。
俺は魔法使いらしい出で立ちで、黒いフードを目深にかぶり人波に紛れて移動した。
「ようやく来たか、引き篭もり。冬の間一切の依頼はねつけやがって」
「最初から冬場は研究のために籠ると言っていただろう」
魔術師ギルドで俺を待っていたのはいかつい眼帯のギルド長。
元冒険者で体も鍛えていた名残りらしいが、今も現役にしか見えないいかつさだ。
わざわざギルドの長が出迎えに来て、そのまま執務室まで先導する。
お師匠との時間を邪魔されたくなくて強引に断ったが、これは相当面倒な案件が上がってるな。
「俺は定期依頼の納品に来ただけなんだが?」
「へいへい、ご足労いただきありがとうございますよ、大魔法使いさま」
微塵も思ってなさそうな言い方だ。
けど俺は失伝魔法を操る魔法使いなせいもあり、魔術師ギルドでは重く扱われる。
神官にこそなれなかったが、客観的に見て俺の社会的地位は低くない。
反比例するように権力者からは疎まれてるが。
まぁ、時の神殿にいた神官どもを輩出した貴族社会なんてこっちから願い下げだ。
「あぁ、そうだ。ついでに新しい研究材料提供してやる」
「なんだこの水? すごい魔力が溶け込んでるな」
「うちの神像に供えた水だ。元はただの井戸水で、井戸自体には魔力磁場なんかはなかった」
「おいおい、そりゃ…………。これ、神殿に持ってくもんだろ」
「は、神官不適格の俺が?」
ギルド長の執務室に入ると、俺は自棄ぎみに笑ってさっさと座る。
ギルド長も俺と神殿の確執は知ってるから、何も言わず水の入った瓶を丁寧に執務机に置いた。
「で、どうやって作ったんだあの水?」
「さぁ? 今までただの水だと思ってたからな。恩寵が宿ってるなんて気づいたのはつい最近だ。魔術触媒としては優秀だし世に出せないし、適当に消費してくれ」
「まぁ、恩寵のかかった品なんて神殿が独占してるから、ありがたいと言えばありがたいが。他の奴らには偶発的にできたもんだって誤魔化すしかないか」
お師匠が来てから妙なことになったから理由はわかるけどな。
自分でも未だに見慣れた神像に神が宿ってるなんて信じられない。
けど巫女が言うからにはそうなんだろう。
なんと言っても唯一時の神と交信できる存在だ。
「…………帰りたい」
「なんだと? …………女か!?」
「どうしてそうなる!?」
「あんたが今までそんなこと言った試しないだろ! じゃあ、今まで全く縁のなかった話が湧いたのかと」
「違、う…………か?」
お師匠が心配なこともあるし、普通に一緒にいたいと思う。
実際初恋の相手でそう言う気持ちはある。
けど思い浮かぶのは白い毛玉。
女…………性別は、女だけど。
もふもふで柔らかくてあのしっとり手に馴染む毛の感触。
うーん、女を思う感想じゃねぇな。
「無駄話するなら俺は帰るぞ」
「あー、待て待て! あんたにしか頼めない依頼だ。冬の間からちょいちょい自然災害が起きてる」
「自然災害?」
「あぁ、冬に妙な晴れ間が続いて季節外れの雪解けになっちまった下流が、今本来の雪解け水を得られなくて困ってたり、逆に未だに気温が上がらずに雪解けが遅れて種まきに支障が出てる所があったりだな。早い冬眠開けで対策が間に合わずに獣被害のあるところもあったか」
俺の有名なところは時に関わる失伝魔法を扱うことだ。
とはいえ大抵の魔法は使えるし、経験が豊富で対処の幅も広い。
だからこういう自然なんて言う大きなものの対処を依頼される。
ただこれは本来自然を司る神の領分であり神殿の管轄だ。
「月並みだが、神殿は何してる?」
「それだよ。既定の寄進を行ってそれぞれが水神、天神、火神なんかに恩寵をいただけるようにって願ったらしい」
それならいつもの調整か。
神の力は人間の暮らしの中では強すぎることはままある。
そこを調整できる巫女もいるが、願った神殿の巫女たちはその辺りを考えることのない奴だったんだろう。
農夫が上流で雨を願えば、海の漁師が困るのと一緒だ。
そこで神の力が強すぎた時に介入する、できるのは魔法使いになる。
「俺の肌感だが、この手の神殿の過不足が今年は多い気がする」
他所でもあっちを立てればこっちが立たずという状況だとギルド長は顔を顰めた。
神の力が強すぎて願った人間が困る案件が幾つか他にもあるらしい。
「今年は在位十周年だってのに、幸先悪いぜ。…………まだ未確認の情報だが、時の神殿の巫女も亡くなったらしい」
「ほぉ?」
俺は純粋にこいつの耳の速さに感心した。
時の神殿は忘れられぎみの十二神の一柱を奉っている。
不老長寿の恩寵を隠すために大っぴらには信仰されてないせいで情報自体が漏れない。
なのに時の神殿の中で起きた変化をすでに知っているとは。
「何処からの情報だ?」
「いや、どうも時の神殿の神官が巫女を捜してるって話があってな」
なるほど、新しい巫女を捜すなら以前の巫女はすでにいないと結論付けられたわけか。
「で、巫女は見つかったのか?」
聞いてて自分でも白々しいと思う。
毎日祈りを捧げるだけで神像に供えた水を恩寵で満たすお師匠がうちにはいるんだ。
一柱に巫女は一人。
お師匠が健在の今、捜しても無駄だ。
もちろん言ってやる気はねぇ。
せいぜい無駄骨折ってお師匠のありがたみをわかれ。
そしてこの状況を時の神が静観してる理由を少しは顧みろ馬鹿神官ども。
「それが全然だそうだ。時の巫女ってのは長生きだそうだな。もう三百年ほど前に巫女になったお人がそのまま国が変わっても王朝が代わってもやってたんだろ?」
「まぁな。あの人のことだ。王朝が代わってるなんてのも知らなかったんじゃないか?」
このギルド長は俺が時の巫女の養い子だと知っている。
随分古い記録になるが神官不適格は公式文章に残ってるからな。
その理由やそれまでの経緯を調べれば俺の出生はわかるというもの。
国が変わっても神殿は不動だ。
それだけ神殿の現世利益は重要視されているし、上が変わっても暮らす人間に変わりはない。
特に征服した側からすれば、時の神殿の恩寵は喉から手が出るほど魅力的だろう。
それが元から国内で暮らしてた奴が王家の名前を変えただけなんだから、十二神への信仰が変わることはない。
「資料を寄越せ。対処するための魔法は家で作って直接送る」
「本当になんでそんなに帰りたがるんだよ?」
「研究したいことがあるだけだ」
嘘じゃない。
なんでお師匠があんな姿になったのか、戻せるのか、一生あのままかを調べなければいけない。
本人は気にしてないが普通気になって不安になるもんだろ?
なんかそんな人を一人で留守番させてることもやっぱり不安だ。
結局俺は急ぎ足で魔術師ギルドを後にした。
「お師匠、戻ったぞ」
普段あまり使わない玄関から入って、玄関ホール右にある大階段に声をかける。
左の応接室にはいないだろうが、返事がない。
正面には食堂への控えに通じるドアと、元談話室の温室に行くドアだが、待ってみてもお師匠は何処からも現れない。
「庭で寝てるのか? 隙間とか好きだから、白いわりに見つけにくいんだよな」
そうぼやいて居間を覗いた時、何処からか激しく物が床にぶつかる音がした。
俺は慌てて音の方向である台所へ駆け込む。
「お師匠?」
声をかけるとまた激しい音が鳴り、音を立ててるのは伏せられた木製の桶だとわかった。
持ち手のロープが細長い板と掃除用のモップに絡みつき、モップは配管に引っかかって動かないようだ。
そしてがたがた音を立てる桶の下からは溢れる白いもふもふ。
「…………なんっで、鼠用の罠にあんたが引っかかってるんだよ?」
それ、出かける前に桶の中に餌と渡る用に板を立てかけてた桶だよな?
本っ当、一人にしておけないわ、このお師匠。
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