2話 夜の訪問者
大学の授業が終わったのは、夕方の五時頃だった。
そこからスーパーへ買い物に行って、下宿先のアパートに帰る。
僕は一人暮らしをしている。
春架として都会で生まれ育ち、大学進学を機に山口県へと移り住んだ。
山口県は奈冬と過ごした地だ。
山口県の長門市。
あいにくそこに大学はなかったから、山口市にある国立大学へ通ってるから、現在は山口市住みだ。
「……ただいま」
帰宅し、誰もいないけど、一応そうやって呟く。
義務とか、仕方なくとかじゃない。
もうこれは癖だ。勝手に玄関を開けると、僕はそうやって口にしてしまうようできてる。
心の中で「誰もおかえりなんて言ってくれないけど」と呟いてしまうが、別に害があるとかそういうわけじゃないから、放置して言い続けてる。
「ふぅ……」
靴を脱ぎ、少しばかり重かった買い物袋を冷蔵庫の前で下ろす。
卵に納豆、ヨーグルトと牛乳に食パン。はちみつは切れてることがわかってたから、はちみつ。あと、レトルトのカレーとカップラーメン。
これらを所定の位置に押し込み、余ったビニール袋はゴミ袋として使うため、炊事場のところにかけておく。
近頃はこのビニール袋も有料になったということで、普段なら自前のものを用意するんだけど、今日は忘れたからわざわざこいつに頼るはめになった。ちょっとだけ悔しい。
とまあ、そんな感じで片付けたら、今日も終わり。
あとは炊いてあるご飯と何かで適当に夕飯を済ませ、寝るまでは好きなことをして時間を潰す。
何かと友達の多い人なら、こんな地味で冴えない生活を送るということはないんだろう。
前世の話を軽くしてたあの男子二人組みたいに、飲み会だったり、合コンとかを学校終わりに開き、きっと楽しくやってるに違いない。
それで学生生活を謳歌して、社会人になったりする。立派なもんだ。
けど、僕はそういうのに対して羨ましいとか、憧れるとか、微塵も感じない。
というより、怖く思う。
過去にあった思い出を、今ある楽しい思い出で上書きされていくような気がするから、それが怖い。
だから僕はこの地味なままでいい。
大学に行って、暇な時は読書をしたり、散歩をしたり、そんなことをしてるだけでいいんだ。
それが僕の時間の使い方。
奈冬に会いに行くまでの時間の潰し方だ。
〇
そういうわけで、読んでいる最中だった本の続きをキリのいいところまで読み進め、夜の八時になったところで、夕飯を食べることにした。
夕飯はさっき買ってきた納豆と、余っていたキムチを白米に載せたキムチ納豆ご飯。
……といきたかったんだけど、何というか、準備しながら「質素なもんだなぁ」とか思ったから、これまた余っていた最後のツナ缶を開けることにした。
開けたツナ缶に、僕はポン酢を入れる。
正直、驚かれるかもしれない。
けど、僕はポン酢だ。ポン酢のさっぱり感がすごく好き。だからポン酢。これがまた意外と合う。
というわけで、付け合わせとしてツナポン酢を配置し、豪勢な夕食を摂った。
〇
夕食を終えると、時間は八時半くらいになっていた。
また本を読もうとして、ベッドに寝転がりながら続きのページを開くんだけど、どうもさっきと比べて読むスピードが遅くなり、楽しいよりもなんとなく面倒くささが勝ってしまってきていた。
仕方なく本の間にしおりを挟み込み、仰向けのままボーっとする。
眠たいわけじゃなかった。目は全然冴えてる。お風呂に入れば自然と眠たくはなるんだろうけど。
ともかく、ボーっと天井を見上げ続けた。
飽きるまではもうこうしていよう。それである程度時間が経ったらシャワーでも浴びに行こう。
そう考えていた時だ。
窓の方から音がしていることに気付く。
たしたしとか、たんたんとか、きこきことか、そんな感じの音だ。
誰かがいるんだろうか?
ふと疑問に思い、恐る恐る窓の方へ近付き、カーテンを開けてみる。
「……え……」
そこには一匹の黒猫がいた。
黒猫が窓を叩いていたのだった。